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第二章 アリスは不思議の国にて待つ
第十三話 女王再臨(9)
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◆◆◆
ヘルハルトが北の同業者達と連絡を取り始めた頃――
「はあ、はあ」
ベアトリスは息を荒げながら森の中を疾走していた。
木の上で生活する動物のように枝から枝へ。
しかしその速度は野生動物のそれでは無い。
木の上を馬が走っている、そう見えるほどの速さ。
そして人間ならではの技術が見て取れる動き。
しなやかで華麗。
されど、その華麗さはある補助のおかげであった。
先行しているアルフレッドから情報が送られてくるおかげであった。
アルフレッドが安全を確認しながらルートを選んでくれているのだ。
ベアトリスは指定されたルートを追っているだけ。
藪の中を全力疾走すると全身が切り傷だらけになるので木の上が基本ルートだが、手ごろな枝が見つからないときは開けた場所に降りることもある。
再び木の上に戻る時は、幹を蹴って多段跳躍する。
とてつもなく激しい運動。
ゆえにベアトリスが息を荒げるのは当然のことであったが、
「……」
アルフレッドは違った。
まったく同じ速度で動いているのに平然としている。
やはり異常な体力。ベアトリスの疲れを察知して少し速度を落としているほどだ。
そしてそろそろベアトリスに限界が近づいていることもわかっている。
「はあ、はっ、はあ」
だが、ベアトリスはその限界を自ら超えようとするかのように疾走していた。
なぜなら、もうすぐだからだ。
何が、それは間も無くベアトリスの口から声となって飛び出した。
「……やっと抜けた!」
それは森の終わり。
ここからはしばらく平原と湿地帯が続く。
それは刺激的な景観では無かったが、森以外の風景が目に入るだけでも新鮮な気持ちになれた。
そして先に到着して待っていたアルフレッドはベアトリスに竹の水筒を渡した。
受け取ったベアトリスが口をつけたのを見てからアルフレッドは言った。
「これでようやく四分の一ほど進んだことになる」
これにベアトリスは思わず水を飲むのをやめて口を開いた。
「まだたった四分の一なの?」
その反応は予想できていたことなのか、アルフレッドは安心させるように答えた。
「でもここからは平坦な道ばかりだ。森の中と違って楽に進めるさ」
とんでもない距離の坂があったりするので、この言葉は完全に間違いであった。
しかしベアトリスはこの言葉を信じた。
気休めの効果を感じ取ったアルフレッドはその場に腰を下ろしながら言った。
「ここで少し休憩しよう」
ベアトリスは頷き、アルフレッドの真横に座った。
このままぼーっと座っているのは退屈だ、そう思ったベアトリスは口を開いた。
「ねえアリスさん、ちょっと聞いていいかな?」
直後にアリスの声が響いた。
「アリスでいいわよ」
「じゃあお言葉に甘えて……ねえアリス、私たちに伝わっている神話って、どれも本当にあった話なの?」
「私はあなた達が言うその神話を全て知っているわけじゃないけど……そうねえ、だいたい合ってるんじゃない?」
その大雑把な回答では満足できなかったベアトリスは重ねて尋ねた。
「そうなんだ……でも、やっぱり当時を生きていたアリスから話を聞きたいな」
「そんなに昔話が聞きたいの?」
「うん、まあ、そんなところ。悪い神様っていうのがどんなやつだったのかとか、詳しく知りたいし」
「じゃあ……そうね、久しぶりに思い出話でもしてみましょうか」
そしてアリスは語り始めた。
「すべては『唯一だった神が一人の人間に果実を与えたことから始まった』、わたしは『そう聞かされているわ』」
いきなり自分の知っている神話には無い話がでてきたゆえに、ベアトリスは思わず尋ねた。
「待って、『唯一の神』って? 神様は複数いたんじゃないの?」
「気の遠くなるほどの昔は神様は一人だけだったのよ」
「アリスが生まれるよりも前の話?」
「ええ、そうよ」
「『聞かされた』って言ったけど、それはやっぱり親から? 神話よりも古い昔話ってこと?」
「あなた達の知ってる神話よりも古いのは間違い無いけど、親からじゃ無いわ。別の神様からよ。私はその神様に召し上げられる形で神になったの」
混乱してきたベアトリスは即座に尋ねた。
「教えてほしいんだけど、神様っていうものはどうやってなるものなの? みんなアリスみたいに誰かの推薦でなったの?」
これは昔ばなしよりも先に、前提となる知識を教えておかなければダメかも、そう思ったアリスは口を開いた。
「……死んだ人間の魂がどうなるか知ってる?」
「……?」
質問を質問で返されたことに混乱したベアトリスは一瞬わけがわからなくなった。
