赤雪姫の惰眠な日常

長野 雪

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惰眠4.惰眠仙女の引継書

7.回避のお役目・前編

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「皆様、どうかお聞きくださいませ!」

 居並ぶ武官の前に立ち、桜莉は声を張り上げた。立場上、人の前に立つことは慣れているのだろうが、それでもどこか緊張を隠しきれていない。

「本日、正午に地震が起こると仙女様より託宣がございました!」

 まだ若い後継の斜め後ろに立ちながら、星瑛はどこかで安心していた。
 ずっと、自分がやらなければと思っていた場所だった。後継など考えていなかった。自分以外に誰ができるのかという矜持もあった。

(それがまさか、あの方の孫娘とはね)
「皆々様はどうぞ配置にお付きくださいませ!」

 孫と言っても、性別も違うし、あまり面影はない。

「どうか皆様に、明るき灯の元、花仙のご加護がございますよう……!」

 新しい神祇伯候補の祈りに、武官の野太い声が「応!」と響く。


 ◇  ◆  ◇


「仙女様のお力で、地震を起こすというのはいかがでしょうか?」

 桜莉の提案は、およそ星瑛の予想の範疇を超えていた。

「大地は常に脈動していて、無理に地震を押さえると却って良くないのでしょう? でも、時機をこちらで調整するぐらいならば、影響も少ないのではありませんか?」

 理屈は納得できるが、よもや仙女をアゴで使って地震を起こすとは。普通、仙女にはそれなりの畏敬をもって接するものではないか? と思ったのは仙女を老猫扱いする星瑛だった。

「面白い考え方じゃ。なに、わしの力でガツンと叩けば地震も起きるであろうよ。今はそういう状態じゃ。―――しかし、その術を行うことは、わしの役目の内にはない。わしは人の手に余る事にのみ手を出す約定の元にあるからのぅ」

 久しぶりに聞いたその理屈に、星瑛は肩を軽くすくめた。とんでもない案だが、ここまでだ、と。

「では、仙女様への依頼とさせていただきますわ。報酬は、あたくしの碧玉へきぎょく宮で1週間お好きなようにお眠りいただく、というのはいかがでしょうか?」
「―――好きなように、とな」

 ややトーンの落ちた紅雪の声に、星瑛は(惰眠はともかく、彼女好みの環境を整えるのは難しいのでは?)と考えた。惰眠を貪るのは分かりやすい嗜好だが、居心地よく惰眠を貪るとなると、紅雪のハードルはぐんと高い。
 だが、桜莉は自信満々に胸を張った。

「えぇ、陛下の正妃である蔡妃さいひ様がお使いの物と同じ、最高級の寝台と布団を用意致します。必要であれば、人払いも致しますし、お眠りになるのに飽きましたら、……そうですわね、花仙様縁の恋愛成就のパワースポットだと後宮に噂を流し、恋愛の甘酸っぱい話をたくさん聞けるように致しましょうか。お食事は、あたくしの顔見知りの料理番に、心を込めて作らせるように致します。―――いかがでしょうか?」

 予想を遥かに離れた提案に、星瑛の眉間にしわが寄った。

「うむ、なかなか良い提案じゃのぅ」

 紅雪本人は、まんざらでもないようだった。星瑛は、この話がどう転ぶのか予想できずに複雑な表情を浮かべて二人のやり取りを傍観する。

「ならば、こうしよう。宮城に花仙を祀るやしろ建立こんりゅうするのじゃ。わし一人が入れる程度の小さい粗末なもので構わぬが、―――桜莉、おぬしが一人で作るがよい。あぁ、もちろん、恋愛成就の噂を流すのを忘れぬようにな」
「あたくし、が、ですか?」
「そうじゃ、木材を寸法通りに切り調える所までは頼んでも良い。木工寮になるかのぅ。じゃが、組み立て、釘を打ち、を塗るのは桜莉、おぬしの仕事じゃ」

 皇帝に連なる血筋に生まれた者、しかも女の身では、釘も槌も持ったことはないだろう。
 これはまた、随分と意地の悪い返しが来たものだ、と星瑛は桜莉を見た。

「……」

 俯いて何かを考えている様子の桜莉に、星瑛は助言を与えるかどうか迷う。だが、ここでどんな判断をするのか見てみたくもあった。

「分かりましたわ。あたくしの肉体労働で、この場が上手く動くのであれば、迷うことも失礼になりますもの」

 紅雪の満足げな顔を見る限り、及第点の答えなのだろうと容易に予想がつく。
 星瑛も、いつの間にか詰めていた息を吐き、表情を緩めた。


 ◇  ◆  ◇


 1週間後、神祇伯の執務室に、短い黒髪の麗人が卓に突っ伏しているのを見ることができた。言うまでもない、紅雪である。

「雪様。こんな場所で寝ないでくださいまし」
「む……、良いではないか。星瑛が神祇伯であるのも残り少ない。ならば、その間だけでも共に居たいというのは、悪いことか?」

 地震は託宣通りに起こり、絽山は崩れ、楊東河は氾濫した。
 しかし、計画通りに溢れた水は楊東河の支流に流すことができ、田畑の被害こそあれ、死者を出すことはなかった。
 今回の一件は、国の威信をより強くし、花仙の存在を国の中枢だけでなく地方まで知らしめる結果となった。そして、向こう10年の豊作も約束された。

「あの調子では、ずいぶんと先になりそうです。どうぞ、お帰りくださいませ」

 帰郷を促す星瑛の体は、今回の一件で随分と若返り、以前にも増して機敏に動けるようになっていた。
 彼女の後継でもある桜莉は、社建造のために、あちこちと出入りしているようだ。
 宮城内では、代替わりのために、自分の手で社を建造しなくてはならない皇妹が大工に弟子入りした、などと噂されている。事情をおぼろげに木工寮に話した所、花仙を祀る社がボロくてはお話にならない、ということで、みっちり叩き込まれているらしかった。

「……それもそうじゃのぅ。まぁ、気長に待つとしようか」

 一向に起き上がる気配のない紅雪だったが、ふわり、と鼻腔をくすぐる香りに上半身を持ち上げた。

「これは―――?」
「陛下からの使者がお持ちくださいました。お茶にいたしましょう」

 星瑛が自ら茶を入れ、卓に置く。そして、自分もお相伴に預かるからと向かいに座った。

「まさか、私の後継が、あの方の孫とは。……本当に、不思議なものですね」
「うむ、星瑛は先々帝の頃に後宮で働いておったのだったな」
「あの方の孫が、今や皇帝陛下ですもの。私も年齢を重ねるはずですわね」

 お茶をすすり、柔らかく微笑む老婦人は、いつもの厳しい神祇伯の仮面を外していた。

「後継が出来て、老け込んだか」
「いいえ、桜莉様は、鍛え甲斐がありますから。まだまだでしょう」

 楽隠居を決め込むつもりはない、と星瑛は瞳に剣呑な輝きを閃かせる。

「なるほど。どうやら、わしの方が、しばらく楽を出来そうじゃのぅ」

 紅雪は、茶菓子に手を伸ばした。白くふんわりと蒸された饅頭は、めずらしく彼女の口に合う味だった。

「評判の饅頭屋なのですって。質を落とさないために、1日限定数しか作らないとか」

 不思議そうな表情を浮かべていたのだろう。星瑛が饅頭の作成元を語る。

「……うむ、これは良い味じゃ。作り手は、さぞや客の舌を満足させようと頑張っているのであろう」
「えぇ、喜んでいただけて何よりです」


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