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最終章
第五十三話 己が鏡と共に(3)
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◆◆◆
「はああ~~~っ」
一方、フレディは何度目かになるか分からないあのため息を吐いていた。
だからサイラスは少し呆れた様子で口を開いた。
「またか。お前のために高い金を払って馬車を使っているのに、何がそんなに不満なんだ?」
その理由をフレディは窓を指しながら答えた。
外は一面銀世界であった。
「だってちょっと前からずっとこれしか見てないんですよ? もうじき春だってのにおかしくないですか?」
フレディはその見飽きた景色を眺めながら言葉を続けた。
「魔王の国に生まれ育った人間でも、この景色にはうんざりしてるでしょ。絶対そうですよ。次にすれ違うやつに聞いてみたらいいですよ。間違い無い」
そのくどい長々とした文句に、サイラスは「やれやれ」という感じで口を開いた。
「それは間違いだ。まだ春は来ない。この国の春の訪れはもっと遅い」
しかしそれは慰めでも励ましでも同情の言葉でも無く、フレディの発言に対する指摘と訂正であった。
「それにここはまだ魔王の国じゃない。国境付近だ。そして、ここが寒いのは単純に標高が高いからでもある」
これにフレディは「え?」と驚いた様子で尋ね返した。
「一ヶ月くらい前にアホみたいに長い坂を登ったような気がしますが、まさか、まだ降りてないんですかい?」
これにサイラスが「ああ、そうだ」と淡白な返事をすると、
「はああ~~~っ」
フレディは耳にたこが出来そうなため息を返し、再び文句を垂れた。
「そんなでかい山があるなんておかしいでしょ?」
しかしその内容は誰にぶつけているのかすら分からない無茶苦茶なものであった。
だが直後、あることに気付いたフレディは表情を静かなものに変えながら「でも――」と口を開いた。
「こんなに雪が降ってるってのに、しかも山の上だってのに、馬車が走れるように除雪されてるっていうのはすごいですね」
その素朴な疑問の答えは次の瞬間に窓の外に映った。
「あ……」
それを見たフレディは思わず間抜けな声を出してしまった。
それはシャベルを持って雪かきをする、若い男達の姿であった。
「……」
それだけでフレディは察した。彼らの心を覗くまでも無かった。
直後、サイラスがフレディの心の内を代弁した。
「ここも魔王の支配下にある。魔王の国から交易に出る馬車が冬でも通れるように、彼らは働かされている」
そしてサイラスはこの高原の国がどのような状況に陥っているかを語った。
「冬になると若い労働力をこの作業に奪われてしまうから、この山脈の村々は死んだように静かになってしまう。村を支えるのは老人と女の仕事になってしまった」
思い付きで喋っているわけでは無い、それを感じ取ったフレディは関心と共に口を開いた。
「よく知ってますね」
その理由をサイラスは即答した。
「私はここの生まれだからな。……たぶん、だが」
直後、サイラスは訂正した。
「いや、『ここ』かどうかははっきりしない。『この辺り』だと思う」
相変わらず曖昧であったが、サイラスは窓の外を見ながら言葉を続けた。
「……景色が馬小屋の記憶の背景とよく似ている」
呟くようにサイラスがそう言うと、馬車は止まった。
「お? 到着ですかい?」
フレディの質問に対し、サイラスは立ち上がりながら答えた。
「馬車はとりあえずここまでだ。この宿場町で休息と情報収集を行う。必要になれば馬はまたその時に手配する」
喋りながら降りるサイラスにフレディが続く。
そして二人は泥の混じった黒い雪の冷たさを感じながら、銀世界の中に足を踏み出した。
◆◆◆
サイラスが求めていた情報は地理であり、その収集に手間はそれほどかからなかった。商人に袖の下を投げ込みながら軽く話をするだけで大体の話は聞くことが出来た。
位置は我々の世界でいうところのモンゴルに相当。しかし我々の世界とは違って数多くの小国が群がる地であった。
山脈が連なり、東には森林が、西には草原が、南西には高原砂漠が横たわっている。冬の厳しさだけでなく太陽の厳しさも存在する土地であった。
幼少のサイラスはただ大人のそばについていただけであり、そんな基本的なことすら知らなかった。
だが結局自分がどこの小国の生まれかは分からなかった。サイラスが覚えていた現地の言葉は広大な地方の共通語であり、特定の場所を示す情報にはならなかったからだ。記憶にある馬小屋の背景から、東の生まれだろう、その程度のことしか分からなかった。
だが、今のサイラスにとってはそれは正直どうでもよかった。気になることはただ一つ、シャロンのことであった。
