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50.正式な婚約(後)
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「とりあえず、分かってもらえた?」
「……」
白ワインの入ったグラス片手に、成人としての考え方や、周囲からの受け取られ方、各方面への配慮とか色々と懇々と説いた結果、イケメン不貞腐れマンが出来上がりましたとさ。
「なによ。文句があるならどうぞ? あと温くなっちゃったからちょっと冷やして」
ぶすっとした表情のまま、それでも私の要望通りに白ワインのグラスをちゃんと冷やしてくれたヨナは、クラッカーにアボカドディップを山のように付けて口に放り込んだ。ちょっと熟し過ぎたアボカドがあったから作ってみたけど、どうやら気に入ったようだ。さっきから消費量が多い。
「そんなことを言って、どうせ時間稼ぎをして隙を見て逃げ出そうと考えてるんだろう?」
「は?」
素っ頓狂な声が出た。変に意固地になってるなとは思っていたけれど、まだそんなところでぐるぐるしてたのか。
「あのね。確かに強引に誘拐して軟禁した件は問題だと今でも思ってるわよ? でも、名前で呼んでもいいと思えるぐらいにはマシになったじゃない」
「そうやって油断を誘うのだろう?」
はー、駄目だこれ。完全に拗らせてる。これ、私のせいで拗れたわけじゃないよね? 本人の性格の問題よね?
「分かった。そう思うのならそう思ってくれていいわよ。それで? ヨナはどうするの? いえ、どうしたいの?」
「それは……」
「聞き方が悪かったかしら。もし、婚約が結ばれていなかった場合、どうするつもり?」
「……」
待って。どうしてそこで考え込むの。おかしいでしょ。
貴族としての正解は、『うちの父に手紙を送って婚約契約の詳しい条件を詰めて、一刻も早い正式な婚約を締結させる』じゃないの?
「ねぇ。怒らないから、今考えていること、そのまま口に出してみてもらえる?」
「……もう色々面倒だから、爵位を返上してリリアンと一緒にどこか遠くに行った方がいいか」
「うん、ダメだからそれ。絶対に追っ手がかかるし、最悪、うちの実家にまで迷惑かかるから」
あ、黙った。一応配慮はしてくれるらしい。良かった良かった。
「とりあえず、王太子殿下の確認待ちになると思うけど、婚約の申請が為されてなかったら、改めて婚約条件を詰めて申請すればいいだけだからね?」
「……拒否、しないのか」
「ん? 私は最初から言ってるはずよ。『父が嫁げと言うのなら、拒むつもりはない』って」
まぁ、父が騙されてるとか、お先真っ暗な相手のところとか、と言われると、ちょっと悩むけれど。男子優先のこの社会で、女が口を挟める隙間は(表向きは)ない。もちろん、王太子妃殿下みたいに、バリバリ頑張れる人もいるけれど、それだって夫となる王太子殿下の支持があってのことだ。
「俺は……」
「ん?」
「ただ、遠慮のないリリアンの話を、これからも聞いていたいだけで……それがどうしてこう面倒になるんだ?」
「そうね。お互いに平民だったのなら、もっと簡単な話だったんでしょうね。でも、ありえない『もしも』を言っても仕方ないわ」
ふ、と考える。
もしも、あのとき、コンビニに寄って帰るルートを使わなかったら?
もしも、あのとき、あいつの姿を見てすぐ逃げていたら?
そもそも、付き合いで宝くじなんて買わなかったら?
