夢巡

茶竹抹茶竹

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10章『The Hostility』

33話「神が囁く」

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 私に言い当てられて、葉久慈氏は腕を組み不機嫌そうに鼻を鳴らした。一瞬、強張った表情のまま視線が泳いだ。

 どれほど意識的に振舞っても人の細かな所作には無意識が混ざる。彼女の視線の動きには意図の顕現だ。

 どれだけ自身を律することに長けていようとも、その無意識は必ず人を支配し影響を及ぼす。立ち振る舞いに綻びが混ざっている。その本心を隠しきれていない。

「どうやって悪夢を発生させたのですか」

「悪夢を意図的に引き起こすのは難しくない、電子神経で睡眠中の無意識に干渉するだけだ。バックグラウンドで秘密裏に、平たく言えば話しかけるのだ。それによって人の欲求や思考を強化し、その方向性を調整する。夢の中で暴走を引き起こすように仕向ける。根本の仕組み自体は覚えがあるだろう?」

 それは、私が悪夢を止める為の方法と本質的には同じだ。

「人々はそのことに気付かず、ただの生理現象の結果として悪夢を見たと思い込む。あくまで切っ掛けを与えてやるだけだ。悪夢の萌芽はその内に、そもそも存在しているものである以上、人々が不可解に思うことは何もない」

「夢を塗り潰すではなく」

「ただ加速させるだけだ」

 人々は夢の世界を知らない。少しばかり奇妙な夢としか認識せず、その事実や仕組みを認知も理解もしない。故に、電子神経の不審な挙動に気が付くはずもなく、悪夢を暴走させたことで生じた結果を知る由もない。

 人々は気付かぬ内に、夢という領域を蝕まれている。

 私は質問を続ける。

「夢の世界にそうまでして執着する理由はなんですか。あなたは何をしようとしているのですか」

「夢の世界を構築する技術があれば、電子神経の機能はより理想に近づく。この世界を変える、夢の技術の実現だ」

「その口ぶりでは、世界を変えるというのは比喩ではなさそうですが」

「夢の中で人の無意識に働きかけ、無意識の内の欲求を方向付ける。悪夢を引き起こすにしろ、止めるにしろ、それはつまり人の無意識を誘導できるということだ。人の無意識を掌握することが出来れば、思考や感情の制御も可能だ」

 人の無意識に対して夢の世界から干渉する。夢の世界による無意識の誘導、それが夢という形で行われたのなら、他者による意図的な行為であると気が付けないだろう。人々の意識に夢という形で情報を刷り込むのだ。

 しかし、私は疑問を抱く。

 人の思考や感覚には必ず無意識がついてまわる。その無意識に干渉することで現実の意識に少なからず影響は及ぶだろう。

 だが、人がそう簡単に夢の影響で変化するだろうか。

 その疑念はそのまま、純然たる好奇心として私は呈した。

「たとえ夢の中で人の無意識に干渉出来ても、夢は夢でしかありません」

 夢を止めても現実の何も救えないように。

「どうかな」

 自信に満ちた反応であった。この場所を突き止めようと画策し続けるだけの何かが葉久慈氏にはあった。

「その態度に見合う根拠があると?」

「人の思考や感覚には必ず無意識が影響する。どれだけ理性という軛を自らに科しても人は無意識の全てを制御できるわけではない。恐怖、憤怒、嫌悪、畏怖、そういった感情は全て無意識から生じるものだ」

「それは当然のことではないのですか」

「だが、それを人々は否定したがった。目を背けようとした。感情も衝動も、論理と精神で克服できる。それこそが人間性だと、現代社会で叫んできた。いや、それどころか己の内にはそんな萌芽すらないと嘯いている程だ」

 麻木の語った言葉を思い出す。電子神経に簡単に自己の領域を明け渡したのは、それこそが清廉の証となるからだと。

「だが、それはひどく歪な思考に過ぎない。人は無意識を克服できない、いや一体どれだけの人間がその無意識と向き合っているというのだ。誰もが麻痺し愚鈍に無自覚に生きている。自分の脳も思考も感情も意見も、本当に支配出来ていると誰が自信をもって言える。そこから目を背け、無垢であると思い込もうとしているだけだ」

「だから、あなたが支配するとでも?」

「誰もが望んだ世界だ。そして今まで到達出来なかった場所だ。無意識を掌握することで思考を矯正する。人は誰もが正しく生きていくことが可能になる」

 その目は真剣で言葉に迷いもなかった。純粋に心の底から彼女はそれを信じ、望んでいるように見える。

「罪を犯す、害を為す、倫理観の欠如、論理の欠落、思考の不合理性、それらは法整備や教育の問題ではないのだ。その発想に至る思考理論、ひいてはそれを構築する無意識の問題だ。人に無意識の発露を律することが出来ないのなら、その無意識自体を変えてやればいい。そう思わないか」

 人の思考は暫し不合理なものとなる。非論理的で奇異で脈絡のない不可思議なもの、それは決して夢だけとは限らない。それが無意識に起因するものであり、無意識を否定することはできない。

 ならば無意識そのものを変えてしまえば良い。間違いを起こさない思考に至るように無意識の方向性を変えてしまえば良い。

 葉久慈はそう考えるに至った。

 電子神経の犯罪抑止も効果がない。建設的な話し合いも出来ない。

「ならば、事象の発生自体を止めれば良い」

 己を律するのではなく、芽そのものを摘む。

 真の意味で、正しさを獲得した人間となる。

 一理あるのかもしれない。

 だが、私は啖呵を切る。

「仮にその通りのことが可能だとして、人の無意識に干渉して思考を強制するのは内面の自由の侵害です。許される行為ではない」

「他人の夢に干渉する君の行為と私の行為の一体何が違う。その是非を誰が線引きする」

「私は苦痛から解放する為に悪夢を止めます。歪な信念を無理矢理押し付ける為ではありません」

「だから、それの何が違うのだ。悪夢が人を苦しめる、故に人の無意識に干渉する。誰が頼んだ、精神の安寧も夢の世界の秩序も、勝手に正しい在り様を定め押し付けていると言えるのではないか」

 葉久慈氏はその言葉と共に懐から拳銃を引き抜く。空想の産物ではない、現実にも実在するグロッグ社製の拳銃だった。おそらく違法な手段を用いて入手し、隠し持っていたものだろう。

 夢の世界の技術を奪う為ならば、銃までも持ち出してくるというのは、およそ正気では無い。夢でなく現実でその行動を取ったのならば、最後の一線を踏み越えたと言える。

 銃口を私に向けて高らかに彼女は謳う。

「誰もが清く正しく生きる世界になんの間違いがある、そうでない世界こそ悪夢ではないのか。人々の目を覚まさせるべきでないのか。人の歪な無意識が悪夢を生み出している様を君も何度も見ただろう」

「夢の世界での無意識の発露、それ自体を私は諫めているわけではありません」

「結果は同じだ。悪夢を止めるならば、そもそも生み出す原因を阻止すべきではないのか!」

 引き金にかけた指に力が入っている。今にも発砲しそうな剣幕であった。

 冷たい風が吹いた。私の髪を揺らして、真横で事象を展開する。何もなかった空間に存在が確立される。

「そうかもね」

 同意の言葉は私のではない。聞き覚えのある幼い声。夢の世界において何にも縛られない存在。

 あの少女の姿があった。
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