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8章 元自衛官、戦争被災者になる
百二十一話
しおりを挟む「まさか、こんな流れでギルド入りするとはなぁ……」
ユニオン国は、全ての市町村において身分の提示が必要とされた。
それは今の状況も踏まえての事なのだが、やはり何かしらの不安要素を出来るだけ排除しておきたいと言う事なのだろう。
仕方が無く俺はアリアとくっさい演技をして村に入れてもらい、支部で仮のギルド組員のカード……。
まあ、ギルドカードを仮発行してもらった。
その時に奥に呼び出されて色々と面倒な事があったが、訳アリで女装してますと言う事で理解してもらった。
あの時の仮発行をしてくれた受付の女性と支部長の顔、この世で一番気の毒な奴を見るかのような残念さを凝縮していて、酒でも飲まないとやっていられなかった。
「アビーさん凄いですね。十二個の階層のうち、いきなり六になれるなんて」
「そ、そうなの?」
「けど、何で断ったんですか?」
「いや、そりゃ……。薬草とか毒草とかの知識が無いし、そもそも魔物に関しての知識も地形情報も何にも分からないからさ……」
ギルドには様々なシステムがあって、その一つが『証明』と言うものだった。
言ってしまえば自己申告などに疑問がある人物や、ギルドメンバーになる人材の現時点での経歴などをゲームシステム的に割り出してくれる物だ。
例えばモンスターを倒したとして、倒したモンスターは金を持っている訳じゃない。
じゃあどうやって金にするのかと言うと、市町村のギルドで”何を倒したか”を不思議な力で読み取ってくれるらしい。
詐称は出来ず、討伐数や討伐した魔物の種類なども精密に分かるようである。
「初めて街中で追い詰められたときに魔法で吹き飛ばしたりしたけど、あれも数に入ってたんだなぁ」
「そんな事したんですか?」
「袋小路に追い詰められてさ、もうダメかもって思いながら自棄でやったんだ。けど、そっか。あの時のが大きいんだ……」
魔物の”単独討伐数”が八十七体で、単独討伐は実力に大きく加算されるようである。
それとヘラとチェス対決したときのゴーレムもどうやら入っていたようで、その結果『コイツ一人で滅茶苦茶魔物倒してるし、物理が聞かないはずのゴーレムもぶっ倒してる』と言う事でランク六からのスタートが可能になっていた。
けれども、説明書もチュートリアルも無しにそんな馬鹿な事はしない。
ちゃんとランク十二の最下層からでお願いしますと言って、仮ではあるが身分証明が可能になった。
なお「本発行の際にはちゃんとした名前でお願いしますね」と言われて手渡されている。
名前の部分は手渡されて数秒で塗りつぶした。
それはもう使う事のない、かつての名前が出ていたのだから。
「けど、コレがあれば傭兵も冒険者も魔物退治の専門家にもなれる訳だ。ちょっと視野が広がったなあ」
「けど、命や身体と引き換えですよ? それに、等級が上がれば上がるほど非常事態に要請がかけられたり、指名依頼なども舞い込んできて大変になると言ってたじゃないですか」
「だから仲間になるのも増やすのも拒否して、単身と言う事で戦力にならないようにしてきたんだよ。余程の事が無ければ必要なのは頭数と目数、それと幅広く場を抑える能力だから一人にはそうそう声なんてかからないって」
「だといいんですけど。私のせいでそんな面倒を背負わせてしまってすみません」
「あは~は……女装に比べたら、まったく持って苦痛じゃないんだよねぇ」
ごまかす、情報を抜いて誤解させる、騙す……。
自分の都合で色々とやってきた俺だが、明確な嘘だけは吐いてきてない。
情報の欠落や意図的な欠如は何とかなるが、嘘となるとそれを維持しようとしたら莫大な労力が必要になるのを理解しているからだ。
しかし、女装となるとこんな物は”常に嘘を吐き続けている”のと同じだ。
村に入ってからもう何度も野郎に声をかけられ、肩に腕をまわされ、その度に裏返しの声で対応しなきゃいけない。
アリアに「いざとなったら相手を机に押し付けて、酒瓶を逆さにして頭殴ってね」なんて真似をさせられず、しかも声をかけてくる目的に自分が含まれてるのが余計心労に繋がる。
かつてアメリカンスクールでケツを掘られ掛けた過去を思い出し、怖気と吐き気を催すからだ。
十二等級のギルドカードを持っていると「女手だけじゃ大変だよね~」とか声をかけられる。
しかも俺だけだから「そっちの子を守りながらとか大変だろ」とかも言われる。
見れば十一等級や十等級の人で、言ってしまえば「何人かで安定してモンスターと渡り合える」と言うくらいの、対モンスターにおいては駆け出しもいいところだ。
下っ端の仕事の多くは雑用や採集等が多く、モンスター退治に行けたとしてもゴブリンの相手もさせてもらえないくらいだとか。
水路のネズミ退治くらいで、”最悪命に関わる”と言うくらいの相手である。
つまり、そういう連中と自分を比較してしまうと「や、俺ずっとソロプレイヤーでしたし」となってしまう。
当然ながらお帰り願ったし、何人かは逆切れしたので”お帰り願った”とだけ。
「けど、参ったなあ。馬が手に入らないから、明日は歩きっぱなしだ。アリアは大丈夫?」
「実際にその距離を歩いて見ないと何とも言えませんが。いざとなったらアビーさんが負ぶってくれると信じてます」
「嫌な信じられ方だけど、了解。あとは、飲食物は大丈夫?」
「皆さんが口にしている物だから大丈夫じゃないですか?」
その理屈だと、日本人が海外に行ったときに水道水飲んだら腹壊すと言う理屈もなくなってしまうんですがね?
