夢巡

茶竹抹茶竹

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6章『The Lie』

20話「もう一つの濁流」

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 目が醒める。瞼を開く。
 意識を夢の世界から切り離して現実世界まで引き戻す。その僅かな一瞬、夢と現実の境で私は意識を喪失する。意識を向ける先を切り替える瞬間に訪れる僅かなズレ。
 その後、電子神経を通じて身体が問題なく動くことを確認する。指先を動かし、腕を持ち上げ、首を回して、自分の身体を視界に収める。
 今はもう慣れたが、幼い私にとってはその時間がひどく恐ろしかったことを覚えている。
 一瞬訪れる暗闇が、意識を認識出来なくなる瞬間が、永遠になるのではないのかと。
 無意識の喪失は感情の形成にも悪影響を及ぼしたが、幼い私がもっとも早く理解したのは恐怖という感情かもしれない。
 私は頭を振って脳内で流れていた音楽を停止させた。
 ベッドの上だ。分厚い雲に阻まれた陽の光が部屋を仄かに明るくしていた。より鮮明に景色が見えるよう、電子神経が補正をかけたという情報が視界の隅で表示される。
 私の起床を感知した電子神経がネットから大量の情報を呼び込んでいる。流れ込んでくるニュースを流し読みする、正確に言うならばデータ内のテキストデータを解析し言語構造から逆算して有意義な単語だけを抜き出すのだ。
 ニュースの中に電子神経の周辺個人情報取得に関する法令改正案の文字を見つけた。今現在行われている国会で審議されている案件だ。
 電子神経は望まざるとも周囲の人間の個人情報を記録している。電子神経を使用している者同士が物理的に近接すると、互いの個人情報はバックグラウンドにおいて自動的に履歴が残るのだ。
 その是非について国会が揉めている。
 参考人として召喚された専門家達の中に白磁氏の名前があった。他にも電子神経のメーカーの経営者や人権問題に詳しい弁護士等が並ぶ。
 リアルタイムに配信されているその様子を観覧する為に私は意識をネットに這わせた。国会中継用の仮想空間へと接続する。議場に大量に設置された撮影機器による映像を複合的に組み合わせることで、現地の様子をリアルタイムに映像再現しているのだ。夢の世界と同様にフルダイブ技術が用いられているが、精密や自由度では大きく劣る。あくまで映像を立体的に体感するのみの設計だ。
 議場内の外周に設けられた閲覧席に私は座る。
 電子神経による個人情報の取得と記録は、本来は各種サービス提供の為に必要な機能であった。
例えば偽造や詐称が不可能であることを利用した本人証明の機能は、公的証明書として通用する。音津氏と出会った際に提示された電子名刺もこれを利用した機能だ。
 だが、そういったサービスの提供よりも真に期待されているのは犯罪抑止の面だ。
 電子神経によって自己の行いが記録されるならば人々はその襟元を正すだろう、と。
 しかし、当該機能の導入後も国内の犯罪発生率は横ばい状態であった。電子神経の履歴を犯罪捜査に用いるのは、現状極一部の重犯罪にのみに限られているということもあるかもしれない。
 犯罪抑止効果が認められないのならば、当該機能は個人情報保護の観点から今すぐに削除すべきだという主張も多い。
 電子神経は他の情報端末とは大きく異なる。何に触れることもなく、何を持つこともなく、脳内だけでネットに接続することが出来る。それは感情や思考とネットを結びつけるのに、物理的な制約や時間的なラグが従来よりもずっと小さいことを意味する。
 それによって生活の利便性は大きく向上したと言える。だが、それと引き換えに人々が供出した領域は本来誰にも触れ得ぬ場所である筈だった。
 ネットは双方向性の情報のやり取りを生む。
 私達は生活の利便性と引き換えに、生活の履歴を提供する。集約し解析された情報の結果を私達は享受している。
 その前提条件によって社会構造は変化し続けている。少なくとも、その兆しはある。
 この潮流は止まることはないだろうが、個人情報保護という概念とは絶えず相反し軋轢を生んでいるのも確かだ。
 電子神経によって、その提供する領域は拡大を続けている。それに反発する層も根強く存在する。
 思考や感情をデジタルなものに変換することが出来るようになり、ネットに接続できる電子機器を直接体内に埋め込むことで、内面の全てを可視化されることに拒否感を覚える層だ。
 電子神経が侵襲性の機器であることや、全国民への普及を推進する産業界や国の強引な施策に反感を抱く層とも結びつき、彼らを票田とする政党も躍進を続けている。この手の議題が挙がる度に激しい舌戦が繰り広げられ国会は機能停止に陥る。
 電子神経がなければ生きていけない私にとっては勘弁願いたい話だ。
 葉久慈氏から通信が入った。国会での彼女の姿を見ながら通信を繋げる。国会で答弁を行いながら音声通信を行っているらしい。彼女の電子神経の操作が上手いのが分かる。
 頭の中で声が響き、挨拶もなしに本題を切り出された。
「昨晩の夢の中で、例の少女と接触したな?」
 交戦中に葉久慈氏の姿は見失ってしまったが、何処かに避難できていたようだ。私と少女が接触した様子を観測していたらしい。
 隣のベッドに目をやる。麻木はまだ深い眠りの中にあった。私が夢の世界に潜っている間、麻木は私の支援を行っている。就寝時間は必然的にずれる。
 私の声で麻木を起こしてしまわないよう脳内で言葉を組み上げる。
「あれが以前おっしゃっていた、悪夢と同時に出現する少女ですか」
「そうだ。彼女の姿を悪夢と共に何度も目にしている。何か関係がある筈だ」
「彼女の特異性は目の当たりにしました。私の明晰夢のような技術を有しているのは確かです。夢の中であれだけ自由に動けるのであれば、悪夢に干渉することも可能ではあると思います」
 私が悪夢を止めるのと同じ理屈で、他者の悪夢を加速させるために振る舞うことも可能であろう。
 だが、問題はそこではない。
 私は葉久慈氏に対して一部の情報を伏せた。明晰夢では説明のつかない事象についてと管理者権限を持っている可能性の二点だ。
 少女が私に警告したせいもある。
 二人のどちらを信用するというわけでもないが、少女について判断を下すには根拠が足りなかった。結論付けるには尚早すぎる。
「君の力であの少女と再度接触出来るか。悪夢の発生に関する何かに関わっている筈だ。裏で糸を引いている可能性がある」
 そしてもう一つ、情報を伏せた理由がある。私はとある疑念を抱いていた。
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