赤雪姫の惰眠な日常

長野 雪

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惰眠1.どこでもマイペースな惰眠

3.彼女は怒られても眠る・前編

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 いわく、赤雪姫は仙女である。
 いわく、赤雪姫は詐欺師である。
 いわく、赤雪姫はよく当たる占い師である。
 だが、赤雪姫と呼ばれる前から紅雪本人を知っている琥珀は、こう思っている。
 赤雪姫は仙女でも詐欺師でも占い師でもない。
 美人で変人で万能で怠け者である、と。


 ◇  ◆  ◇


「なんと、それでは小鈴に前金こそ渡したものの、かんざしの一つも贈っておらぬと?」

 紅雪の遠慮のない糾弾の言葉に、勘弁してくれ、と琥珀は心の中で涙を流す。

「久々に会ったのだから、土産ぐらいは渡しておると思っておったが、何とも、まぁ、残念な男よ」

 宮城の中、本来であれば城壁警備の武官である琥珀が、足も踏み入れられない場所で、堂々とそんなことを話しかけてくるのは、この鬼畜美女しかいない。

「いいから、お前、黙れ」
「文や贈り物を欠かさぬようにせねば、愛想を尽かされるぞ? まぁ、そもそも小鈴の気持ちがお前にあるかは知らぬが」

 琥珀は、お願いだからやめてくれ、と土下座しようかと本気で考える。
 ただでさえ、絶世の美人である紅雪は目立つのだ。国の中枢を担う方々の行き交う通路で、そんな彼女に人の恋路云々を暴露されている身にもなって欲しい。前を歩く案内人は始めこそ反応がなかったものの、今はもう小さく肩を震わせている。

「頼むからお前、皇帝陛下の前で無礼な振る舞いはするなよ」
「……無礼?」

 紅雪の瞳が細められた。なまじ美女なだけに迫力がある。

「そうさのぅ。まぁ、わしも客あっての商売じゃ。お前の心配するようなことにはならぬよ」

 客も依頼も選り好みすると知っている琥珀は大きくため息をついた。そのために、小さく「おそらくな」と付け加えられた言葉を聞き逃した。まぁ、聞きつけたところで、彼に止める術はないのだが。

「こちらでお座りになってお待ちください」

 案内役の侍官が指し示したのはとある一室のど真ん中だ。
 物見高い見物人が多いのだろう。室の入り口以外をコの字型に仕切られた几帳きちょうの向こうから、少なくない囁き声が耳をくすぐる。

―――まぁ、あれが噂の占い師ですか
―――何と美しい。あれでは後宮に入った方がよほど
―――仙人だという話は本当なのか?
―――赤雪姫は気に入らない客はカエルに変えてしまうというが
―――陛下も何をお考えで、このような者を

(耐えろ。耐えてくれお願いだから。本当に!)

 琥珀は自分の斜め前に座る紅雪を祈るように見つめた。沸点が高いのか低いのか判別つかないが、一旦、切れてしまえば、もはや誰にも止められない。彼女を止められる人間がいるとすれば、琥珀の知る限り、それは小鈴だけだ。

(いっそのこと、小鈴を連れてくれば……いや、だめだ。小鈴にこんな場所見せられねぇ)

 やたらと黒い欲望ばかりが蠢くこんな場所に、あの可憐な少女を連れて来られるわけがない。ただ、目の前の紅雪が耐えてくれるのを願うだけだ。
 と、ざわめきが消える。遠くから衣擦れの音が聞こえた。

(ようやく、お出ましくださった)

 琥珀は皇帝陛下を迎えるべく、深々と頭を下げた。
 これ、頭を下げないか、と少し離れた所から小さく、けれど鋭い声が聞こえる。
 これ以上下げれば、床に額がついてしまう。まさかそこまで、と考えたところで気付いた。

(まぁ、あの紅雪が皇帝陛下に頭を下げるわけがない)

 自分の役目はあくまでこの場に赤雪姫を連れて来ること。そこから先はもう知らん、と琥珀は無視を決め込んだ。というか、一度頭を下げないと決めた紅雪が、人に叱責されたぐらいでそれを曲げるわけがない。何をしても無駄なのだ。

「よい、楽に」

 それは、御簾みすの向こうに座った皇帝陛下自身の声だった。
 頭を上げた琥珀だったが、これから紅雪がどんな無礼を働くかと思うととても前など向いていられず、その視線を床に移す。毎日磨き上げられているのか、やたらとテカテカとしている床板は、慣れない人間を滑らせる罠なんじゃないか、と考えながら現実逃避に走った。

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