貴族である以上衛生的にも気を払われ、刺激の強すぎないように趣向を凝らした食べ物等を食べてきたはずだ。
それが市井の……、冷蔵庫の無い世界での食べ物となると些か不安になる。
「先日の夕食も抜いてますし、朝食も食べてないので流石に何か口にしたいですよ」
「あ~、うん。そうだなあ。自分も旅の道具の見直しや、飲食料の補充もしておきたいし。流石にノンビリしてられないということも出来ないか……」
「急がば回れ、足元磐石にして事に臨め、急いては事を仕損じる……。って、急げない理由である私が言うのもおかしな話ですが」
「それに関しては気にしなくていいよ。自分の分野の事だし、一々自分の想定や想像から外れた事で文句言ってたら生き残れないし」
まあ、女装は想定外でしたが。
せめて自衛官として正々堂々と戦わせるか、卑怯者として逃げ回らせてくれ。
自衛官のままに卑怯者と言うこの矛盾、すごく痒くて仕方が無い。
「そういう考え方をしてるから、今までうまく言ったのかも知れませんね」
「生きてれば自分の敷いたレールや他人の敷いたレールからも外れる事だってある。その時にまっさかさまに転がり落ちるか、何かにしがみ付けるかってのは大事だと思う」
「けど、普通の人はアビーさんほどの壮絶な体験はしないと思います」
「う、うん? そ、そうかな?」
「私だったら魔物が襲撃を仕掛けてきた時点でもうお腹一杯ですかね」
「まあ、そりゃねえ……。自分も今の状況、まるで受け入れられないし」
「私も、人類の危機とかはぼんやり考えてましたけど、まさか人同士で争う事になるとは思いもしませんでしたし」
俺だってリアル戦争沙汰に巻き込まれるとは思ってませんでしたよ。
自衛官やってた時だって防衛出動や災害派遣くらいで、誰かに銃口向けた事も、実際に誰かの命を奪った事だって無かった。
けど、この世界に着てから一月と経たずに命を奪ってるしなあ……。
そのうち「仕方が無いから」と、簡単に人の命を奪えるようになるかもしれない。
……いや、もう奪ってたか。
自分でも忘れるくらいどうでも良かったのかもしれないし、賊の命だったからと言うのも有るかもしれないが。
それを思い出せば、引き金も手も随分軽くなる気はする。
「それで、こういう時って何処で食事をすれば良いのでしょうか?」
「あの都市みたいに気取った店は無いから、宿兼酒場にでも行かないと気安く食事は出来ないかなあ」
「酒場、ですか……」
「高級な物を村に求めるのは流石に酷だ。それに、裕福そうな物を食べてればそれだけでも目立つし。それに──」
「それに?」
「普段食べてる物ばかりじゃ、世界は狭いままだろ? 色々な事を経験して、色々な物を味わって、その上で自分の思う役職や身分、地位に見合った物を追求したほうがまだ立派さ」
ミラノ達もそうだけど、学園生活では上等な物ばかり食べている。
けれども、中にはこれから人の上に立つ連中が多い。
アルバートと指揮合戦をした時もそうだけれども、下の立場を知らないで上に立つとかふざけんなって話である。
まあ、それは俺も同じで以前カティアをダウンさせてしまっている。
けれども、そうやって失敗しなきゃ何も学べない……。
「あそこの食べ物って、味付けが薄めだろ? あれもいいけど、上流階級向けで俺は結構直ぐ飽きるなあ……」
「味が濃いほうが良いんですか?」
「身体動かして、運動すると汗を沢山流すだろ? そうすると味付けが薄いと味が分からなくなるし」
色々言いながらも、酒場にアリアを連れて入る。
酒場と言えば情報収集や旅において重要な施設だ。
二人だと告げて席に着き、悩んでいる彼女に代わって色々と注文をつける。
「それと……蒸留酒一つ」
「ヤ、アビーさん……」
「アリアに少し分けてあげるから、料理と一緒に飲んでおきな。落ち着いてきたら、たぶん色々な疲れや不調が一気に出てくるから。緊張と興奮で今は大丈夫かもしれないけど、たぶん足攣ったり身体が痛くて目を覚ますかもしれないし」
「そ、れは……。そう、ですね」
「こっちは、景気づけにこの一杯だけ飲むだけだから。ただ、物を食べてお腹が痛くなったら食べるのは中止して、水か果実飲料を飲むようにして」
「……色々な事を知ってるんですね」
「自分が経験して、体験した事だからねえ」
自衛官候補生、曹候補生と二段階の教育を経ると色々な事を学ぶ。
一般人から軍人へと血肉と意識を差し替える自衛官候補生、使われる立場から率いる立場へと一歩踏み出す曹候補生。
どちらも『精神的、肉体的に追い込まれる』と言うことでは一緒で、それに関しては人それぞれの反応と結末をもたらす。
まず酒と飲料がやってきて、アリアに一言断ってから毒見をしておく。
システム画面にも毒や薬物は検出されず、ごく一般の飲み物だった。
「ん、美味しいよ」
「そうですか、良かった」
そう言って彼女は俺が口をつけた箇所へと自らの唇を重ねた。
俺はドギマギしてしまい、女の二人旅を気にしていた周囲の何処からか口笛が響く。
「くそ、人事だと思って……」
「何かあったんですか?」
「見世物じゃないからな!」
ニヤニヤしている男衆の目線を散らし、頭を抱えていると俺の頼んだ蒸留酒を一舐め飲んでいるアリア。
「きっつ、い……ですね」
「なに飲んでんの!?」
「お酒って、家で出るのを見た事しかなくて。ヒック……」
「ジュース、じゃない……飲み物!」
十四歳で飲酒とか、公爵にばれたらどうなる事か。
そうじゃなくとも祝い事でもない限りは口にすることも無い上に、あっちはシャンパンやスパークリングワイン的な、少量味わっておしまいと言うタイプだ。
蒸留酒なんて物を飲んだらどうなるか──。
「あは~。なんだか、ポカポカしてきました~」
「はぁ……」
マリーだとかアイアスだとか、そうでなくともアルバートと一緒に飲んでいるから『飲めない人』を忘れていた。
グリムはそういや匂いだけで酔ってたし、ロビンもそういやアルコールの匂いで酔うっけ……。
……酒に弱い人を忘れてたんじゃなくて、ついてこれない人が周囲から去っただけ?
