上 下
200 / 586
第五章 アランの力は留まる事を知らず、全てを巻き込み、魅了していく

第三十七話 炎の槍(16)

しおりを挟む
   ◆◆◆

「なんだ!?」

 それを感じた瞬間、アランは思わず声に出していた。



 真昼なのに、星空が広がったような気がしたからだ。
 戦場で何かただならぬことが起きている。いや、起きつつある。そう思ったアランは足に活を入れた。

「急がなければ……!」

   ◆◆◆

「な?!」

 そしてそれを見たカイルもアランと同じように声を上げていた。
 倒れたリーザが即座に跳ね起きたからだ。
 カイルの心には恐怖の色が滲んでいた。
 頭部からの出血で真っ赤になったリーザの顔面と、獣のような眼光に気圧されたからでは無い。
 異様な、得体の知れぬ威圧感がある。この女は瀕死になったことで強くなった、そんな矛盾した感覚が恐怖となっている。
 その異常な感覚がカイルの心に一つの文面を呼び起こさせた。

『倒しても気を抜くな。炎の一族は時に蘇る』

   ◆◆◆

 気がつけば立ち上がっていた。
 そして走り出している。

「ぅあぁぁぁっ!」

 叫び声を上げながら。
 前に突き出した左手で光の盾を張りながら。
 右手で爆発魔法を練りながら。
 この後どうするかは考えていない。しかし、こうするしかないんだろうな、という予感はある。そしてそれに対する覚悟もある。
 脳裏にちらつくその予感が示す未来は「相討ち」。
 高威力の爆発魔法を零距離で叩き込む。
 右腕は確実に無くなってしまうだろう。だがかまわない。腕一本と引き換えにこの男を倒せるなら、命を拾えるならば安い買い物だ。
 男が放った迎撃の光弾が迫る。
 正面から着弾。左手に衝撃が走り、足が少し押し返される。
 しかしその感覚は刹那。足はすぐに前へと再び伸び始める。
 この程度では止まらない。たかが一発の弾で止まるような勢いでは無い。
 直後、今度は複数の光弾が着弾。
 視界が大きく揺らぐほどの衝撃が左手から全身に伝わる。
 痛んだ体が、折れた肋骨が悲鳴を上げる。
 しかし止まらない。痛みは感じない。全て快楽に変わっている。だから止まらない。止まれない。
 刹那の間を置いて、前に伸びた足が再び地に触れる。
 指が地を掴む。と同時に、先と同じ衝撃が左手に再び走る。
 足が半歩分ほど押し返される。
 が、間を置かずして足は再び前へ。
 そして足裏が地を三度捉えたところで、男の迎撃が苛烈さを増した。
 光弾の連射速度がさらに上がる。
 あまりの衝撃に左手が痺れ、感覚を失う。
 轟音に耳が馬鹿になる。
 眩しさと揺れのせいで目も役に立たなくなった。
 残されたのは足の感覚のみ。
 地を掴むその感覚だけを頼りに前進する。
 一歩進み、半歩押し返される。
 耳鳴りしか聞こえないおぼろげな世界の中で、「あと十回」という自分の声が心の中でこだまする。
 あと十回足を前に出せば私の勝ち。その前に私の足が止まれば男の勝ち。これはそういう勝負なのだ。
 一つずつ減るその回数を心の支えに、足を前に出す。
 そして、心に浮かぶ数字が「七」を示した瞬間、

(!?)

 背中を冷や汗が伝った。
 ほんのわずかな間だが、光弾の連射が途切れたのだ。
 それが何を意味するのか――その脅威が言葉として脳裏に浮かんだのと、事実として視界に入ったのは同時であった。

(跳弾!)

 左側面から迫る光弾。
 防御魔法をそちらに向けることは出来ない。
 ゆえに、リーザに出来たことは祈りながら身を屈めることだけだった。

「っ!?」

 直後、リーザの左肩に焼け付くような感覚が走った。
 祈りが届いたのか、光弾は肩を掠めただけ。
 背中の冷や汗が引いていく、安堵の感覚。
 その安心感に心をゆだねながら、再び足に力を入れた瞬間、

「ぅあっ!?」

 右腰部に衝撃。
 跳弾も単発では無かったのだ。
 リーザの体が「くの字」に折れ曲がり、背骨が悲鳴を上げる。
 足がふらつき、数字は「七」から「八」へ。
 踏ん張れ――数字を戻さないと――脳裏に複数の言葉が浮かび上がり、焦りを生む。
 その焦燥感に駆り立てられるまま、リーザが右足に意識を向けた瞬間、

「っ!」

 右すねに衝撃。
 低空を飛んで来た跳弾に右足が払われたのだ。
 前に伸びようとした足を狙ったかのような一撃。
 リーザの体勢が大きく傾く。
 左足に力を込め、懸命に堪える。
 確信めいたものがあった。また倒れることは許されない、と。この奇跡のような復活に二度目は無い、と。
 歯を食いしばりながら左足の指を地面に食い込ませる。
 しかし次の瞬間、

「!?」

 背中に悪寒。
 探すまでもなく、その悪寒の原因は視界の隅にすでに映っていた。
 右手側から跳弾が迫ってきている。
 回避不能の軌道だ。
 なにかで防御しなければならない。
 しかし左手の盾は使えない。
 だが、それでも、『なにか』で防御しなければならない!

