夢巡

茶竹抹茶竹

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10章『The Hostility』

35話「矛盾」

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 力づくでも止めるしかない、彼女の悪夢を。

 私はその拳銃を奪おうと手を伸ばす。視線が私の手へ向いたのを確認し勢いよく手の甲を蹴り飛ばす。勢いよく落ちた拳銃が床の上を滑っていく。

 まずは武装を無力化させる。しかし。

「邪魔をするな!」

 葉久磁氏が吼えた。その周囲で景色が歪む。

 その腕が黒く変色し、その指先は切っ先へと変わる。彼女の肩から先が刃物へと変容していく。その切っ先が躊躇いなく私へと向けられた。

 咄嗟に身を躱す。私が瞬間的に退いた足元にその刃が振り下ろされる。床にぶつかった刃がしなり空中で激しい煌めきを返す。

 彼女の両腕が刃に変容するばかりでなく、その身体からは無数の刃が生え始めていた。機関銃の悪夢の時のように、葉久慈氏の殺意が先行して想像力が崩壊しているのだ。

 明晰夢に秀でた彼女が悪夢を暴走させてしまっている。

 その周囲も呼応するかのように、世界が変容し始めていた。

 足元が波打ち揺らぐ。周囲の大気が異常をきたし結晶化していく。世界を描画する領域に裂け目が入りデータが漏れ出る。無彩色の境界線が変色し角質化が生じる。

 彼女の悪夢が世界にまで影響を及ぼしている、このまま干渉する範囲が拡大すればどのような事態に陥るか推測も出来ない。

 文字通り刃を向けられているのだ、何にせよ悪夢を止めるほかない。

 刃はまるで鞭のように伸びて大きくしなる。それぞれが意志を持って私に降りかかる。狭い室内で身を翻す。机に飛び乗り追ってきた刃を躱す。

 私の手元には武器の類は無い。夢に銃や刀といった概念を持ち込む為には夢を見た瞬間に、その存在が不可視領域にある必要がある。

 夢を見る前に事前の仕込みが出来ない時点で、武器を持ち込む機会は存在しなかった。

 この世界が夢の中である以上、この世界が現実性を基調としている以上、全ての行動は明晰夢であり私は現実の軛を超えることは出来ない。世界すら崩壊させかねない程の狂気は私にはない。

 足元を狙って飛んできた一閃を飛び越えるも、その隙を狙われた。

 視界外から迫っていた刃が私の左肩を刺し貫いた。予測しきれない不自然な軌道であったからだ。その鋭い痛みが肩口のみならず全身に走る。血飛沫が舞っているのが見えた。意識を手放しそうになる。意図しない声が口の端から漏れる。

 次の瞬間、私の胴体に刃が突き刺さっているのが見えた。

 喉の奥から血液が塊のように溢れ出て口の中を一杯にする。腹部から生じた痛みと衝撃が全身を巡り爪先まで伝わる。私の身体の境界線を痛みが浮き彫りにする。

 意識が遠のく。自分の身体が制御しきれず床に崩れ落ちていくのが分かる。

 力が入らない。深く切り付けられた傷口から血液が溢れ流れ出ていくのが分かる。身体を動かそうとする意志がその血に交じって一緒に流出していくようだった。

 真っ白な意識の中、再び衝撃を感じた。強烈な勢いで身体が吹き飛ばされているのが分かる。

 背中に重たい痛みが滲む。壁に勢いよく叩き付けられたのだと遅れて理解する。衝撃が背中から内臓を突き抜けて、激痛が身体中を駆け巡る。暴れまわったそれが、私の意識を身体の外へ弾き飛ばそうとする。

 床に落ちた身体が痛みで勝手に呻きを上げる。勝手に悲鳴が漏れる。

 床に臥せた身体は重く動きそうにない。指先が動かない。腹部から血が漏れ出ていって全身が急速に冷えていく。心臓の拍動が重たい痛みへと変わる。全身を激しく打った痛みと身体を貫かれた痛みが混ざって嘔気を催す。