なにそれ、寂しい……。
暫くポヤヤンとしていたアリアだったが、良いタイミングで食事も運ばれてきて一息。
「これは、どうやって……」
「ナイフとフォーク……ナイフとフォークは通じたっけ? まあいいや。目の前の料理と、今まで食事でして来た事を補完してみたらいいんじゃないかな」
「ちょっと良く分からないですね」
「やめて? そんなインターネットの住人みたいなモノ言い」
「アビーさんがお手本を見せてくれたら、うまく食べられそうな気がします!」
まあ、仕方が無いかと思って肉を切り分けますやん?
ふかし芋とかも「こうすると美味しい」とか「こういう食べ方もある」って言いながら処置する。
さあ、出来ました!
そこでこう来るわけですよ。
「食べさせて下さい、アビーさん」
俺は、ミラノの妹であるアリアに精神攻撃を受ける。
マリーは精神汚染でトラウマや嫌がっている事などを直視させてくるが、アリアのしている事は悪意も何も無い。
プルプルと肉汁と脂を滴らせながら俺がアリアに食べさせると、とても美味しそうに彼女は頬張る。
そしてこう続くわけですよ。
「それじゃ、今度は私の番ですね」
やめてくれ……。
この後、周囲の目線は暫く釘付けになる。
俺も第三者であれば「仲睦まじいなあ」とオタク心から見て楽しんでいた事だろう。
だが、男だ……。しかも、俺だ。
「はい、あ~ん」
「あ、あ~ん……」
おかしいな。まだ酒飲んでないのに、食べ物の味がしないよ……。
そうやって互いに食べさせあって、何この百合空間と思いながらも男の意識を引きずる。
それなりに食べたはずなのに変な満腹感と気分の悪さだけを引きずり、学園に向けての帰還一日目を終えた。
しかし、夜になってもアリアは中々寝付けないようである。
幾度も寝返りを打ち、もぞもぞと動いている。
「……眠れない?」
「すみません。普段使っていた物と違くて、中々……」
「慣れろとは言わないけど、落ち着いて頭を空っぽにしたらいいよ」
「さっきまではポカポカしてて、眠れそうな気がしたんです。けど、横になって落ち着いてきたら、なんだか眠れなくて。眠れないと、色々考えちゃって」
「あるある」
「ヤ……アビーさんは、普段どうやって眠ってるんですか?」
「思いっきり疲れるか、思いっきりお酒を飲んで寝てる。とはいっても、ミラノが酒をしょっちゅう禁止にするからあんまり飲めないけど」
「飲んでるんですね……」
「じゃないとうまく眠れないし、疲れるからさ」
そう言って、幾つかある悪夢を思い出す。
眠っているはずなのに、夢の中で現実のように過ごす夢。
それはかつての自分に戻される夢。
それは裏切られたくない傷つきたくない自分の映し出す恐怖。
それは”べきである”と言う理論を掲げる自分が瞑想する霧の世界。
それは失いたくない、失敗したく無いと言う自分の喪失。
様々な悪夢が、俺の脆弱さを迷いや悩みを苦しむべき事柄として描写される。
目が覚めるまで抵抗し戦い続け自ら殺し続ける悲しさ。
目が覚めるまでさまよい続ける疲労感と虚無感。
目が覚めるまで失敗と失態を描写し続ける喪失感。
思い出すと辛くなる、俺はそっとため息を吐いた。
── ☆ ──
「はぁ……」
ヤクモさんがそっとため息を吐きました。
その理由は分かりませんが、ヤクモさんがため息を吐く事はそう珍しくはありません。
一つ、無理難題をこなさなければならないとき。
コレに関しては、兄さんを演じなきゃいけない時がそうでした。
後に兄さんが帰ってきたときに、相当窮屈だったと言っています。
二つ、想像もしていなかった局面にぶつかった時。
以前だと魔物の群れや地震の時に、父さんの隠れ家についてから、ため息が凄く増えてました。
処理能力や許容できる範囲を超えるとなるみたいで、自分自身を型にはめなきゃいけないからだそうです。
三つ、うまくいかないとき。
一つ目と二つ目とは違い、色々な意味がある。
自分を責める意味と、周囲を責める意味を持つ。
