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ツタと落下と眠り母《ひめ》
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――――夢を見た。
小さな子供が泣きじゃくっている。
子供は何度も目を擦りながら、「守ってあげられない」「もう限界が来てしまう」「力が足りない」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」と嗚咽の合間に嘆いていた。
その相手は上品な貴婦人だ。褐色の肌を持っているけれど、顔色が悪いのがよく分かる。病気にでもなっているんだろうか?
「気にしないでいいのよ」
貴婦人は子供を慰めていた。
「わたしのことは構わないの。あなたは、あなたをちゃんと大事にしないといけないわ」
か細い声ながら、優しく微笑む貴婦人の表情からは、子供に対する恨みなど一欠けらも読み取れない。
「あの子の成長していく姿を見られただけでも、もう十分なのよ」
そう言っているのに、子供はどうにもできない無力な自分をひたすら呪って、もっと力があればと嘆いていた。
――――そこで目が覚めた。
視界に飛び込んで来たのは、薄い紗幕を通して柔らかくなった陽の光。あまりに見慣れぬ光景に、一瞬、自分がどこにいるのか分からなくて混乱した。
身体を起こして周囲を見渡すまでもなく、隣で私を見つめている男と目を合わせたところで、ようやく昨日の記憶が蘇った。
(そうね。ここは敵地だったわ)
ぎゅっと縮まってしまった心臓を宥めるように深呼吸すると「おはようございます」と無難な挨拶から始めてみる。
「あぁ。……さて、お前も起きたことだし、オレも起きるか」
ついでにモーリィを呼んでくる、と言い置いて部屋を出ていったヴァルを見送ると、私も寝台から降りた。
窓辺に近づくと、昨日は確認できなかったここの状況が見えた。
全てが黄褐色の世界。砂の山が築かれているわけではないが、地面はカラカラに乾いてひび割れ、草の影を見つけることすら難しい。
(これをどうにかしろっていうのね)
私の一番の強みである植物たちの協力が得られないのが厳しいところだ。彼らの声を聞こうにも、会話ができないほどに苦しみ喘いでいる有様だ。
「お待たせしました、ネリス様」
振り向けば、こんな乾いた地にあってなお、豊かな胸とお腹を揺らしたモーリィが立っていた。その手に抱えられているのは……見間違いでなければ、夜会服、のような?
「お着替えを持ってまいりましたので、さっそく――――」
「ま、待って、モーリィ?」
コルセットを手に取ったモーリィを慌てて止める。パーティでもないのに、その苦行は遠慮したい。
「なんでしょう?」
「今日は、その、城の中を案内してもらうことになっているのだけど、もう少し動きやすい服はないのかしら?」
リスティアの服なのですが……と残念そうにするモーリィだけど、たぶん取り寄せるにあたって種類を間違えていると思う。それとも、以前この城に住んでいた誰かの勝負服なのかしら?
「私の国のものでなくて構わないの。そうね、モーリィが着ているような服がいいわ。動きやすそうだもの」
「そうですか? リスティアの方はこういうものがお好きなのかと思っていましたよ。それでは、少々待ってくれますか?」
「ありがとう、モーリィ」
あと、昨日の砕けた口調の方が親しみやすくて良かったのだけれど……あぁ、そう、怒られてしまったの。あの白い髭の人にかしら。
ドレス一式を持って部屋を出て行ったモーリィは、ほどなくして戻ってきた。
「こちらでしたら、大丈夫でしょう」
モーリィが広げて見せてくれたのは、白い長袖のワンピースのようなものと、複雑に模様が織り込まれた帯紐、そして丈が膝程もある長いベストだった。夜会服に比べたら絶対にこっちの方が動きやすいので、一も二もなく承諾する。
夜着を脱ぐと、腰の絞っていないワンピースをまず着せられた。その上から綺麗に刺繍の施されたベストを身につける。最後に胸のすぐ下あたりで帯紐を結ぶ。余った紐を垂らすように仕上げて出来上がり。
「まぁ、すてきね」
(特に足がよく広がるところとか、走るのには便利だわ)
「バリステの一般的な服装です。体型が変わっても着続けられるんですよ。家格によって刺繍や帯紐に使える意匠が変わるのですが、それはおいおい覚えていただければよろしいかと」
体型が変わっても、のあたりで妊娠をほのめかされているような気がするけど、そこは「まぁ、そうなの」と無難に返しておいた。でも、家格ってことは、このベストや帯紐は誰のものなんだろう。そんなことを考えていたら、突然ガチャリと扉が開いた。
「モーリィ? さっきからバタバタと行ったり来たりしていたようだが」
