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惰眠3.惰眠の代償
5.たかられる姫君・前編
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「随分と世話になったようじゃの」
あれから2日後。
鉱家に着くなり放たれた言葉に、なぜか家長である鉱南だけがピシリと固まった。
「まぁ、赤雪姫様。ようこそお越し下さいました。今、お茶を入れますね」
妻の明玉はニコニコと愛想よく応対し、手ずからお茶を入れると、石像のようになった夫の首根っこを掴んで退室し、兄弟二人と紅雪だけの室を作りあげた。
「明玉殿は相変わらずよのぅ」
遠慮なく茶をすすると、紅雪は向かいに座る翡翠と瑠璃に向き直った。琥珀はその日のうちに都に帰ってしまっているので、今は二人だけだ。
「えぇと、もちろん、琥珀にもお礼はするんだよね?」
先に口を開いたのは瑠璃だった。
「勿論じゃ。先ほど、都に行って礼をしてきた。あやつの上司にもな」
「上司?」
「うむ。帝からわしに関わることは優先させて良いという通達もあったようじゃが、迅速に送り出してくれたようなのでな。当の本人は固辞しておったが、見るからに足りないものがあったので、改善薬を押し付けた」
「……改善薬?」
どこかイヤな予感を抱えつつ、瑠璃が尋ねると、「毛生え薬じゃ」と端的な答えが返ってきた。
「頭頂部が寒そうであったからのぅ。まぁ、わしの薬を使えば3日で若かりし頃のようなふさふさした姿に戻るであろうよ」
危うくお茶を吹きそうになった瑠璃が、げふんげふんと変な咳をする。翡翠も視線を明後日の方へ向けた。
3日でふさふさ。
寂しかった頭のてっぺんが3日でふさふさ。
(それ、絶対にカツラ疑惑が出るよねー?)
琥珀も大変だ。下手をすれば上司から逆恨みされるかもしれない。
「琥珀だが、あやつも中々考えるようになってきたぞ? 小鈴に都の刺繍製品を見せたいからと、往復に使う符と、小鈴が遠慮なく使える小遣いを要求してきおった」
弟が要求したものを聞いて、瑠璃も「へぇ?」と面白そうに相槌をうった。どこから見てもデートの誘いだ。
「どうしてくれようかと思ったのじゃがな、まぁ、小鈴が了承したからには仕方がない。明後日に丸一日使って都を散策することになっておるわ」
もちろん、小鈴が断ったら『どうしてくれようか』なのだろうが、とりあえず了承をもらえて良かったね、と次兄は頷く。
「そっかー、琥珀はそういう手を使ったのかー」
瑠璃はちらり、と隣の翡翠を窺った。元々、あまり感情を表に出さない兄だが、今も何を考えているか分からない。
「じゃぁ、兄ちゃん、先に僕、いいかな?」
こくり、と頷いたのを確認して、瑠璃は目の前の美女に向き直る。
「かなり前に見せてもらった『樽』が欲しいな」
「タル? ……もしかして、水の入った樽か?」
紅雪の質問に、瑠璃は首を大きく上下に振った。
「そう、その樽だよ。取っ手を捻ると水が無限に出てくるヤツ。あれ、ずっといいなーって思ってたんだ」
瑠璃が話すのは、今は亡き小鈴の両親から見せてもらったものだ。小脇に抱えられるぐらいの小さな樽に蛇口のついただけのもの。しかし、そこには紅雪によって無限に水が湧き出るようにされていたのだ。行商に出る時、あれがあればと思ったのは1度や2度ではない。
「別に構わんが……あれは、わしの力で動くゆえ、今、力を込め直しても50年ぐらいしか持たぬぞ?」
「十分だよ! あれで一儲けしたいわけじゃないんだ。行商に出ている間、僕の喉を潤すのに必要なんだよ」
ふむ、そうか、と納得した様子の紅雪は、ぱむっと両手を胸の前で叩き合せた。すると、何もない中空から、ゴトッという音とともに机上に例の樽が出現した。
「しばらく見ないうちに薄汚れたか……」
埃を被った様子の樽に眉根を寄せたが、すぐに胸元から出した符に指で何かを書き入れると、ぺたり、と貼り付けた。ゴゴゴゴ……という低い音と共に、樽が鈍く光を帯びる。だがそれも数拍で落ち着くと光と一緒に符も消え失せた。
「これでよかろう。まぁ、埃は適当に払っておくが良い」
おー、と弾んだ声をあげた瑠璃は、試しとばかりに空の茶碗を蛇口の下に置き、きゅるっと捻る。チョロチョロと出てきた水に小さく歓声を上げた。
「相変わらずすっごいね、紅雪ちゃん」
「無論じゃ。……それで、翡翠、お前はどうする?」
それまでムッツリと黙り込んでいた長兄の目が、僅かな逡巡に揺らめく。
「先んじて言っておくが、わしのできる事であれば構わぬぞ? まぁ、わしの意に沿わぬことでは拒むしかないがのぅ。―――1年前の話を飲めと言われても断るぞ?」
1年前という言葉に、翡翠が小さく嘆息した。
隣で聞いている瑠璃は何のことかはサッパリ分からないまま、成り行きを見守る。