そのどちらなのか、ため息一つでは判断がつかない。
ただ、今考えられる可能性は幾つかある。
私が足手纏いである事。
コレに関しては、今までの行動などを思い返せば可能性としては無いと言い切れなかった。
英霊と肩を並べて戦える人なのだから、私が居なければもっと行動を前倒しで行えた筈。
床で眠り、冷たい食事でも我慢できるのだから、その気になればもうちょっと先にある筈の村で宿を取る事も出来たはず。
二つ目、女装が本当に嫌で、けれどもそれを断りきれなかった自分への嫌悪。
これも否定できない材料で、彼自身大事に関わらない事柄に関しては押しに弱い。
以前に自分の本分は戦う事と溢していて、その為に良い睡眠と良い食事が必要だと言っていました。
けれども当初はそれを表に出して文句を言う事も無く受け入れていて、後になって「続くようならついていけなかった」と言っていた。
自分が弱い事を責めつつも、本当にその扱いは妥当か? と試している。
けれども、今回に関してはこの線は薄いと思ってる。
なぜなら、一番追っ手がかかり辛いのがコレだとヤクモさんも納得しているから。
三つ目、今回の件でヤクモさん自身が舌打ちしたくなる何かがある。
コレに関しては、余り多くが分からない。
学園の現状にため息を吐いたりしたし、英霊と人類の関係にも溜息を吐いたりもしていました。
学園の生徒たちにも溜息を吐いていたし、自分が英雄と呼ばれて騎士になった時も溜息を吐いていた。
ヤクモさんの考えが、理念が有るのはわかるけど……それが、分からない。
けれども一つ言えるとしたら、悪人ではないということ。
確信は無いですし、そう思い込みたいだけかもと言われたらそれまでです。
それこそ文字通り人助けをするのが当然なお馬鹿さんか、助けるのはついでで戦うのが大好きか。
あるいは……覆しようが無い決め付けに対して、憤ってるかでしょうか。
魔物の群れの中に居るのだから助からないのが当たり前。
貴族が相手なのだから、どんな無礼でも受け入れて当たり前。
英霊同士の争いであっても、気に入らなければかつての仲間を切り捨てても構わない。
身分や地位、思想が立派であれば何をしても、誰を巻き込んでも構わないと言う考え。
そう言った”決め付け”にこそ、抵抗してきたのかもしれないですが……。
それすらも、私の思い込みかも知れないですが。
「へくしっ!」
それにしても、学園での寝床って恵まれていたんですね。
気がつけば季節や気温に応じた掛け物に変わってますし、それが当たり前でした。
しかし、今は雪の降る冬です。
宿に有るのは冬用と言うよりも精々秋までなら受け入れられるくらいの物で、中々暖かくはなりません。
それに、床自体も薄いのか寝付くには硬いですし、色々と不具合を感じます。
それに関しては慣れた物なのか、ヤクモさんは特に色々言うことなく横になっています。
身体を丸めて少しでも暖を取ろうとしているのでしょうか、真似をしてみると上半身と下半身の間が暖かくなってきます。
「こういう場所でも、眠れるんですか?」
「雪の中、道端で寝た事もあるし、雪に半分埋もれた事もあるかな。座りながらも、立ちながらも寝てきたし、目を半分くらいなら開けても眠れるよ」
雪の中で眠る、埋もれても眠らなきゃいけないと言うことが想像し辛いです。
けれども、お屋敷の兵士さんや学園の兵士さん、都市の衛兵さんも雪の中でも足が半分埋もれても立ったり、見回りをしているのは見てきました。
そして、ヤクモさんが兵士らしい事をしていた事も思い出します。
けれども、外見と内面がチグハグで……どちらかを、忘れてしまう事があります。
兄さんとは別人だと言う事は認識できます、けれども年齢と経験が似合わない。
もしかしたらもっと幼い時から、訳アリで兵士として訓練していた可能性もあります。
この周辺国ではないでしょうが、それでも私たちが学生をしている年代で兵士としてお勤めを始める子も居るのを知っています。
そういう、国があるのでしょうか?
