夢巡

茶竹抹茶竹

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2章『The Mission』

5話「引き金を語る」

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「夢の世界における接触は全てデジタルな情報交換だ」

 そんな言葉で切り出された。その前提は正しい。

 夢の仮想世界はネット上の仮想空間だ。フルダイブによって体感している情景や情報はあくまで脳内での映像に過ぎず、そう解釈できるように設計されたデータでしかない。他者の夢と触れ合う時、それは実感できないだけで実際はデータのやり取りだ。

「全電子神経の通信記録は我が社が収集し保管している。あの時間帯に私と通信を行った識別番号を割りだすことで個人の特定が可能だ。随分と初期型の物を使っているようだな」

 私は困惑して言葉を吞み込んだ。

 電子神経の通信記録は匿名で集約と保管がされていなければならない。通信の秘密は憲法で保障され、サービス提供者側が通信履歴からその個人を特定するのは警察が一部の犯罪捜査の為に用いる以外では厳しく禁じられている。

 現代の社会基盤とも言える電子神経、そのオペレーティングシステムの開発とサービスの運営を行う世界的企業の代表が、私的な目的の為に通信履歴を遡り、個人を特定した。それは企業倫理の違反どころか憲法違反だ。

 脳に埋め込むという性質上、電子神経の通信秘匿性に関しては厳しい目が向けられている。

 企業の信用問題に関わる重大な危機を及ぼしかねない大胆で重大な告白。しかしながら葉久慈氏は平然としていた。

 予想以上に危険な話に巻き込まれているのでは、と私は警戒する。下手な素振りを見せぬよう平静を装い問い返す。

「私を特定した方法は理解しましたが、その目的は何ですか」

「救ってもらった恩義に報いる、という回答では不服か?」

 冗談を? という言葉を呑み込む。

 昨晩の夢のお礼といえば聞こえはいいが葉久慈氏がやっていることは重大な憲法違反であるのだ、私は困惑する。

 個人の通信内容は秘匿されている。その前提によって私達は頭の中に機械を埋め込みネットと意識を繋ぎ合わせる社会を受け入れている。

 世界的な企業であるベトガー、そしてその代表を務める葉久慈氏の動向は世界中から注目されている。彼女自身の姿や著名人との対談、各種メディアの記事、時に噂話めいた陰謀論も含めて目にする機会は多い。

 どの情報においても共通して語られるのは、葉久慈氏が強い信念と実行力を持ち合わせた人物であるということだ。

 その評判を、今の彼女の振る舞いが証明しているようであった。

 私は疑問の言葉を漏らす。

「たかが夢の光景に、それほど注目する理由があるのですか?」

 たかが、と私は強調した。

 葉久慈氏にとっても、あの出来事は夢としか認識されない。あの光景を信じるも夢の中の私の言葉を信じるも、それは全て夢として片付く話ではある。

 それでも、私はこの場所に呼び出された。

 考えられる可能性としては、夢の世界の事実をベトガー、そして葉久慈氏も把握していたかもしれない。夢の電子化はベトガーが意図しない挙動であろう。電子神経に致命的な不具合が存在することになる。

 私はふと思い至る。私に対する口封じという線も有り得るだろうか。

 私の置かれた奇妙な現状が気味の悪いものへと変わる中、葉久慈氏は言った。

「睡眠中の私を護衛してほしい」

「護衛?」

「謎の少女から襲撃を受けている」

 襲撃という単語に対し私は素直に疑問を態度に示した。葉久慈氏は繰り返す。

「襲撃だ。サイバー攻撃と言ってもいい」

「寝込みを襲われるということですか? 警備会社に依頼すべき案件では?」

「現実世界ではない。夢の世界で、だ」

 葉久慈氏はそう言って、自らのこめかみを指先で叩いた。

 部屋の様相が変わった。白一面の壁は映像機能を内蔵していた。壁紙の隙間から光が漏れ出ると、その表面にプロモーション映像が浮かび上がって再生を始める。電子神経とネットの間での通信体系を図式化した説明が流れ始め、彼女は語る。

「睡眠中の夢が電子ネットワーク上で共有されて他者と繋がる。まさに夢のような話だが、それは確かに存在する」

 私は頷くに留めた。葉久慈氏は続ける。

「我が社としても睡眠中の電子神経の挙動については把握していた。だが、睡眠中の通信全てを制限すれば解決するわけではない。バックグランドでのプログラム更新といった重要機能に干渉する可能性を考慮し、ひとまずは放置していたというのが実情だ。何の実害も見つからなかったからな」

 問題はなかった。夢の光景をデータに変換しネットに放流したとしても、それは誰にも届かず見られないものだったからだ。

 誰かが夢の残滓を集めネット上の仮想世界へと接続するなど想定外だった、と葉久慈氏は言う。現在の生活基盤となっている電子神経にセキュリティ上の懸念があるという事実の公表にベトガーは難色を示した。

 他の情報端末との競争が激化する中、シェア拡大に暗雲立ち込める可能性もあったからであろう。私は電子神経を支持する立場である為、短絡的にベトガー社の判断を否定できない。

 そもそも夢の世界という物自体が不可解であったせいもある。

「あの仮想世界は複雑だ。我が社の解析班をもってしても実態を把握できていない程にな。あの世界に接続できるのが睡眠中の人間だけだということもあって事態解明は困難だ」

「人は睡眠中に正常で強固な思考を保てませんから」

「だが、君は違う」

 そう、私は違う。たとえ夢の中であろうとも私は意識と思考を手放すことはない。正確には手放すことが出来ない。

「君なら夢の世界で私を護衛出来るのではと考えた。我が社の解析班では不可能なことだ」

 依頼内容の全貌が見えてこず私は問い返す。

「話がよく見えませんが護衛とはどういうことですか?」

「私は毎晩悪夢を見る。それが意図的な攻撃ではないかと私は推測している」

「意図的?」

「昨晩のあの巨大な竜巻も夢の中で私を狙っていた。電子神経を利用した新たなサイバーテロ攻撃の可能性もある」

「考えすぎではないでしょうか。夢の世界から直接的な被害を与えるのは不可能です」

 夢でどれだけの害を与えようとも被ろうとも、それは結局質の悪い悪夢にしかならない。だが、強い口調で白磁氏の言葉は続く。

「悪夢を意図的に引き起こし他者の夢に干渉することが可能であるなら、それは十分攻撃になり得る。この不具合が露呈すれば我が社に甚大な被害をもたらす。そして私は実行犯らしき人物を悪夢の度に目撃している」

 部屋の映像が切り替わる。後ろ姿だけの少女の静止画像が複数枚表示された。何れも場所と視点が違う。葉久慈氏の夢の中の光景を不鮮明ながらに出力したのだろう。その姿に私は違和感を抱いたが、この場では口に出さずに留めた。

 画像の少女は白のワンピース姿、背丈から十代前半くらいに見える。襲撃という言葉はあまり似つかわしくない外見だ。

 葉久慈氏の話に対して私は懐疑的だった。だが、葉久慈氏の言葉の響きに私の考えは揺らぐ。

「これは君にしかできない。私だけではない、電子神経を用いる全ての人に対する無差別攻撃の萌芽かもしれないのだ」

 仮に、悪夢を意図的に葉久慈氏にぶつけることが可能ならば。

 夢の世界の仕組みを悪用しているのならば。

 その犯人は私以上に夢の世界を理解している。夢の世界の一番の理解者であると自負している私よりも、だ。

「悪夢を止めることが、君の使命だと言っていた筈では?」
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