しかしベアトリスはすぐに思考力を取り戻し、答えた。
「脳内にとどまる意味が無くなるから、外に出て行くんじゃないの?」
アリスは頷いて答えた。
「そうよ。一握りの幸運な者だけが親族や知り合いの体に逃げ込める。でもほとんどの魂は野に放たれることになる」
そしてアリスは再び問題を出した。
「じゃあ、そんな野に放たれた魂達はどうすると思う? どうなると思う?」
ベアトリスは少し考えてから答えた。
「脳からの補給が途絶えちゃうんだから……餓死しちゃうんじゃ?」
アリスは再び頷いた。
「その通り。多くはそうなる。でもみんなが大人しくその結末を受け入れるわけじゃない。あらがい、生き残る者もいる」
そしてどうなるか、ピンときたベアトリスは口を開いた。
「それは知ってる。『幽霊』になるんでしょ? 森の中で何度か見たことある」
これにアリスは付け加える形で答えた。
「精霊の宿り木を自分の縄張りにできた者はそうなるわね。それも恵まれた部類に入るわ。生前の人間らしい形を保てる」
ではそれ以外はどうなるか、アリスは答えた。
「それ以外の多くは飢えることになる。そしてその飢えは野生にあるものでは補えない。人間としての形を保つための栄養、言い換えれば素材や部品がぜんぜん足りないの。そして足りないのであれば己を削るしかない」
そしてどうなるか、アリスはその答えを述べた。
「その結果、人は人間らしさを失っていくことになる。野生で生きるためだけに特化した思考や形に変化していく。そうして、あなた達が『悪霊』と呼んでいる存在に変わり果てるの。地域によってはそれは『死神』とも呼ばれているわ」
『死神』――その言葉から、ベアトリスは答えを察した。
アリスは直後にその答えを言葉にした。
「あなたがいま思った通り、神のほとんどはその悪霊や死神が大きく成長したものよ」
「さっき言った唯一だった神もそうなの?」
「いいえ違うと思う。そもそも生前は人間では無い可能性が高い」
「どうしてそう思うの?」
ベアトリスが根拠を尋ねると、アリスは昔話と共に答えた。
「かつて唯一だった神は、その影響力をより広範囲に広めるために子供を生み出したのよ。果実という形でね。その子供達とは話したことがあるの。それは人間的な会話では無かったわ。意味のある記号をやりとりする感じだった。感情的なものはほとんど感じ取れ無かった。まるで植物と話しているようだったわ」
その理由にベアトリスが納得したのを感じ取ったアリスは、続けて口を開いた。
「その時、神は人間にも一つ与えたのよ」
ヘルハルトが北の同業者達と連絡を取り始めた頃――
「はあ、はあ」
ベアトリスは息を荒げながら森の中を疾走していた。
木の上で生活する動物のように枝から枝へ。
しかしその速度は野生動物のそれでは無い。
木の上を馬が走っている、そう見えるほどの速さ。
そして人間ならではの技術が見て取れる動き。
しなやかで華麗。
されど、その華麗さはある補助のおかげであった。
先行しているアルフレッドから情報が送られてくるおかげであった。
アルフレッドが安全を確認しながらルートを選んでくれているのだ。
ベアトリスは指定されたルートを追っているだけ。
藪の中を全力疾走すると全身が切り傷だらけになるので木の上が基本ルートだが、手ごろな枝が見つからないときは開けた場所に降りることもある。
再び木の上に戻る時は、幹を蹴って多段跳躍する。
とてつもなく激しい運動。
ゆえにベアトリスが息を荒げるのは当然のことであったが、
「……」
アルフレッドは違った。
まったく同じ速度で動いているのに平然としている。
やはり異常な体力。ベアトリスの疲れを察知して少し速度を落としているほどだ。
そしてそろそろベアトリスに限界が近づいていることもわかっている。
「はあ、はっ、はあ」
だが、ベアトリスはその限界を自ら超えようとするかのように疾走していた。
なぜなら、もうすぐだからだ。
何が、それは間も無くベアトリスの口から声となって飛び出した。
「……やっと抜けた!」
それは森の終わり。
ここからはしばらく平原と湿地帯が続く。
それは刺激的な景観では無かったが、森以外の風景が目に入るだけでも新鮮な気持ちになれた。
そして先に到着して待っていたアルフレッドはベアトリスに竹の水筒を渡した。
受け取ったベアトリスが口をつけたのを見てからアルフレッドは言った。
「これでようやく四分の一ほど進んだことになる」
これにベアトリスは思わず水を飲むのをやめて口を開いた。
「まだたった四分の一なの?」
その反応は予想できていたことなのか、アルフレッドは安心させるように答えた。
「でもここからは平坦な道ばかりだ。森の中と違って楽に進めるさ」
とんでもない距離の坂があったりするので、この言葉は完全に間違いであった。
しかしベアトリスはこの言葉を信じた。
