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惰眠4.惰眠仙女の引継書
8.回避のお役目・後編
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「―――ところで、雪様?」
「何じゃ?」
「占い師の真似事をして、陛下の御前に出たそうですね?」
2つ目の饅頭を取ろうとしていた紅雪の手が止まった。
「よもや、神祇官の私をすっ飛ばしてそのようなことをなさろうとは……」
いつの間にか、星瑛の表情が神祇伯としてのそれにすり替わっていた。
「いや、あれは、花仙としてではなく、単に卜占のよく当たる赤雪姫として、な?」
「そのような言葉で、納得できるとでも?」
「それに、念のため宮城ではこのような格好でいるではないか」
紅雪の姿は、現場に立ち会った時と同じく武官の格好だ。ついでに髪も短く刈り込まれたままで、今の状態では、とても『赤雪姫』と同一人物とは分からない、はずだった。
「やたらと桜莉様の述べた報酬が具体的だったかと思えば、『赤雪姫』のことを聞いていたからだったとは思いませんでしたわ」
「う、うむ、まぁ、良いではないか、星瑛。どうせ、宮中でも一握りの人間しか『赤雪姫』を見ていないのだし。花仙は、あの人形でしか姿を見せていないのだし」
ごまかすようにお茶をすすり、これも良い茶だな、とうそぶく紅雪の顔がどことなく慌てているように見えて、老婦人は顔をほころばせた。
二人は向かい合ったまま、無言で饅頭と茶に舌鼓を打った。
「ときに、星瑛。……おぬしは幸せか?」
ポツリ、と呟くような質問に、星瑛は「雪様はどうなのです?」と切り返した。
「そのような顔をしなくても、私は不幸ではありません。中枢の高官とやり合うのも刺激的で楽しく感じますし、鍛え甲斐のある後釜もできました」
紅雪は途方に暮れたような顔を見せていた自覚がなかったらしく、慌てて取り繕った。
「そうか。わしも……そうじゃな、幸せじゃ。かわいい妹と、わしのことを紅雪と呼んでくれる若者と、おぬしのような気骨ある仕事仲間に恵まれておる」
「その若者からは、もう愛を囁かれましたの?」
「ほう、星瑛。おぬしは千里眼の力でも有しておったのか?」
「いいえ。そんな気がしただけです」
本当は、そういうことになっていたら面白いと思ってみただけだったのだが、意図せず的中した戯言に星瑛は表情をほころばせた。
「まぁ、にべもなく断ったがの」
「……それでも、手を焼いているようですね。珍しく顔に出ています」
「まぁ、の」
紅雪は少しだけ表情に苦いものを窺わせた。
星瑛は、前任者からの申し送りで花仙の代替わりの話を聞いていた。もちろん、星瑛自身は前の花仙のことを直接知っているわけではないが、たぶん似たような流れで代替わりをすることになったのだろうとあたりをつける。
「きっと、待っています。どうぞ、元気な顔を見せて差し上げて。その方にも、妹さんにも」
「そうじゃな。いつも通りなら、そろそろ荷馬車が通る頃合じゃ。便乗するとしようか」
紅雪はようやく立ち上がった。
星瑛は彼女と別れるときにいつも思う。これが最後かもしれないと。
(こんな男装姿が最後だなんて、思いたくないけれど)
彼女の艶やかな黒髪が大好きだった。さらさらと流れる様子にいつも目を惹かれていたものだ。それが今や、短く刈り上げられている。少し残念だ。
「では、な。星瑛。またそのうちに」
「えぇ、また、そのうちに」
紅雪は決して別れを告げず、再会を思わせる言葉を使う。それに気付いたのはいつ頃だったろうか。
彼女は、ふわりと身体を浮かせると、窓から空へと昇って行った。
「―――あ、いけない。夏少将のカツラ疑惑について問い詰めるのを忘れていたわ」
◇ ◆ ◇
「邪魔をするぞ、瑠璃。なに、荷が1つ増えたと思えば良かろう」
首尾よく都を出ようとする鉱家の荷馬車を見つけた紅雪は、勝手知ったる振る舞いで荷台に入り込んだ。
以前もこの手口で移動を楽にしたことがあるし、馬の手綱を取る瑠璃の反応はだいたい予想がつく。
『あっれー、紅雪ちゃん? しょーがないなぁ、もう。でも、うちの財政厳しいから宿は1室しか取らないか、荷台で雑魚寝だかんねー』
今回もそんな軽口が返って来るだろうと思いながら、自分の身体がすっぽり収まりそうな丁度良い隙間を探す紅雪は、見落としをしていた。
「―――紅雪?」
心底驚いた表情で御者台から振り向いていたのは、鉱家の次男坊ではなく長兄だった。