 動かなくてはと思っていても、身体が意志を否定する。

 今いるのは夢の中だと理解していても、偽の痛覚だと理解していても、現実では私の肌にかすり傷一つ付いていないのだと理解していても。

 私はその存在を否定できなかった。

 私にとって自分の内側は全て支配下にあるものだった。

 無意識とそれに表出される感覚も意思も思考も、全ては私のものであって、管理できるものだった。飛躍も暴走もない完璧に制御されたものだった。

 それでも今、私は立ち上がれないでいる。立ち上がらなければ、立ち向かわなければ。

 今、私が望んでいるのは。

「古澄ちゃんが抱えてるのは矛盾だよ」

 何故か、麻木が目の前にいた。周囲は真っ白な景色に変わっていて、私と麻木だけが存在していた。

 麻木は私の手を取って満面の笑みを浮かべる。

 どうして此処に、と私は問いかけようとするも言葉にならない荒い呼吸が口の端から漏れるのみであった。激痛が思考を阻害する。

 この世界で目覚めた時、麻木の姿はなかった。私と葉久慈氏は少女によって引き込まれたが、本来であればこの夢の世界に接続することは不可能だ。通常の夢の世界とは違う、更なる下の階層に設けられた仮想世界。

 麻木が接続してこれる筈がない。

 だが、目の前には麻木の鮮明な姿があり私に語りかけてきている。麻木の姿として解釈できるデータを私は認識している。

 麻木は存在し得ない。ならば、これはそう望まれた事象なのだ。

「古澄ちゃんがどんなに無意識を制御出来ても底なんてない。到達できない領域が存在してる。痛覚の反応だって今も制御なんて出来ない。無意識の全てをたとえ古澄ちゃんでも支配出来てないんじゃないかな」

 痛覚で満たされた脳では思考が上手く纏まらない。麻木の言葉を上手く咀嚼出来ない。理解出来ない言葉が何度も脳内で反響する。私の顔を覗き込んで麻木の言葉は続く。

「古澄ちゃんは矛盾を抱えてる」

 矛盾という言葉を麻木は何度も繰り返す。私は掠れた声で問い返す。

「矛盾?」

「古澄ちゃんはみんなと同じにはなれない。電子神経と深く繋がったことで他の人と違う領域に足を踏み入れたから。内面をデジタルなもので解釈して制御する。人がまだ辿り着いていない未踏領域に古澄ちゃんはいる。でも、古澄ちゃんはそれが嫌だって思ってる。嫌って、みんなと同じになりたがってる」

 咳が勝手に漏れ出て血を吐きだした。口元を拭うと白い袖に粘性の血痕が残って赤黒く染み込む。気が付けば私の姿はいつもの学生服姿に変わっていた。

「古澄ちゃんはそれなのに特別を求めてる。あたしの才能に劣等感を覚えて、夢の世界で使命感に燃えてる。それは矛盾だよ。みんなと同じになりたいのに、みんなとは違う特別になりたい」

「私はただ」

「無意識を制御出来ても、深く沈んだ欲望は存在している。矛盾を抱え込んでいる。古澄ちゃんは無意識を制御できるけど、無意識の全てが支配出来ているわけじゃない」

「そんな筈は」

「だって今、立ち上がることすらできないんでしょ。抱えた矛盾を否定できないんでしょ。人はいつだって制御できない無意識で矛盾を抱え込んでいる。古澄ちゃんの夢の世界での姿と同じなんだよ」

 夢の世界での姿は現実世界のそれと一致するとは限らない。あくまで人の無意識の表出と顕現でしかない。

「古澄ちゃんが抱えた願望なんだよ」

 麻木が私の腕を引いて、私の身体は難なく起こされた。流血は止まり、傷跡は塞がり、痛みは喪失し、周囲は元の世界へと回帰しようとする。同層へと接続し直す。

 麻木の指に促され握った手の中に革の巻かれた柄があった。

「でもそれって悪いことじゃないんだと思うよ。あたし達はまだ誰も正解を知らないってことなんだから」

 刃の存在しない柄。麻木が私の手を導いてそれを振るう。実体のない光の結晶が収束して刃を形成していった。

 麻木に導かれるようにして、共に一振りの剣を構える。現実ではあり得ない光景が目の前で事象化する。

「止めるんでしょ」

 麻木は言う。私の手に非現実性を握らせて。私では引き起こせない筈の事象を握らせる。

 そう、矛盾。
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