「っ!!!」

 考える暇なんて無かった。
 だから咄嗟に体が動いてしまった。
 気付けば右手を、爆発魔法を跳弾に向かって差し出していた。
 これはとても危険な行為だと、理解したときにはすでに手遅れだった。

「きゃぁあっ!」

 右手に衝撃が走ったのと同時に声を、甲高い女性らしい悲鳴を上げてしまった。
 すごく痛いだろうなと、これで右手は無くなるだろうなと思っていたからだ。

「……?」

 でもそうはならなかった。
 恐る恐る見てみると、爆発魔法は右手の上にそのまま残っていた。
 いや、そのままでは無かった。少し違っていた。
 爆発魔法はへこんでいた。すり鉢状に。
 瞬間、

(この形は!)

 思い出した。
 これは走馬灯で見た――父に叱られたあの時、爆発魔法で遊んでいたあの時、私はこの形の爆発魔法を作り出していた!
 私はこの形を知っている。知っていた。この形で何が起きるのかを。幼き時のことゆえその意味と価値が分からず、記憶の奥底に封じてしまっていた!

 何かを一点に収束させようと考える時、人は円錐型をイメージする。
 しかし爆発に関しては逆だ。円錐型に「とがらせる」のではなく、すり鉢状に「へこませる」のが正解。
 これは我々の世界で「モンロー効果」と呼ばれており、対戦車兵器などに使われている技術として有名である。この瞬間、リーザはラルフと同じ怪物の領域に達したのだ。

(あの時はたしか……ん?)

 この形の爆発魔法はどうなったのか、そしていまどうすべきなのか、それを考えようとした時、リーザはもう一つの異常に気がついた。

(これは……炎の魔力が抜けてしまっている?)

 この爆発魔法は練成に失敗していた。
 だから爆発しなかったのだ。私の爆発魔法は強い衝撃でも起爆する。本来なら、私の右腕は無くなっていたはずなのだ。

(……ふっ、ふふっ)

 その事実に思わず笑みがこぼれた。
 なんという悪運の強さ。まるで悪魔的だ。
 もしかしたら本当に悪魔というものが味方についているのかもしれない。そんな風に考えてしまうほどに、上手くいきすぎている。
 この悪魔は私の力を見たいのだろう。きっとそうだ。
 ならば――

(見せてあげる)

 と、狂気じみた笑みを顔に張りつつたまま、リーザは後方に跳んだ。
 もう無理に近づく必要は無い。むしろ、この魔法の威力が自分の想像通りならば、もう少し離れたほうがいい。
 飛び退きながら、爆発魔法に魔力を充填する。
 その間、多数の光弾がリーザの体を掠め、時に炸裂した。
 リーザの体に痛みと衝撃が走る。
 しかしリーザの心は揺るがない。
 リーザが気にかけているのは手にある爆発魔法のみ。
 痛みなんてどうでもいい。体勢が崩れようが気にしない。倒れようが、この魔法を投げれさえすればそれでいい。
 千鳥足になりながら爆発魔法を練るリーザ。
 その足裏が三度地の上を滑ったところで、それは遂に完成した。
 その事実に口尻がつり上がる。
 喜びと痛み、興奮と快楽が入り混じる。
 その感覚、正に狂気。
 リーザはその感覚に身を委ねながら、

“見せてあげる!”

 右手を突き出した。
 直後、リーザは感じ取った。



 その中で、炎がすり鉢状の外殻に絡みつくように渦を巻いたことを。
 炎が瞬く間にすり鉢状の外殻を食い破ったことを。
 螺旋状になった炎が中心軸に収束したことを。



 そして完成した造形、それは正に赤い槍。
 その先端が赤い点となってカイルの瞳に映り込む。

「!」

 カイルの目が驚きに見開く。
 この時、既に手遅れ。
 炎の槍はカイルのわき腹をなぞりながら通り抜けていた。
 耳が音を認識するよりも早く、衝撃波がカイルを飲み込む。
 ぼろ雑巾のように宙を舞うカイル。
 数えるのが馬鹿らしくなるほどの骨折から、カイルはこの時ようやく攻撃を受けたことを知った。

(一体なにが――)

 薄れゆく意識の中、カイルは自分の体が落ちたのを感じた。
 あくまで感じただけ。耳はもう機能していない。
 不思議なことに、下は柔らかかった。
 明滅し、ぼやける視界に映っているのはたくさんの赤。
 リーザが放ったまばゆい赤とは違う。この赤は暗く重い。
 そして同じ赤が空から降り注いでいる。

(ああ、そうか。これは――)

 その赤が何であるかを理解したと同時に、カイルは下にある柔らかなものの正体を察した。

(……)

 そこで思考は止まった。
 やわらかくそして暖かい、今出来たばかりの他人の屍。残酷なその絨毯の上で、カイルは意識を闇の中に沈めた。

   第三十八話 軍神降臨 に続く
しおりを挟む

処理中です...