「どうしたのですか、その頭は。艶やかな黒髪が勿体無い。ですが、あなたの綺麗な頭の形が見えるのも新鮮で素敵ですね」
驚いたのも数拍のことで、流れるように出てくる誉め言葉に、紅雪は「う」と表情を歪めた。だが、ここで会話の主導権を握られるわけにはいかない。
「どうして、おぬしがそこに座っているのじゃ。瑠璃の番ではなかったのかえ?」
「瑠璃はタチの悪い風邪に捕まって、家で寝ていますよ。―――ですが、ずいぶん兄孝行な弟ですね。このような贈り物をくれるとは」
しまった、ちゃんと『視て』おくんだったと後悔しても遅い。それに、御者が翡翠だったからと出ていくのも癪だった。
「あぁ、私のことはお構いなく。どうぞ、好きな隙間を探してください。お疲れでしょう?」
翡翠は決して無能な商人ではないから、白蛾のことを聞き及んでいないわけがなかった。紅雪の花仙としての働きを耳にしているのだろう。彼の労う声に偽りの響きはない。
「そうじゃ。疲れておるゆえ、夜もこのまま捨て置いて構わぬよ」
「あなたにそのような窮屈な思いをさせるわけにはいきません。きちんとした宿を探しますので、ご心配なくお休みください」
丁寧ながらも翡翠の声は弾んでいる。商人らしく計算高い彼のことだ。このままでは宿で「新婚さんいらっしゃい」状態になるのは確実だった。
膝を抱えて座るのに丁度よい隙間を見つけた紅雪は、どうすればそれを逆手に取って回避できるかを考えながら、うつらうつらと惰眠の淵に沈み始める。
―――とうとう聞こえて来た翡翠の鼻歌をまどろみの中で聞きながら、何となく、敵前逃亡しか手はないような気がしてきた。
だが、それは明確な敗北宣言であるために、紅雪にはその選択肢は選べないのが現実で。
陽が落ち、宿に入るまでに、何か良い策を考えなければいけなくて。
紅雪としては、未来視をしておくんだったと後悔する暇も、心地よい惰眠に身体を委ねる暇もないのだった。
それでも、単調な馬車の音に、紅雪の意識は愛する惰眠に絡めとられていった。
=========================
4章完結しましたので、改めて人物紹介を。
※夏少将のカツラ疑惑については「惰眠3-5.たかられる姫君・前編」を参照。
紅雪
有事の際に現れる仙女。年齢不明。星瑛を仕事の虫と呼ぶ。
星瑛
神祇伯の女傑。御年72歳。紅雪を猫呼ばわりする。
桜莉
現皇帝の末妹。御年18歳。貴族達から一生独身と思われている。
「何じゃ?」
「占い師の真似事をして、陛下の御前に出たそうですね?」
2つ目の饅頭を取ろうとしていた紅雪の手が止まった。
「よもや、神祇官の私をすっ飛ばしてそのようなことをなさろうとは……」
いつの間にか、星瑛の表情が神祇伯としてのそれにすり替わっていた。
「いや、あれは、花仙としてではなく、単に卜占のよく当たる赤雪姫として、な?」
「そのような言葉で、納得できるとでも?」
「それに、念のため宮城ではこのような格好でいるではないか」
紅雪の姿は、現場に立ち会った時と同じく武官の格好だ。ついでに髪も短く刈り込まれたままで、今の状態では、とても『赤雪姫』と同一人物とは分からない、はずだった。
「やたらと桜莉様の述べた報酬が具体的だったかと思えば、『赤雪姫』のことを聞いていたからだったとは思いませんでしたわ」
「う、うむ、まぁ、良いではないか、星瑛。どうせ、宮中でも一握りの人間しか『赤雪姫』を見ていないのだし。花仙は、あの人形でしか姿を見せていないのだし」
ごまかすようにお茶をすすり、これも良い茶だな、とうそぶく紅雪の顔がどことなく慌てているように見えて、老婦人は顔をほころばせた。
二人は向かい合ったまま、無言で饅頭と茶に舌鼓を打った。
「ときに、星瑛。……おぬしは幸せか?」
ポツリ、と呟くような質問に、星瑛は「雪様はどうなのです?」と切り返した。
「そのような顔をしなくても、私は不幸ではありません。中枢の高官とやり合うのも刺激的で楽しく感じますし、鍛え甲斐のある後釜もできました」
紅雪は途方に暮れたような顔を見せていた自覚がなかったらしく、慌てて取り繕った。
「そうか。わしも……そうじゃな、幸せじゃ。かわいい妹と、わしのことを紅雪と呼んでくれる若者と、おぬしのような気骨ある仕事仲間に恵まれておる」
「その若者からは、もう愛を囁かれましたの?」
「ほう、星瑛。おぬしは千里眼の力でも有しておったのか?」
「いいえ。そんな気がしただけです」
本当は、そういうことになっていたら面白いと思ってみただけだったのだが、意図せず的中した戯言に星瑛は表情をほころばせた。