きっと厳しい父親だったのかも知れませんが、ヤクモさんは家族を想って一時期塞ぎこんだ事が有ります。
思いやりがあったとか、そういうものなのかもしれません。
「ぷしっ!」
「あ~、寒い?」
「そ、ですね。 うぅ……やっぱり、いつもの場所とは違いますし、なかなか……」
「んじゃ、ホイ」
バサリと、自分に掛かっている重さが増えました。
音と一緒に、何かと触れた物はヤクモさんの使っていた掛け物です。
ヤクモさんはそのまま再びゴロリと横になると、不思議な魔法でミラノ……姉さんにあげたような暖かな上着を自分に掛けていました。
「ヤク……」
「大丈夫、こっちは慣れてるから。それに、お酒も入ったし、温かい」
それが嘘だと、私は知ってます。
私もあそこまで濃いお酒を飲んだ事はありませんでしたが、暖かいのは飲んできてお酒が回って来た時だけです。
暫くしてお酒の効果が薄れてくると、今度は一気に寒くなります。
けれども、今のヤクモさんの中では順位付けが出来ているので、受け取らないかなと。
私の無事が最優先で、その次に学園まで急ぐ事。
たぶん、一番下一個手前くらいにヤクモさん自身の安全などがあると思います。
──俺は警戒につくから、三人は休んでてくれ──
──いや、ベ……寝床で横になると警戒が出来ない──
──何が起きたのか分からない以上、地震の影響も考えて出来る限りの事はしたいんだ──
かつて地震が発生したとき、まだ魔物が雪崩れ込んだとは知らなかった時。
あの時もヤクモさんは私達を最優先にしてくれましたし、それが間違いだとは言いません。
けれども、英霊の皆さんとの旅の話を思い返すと、寂しくなります。
──まだ雪は降ってなかったけど、交代で不寝番をしながらする旅ってのも中々にきっつくってなぁ……──
──それでも、まあ。懐かしさを感じられて良かったかな──
──一緒に何かをする相手が居る、それだけで楽しいんだ──
つまり、姉さんも私も”一緒に何かをする相手ではない”と言うこと。
一緒に悩む事もできない、一緒に戦う事もできない、一緒に現状に向けて向き合う事も出来ない、一緒に何かを分かち合う事もできない。
姉さんじゃないけど、それは寂しいなって思います。
白馬の王子様はいつかやってきてその手を引いて馬に乗せてくれると、本にはかかれます。
しかし、その王子様の背中を見ることしか出来ないお姫様と言うのは何の苦しみや悩み、迷いも無いのでしょうか。
私は、やはり昔を思い出してしまってダメですね。
兄さんが攫われた私を助けに来てくれて、本当にうれしかった……。
けど、その背中を見ている事しか出来なくて、あの子を……ミラノを助けに行ったあの時の背中が遠ざかっていくのを思い出してしまう。
今は無理でも、ヤクモさんにも、兄さんにも、ミラノの足を引っ張るような……ただのお荷物では居たくない。
私は、生きてる。
死んでるわけじゃない。
「ヤ……アビーさん」
「ん、なに?」
「よいしょ!」
私に掛けられた二枚の掛け物と一緒に、ヤクモさんの寝床に倒れこみます。
当然ヤクモさんは慌てふためき、真面目になると感情的に揺らぎが少なくなりますが、少しはいい気味です。
「ちょ!?」
「これなら、二人で温まれます」
「けど──」
「『アビーさん?』」
殊更に、名前をゆっくりと、力強く呼びます。
それによって、ヤクモさんは先回りしたように大人しくなるのも、またすこし悲しくなりますが。
「……聞きたくないけど、なにかな?」
「女性二人なら、コレくらい普通ですよ」
「そ、そっか。やっぱりかぁ……」
何度か、紅い片目だけが猫の目のように煌きながらこちらを見ていることを教えてくれます。
なんでそんな目になったのかは分かりませんが、目の色が片方変わっただけでヤクモさんはヤクモさんでした。
ただ、夜目が利くようになったとか言っていたので、いつかは目に関しても調べなきゃいけないのでしょうが。
暫くは言い訳を見出そうとしていたヤクモさんでしたが、諦めたように大人しくなります。
察しが良いのか、諦めが良いのかは分かりませんが、それはそれでなんだか嫌ですね。
ミラノ……姉さんを見ていると、言い合っているのがとても羨ましいから。
「こうやって誰かと寝るのは初めてですか?」
「以前に三人で寝たのを除いたら、一度位かな」
「……誰と?」
「妹の子とだよ。赤子を一人に出来ないからさ、出来る限り……家に居たときは面倒見てたんだ。年に一年しか居なかったけど」
思わず冷えた声を出してしまい、返ってきた返事で少しばかり恥ずかしくなります。
面倒見が良かったりするのは、そこらへんが関係しているのでしょうか?
元からかもしれないですが。
「妹さんの方が先に結婚されたんですね」
「……そこら変は何も言いません。まあ、とにかく。赤ん坊を一人にすると夜泣きもするし、何かあると嫌だから妹が居ない時はしょっちゅう一緒だったよ」
「じゃあ、よく懐いていたんじゃないですか?」
「けどさ、名前を呼んでくれないんだよね。ずっと弟の名前ばっかり呼んでて、一文字しか同じじゃないのに」
「……一文字?」
私がそういうと、ヤクモさんは「あ~」と声を漏らします。
こういうときの反応は「なんて言えばいいか」と迷っているときです。
魔法について隠していた時、付呪が何かを問い詰められたとき、神聖フランツ帝国での出来事を語ったときなどがそうでした。
「名前が、近かったんだよ。同じ音も使ってたのは覚えてる。だから少し喋れる様になった子はさ、一緒くたにして言うんだよね」
「ヤクモさん、子供が好きなんですか?」