だからサイラスは爪先を西に向けた。
魂が示す記憶の背景が地平線まで広がる草原だったからだ。
「はああ~~~っ」
一方、フレディは何度目かになるか分からないあのため息を吐いていた。
だからサイラスは少し呆れた様子で口を開いた。
「またか。お前のために高い金を払って馬車を使っているのに、何がそんなに不満なんだ?」
その理由をフレディは窓を指しながら答えた。
外は一面銀世界であった。
「だってちょっと前からずっとこれしか見てないんですよ? もうじき春だってのにおかしくないですか?」
フレディはその見飽きた景色を眺めながら言葉を続けた。
「魔王の国に生まれ育った人間でも、この景色にはうんざりしてるでしょ。絶対そうですよ。次にすれ違うやつに聞いてみたらいいですよ。間違い無い」
そのくどい長々とした文句に、サイラスは「やれやれ」という感じで口を開いた。
「それは間違いだ。まだ春は来ない。この国の春の訪れはもっと遅い」
しかしそれは慰めでも励ましでも同情の言葉でも無く、フレディの発言に対する指摘と訂正であった。
「それにここはまだ魔王の国じゃない。国境付近だ。そして、ここが寒いのは単純に標高が高いからでもある」
これにフレディは「え?」と驚いた様子で尋ね返した。
「一ヶ月くらい前にアホみたいに長い坂を登ったような気がしますが、まさか、まだ降りてないんですかい?」
これにサイラスが「ああ、そうだ」と淡白な返事をすると、
「はああ~~~っ」
フレディは耳にたこが出来そうなため息を返し、再び文句を垂れた。
「そんなでかい山があるなんておかしいでしょ?」
しかしその内容は誰にぶつけているのかすら分からない無茶苦茶なものであった。
だが直後、あることに気付いたフレディは表情を静かなものに変えながら「でも――」と口を開いた。
「こんなに雪が降ってるってのに、しかも山の上だってのに、馬車が走れるように除雪されてるっていうのはすごいですね」
その素朴な疑問の答えは次の瞬間に窓の外に映った。
「あ……」
それを見たフレディは思わず間抜けな声を出してしまった。
それはシャベルを持って雪かきをする、若い男達の姿であった。
「……」
それだけでフレディは察した。彼らの心を覗くまでも無かった。
直後、サイラスがフレディの心の内を代弁した。
「ここも魔王の支配下にある。魔王の国から交易に出る馬車が冬でも通れるように、彼らは働かされている」
そしてサイラスはこの高原の国がどのような状況に陥っているかを語った。
「冬になると若い労働力をこの作業に奪われてしまうから、この山脈の村々は死んだように静かになってしまう。村を支えるのは老人と女の仕事になってしまった」
思い付きで喋っているわけでは無い、それを感じ取ったフレディは関心と共に口を開いた。
「よく知ってますね」
その理由をサイラスは即答した。
「私はここの生まれだからな。……たぶん、だが」
直後、サイラスは訂正した。
「いや、『ここ』かどうかははっきりしない。『この辺り』だと思う」
相変わらず曖昧であったが、サイラスは窓の外を見ながら言葉を続けた。
「……景色が馬小屋の記憶の背景とよく似ている」
呟くようにサイラスがそう言うと、馬車は止まった。
「お? 到着ですかい?」
フレディの質問に対し、サイラスは立ち上がりながら答えた。
「馬車はとりあえずここまでだ。この宿場町で休息と情報収集を行う。必要になれば馬はまたその時に手配する」
喋りながら降りるサイラスにフレディが続く。
そして二人は泥の混じった黒い雪の冷たさを感じながら、銀世界の中に足を踏み出した。
◆◆◆
サイラスが求めていた情報は地理であり、その収集に手間はそれほどかからなかった。商人に袖の下を投げ込みながら軽く話をするだけで大体の話は聞くことが出来た。
位置は我々の世界でいうところのモンゴルに相当。しかし我々の世界とは違って数多くの小国が群がる地であった。
山脈が連なり、東には森林が、西には草原が、南西には高原砂漠が横たわっている。冬の厳しさだけでなく太陽の厳しさも存在する土地であった。
幼少のサイラスはただ大人のそばについていただけであり、そんな基本的なことすら知らなかった。
だが結局自分がどこの小国の生まれかは分からなかった。サイラスが覚えていた現地の言葉は広大な地方の共通語であり、特定の場所を示す情報にはならなかったからだ。記憶にある馬小屋の背景から、東の生まれだろう、その程度のことしか分からなかった。
だが、今のサイラスにとってはそれは正直どうでもよかった。気になることはただ一つ、シャロンのことであった。
だからサイラスは爪先を西に向けた。
魂が示す記憶の背景が地平線まで広がる草原だったからだ。
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