「まぁ、にべもなく断ったがの」
「……それでも、手を焼いているようですね。珍しく顔に出ています」
「まぁ、の」
紅雪は少しだけ表情に苦いものを窺わせた。
星瑛は、前任者からの申し送りで花仙の代替わりの話を聞いていた。もちろん、星瑛自身は前の花仙のことを直接知っているわけではないが、たぶん似たような流れで代替わりをすることになったのだろうとあたりをつける。
「きっと、待っています。どうぞ、元気な顔を見せて差し上げて。その方にも、妹さんにも」
「そうじゃな。いつも通りなら、そろそろ荷馬車が通る頃合じゃ。便乗するとしようか」
紅雪はようやく立ち上がった。
星瑛は彼女と別れるときにいつも思う。これが最後かもしれないと。
(こんな男装姿が最後だなんて、思いたくないけれど)
彼女の艶やかな黒髪が大好きだった。さらさらと流れる様子にいつも目を惹かれていたものだ。それが今や、短く刈り上げられている。少し残念だ。
「では、な。星瑛。またそのうちに」
「えぇ、また、そのうちに」
紅雪は決して別れを告げず、再会を思わせる言葉を使う。それに気付いたのはいつ頃だったろうか。
彼女は、ふわりと身体を浮かせると、窓から空へと昇って行った。
「―――あ、いけない。夏少将のカツラ疑惑について問い詰めるのを忘れていたわ」
◇ ◆ ◇
「邪魔をするぞ、瑠璃。なに、荷が1つ増えたと思えば良かろう」
首尾よく都を出ようとする鉱家の荷馬車を見つけた紅雪は、勝手知ったる振る舞いで荷台に入り込んだ。
以前もこの手口で移動を楽にしたことがあるし、馬の手綱を取る瑠璃の反応はだいたい予想がつく。
『あっれー、紅雪ちゃん? しょーがないなぁ、もう。でも、うちの財政厳しいから宿は1室しか取らないか、荷台で雑魚寝だかんねー』
今回もそんな軽口が返って来るだろうと思いながら、自分の身体がすっぽり収まりそうな丁度良い隙間を探す紅雪は、見落としをしていた。
「―――紅雪?」
心底驚いた表情で御者台から振り向いていたのは、鉱家の次男坊ではなく長兄だった。
「どうしたのですか、その頭は。艶やかな黒髪が勿体無い。ですが、あなたの綺麗な頭の形が見えるのも新鮮で素敵ですね」
驚いたのも数拍のことで、流れるように出てくる誉め言葉に、紅雪は「う」と表情を歪めた。だが、ここで会話の主導権を握られるわけにはいかない。
「どうして、おぬしがそこに座っているのじゃ。瑠璃の番ではなかったのかえ?」
「瑠璃はタチの悪い風邪に捕まって、家で寝ていますよ。―――ですが、ずいぶん兄孝行な弟ですね。このような贈り物をくれるとは」
しまった、ちゃんと『視て』おくんだったと後悔しても遅い。それに、御者が翡翠だったからと出ていくのも癪だった。
「あぁ、私のことはお構いなく。どうぞ、好きな隙間を探してください。お疲れでしょう?」
翡翠は決して無能な商人ではないから、白蛾のことを聞き及んでいないわけがなかった。紅雪の花仙としての働きを耳にしているのだろう。彼の労う声に偽りの響きはない。
「そうじゃ。疲れておるゆえ、夜もこのまま捨て置いて構わぬよ」
「あなたにそのような窮屈な思いをさせるわけにはいきません。きちんとした宿を探しますので、ご心配なくお休みください」
丁寧ながらも翡翠の声は弾んでいる。商人らしく計算高い彼のことだ。このままでは宿で「新婚さんいらっしゃい」状態になるのは確実だった。
膝を抱えて座るのに丁度よい隙間を見つけた紅雪は、どうすればそれを逆手に取って回避できるかを考えながら、うつらうつらと惰眠の淵に沈み始める。
―――とうとう聞こえて来た翡翠の鼻歌をまどろみの中で聞きながら、何となく、敵前逃亡しか手はないような気がしてきた。
だが、それは明確な敗北宣言であるために、紅雪にはその選択肢は選べないのが現実で。
陽が落ち、宿に入るまでに、何か良い策を考えなければいけなくて。
紅雪としては、未来視をしておくんだったと後悔する暇も、心地よい惰眠に身体を委ねる暇もないのだった。
それでも、単調な馬車の音に、紅雪の意識は愛する惰眠に絡めとられていった。
=========================
4章完結しましたので、改めて人物紹介を。
※夏少将のカツラ疑惑については「惰眠3-5.たかられる姫君・前編」を参照。
紅雪
有事の際に現れる仙女。年齢不明。星瑛を仕事の虫と呼ぶ。
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