お腹に刺さった熱い痛みを覚えている。無力さに滲む涙で歪んだ視界、手を赤く染めた彼が走り去るのを見送るしかできなかった無念を覚えている。身体の熱が全て流れ去ってしまったような凍える程の寒さを覚えている。
私は冷たい白ワインを一息に飲み干した。じんわりと熱くなる喉に生を実感する。間を置かず、ショットグラスに火が付きそうな程の強い酒を注ぎ、これも一気に飲み干した。
「リリアン?」
「そろそろ片付けるわね。残ったチーズも食べちゃってよ」
「お前、少し変じゃないか? いつも『酒は美味しく飲むに限る』とか言っているくせに」
あー、めんどい。どうしてそういうところに気が付くかな。見ないふりして欲しいときだってあるんだって。
「美味しく飲んでるわよ? よく眠れるようにって、最後の一押しに強い酒を飲んだだけじゃない」
至って普通の反論だったはずなのに、なぜかヨナは胡乱な目でこっちを見る。
「リリアン、犬は好きか?」
「何よ、突然。別に嫌いじゃないけど」
この世界の犬は、前世の犬よりあまり可愛らしくない。いや、前世が可愛らしい犬種に溢れ過ぎてただけなのかな? 犬は実用的な家畜であって癒し枠じゃない。要は前世で言う狩猟犬ばっかりってことだ。
「寝るときはこれを身に着けておけ」
手渡されたそれは、グレイハウンドみたいな凛々しい犬のペンダントトップだった。革紐じゃなくて細い鎖についていたら、きっと値打ちも上がるだろう。それだけ精巧な銀細工に見えた。
「寝るときにって、意味が分からないんだけど?」
「悪夢防止だ。悪夢を見ているときに助けを呼べば、その犬が乱入する」
それは何という便利アイテム! この凛々しいわんこがあの男を追い払ってくれるなら、万全じゃないか。
――――と、素直に受け取ると思ったのか。この考えナシめ。
「一応確認するけど、この犬が助けに来た場合、その夢の内容が貴方に筒抜けになったりしない?」
「……」
ほらね。上手い話なんて早々転がってるもんじゃないんだから。
「えっと、返すわ」
「お前、そんな顔で……あぁ、くそ、面倒だな」
苛立たし気なヨナの声に続く、聞き覚えのある詠唱。私の瞼が急に重くなる。
「また、魔法……卑怯……片付け、しない、と……」
ヨナへの文句と放置された酒瓶、お皿、グラス、諸々の心配をできる限り声に出して意識を繋ぎ留めようとしたけれど、強力な睡眠魔法の前には無力だった。
だから、何でも、魔法で、解決するなと!
「なんど、言ったら……わか、る……」
「……」
白ワインの入ったグラス片手に、成人としての考え方や、周囲からの受け取られ方、各方面への配慮とか色々と懇々と説いた結果、イケメン不貞腐れマンが出来上がりましたとさ。
「なによ。文句があるならどうぞ? あと温くなっちゃったからちょっと冷やして」
ぶすっとした表情のまま、それでも私の要望通りに白ワインのグラスをちゃんと冷やしてくれたヨナは、クラッカーにアボカドディップを山のように付けて口に放り込んだ。ちょっと熟し過ぎたアボカドがあったから作ってみたけど、どうやら気に入ったようだ。さっきから消費量が多い。
「そんなことを言って、どうせ時間稼ぎをして隙を見て逃げ出そうと考えてるんだろう?」
「は?」
素っ頓狂な声が出た。変に意固地になってるなとは思っていたけれど、まだそんなところでぐるぐるしてたのか。
「あのね。確かに強引に誘拐して軟禁した件は問題だと今でも思ってるわよ? でも、名前で呼んでもいいと思えるぐらいにはマシになったじゃない」
「そうやって油断を誘うのだろう?」
はー、駄目だこれ。完全に拗らせてる。これ、私のせいで拗れたわけじゃないよね? 本人の性格の問題よね?
「分かった。そう思うのならそう思ってくれていいわよ。それで? ヨナはどうするの? いえ、どうしたいの?」
「それは……」
「聞き方が悪かったかしら。もし、婚約が結ばれていなかった場合、どうするつもり?」
「……」
待って。どうしてそこで考え込むの。おかしいでしょ。
貴族としての正解は、『うちの父に手紙を送って婚約契約の詳しい条件を詰めて、一刻も早い正式な婚約を締結させる』じゃないの?