「弟と妹の面倒見てたからねえ。それに、父親の仕事の都合で、同僚の子供とかを預かって面倒見てたこともあったし、社交場みたいな場所では年上だったらあちらのお偉いさんのお子さんの相手をしたりとか……色々有ったよ」
「そう言った事に関わるような……。教会でのお仕事とかって、興味ありますか?」
「……どうだろう。そう言った施設での作業はやった事があるけど、たぶん今の自分はやらない方がいいと思う」
「なんでですか?」
「嘘とは言え英雄の肩書きと、英霊との繋がりが今度は足枷になってる。今のような暗躍や後ろめたい事柄があるのに、そんな物から孤児を守れないし、遠ざけられない」
……そう、でしたね。
今の自分たちの事情を思い返せば、自国だけじゃなく他国までもが何かしてくるという事を忘れてはいけないというのに……。
今回は私が人質にとられましたが、その対象はより扱いやすい相手になるでしょう。
ヤクモさん自身が、英霊との橋渡しになっている上に公爵家の二家だけじゃなく、オルバさんやヴィトリーとも仲が良いですから。
英霊の行動にも干渉できて、ヴィスコンティの動きも鈍らせる事ができる上に、ヤクモさん自身も戦いや行動力においても軽視は出来ない。
しかも、どれも『巻き込まれた結果の結末』だから、一番悲しいのはヤクモさん自身かもしれませんが。
「……ごめん、カティアと連絡が取れた」
「本当ですか?」
「ちょっと待って、ちょっとカティアが結構精神的に追い詰められてるみたいで。状況も、大分思ったよりもおかしくなってるみたいだ」
「おかしく?」
「ミラノが噂を真に受けて部屋に閉じこもってるとか、カティアもちょっと支離滅裂だし……」
「──……、」
まあ、そう……なりますよね。
自分と言う存在の価値を疑って生きてきたあの子が、存在を肯定してくれたヤクモさんに裏切られる。
しかも、よりにもよって罪滅ぼしや罪悪感を抱いている相手である私を連れ去られたという二手。
けれども、どういったものかは知らないけれどもカティアちゃん経由で事情が説明できる筈……。
あ、そっか。裏切り者の使い魔、見捨てられた使い魔としても学生の目が有る上に、当然見張り位はついてますよね。
と言うことは、私の部屋から動けないかぁ……。
ヤクモさんの表情はこちらからは見えませんが、険しい表情をしているらしいのは眉あたりの影がしかめっ面になってるから分かります。
そして紅い目が真面目な時に見せる、半眼にまで細められているのも分かります。
暫くその顔を見つめていましたが、暗いからこその楽しみ方ともいえるかもしれません。
女装で真面目なヤクモさんと、素のヤクモさんが同居している今。
顔の動きで話の流れがなんとなく分かる。
眉に力を入れて目を閉じているのは考え込んでいるので、解決法や対処法を出そうとしている時。
細かく頷いているのは理解や納得、そして妥結。仕方が無いと受け入れているとき。
目線を迷わせて首を少しばかり左右に動かしているのは「あ~、え~」と悩んでいるとき。
顔から力を抜いて、笑みを浮かべているときは相手を安心させようとしている時。
優しい……優しい嘘も吐き出せるけど、誰かの為に何かを言っている時。
顔の動きを見ていて楽しいですが、やはり……ミラノが、羨ましくなる。
言い争いが出来て、色々な表情と感情を見ることが出来て、その贅沢さを分かってない。
私と殆ど同じ存在だとしても、嫉妬くらいする。
楽しそうで、ぶつかり合う事そのものが私には羨ましい。
気遣われて、大事にされて、感情的になると身体に障るから良くないと差しさわりの無いやり取りをする。
そんな仮面越しの、偽りの、薄っぺらい関係は……嫌だ。
「……はぁ」
「やはり、難しいですか?」
「ミラノは部屋を出てこないし、カティアは噂のせいで手詰まり。プリドゥエンはそもそも非公式だから行動できないから、どうにも……」
「ヘラ様とはお話できないんですか?」
「いや、でも。この魔法、自分とカティアだけだし」
「じゃなくて、使い魔契約による主従関係でのやり取りですよ。ヤクモさんが主人なのですから、呼びかけややり取りは別にできるのでは?」
「──……、」
ヤクモさんは色々な事を知っている。
けれども、ヤクモさんは色々な事を知らない。
私たちにとって当たり前な事でも、学んでいないから知らない事が有るから出来ない事もある。
この時折見せる間の抜けた感じが、本の中の物語に出てくるような……それこそ遠い存在じゃないと思えて、嬉しい。
ヤクモさんは慌てて色々ためし、その結果うまく言ったそうでホッと息を漏らす。
コレも分かりやすくて、安心したり一息吐く時は癖のようにやっている。
「……とりあえず、ヘラには話が通じるからミラノとカティアの橋渡しを頼もう」
「ヘラ様に……こんな事を言うのも失礼ですが、動いてもらうのは?」
「主従関係を俺と結んでる事もバレてるだろうし、派手に動くと感づかれる。そうすると学園での動きが早まる可能性もあるし、出来るだけ自分らは隠密で素早く到達したい」
「けど、それだと何も手が打ててないのと同じじゃ──」
「残念、はずれ。少なくとも英霊同士での交流はあるから、仲間内での情報共有が出来る。ミラノとカティアには情報の伝達を頼んで、誤解を解いて落ち着かせられれば今は良いかな」
「英霊を使うとか、恐れ知らずというかなんと言うか」
「使える物は用途がちがくても何でも使えって教えを受けてるからねえ」
「それが英霊でも、ですか?」
「せっかく出来たツテとコネを利用しないで、惨めで悲惨な結末になるのは馬鹿げてる。それに、コレはただの情報共有と行動の示唆によるちょっとした他人の操作と言い換えることも出来る。つまり、何にも悪い事はしてない」