気休めの効果を感じ取ったアルフレッドはその場に腰を下ろしながら言った。
「ここで少し休憩しよう」
ベアトリスは頷き、アルフレッドの真横に座った。
このままぼーっと座っているのは退屈だ、そう思ったベアトリスは口を開いた。
「ねえアリスさん、ちょっと聞いていいかな?」
直後にアリスの声が響いた。
「アリスでいいわよ」
「じゃあお言葉に甘えて……ねえアリス、私たちに伝わっている神話って、どれも本当にあった話なの?」
「私はあなた達が言うその神話を全て知っているわけじゃないけど……そうねえ、だいたい合ってるんじゃない?」
その大雑把な回答では満足できなかったベアトリスは重ねて尋ねた。
「そうなんだ……でも、やっぱり当時を生きていたアリスから話を聞きたいな」
「そんなに昔話が聞きたいの?」
「うん、まあ、そんなところ。悪い神様っていうのがどんなやつだったのかとか、詳しく知りたいし」
「じゃあ……そうね、久しぶりに思い出話でもしてみましょうか」
そしてアリスは語り始めた。
「すべては『唯一だった神が一人の人間に果実を与えたことから始まった』、わたしは『そう聞かされているわ』」
いきなり自分の知っている神話には無い話がでてきたゆえに、ベアトリスは思わず尋ねた。
「待って、『唯一の神』って? 神様は複数いたんじゃないの?」
「気の遠くなるほどの昔は神様は一人だけだったのよ」
「アリスが生まれるよりも前の話?」
「ええ、そうよ」
「『聞かされた』って言ったけど、それはやっぱり親から? 神話よりも古い昔話ってこと?」
「あなた達の知ってる神話よりも古いのは間違い無いけど、親からじゃ無いわ。別の神様からよ。私はその神様に召し上げられる形で神になったの」
混乱してきたベアトリスは即座に尋ねた。
「教えてほしいんだけど、神様っていうものはどうやってなるものなの? みんなアリスみたいに誰かの推薦でなったの?」
これは昔ばなしよりも先に、前提となる知識を教えておかなければダメかも、そう思ったアリスは口を開いた。
「……死んだ人間の魂がどうなるか知ってる?」
「……?」
質問を質問で返されたことに混乱したベアトリスは一瞬わけがわからなくなった。
しかしベアトリスはすぐに思考力を取り戻し、答えた。
「脳内にとどまる意味が無くなるから、外に出て行くんじゃないの?」
アリスは頷いて答えた。
「そうよ。一握りの幸運な者だけが親族や知り合いの体に逃げ込める。でもほとんどの魂は野に放たれることになる」
そしてアリスは再び問題を出した。
「じゃあ、そんな野に放たれた魂達はどうすると思う? どうなると思う?」
ベアトリスは少し考えてから答えた。
「脳からの補給が途絶えちゃうんだから……餓死しちゃうんじゃ?」
アリスは再び頷いた。
「その通り。多くはそうなる。でもみんなが大人しくその結末を受け入れるわけじゃない。あらがい、生き残る者もいる」
そしてどうなるか、ピンときたベアトリスは口を開いた。
「それは知ってる。『幽霊』になるんでしょ? 森の中で何度か見たことある」
これにアリスは付け加える形で答えた。
「精霊の宿り木を自分の縄張りにできた者はそうなるわね。それも恵まれた部類に入るわ。生前の人間らしい形を保てる」
ではそれ以外はどうなるか、アリスは答えた。
「それ以外の多くは飢えることになる。そしてその飢えは野生にあるものでは補えない。人間としての形を保つための栄養、言い換えれば素材や部品がぜんぜん足りないの。そして足りないのであれば己を削るしかない」
そしてどうなるか、アリスはその答えを述べた。
「その結果、人は人間らしさを失っていくことになる。野生で生きるためだけに特化した思考や形に変化していく。そうして、あなた達が『悪霊』と呼んでいる存在に変わり果てるの。地域によってはそれは『死神』とも呼ばれているわ」
『死神』――その言葉から、ベアトリスは答えを察した。
アリスは直後にその答えを言葉にした。
「あなたがいま思った通り、神のほとんどはその悪霊や死神が大きく成長したものよ」
「さっき言った唯一だった神もそうなの?」
「いいえ違うと思う。そもそも生前は人間では無い可能性が高い」
「どうしてそう思うの?」
ベアトリスが根拠を尋ねると、アリスは昔話と共に答えた。
「かつて唯一だった神は、その影響力をより広範囲に広めるために子供を生み出したのよ。果実という形でね。その子供達とは話したことがあるの。それは人間的な会話では無かったわ。意味のある記号をやりとりする感じだった。感情的なものはほとんど感じ取れ無かった。まるで植物と話しているようだったわ」
その理由にベアトリスが納得したのを感じ取ったアリスは、続けて口を開いた。
「その時、神は人間にも一つ与えたのよ」
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