ニアリー・シンメトリー・ハート——お前の手だけだよ……こんなゾクゾクさせられるの……

街田あんぐる

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9. 自分の足で立って、大好きな人に会いに行く

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 藤田と別れて、銀座の街を歩く。
 頭には、藤田の言葉がずっと響いている。

「中島くん。すごーくシンプルな話なわけ。篠原くんが恐れてるのは、尽くしすぎるとか、自分と相手の愛の重さが違うとか、そういう恋愛あるあるの構図なんだな」

 そういう恋愛あるあるが、梓の場合はトラウマ体験を経て、強い防衛反応になってしまうんだ。それでヤマアラシみたいにトゲトゲになってしまう。遥二はそう考えて、また梓が恋しくなった。
 とん、とん、とん、とん、と地下鉄の階段を下る。このまま別の路線に乗って梓の家に行けたらいいのに。

 藤田と話して、「恋愛あるあるの構図」という糸口は見つかった。こんがらがった梓との関係は、一つ筋が通った。

 吊り革に手を伸ばしたとき、右手のマニキュアが何箇所か剥がれているのに気づいた。梓が飲み込んでいたらどうしよう!? 遥二は冷や汗をかいたが、中指は剥がれていなかったのでほっと息をついた。

 梓に中指を舐められたときの、梓の伏せた目も、上目遣いも、リアルに思い出してしまって電車の中で赤面する。
 恋しい。

 家でマニキュアを全部剥がしてしまうことにした。除光液のにおいに包まれながら、指を舐めたがる恋人ができたらマニキュアはやめなくちゃ、なんて先の想像をして、一人で照れ笑いして一人で可笑しくなる。

 黒のネイルを剥がしてしまうと、遥二の爪は画材のシミがあちこちに飛んでいる。カラフルだが、ファッショナブルとは言えないのでマニキュアで隠しているのだ。
 いや、ファッショナブルじゃなくても素敵だと褒めてくれた人がいた……梓だ!!

 急に遥二の目に、西陽の差し込む大講堂がフラッシュバックした。あれは半袖の時期で、講義の終わりにばらばらと席を立つ学生の中に梓がいた。
 何か用事があって、梓と少し話した。そのとき画材で黒く染まった爪を見られて、実はアナログでもデジタルでも絵を描くんだ、という話をした。

 ああ、そのときだ!
 梓がおれの手を褒めてくれたのは。あのときから梓は、おれの手を「美を生み出す手」だと言ってくれたんだった!
 あの日からおれは、本気で絵を描き始めたんだ。本気で、自分の手がどこまでやれるか知りたくて、駆け上がるつもりで描き始めたんだ……!!

 梓は、おれの、恩人だった。

 こんなに大切なことを忘れていた。胸が痛くて、遥二は泣かないように上を向いた。目頭がツンとするのは、除光液のせいなんかじゃない。
 あの夕方の西陽が胸にいっぱいにあふれて、ちょうど夕方のオレンジの光がなみなみと部屋を満たして、身体の内側と外側から遥二を責めてくる。

 梓が、おれの人生を変えた。

 絵がなかったらブラック企業を辞められなかった。すり切れた心で生きていた。梓の言葉に心が沸き立って、本気になってなかったら、おれは今ごろ……。

 会いたいよ、梓。今すぐ駆け出しても構わないだろ?
 着替えの準備をしながら、遥二は慌てた手つきで梓のトーク画面の通話ボタンを押す。2コールで出てくれたことが愛しくて、また目頭がツンとする。

「中島? どうした?」

 名字で呼ばれた。サーッと興奮が醒めていく。そうだ。おれの中ではいろいろあった今日だけど、梓の中では何も変わってない一日なんだ。

「あの……」

 口ごもる。

「あ、ごめん。今、清水先輩とお茶してて、さすがに名前で呼ぶのを聞かれるとまずかった。今移動したから」
「あ、ああ、なるほど」

 名字呼びの心配が解消されたと思ったら、次の心配が湧いてくる。梓って、清水さんとお茶するほど仲いいのかよ!?
 これは、探りに行くしかない。

「おれも行っていい? 清水さんと仲よくなりたいんだよな」

 大嘘をついた。梓は嬉しそうに、今いる駅を教えてくれる。
 すまん、梓。今すぐシャワって全力のイケイケコーデで牽制に向かうからな。
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