「そっちの方が余程悪くないですか?」
「交渉術の一環と言って欲しいな。商売でも、商人の顔色や周辺の情報を符合させて自分ですら売りにかけて安く競り落とし高く売りつけるのが出来れば十分」
そんな話をしていると、眠くなってきました。
そして、眠くなってから普段よりもバカっぽい事を言ってるヤクモさんが気を使ってくれたのではないかと気付く。
欠伸を漏らすと、刺激を避けようとしているのか話を中断して髪を少しだけ撫でてくれました。
「……私が眠れるようにしてくれて、有難う御座います」
「自分は……」
「いえ、普段よりもおどけてくれて、学園と変わらない雰囲気を……。私が、落ち着けるようにしてくれたんですよね。分かってます。はい、わかってます……」
「──……、」
「だから、安心して眠れるように……このまま、お願いします」
そう言って瞳を閉ざす。
決してヤクモさんは拒みはしないだろうと理解したうえでの、情に訴えかけるような言葉。
けれども、兄さんもそうでした。
やって当然だと思っている事に、価値を感じない。
それを当然のように受け入れてしまうと、私の為にもならない。
守られるのが当たり前で、守るのが当たり前……。
一方通行の関係は、終わらせたい。
「……とりあえず、ヘラに頼んでミラノとカティアにそれぞれ一度は接触してもらう事にしてもらった。聖女様だし、その役割を利用すれば変に目立たない」
「そうですか……」
「──あぁ、そっか。言伝を頼めばよかったな。アリアからミラノに、ミラノからアリアに……」
「じゃあ、姉さんに一言お願いしてもいいでしょうか」
「ん、どうぞ」
「えっと『ミハイル・セルバンテスのラ・マンチャ』と」
「……何かの合言葉?」
「そのような感じです」
ヤクモさんはそれを伝えてくれたようですが、言葉の意味は理解していなかったようです。
私たちが昔読んだ本の著者と、主役である騎士の育ち。
……没落した家の生まれである彼は、先祖の名に恥じぬようにと日々鍛錬をしながらも狩人として生きていた。
そんな彼は自分は大した事の無い、騎士と名乗るのも恥ずかしいと言いながらも、旅の先々で多くの事をしていきます。
川の氾濫を馬を駆けて知らせ、魔物の大群に自ら率先して囮を買い出て、ある時には王族の姫が攫われたのを救出し、海の主と恐れられたクラーケンを知恵を振り絞って撃退する。
これが、今回の噂を否定する根拠と、主役を誰と被せるかであの子に伝わる筈。
そう信じながら、私は少しだけ祈りました。
~ ☆ ~
ご飯が喉を通らなかった。
朝起きるのが憂鬱で、寝たのか起きているのかも分からない。
ただ頭が物すごく痛くて、目をマトモに開けていられない。
「お食事は、置いていきます」
トウカ、とか言ったあの女中はそう言って食事を置いていく。
けれども、二人が居なくなってから食べる気力も起こらなかった。
何日アレから経ったのだろう? それすらも分からないくらい、ずっと寝床に入っていたのは覚えている。
お風呂にも入っていない。
普段なら湯浴みをしないだなんて信じられないけど、今ではそれすら気にならなかった。
裏切られた、持って行かれた。
私の大事な物を、気にしている物を……同時に。
情けなかった、恥ずかしかった。
私にも、生きている意味があると──そう錯覚して、その矢先に地獄にまで叩き落された気分だった。
カティも、気落ちして寝込んでる。
全部、全部……アイツのせいだ。
「失礼しま~……おや、まだおネンネでしたか」
「……ヘラ様」
何時部屋に入ってきたのか、その声を聞くまで扉を開けた事や、頭まで被っていた掛け物を捲られた事すら分からなかった。
ヘラ様は私の顔を見て、笑みを少しだけ欠けさせる。
私が余りにも酷い状態だから、心配しているのだろう。
「すみません、挨拶も……このような状態でお迎えした事も」
「あは~、気にしなくて良いんですよ? あんな事が学園中で噂になって、自分の片割れを奪われて信じていた相手に去られたと聞いて、平常で居られる訳が無いですから」
「……すみません」
ヘラ様は事情があったとは言え、アイツと使い魔の主従関係を結んでいる。
強制するほど魔力が無かったのか、それともそれほど急いでいたのかは分からない。
カティとヘラ様は、学園に置き去りになっていた。
自体の露見を防ぎ、事を小さくしたかったのかも知れない。
そう考えると、狡賢いと言えるくらいに色々と考えている所が憎たらしく思える。
「……ミラノさんに、一つお伝えすることがあります」
「なん、でしょうか」
「『ミハイル・セルバンテスのラ・マンチャ』、と。アリアさんからの言伝を預かってます」
「ミハイル……」
その言葉の意味が、暫く理解できなかった。
頭が痛い、思考が回転してくれない、引き出しがさび付いて開かない。
けれども、暫くするとアリアとその言葉が一冊の本を思い出させる。
没落した騎士の家柄の主役が、自分には大それたものだと言いながらも旅をしていくにつれてそれに見合った功績を、運よく、時には運悪くも積み重ねていく。
騎士じゃない、騎士なんて呼び名に相応しくないと……常に、自他に言ってきた。
「それ──」
「それと、ヤクモ様から。『やられた。出来るだけ急いで学園にアリアをつれて戻る。ユニオン国、ユニオン共和国の連中が噂の発信源だ、下手に目立つな』だそうです」
「……ッ」
吐き気がした、その理由は分からない。
ヘラ様が飲み水を取ってくれて、それで久しぶりに何かを口にした。
「落ち着いたら、先日聞いた話をお伝えします」
「いえ、今お願いします……!」
