赤雪姫の惰眠な日常

長野 雪

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惰眠2.村一番の惰眠好き

5.評価∧監視≒惰眠妨害・前編

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「……というわけで、この問題が解決したら、丸1日、その、姫様のところに行ってもらいたいんだが」

 それは、この晩、村の家々で繰り広げられた男達の哀歌。
 例えば、ここ藤光の家。

「アンタ、今、なんて?」

 食事の片付けが終わり、日に日に成長する息子の服の裾上げをしていた妻は、夫の口から出た言葉が信じられずに聞き返した。その動きはからくり人形のようにぎこちなく、口から出る言葉も硬質な響きを持っている。

「その、例の畑の怪異の件で、報酬が、姫様のところへ、丸一日、な?」

 怒られているわけでもないのに、藤光の口調は怪しくなり、なぜか文節をひとつずつ区切ってしまう。

「アタシが、赤雪姫様のところに、また行くのかい?」

 どこか迫力を帯びた目で確認され、藤光は黙ってコクコクと頷いた。

「……」
「……その、まぁ、なんだ。お前にもいろいろあると思うが、姫様の要望とあっちゃ―――」
「やった! 楽しみね。何着ていこうかしら。あぁ、せっかくだから、こないだ縫い上げたアレを」

 喜色満面の笑みを浮かべた妻が、ホクホクと針道具を置いた。

「お、おい……、いいから話を―――」
「もう、そういうことなら早く言いなさいよ。深刻な顔して何事かと思ったじゃない。もう何年振りなのかしら、また、あんなことをしてもらえるなんて……」

 うっとりと明後日の方向に目を向ける妻は、もはや隣の夫など見てはいない。

「だから、5年前いったい何があったんだ! お願いだから……」
「あら、ダメよ。赤雪姫様と約束したんだから。家に帰っても、絶対にこのことは旦那には言わないって。あぁ、ほんとに楽しみね」
「お願いだから、オレを捨てないでくれぇーっ!」

 藤光の絶叫が闇夜に響く。

 
 ◇  ◆  ◇


 例えば、妻ではなく母親を出すことになった秀牧の家。

「……というわけで、な、母ちゃん」
「申し訳ない」
「へ?」

 事情を聞いた秀牧の母、麻尋は何かを拝むように手を合わせた。

「私ばかりがこんなイイ目にあって、嫁御殿には、ほんに申し訳ない……」
「母ちゃん?」

 秀牧の嫁は、息子を産んだ後、すぐに命を落としてしまった。息子は無事にすくすくと成長し、今は隣の部屋でおとなしく寝ているはずだ。

「秀牧、私はもう、いつお迎えが来てもいいと思っていたけどねぇ、少なくとも赤雪姫様が迎えにいらっしゃるまでは、死ねない身体になってしまったよ」

 しんみりと言うが、言っていることはめちゃくちゃだ。

「か、かかかか母ちゃん、そんな弱気なこと考えてたのか。ってか、何でいきなりそんな強気に? いや、それはいいことなんだけど、何か腑に落ちないというか、そもそも赤雪姫様の所へ行って何するの?」

 動揺が頂点に達した息子に、麻尋はにっこりと笑った。

「残念だけど秀牧。世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」

 まるで幼子を諭すような優しげな声に、かえって息子は絶望感を覚えた。


 ◇  ◆  ◇


 一方、隣村から新妻を迎えて間もない柳剛の家。

「その、柳剛は何だか落ち着かなくて、言ってることも曖昧でよく分からないんですが、どういうことなのでしょう?」

 鉱南の妻、明玉めいぎょくに不安そうに語る柳剛の妻の顔には、不安の色がありありと出ている。

「まぁ、心配しないの。男どもは単に不安になってるだけさ。前回、そういうことがあった時には、まぁ、何というか、参加した奥様の大半が『またすぐに赤雪姫様の所へ行きたい』って感じになってねぇ。離縁こそないものの、ちょっと妙な雰囲気になった家もあってね。無闇に警戒してるみたいなのよ」
「赤雪姫様は、とても恐ろしい御方だと柳剛から伺っているのですけど」
「恐ろしい、ねぇ。わたしはそんな風に考えたことはないけど。優しい方だし、前回も、その、気持ちよかったし」
「気持ちよかった?」
「あまり詳しくは言えないけどね。夢心地にさせてくれるような方よ。だから、心配することはないんだからね」

 遠くから柳剛の「やっぱり何とかなりませんかねぇ?」という呂律の回らない叫びと、「あの姫様に逆らえると思うかい?」と宥める鉱南の声が聞こえた。二人とも無闇に大声でしゃべっているのは、ひそひそ話す妻への牽制というよりも酒のせいのようだ。

「もしかしたら、柳剛よりもずっといい、ってことになるかもしれないし」

 5年前のことを思い出したのか、明玉が自分の頬に手をあて、少しだけ顔を赤らめた。
 隣室から「神様、皇帝様、神仙様、どうかお助けください! 夫婦の危機なのです!」と絶叫する柳剛の声が響いた。


 ◇  ◆  ◇


 そんな状況を知ってか知らずか、当の本人『赤雪姫』は、小鈴の作った料理に舌鼓を打っていた。

「うむ、相変わらず小鈴の作る鶏肉と葱の香油炒めは絶品じゃのぅ」
「熱いので気をつけてくださいましね、雪ねえさま」

 差し向かいに座り、夕食を共にする。いつもの光景だ。

「……ところで、のぅ、小鈴」
「はい」
「仕事もせず家に引きこもっておるバカな男が、愚かにも程がある振る舞いをしたとして、お前ならどう始末をつける?」

 小鈴はきょとん、目を丸くとした。
 今日、村であった出来事については井戸端会議で聞いているし、目の前の姉からも依頼と報酬の話を教えられた。このタイミングで姉が尋ねるのは、おそらく犯人の始末のことだと、容易に察しがつく。

(引きこもりと言えば……)

 小鈴は犯人に思いをめぐらし、次いで慌てて推理をやめた。特定の誰かではなく、姉が求めているのは一般的な意見だろう。犯人を推理するのは姉の質問に答えてからでいい。

「ただ引きこもって仕事をしないだけなら、お日様の下に引きずり出して強制的に肉体労働をさせるのが良いと思うのですけど……」

 紅雪と一緒に暮らしているせいか、小鈴の意見もなかなか手厳しい。

「いけないことをしてしまったのなら、もう二度とそんなことをしようという気が起きないほどのお仕置きが必要ですよね」

 小鈴は、う~ん、と考え、やおらポムっと手を打った。

「股のもの、チョン切っちゃいましょう」

 にこにこと無邪気な笑みを浮かべる小鈴に、「なるほど、その手があったか」と紅雪がニラの汁物をすすった。

「でも、雪ねえさまなら、もっと変わったお仕置きができるのでしょう?」
「うむ、畜生類に変えてしまうとか、邪なことを考えたら額の環をギリギリ締め付けるとか、色々と考えたのだがのぅ。……まぁ、本人はともかく、家族が不憫じゃからな」

 再び葱をまぶされた鶏肉を口の中に頬張った紅雪は、おいしそうにもぐもぐと咀嚼する。

―――様々な思いを胸に、夜は更ける。


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