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惰眠5.はた迷惑な惰眠
7.紫煙くゆる香・前編
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ふわりと薫る香は甘い中にもどこか清涼感を感じさせる、この房の主を表すかのようだった。
「ふむ、今度の茶会はいささか無粋、かのぅ?」
「申し訳ありません、紅の御方。どうかお付き合い願えますでしょうか?」
再び蔡妃と二人きりの茶会で、話題に上がるのは社建立に励む桜莉の話だった。
「桜莉様は、無理をしておりませんかしら? わたくし、指を潰してしまったと伝え聞いて、心配で心配で……」
「それほど心配をするほどのことでもないわ。単なる打ち身の類よ」
どうやら、後宮では拡大解釈をされて伝わっているらしい、と紅雪はくつくつと笑った。
「桜莉様がお気に入りあそばされましたのね。紅の御方」
「あぁ、あれは良い。後宮で育ったとは思えぬ人品よ」
「えぇ、わたくしも同意させていただきますわ。桜莉様とお話すると、何やら心持ちが軽くなりますのよ」
ころころと笑うのは、後宮の誰に聞いても癒し系と呼ばれる蔡妃だ。絶世の美女たる紅雪と並ぶと、その容姿は霞むどころか、より一層のほんわかした空気を作り上げる。
ひとしきり笑った蔡妃は、卓の上に置かれた鈴を2回だけチリチリと鳴らした。
ほどなく、茶の用意をした侍女が音もなく扉を開ける。扉近くの卓で茶を淹れると、楚々として隙のない動作で二人が挟む卓に差し出す。
その侍女が、ほんの一瞬だけ茶碗の模様を確認したことを、紅雪は見逃さなかった。
「良い香りじゃの。どちらのお茶じゃ?」
「先日、実家から贈られて参りましたの。花の香りのする素敵なものでしょう? 是非とも紅の御方にもお飲みいただきたくて」
「正妃殿は、本当にこういったものが似合うのぅ。うらやましい限りじゃ」
茶を話題に会話の弾む二人に深々と頭を下げ、侍女が室を出ようとした瞬間!
「母上、そのお茶を飲むのをお待ちいただきたい!」
室から出ようとした侍女は、外側から入って来た人物に押されるように戻された。一瞬だけ抗議の表情を浮かべたものの、相手を知って慌てて膝を付く。
「あら、湘、……いえ、太子殿下。例え身分の貴き方といえども、礼儀を欠くことは感心いたしませんわ。入室の許可を求めるよう―――」
「ご無礼を失礼いたします。何分、火急の用件ですのでご容赦ください」
実母に他人のように敬語を使われ窘められても、湘太子はその表情を厳しいまま変えることはなかった。
「そこなる侍女、桂香に正妃暗殺の疑惑があり内偵を進めておりました。そちらの茶に毒が仕込まれている可能性があります。どうかお飲みになりませんよう」
湘は珍しいものでも見るように蔡妃の向かいに座る女性を見遣ったが、すぐさま後ろに続く護衛に合図をする。
皇帝の息子を除き、みだりに男子の立ち入ることを許されない後宮であるがゆえ、護衛役の女官は逃げる機会を窺っていた侍女を取り押さえ、卓に注がれたばかりの茶を回収する。
「お騒がせして大変申し訳ありませんでした。そちらのお客人も、危急につき無礼を詫びよう」
湘太子はきびきびと一礼をして、室外に出た。抵抗を続ける侍女・桂香の声と複数の足音が遠ざかっていく。
その様子に、紅雪はため息をついた。
「ふむ、今度の茶会はいささか無粋、かのぅ?」
「申し訳ありません、紅の御方。どうかお付き合い願えますでしょうか?」
再び蔡妃と二人きりの茶会で、話題に上がるのは社建立に励む桜莉の話だった。
「桜莉様は、無理をしておりませんかしら? わたくし、指を潰してしまったと伝え聞いて、心配で心配で……」
「それほど心配をするほどのことでもないわ。単なる打ち身の類よ」
どうやら、後宮では拡大解釈をされて伝わっているらしい、と紅雪はくつくつと笑った。
「桜莉様がお気に入りあそばされましたのね。紅の御方」
「あぁ、あれは良い。後宮で育ったとは思えぬ人品よ」
「えぇ、わたくしも同意させていただきますわ。桜莉様とお話すると、何やら心持ちが軽くなりますのよ」
ころころと笑うのは、後宮の誰に聞いても癒し系と呼ばれる蔡妃だ。絶世の美女たる紅雪と並ぶと、その容姿は霞むどころか、より一層のほんわかした空気を作り上げる。
ひとしきり笑った蔡妃は、卓の上に置かれた鈴を2回だけチリチリと鳴らした。
ほどなく、茶の用意をした侍女が音もなく扉を開ける。扉近くの卓で茶を淹れると、楚々として隙のない動作で二人が挟む卓に差し出す。
その侍女が、ほんの一瞬だけ茶碗の模様を確認したことを、紅雪は見逃さなかった。
「良い香りじゃの。どちらのお茶じゃ?」
「先日、実家から贈られて参りましたの。花の香りのする素敵なものでしょう? 是非とも紅の御方にもお飲みいただきたくて」
「正妃殿は、本当にこういったものが似合うのぅ。うらやましい限りじゃ」
茶を話題に会話の弾む二人に深々と頭を下げ、侍女が室を出ようとした瞬間!
「母上、そのお茶を飲むのをお待ちいただきたい!」
室から出ようとした侍女は、外側から入って来た人物に押されるように戻された。一瞬だけ抗議の表情を浮かべたものの、相手を知って慌てて膝を付く。
「あら、湘、……いえ、太子殿下。例え身分の貴き方といえども、礼儀を欠くことは感心いたしませんわ。入室の許可を求めるよう―――」
「ご無礼を失礼いたします。何分、火急の用件ですのでご容赦ください」
実母に他人のように敬語を使われ窘められても、湘太子はその表情を厳しいまま変えることはなかった。
「そこなる侍女、桂香に正妃暗殺の疑惑があり内偵を進めておりました。そちらの茶に毒が仕込まれている可能性があります。どうかお飲みになりませんよう」
湘は珍しいものでも見るように蔡妃の向かいに座る女性を見遣ったが、すぐさま後ろに続く護衛に合図をする。
皇帝の息子を除き、みだりに男子の立ち入ることを許されない後宮であるがゆえ、護衛役の女官は逃げる機会を窺っていた侍女を取り押さえ、卓に注がれたばかりの茶を回収する。
「お騒がせして大変申し訳ありませんでした。そちらのお客人も、危急につき無礼を詫びよう」
湘太子はきびきびと一礼をして、室外に出た。抵抗を続ける侍女・桂香の声と複数の足音が遠ざかっていく。
その様子に、紅雪はため息をついた。
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