「ですが、落ち着いていない状態で聞いても、身体に良くないですし」
「いいから!」
気が荒立ってしまい、英霊相手に無礼な口を利いてしまった。
直ぐに頭を振るが、そのせいで眩暈がする。
気がつくと、私は寝床で倒れていた。
ヘラ様が介護してくれていて、私は自分の激昂と叫び声で意識を少しばかり失ってしまったようだ。
「まず、お食事をしましょうか? 食べながらでもお話は出来ますし」
「……はい。それと、すみません──」
「いえ。自分の妹を攫われ、裏切られたのですから。それに、ここ数日まともに食事もしてないでしょうし、睡眠もとってないような……酷い顔をしてますから」
そういって、ヘラ様は食事を近くに寄せてくれた。
私はそれを受け取ると、お腹の中でナニカが震えるのを感じる。
お腹が食事を拒もうとしていた、けれども……それを無理に詰め込む。
そしてヘラ様を見るが「獣みたいな目つきですね」と言われ、重ねて「マリーみたい」と言われて気概が折れた。
「え~っと、ですね~。ヤクモさんはどうやら英霊の人たちとの繋がりや、持っている武器やこの間の戦いでの生徒に施していた訓練内容などから、どうやら邪魔に思われたみたいですよ?」
「邪魔って、誰に……?」
「ユニオン国の人に。それで、早く逃げても遅く逃げても学園が制圧されかねないから、警戒が緩んだ隙に脱出したそうです。アリアさんは傷一つ無いと言ってました」
「そんなもの、誘拐しなくたって──」
「けど、ユニオン国がこの学園の生徒をまるっと人質にして、身代金代わりに食料とか色々供出させたいみたいですから。部隊も、信じたくは無いですけど……ヴァイスの名で軍が興されてこちらに向かっているみたいですし」
「ッ──」
驚いて咽てしまう。
ヘラ様は分かっていたかのように私の口を抑え、咳き込む音を少しでも殺そうとする。
「ヤクモさんを抑えるための人質としてアリアさんが一緒で、尚且つ噂としては一番効果的では有りましたね。なにせ、主人であるミラノさんが数日ふさぎ込んだくらいですし」
「だとして、それを知って……私にどうしろと」
「ヤクモさんは、一応止めるつもりではいるみたいですよ? 学園の制圧も、部隊の到着も。その為に出来る事はすると言ってました」
「一人の人に何が出来るって言うんだか……。軍隊は、一人じゃない。何百、何千、多ければ何万と居るのに」
「もう色々と考えてるみたいですよ~? ただ、今はお教えできませんが」
「じゃあ、その良く回る舌を引っこ抜かれたくなかったら、私が納得できる言葉を考えて置いてってお伝えいただけますか?」
「あは~、直ぐにでも」
あのバカは、また何かやらかすつもりなのだろう。
意味も目的も見えないけれども、最終的に判断できるのは”誰かのためである”と言うこと。
けれども、不意に怖くなった。
事情をヘラ様から聞いて、それが事実かどうかは分からない。
事実だったとして、今度は”何が理由で、何が目的でそんなことをするのか”が分からなくなる。
兄さまのような、どこか世間知らずな正義感の塊じゃない。
逆に、色々知っているが故に何でも自分でやろうとして、何かを頼ったり依存したりしないような振る舞いが目立つ。
何も頼らず、主人である私にも何も言わず、英霊ですら駒にして何かを成し遂げる。
沢山の流血と負傷の先に、たどり着いた理想と目的の丘で一人……「また失敗した」と溢す。
ただの一度も”成功”は無く、常に気にするのは”失敗”ばかり。
九十九の勝利ですら、きっと一度の敗北の前には無意味になるのだろう。
九十九の敗走を重ねても、たった一度の勝利の為に諦めないのに。
気持ちの悪い矛盾、受け入れがたい相反、拒絶するしかない好悪。
需要のない供給、報酬無き功績、意味も目的も見出せない戦争。
英霊と言う、過去と現在を支える人物を救って尚見返りの無いモノに全力を尽くせる思考。
理解が及ばない、怖くなってくる。
支出や出費を続けたとしても、収入が無ければ破綻する。
兄さまのような世間知らずな正義ではない、見返りの無い……正義を信じない正義。
それは何? 周囲の善意を信じないで行う善意って何?
わからない。わからないわからないわからない。
英霊たちは人類の未来の為に戦った、その見返りは自分たちを含めた人類の未来だった。
けれども、アイツは……。
──別に、見返りなんて期待してやった事じゃないしな──
──じゃあ、何が良いか考えてくれよ──
──ご主人様なんだから、何を与えるべきか……それを考えるのもまた責務であり義務だろ──
お金じゃない、爵位や身分じゃない、そして何かを求めてもこない。
それが怖くなる、不安にさせる。
お金や身分、地位や爵位を求めない人と言うのは分からない。
私たちと違う考え、私たちと違う常識、私たちと違う理想……。
自分たちが絶対上位者である時は悩みもしなかったことが、ここに来て足を引っ張る。
そして、父さまが”いかに繋ぎとめるか”という言葉を発した意味も、理解できた。
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自分たちに相対する相手に利を与え、私たちに武器を向け害を成す……。
何を嫌うのか、何を嫌がるのか、何で怒るのか、何で見限るのか。
それら全てが分からないから、余計に分からなくなる。
──お前ら上がオタオタして、下を不安にさせるんじゃねぇよ!!!──
怒ったら、その矛先が自分や家、国に向かったらどうなるのだろうか?
何が気に入らなくて、何がしたいのか分からない。
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