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第19話:“クラリスの霧”と、香りの決戦前夜
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工房の調香室には、灯りが夜通し消えることがなかった。
エリシアは母の遺した日記と向き合いながら、誰も到達したことのない香りの配合に挑んでいた。
『クラリスの霧——記憶と感情を一度“リセット”する霊香。
吸い込んだ者の“心のゆらぎ”を沈め、意識を保ったまま感情操作を遮断する』
「……香りで人を操る者がいるなら、私は“操られない香り”を作るだけ」
試行錯誤を繰り返し、失敗と爆ぜる瓶の音を乗り越え、ついに——
「……できた」
エリシアの手の中には、淡い灰青色の液体が揺れるガラス瓶。
香りは……ない。いや、正確には“あるのに感じない”香り。
深呼吸をすると、なぜか心がすっと軽くなるような、不思議な空気が胸に満ちていく。
ミーナが思わず呟く。
「……これ、すごい……香りがないのに、泣きそうになる……」
「……感情の“余分な波”を静める処方。これが、《クラリスの霧》。
どんな操香でも、これを受けた者には効かない。……これが、香りで戦う私の答え」
それは、“香りの武器化”に対抗する、世界にひとつだけの“静寂の香り”だった。
その日の午後。
王宮にて、緊急会議が招集された。
「情報が入った。明日、王都中央市場で開催される《春の感謝祭》にて、
ヴァルト商会が“大規模な香料散布”を仕掛ける可能性が高い」
ライアスの言葉に、会場の空気が一気に引き締まる。
「散布手段は、改造された魔道装置《アロマキャノン》。
香りを遠距離に噴射し、一帯の人間に感情操作を仕掛ける狙いだ」
「……まるで、魔法兵器ね」
エリシアが小さく吐き捨てる。
ライアスが続けた。
「我々は王都衛兵と共に現場を警戒、暴発を未然に防ぐ。
エリシア嬢には、もしもの際に《クラリスの霧》による中和をお願いしたい」
「……ええ。使いどころは限られますが、もし人々が操られたら、迷わず霧を噴きます」
王妃レナティアが、静かに微笑んだ。
「あなたの母も、同じように王都を救おうとしたの。……あなたが、あの続きを担ってくれること、誇りに思います」
その言葉に、エリシアの背筋が自然と伸びた。
そして夜。
工房のベランダで、エリシアはライアスと並んで星を見上げていた。
「……明日、勝てると思いますか?」
「君がいる限り、王都は負けない。
それに、俺はずっと言ってきたはずだ。“君の香りが、王都を変える”と」
「ふふ……あの時は、半分冗談かと思ってましたよ?」
「今は違うだろう?」
「……はい」
月明かりがふたりを照らす中、ライアスがそっと手を差し出す。
「エリシア。明日の戦いが終わったら——
……君に、伝えたいことがある。だから、必ず生きて帰ってきてくれ」
その手を、エリシアは静かに握り返す。
「……はい。私も、あなたに伝えたいことがあるから」
翌日——王都中央市場。
“香りの嵐”は、ついにその姿を現す。
風に乗って、異様な香気が広がり始める。
それは甘く、懐かしく、どこか幸福感すら誘う香りだった。
「——始まった!」
ライアスが叫ぶ。
人々が立ち止まり、目をとろんとさせ始める。笑い出す者、泣き出す者、うつろな目で歩き出す者——
そして、エリシアは、そっと《クラリスの霧》の瓶を開けた。
「——目を覚まして、王都の皆さん。これは“癒し”じゃない、“支配”よ!」
静かに、しかし確かに、霧は広がっていく。
エリシアは母の遺した日記と向き合いながら、誰も到達したことのない香りの配合に挑んでいた。
『クラリスの霧——記憶と感情を一度“リセット”する霊香。
吸い込んだ者の“心のゆらぎ”を沈め、意識を保ったまま感情操作を遮断する』
「……香りで人を操る者がいるなら、私は“操られない香り”を作るだけ」
試行錯誤を繰り返し、失敗と爆ぜる瓶の音を乗り越え、ついに——
「……できた」
エリシアの手の中には、淡い灰青色の液体が揺れるガラス瓶。
香りは……ない。いや、正確には“あるのに感じない”香り。
深呼吸をすると、なぜか心がすっと軽くなるような、不思議な空気が胸に満ちていく。
ミーナが思わず呟く。
「……これ、すごい……香りがないのに、泣きそうになる……」
「……感情の“余分な波”を静める処方。これが、《クラリスの霧》。
どんな操香でも、これを受けた者には効かない。……これが、香りで戦う私の答え」
それは、“香りの武器化”に対抗する、世界にひとつだけの“静寂の香り”だった。
その日の午後。
王宮にて、緊急会議が招集された。
「情報が入った。明日、王都中央市場で開催される《春の感謝祭》にて、
ヴァルト商会が“大規模な香料散布”を仕掛ける可能性が高い」
ライアスの言葉に、会場の空気が一気に引き締まる。
「散布手段は、改造された魔道装置《アロマキャノン》。
香りを遠距離に噴射し、一帯の人間に感情操作を仕掛ける狙いだ」
「……まるで、魔法兵器ね」
エリシアが小さく吐き捨てる。
ライアスが続けた。
「我々は王都衛兵と共に現場を警戒、暴発を未然に防ぐ。
エリシア嬢には、もしもの際に《クラリスの霧》による中和をお願いしたい」
「……ええ。使いどころは限られますが、もし人々が操られたら、迷わず霧を噴きます」
王妃レナティアが、静かに微笑んだ。
「あなたの母も、同じように王都を救おうとしたの。……あなたが、あの続きを担ってくれること、誇りに思います」
その言葉に、エリシアの背筋が自然と伸びた。
そして夜。
工房のベランダで、エリシアはライアスと並んで星を見上げていた。
「……明日、勝てると思いますか?」
「君がいる限り、王都は負けない。
それに、俺はずっと言ってきたはずだ。“君の香りが、王都を変える”と」
「ふふ……あの時は、半分冗談かと思ってましたよ?」
「今は違うだろう?」
「……はい」
月明かりがふたりを照らす中、ライアスがそっと手を差し出す。
「エリシア。明日の戦いが終わったら——
……君に、伝えたいことがある。だから、必ず生きて帰ってきてくれ」
その手を、エリシアは静かに握り返す。
「……はい。私も、あなたに伝えたいことがあるから」
翌日——王都中央市場。
“香りの嵐”は、ついにその姿を現す。
風に乗って、異様な香気が広がり始める。
それは甘く、懐かしく、どこか幸福感すら誘う香りだった。
「——始まった!」
ライアスが叫ぶ。
人々が立ち止まり、目をとろんとさせ始める。笑い出す者、泣き出す者、うつろな目で歩き出す者——
そして、エリシアは、そっと《クラリスの霧》の瓶を開けた。
「——目を覚まして、王都の皆さん。これは“癒し”じゃない、“支配”よ!」
静かに、しかし確かに、霧は広がっていく。
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