「それなら―――というのはどうでしょう?」
想像もしなかった兄の言葉に、瑠璃は顎が外れるかと思った。
あれから2日後。
鉱家に着くなり放たれた言葉に、なぜか家長である鉱南だけがピシリと固まった。
「まぁ、赤雪姫様。ようこそお越し下さいました。今、お茶を入れますね」
妻の明玉はニコニコと愛想よく応対し、手ずからお茶を入れると、石像のようになった夫の首根っこを掴んで退室し、兄弟二人と紅雪だけの室を作りあげた。
「明玉殿は相変わらずよのぅ」
遠慮なく茶をすすると、紅雪は向かいに座る翡翠と瑠璃に向き直った。琥珀はその日のうちに都に帰ってしまっているので、今は二人だけだ。
「えぇと、もちろん、琥珀にもお礼はするんだよね?」
先に口を開いたのは瑠璃だった。
「勿論じゃ。先ほど、都に行って礼をしてきた。あやつの上司にもな」
「上司?」
「うむ。帝からわしに関わることは優先させて良いという通達もあったようじゃが、迅速に送り出してくれたようなのでな。当の本人は固辞しておったが、見るからに足りないものがあったので、改善薬を押し付けた」
「……改善薬?」
どこかイヤな予感を抱えつつ、瑠璃が尋ねると、「毛生え薬じゃ」と端的な答えが返ってきた。
「頭頂部が寒そうであったからのぅ。まぁ、わしの薬を使えば3日で若かりし頃のようなふさふさした姿に戻るであろうよ」
危うくお茶を吹きそうになった瑠璃が、げふんげふんと変な咳をする。翡翠も視線を明後日の方へ向けた。
3日でふさふさ。
寂しかった頭のてっぺんが3日でふさふさ。
(それ、絶対にカツラ疑惑が出るよねー?)
琥珀も大変だ。下手をすれば上司から逆恨みされるかもしれない。
「琥珀だが、あやつも中々考えるようになってきたぞ? 小鈴に都の刺繍製品を見せたいからと、往復に使う符と、小鈴が遠慮なく使える小遣いを要求してきおった」
弟が要求したものを聞いて、瑠璃も「へぇ?」と面白そうに相槌をうった。どこから見てもデートの誘いだ。
「どうしてくれようかと思ったのじゃがな、まぁ、小鈴が了承したからには仕方がない。明後日に丸一日使って都を散策することになっておるわ」
もちろん、小鈴が断ったら『どうしてくれようか』なのだろうが、とりあえず了承をもらえて良かったね、と次兄は頷く。
「そっかー、琥珀はそういう手を使ったのかー」
瑠璃はちらり、と隣の翡翠を窺った。元々、あまり感情を表に出さない兄だが、今も何を考えているか分からない。
「じゃぁ、兄ちゃん、先に僕、いいかな?」
こくり、と頷いたのを確認して、瑠璃は目の前の美女に向き直る。
「かなり前に見せてもらった『樽』が欲しいな」
「タル? ……もしかして、水の入った樽か?」
紅雪の質問に、瑠璃は首を大きく上下に振った。
「そう、その樽だよ。取っ手を捻ると水が無限に出てくるヤツ。あれ、ずっといいなーって思ってたんだ」
瑠璃が話すのは、今は亡き小鈴の両親から見せてもらったものだ。小脇に抱えられるぐらいの小さな樽に蛇口のついただけのもの。しかし、そこには紅雪によって無限に水が湧き出るようにされていたのだ。行商に出る時、あれがあればと思ったのは1度や2度ではない。
「別に構わんが……あれは、わしの力で動くゆえ、今、力を込め直しても50年ぐらいしか持たぬぞ?」
「十分だよ! あれで一儲けしたいわけじゃないんだ。行商に出ている間、僕の喉を潤すのに必要なんだよ」
ふむ、そうか、と納得した様子の紅雪は、ぱむっと両手を胸の前で叩き合せた。すると、何もない中空から、ゴトッという音とともに机上に例の樽が出現した。
「しばらく見ないうちに薄汚れたか……」
埃を被った様子の樽に眉根を寄せたが、すぐに胸元から出した符に指で何かを書き入れると、ぺたり、と貼り付けた。ゴゴゴゴ……という低い音と共に、樽が鈍く光を帯びる。だがそれも数拍で落ち着くと光と一緒に符も消え失せた。
「これでよかろう。まぁ、埃は適当に払っておくが良い」
おー、と弾んだ声をあげた瑠璃は、試しとばかりに空の茶碗を蛇口の下に置き、きゅるっと捻る。チョロチョロと出てきた水に小さく歓声を上げた。
「相変わらずすっごいね、紅雪ちゃん」
「無論じゃ。……それで、翡翠、お前はどうする?」
それまでムッツリと黙り込んでいた長兄の目が、僅かな逡巡に揺らめく。
「先んじて言っておくが、わしのできる事であれば構わぬぞ? まぁ、わしの意に沿わぬことでは拒むしかないがのぅ。―――1年前の話を飲めと言われても断るぞ?」
1年前という言葉に、翡翠が小さく嘆息した。
隣で聞いている瑠璃は何のことかはサッパリ分からないまま、成り行きを見守る。
「それなら―――というのはどうでしょう?」
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