「ねぇ。怒らないから、今考えていること、そのまま口に出してみてもらえる?」
「……もう色々面倒だから、爵位を返上してリリアンと一緒にどこか遠くに行った方がいいか」
「うん、ダメだからそれ。絶対に追っ手がかかるし、最悪、うちの実家にまで迷惑かかるから」
あ、黙った。一応配慮はしてくれるらしい。良かった良かった。
「とりあえず、王太子殿下の確認待ちになると思うけど、婚約の申請が為されてなかったら、改めて婚約条件を詰めて申請すればいいだけだからね?」
「……拒否、しないのか」
「ん? 私は最初から言ってるはずよ。『父が嫁げと言うのなら、拒むつもりはない』って」
まぁ、父が騙されてるとか、お先真っ暗な相手のところとか、と言われると、ちょっと悩むけれど。男子優先のこの社会で、女が口を挟める隙間は(表向きは)ない。もちろん、王太子妃殿下みたいに、バリバリ頑張れる人もいるけれど、それだって夫となる王太子殿下の支持があってのことだ。
「俺は……」
「ん?」
「ただ、遠慮のないリリアンの話を、これからも聞いていたいだけで……それがどうしてこう面倒になるんだ?」
「そうね。お互いに平民だったのなら、もっと簡単な話だったんでしょうね。でも、ありえない『もしも』を言っても仕方ないわ」
ふ、と考える。
もしも、あのとき、コンビニに寄って帰るルートを使わなかったら?
もしも、あのとき、あいつの姿を見てすぐ逃げていたら?
そもそも、付き合いで宝くじなんて買わなかったら?
お腹に刺さった熱い痛みを覚えている。無力さに滲む涙で歪んだ視界、手を赤く染めた彼が走り去るのを見送るしかできなかった無念を覚えている。身体の熱が全て流れ去ってしまったような凍える程の寒さを覚えている。
私は冷たい白ワインを一息に飲み干した。じんわりと熱くなる喉に生を実感する。間を置かず、ショットグラスに火が付きそうな程の強い酒を注ぎ、これも一気に飲み干した。
「リリアン?」
「そろそろ片付けるわね。残ったチーズも食べちゃってよ」
「お前、少し変じゃないか? いつも『酒は美味しく飲むに限る』とか言っているくせに」
あー、めんどい。どうしてそういうところに気が付くかな。見ないふりして欲しいときだってあるんだって。
「美味しく飲んでるわよ? よく眠れるようにって、最後の一押しに強い酒を飲んだだけじゃない」
至って普通の反論だったはずなのに、なぜかヨナは胡乱な目でこっちを見る。
「リリアン、犬は好きか?」
「何よ、突然。別に嫌いじゃないけど」
この世界の犬は、前世の犬よりあまり可愛らしくない。いや、前世が可愛らしい犬種に溢れ過ぎてただけなのかな? 犬は実用的な家畜であって癒し枠じゃない。要は前世で言う狩猟犬ばっかりってことだ。
「寝るときはこれを身に着けておけ」
手渡されたそれは、グレイハウンドみたいな凛々しい犬のペンダントトップだった。革紐じゃなくて細い鎖についていたら、きっと値打ちも上がるだろう。それだけ精巧な銀細工に見えた。
「寝るときにって、意味が分からないんだけど?」
「悪夢防止だ。悪夢を見ているときに助けを呼べば、その犬が乱入する」
それは何という便利アイテム! この凛々しいわんこがあの男を追い払ってくれるなら、万全じゃないか。
――――と、素直に受け取ると思ったのか。この考えナシめ。
「一応確認するけど、この犬が助けに来た場合、その夢の内容が貴方に筒抜けになったりしない?」
「……」
ほらね。上手い話なんて早々転がってるもんじゃないんだから。
「えっと、返すわ」
「お前、そんな顔で……あぁ、くそ、面倒だな」
苛立たし気なヨナの声に続く、聞き覚えのある詠唱。私の瞼が急に重くなる。
「また、魔法……卑怯……片付け、しない、と……」
ヨナへの文句と放置された酒瓶、お皿、グラス、諸々の心配をできる限り声に出して意識を繋ぎ留めようとしたけれど、強力な睡眠魔法の前には無力だった。
だから、何でも、魔法で、解決するなと!
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