赤雪姫の惰眠な日常

長野 雪

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惰眠5.はた迷惑な惰眠

1.群青の空・前編

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「まぁ、ずいぶんと早いお帰りですこと」

 宮城の一角、執務室と呼ぶには狭い房に、おっとりと、それでいてトゲのある声が響いた。

「そう言うでない。わしとて、こんなにすぐ戻ることになるとは思わなんだ」

 なぜか頭を手巾で――それこそ盗人のように――覆い隠した人影が卓に突っ伏すように座った。
 手巾からは隠しようもない流れるような黒い髪、そこから覗く双眸はおよそ人のものとは思えない紅の輝きを秘めていた。

「お疲れのご様子ですわね。お茶でもお淹れしましょうか」

 この房の主である老婦人・星瑛は部屋の隅に置いてあった茶器に近寄り、「あらいけない、お湯をもらってこなくては」とわざとらしく呟いた。

「―――湯ならある」

 卓に伏していた人影が手巾を外す。そこに現れたのは十人に聞けば十人が頷くほど文句のつけようのない美女だった。彼女が軽く手巾を振ると、水差しの中があっという間にお湯で満たされた。

「本当に、お疲れのご様子ですこと。『息抜き』に夜盗退治でもなさったら?」
「それも良いかもしれんのぅ……」

 目の前でとても良い香りのするお茶が淹れられていくのを見ながら、美女はもの憂げに同意した。


 ◇  ◆  ◇


 史家は言う。
 この灯華国には、神仙の加護があると。
 建国の祖である皇帝・章。彼は火を自在に操ることを得意とする神仙に師事した。
 彼は群なす兵を薙ぎ倒し、小国同士の諍いの絶えないこの地を統一した。
 彼の傍らには、花をこよなく愛する仙女が侍っていたと伝えられている。彼女は敵味方関係なく、戦死した者のために涙を落とし、花を贈った。
 火を操る皇帝。花を咲かせる仙女。
 皇帝は国に名前をつけなかったが、誰からともなく、火と花の国、灯華国と呼ばれるようになった。
 時を下った今もなお、皇帝の血筋は絶えることなく、その権威が失墜することなく国は存続している。
 時に愚帝が権力を握ることもあったが、そうした際にはどこからともなく、神仙が現れ、後始末をつけていったという。ある時は失政の尻拭い、ある時は愚帝の暗殺、そういった形をとって。
 神仙は権威の象徴でもあり、反権威の象徴でもあった。だが、その仙女は有事の際を除き、人前に姿を現すことはないと言う。
 それゆえ、仙女が存在するか否かは史家の議論の的となるのである。
 だが、有事を予見し、仙女は現れる。伝説となってしまった昔から、灯華国が続く今まで、それだけは変わらない。だからこそ伝説は引き継がれ続けるのだ。決して忘れられてはいけないと、繰り返し刻み込むように人の口に紡がれることを狙っているかのように。


 ◇  ◆  ◇


「最初の頃は、それこそ爪が割れたと言っては、ここへ愚痴をこぼしに来ていましたが、すっかり大工仕事に慣れたようですわ」
「そうか、桜莉は元気なようじゃの」
「まだ、あなたをまつる社は完成してませんのに、何かありましたの?」

 その質問に、上機嫌でお茶をすすっていた美女=紅雪は眉をしかめた。
 まさか、懲りずに求婚してくる翡翠がうっとうしくなって逃げて来たとは言えない。

「大した用事ではないが、気になるがあってな」
「また、神祇伯が動くことになります?」

 厳しい顔つきになった星瑛に「いや、それはない」と紅雪は慌ててひらひらと手を振った。

「国の安寧には直接関わらぬよ。――じゃが、少々気になったのでな」

 どこか奥歯の挟まった物言いに、星瑛はふっと先代神祇伯からの引継ぎを思い出した。

『仙女様は、あまり政情に口出しし過ぎてもいかんのだよ』
『まぁ、それはどうしてですの?』
『麦踏みのようなものだ。風雨全てから守ってしまえば、かえって弱くなってしまうからな。人ができることは人が解決せねばならん』
『まぁ、なんだか不親切ですのね。でも、納得はできますわ』

 きっと今回も、人の手で解決できることながら、やり方を間違えてしまうと面倒な結果になるような未来を予見してしまったのだろう。


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