ノックもなく入って来たのはヴァルだった。もしこれが着替え途中だったらと思うと、ちょっと危なかったと思う。
「ヴァル坊、どうだい? 似合うだろ? 褒め言葉の一つもかけておやり」
胸を張ったモーリィは、邪魔者は退散とばかりにそそくさと開いたままの扉から出て行った。
モーリィ、私に対しては丁寧な口調でも、自国の王子に対してはそのままなのね。
「えぇと、動きやすい服はないかって頼んだの。そしたら、これを出してきてくれて」
「……」
なんだろう。ヴァルの目が私の服から離れない。
「似合わない?」
「……いや、その格好なら、髪と肌の色さえ違わなければ、国民と変わらないだろうな」
褒め言葉なのか貶し台詞なのかよく分からない。どう返したものかと迷っていたら、彼は私の手を取って「行くぞ」と引っ張ってきた。
「どこへ行くの?」
「まずは資料からだろう。どうせ、全てを歩き回らせるわけにはいかないからな」
ヴァルは私をエスコートしながら、この城の大雑把な構造を説明した。南に開けたコの字型になった建物は、東棟・中央棟・西棟と呼んでいるのだとか。私が泊まったのは東棟の3階で、元々王族に割り当てられているそうだ。各棟の連絡通路は1階にしかない。まぁ、警備上の理由だろう。そして、これから向かうのは大広間や謁見の間のある中央棟。そこに資料室もあるのだという。
「西棟には何があるの?」
「以前は来賓に割り当てていたが、今はほとんど使ってねぇな」
階段を下り、装飾の施された大扉を通じて中央棟に足を踏み入れる。大扉の脇に見張りのための小部屋もあったけれど、今はだれもいないようだった。
「人が少ないのね」
「あぁ、城の周囲にはもう何もなくて視界も開けてるからな。見張りもそんなにいらない。……それに、ここは打ち捨てられた場所だからな」
打ち捨てられた場所、というのは、元・王城であったことを指しているんだろうか?
(それなら、ヴァルはどうしてここにいるの?)
推測しようにも、私の頭の中の資料からは答えを見つけられない。
ヴァルの後について二階へ上がると、端の部屋に案内された。そこが資料室なのだという。
「ここ?」
「あぁ。開けてみな」
にやにやと促すヴァルを不審に思いながら、私は取っ手を握り、ぐぐっと押した。
「あ……」
「なかなか残念なことになってんだろ」
ヴァルの言葉の通りだ。いくつも並んだ書棚、書見台とおぼしき机と椅子。それは資料室というにふさわしいものだった。……もし、書棚が全て埋められていたら。
「遷都のときに、大半が持ち出されたからな。ここにあるのは、不要とされたもの、古過ぎる資料ぐらいだ」
遷都されたのは十年前だったか、その時点で古い資料というのならば、それこそ十五年、二十年以上前のものだろう。書棚の1段にはよくて数冊ぐらいしか残っていない。
私はぐるりと中を見渡すと、書棚と書棚の間にひっそりとあった引き出しの方へ歩き出した。まるで導かれるように、その一段目に手をかける。
「参ったな」
ヴァルが苦い顔を浮かべていた。引き出しの中には、いくつもの紙束が入っていたのだが、どうやら当たりだったらしい。
「書棚に置いておいたら、強い日差しで本が読めなくなっちゃうじゃない? だから、どこか暗い所にあると思っただけよ」
引っ越しの際にカーテンすら取っ払ってしまったのだろう。資料室は差し込む陽光で明かりもいらないほどだった。
止められないのをいいことに、私は引っ張り出した資料を開いて目を通し始めた。この城の見取り図や、今や痕跡すらない城下町の地図に始まり、バリステの地勢図、この城で生活している人々の名簿。
「――――これだけ?」
使えそうなのは地勢図だけだ。二十年前から二年ごとに更新したらしい地図は、砂漠の進み具合を分かりやすく示している。
「オレだって、新王都で洗いざらい調べたさ。国王たちの調査を信用してないわけじゃない。それでも見落としがあるんじゃないかと徹底的に確認した。――――所詮、普通の人間が解決できるようなもんじゃねぇんだ」
悔し気に唇を噛むヴァルから目を逸らした私は、何とはなしに書棚に残されたままの本を眺めた。古い統計資料や法律の草案、苦情書の束などの中、背表紙も何もないそれに気が付いた。
「……家系図?」
開いてみればなんてことはない、バリステ王家の系譜だった。ヴァルの名前の横に並ぶ兄妹たちの名前、その上には彼の父王や数人の妃の名前がある。どうしてそんなものが残されているのか分からない。けれど、ヴァルの母にあたる人の名前が入るべき部分が、何故か削り取られていた。
(庶子、とかでは、なかったわよね?)
そもそも系譜に並べることもできない身分であれば、削り取る以前に記載もされないだろう。故人であれば、単にそれを示す記号なり書けば良いだけ。それなのに、わざわざ消す意味とは?
好奇心のままに問い掛けたい気にもなったが、個人的な問題だろうし、下手に不快にさせるだけだとぐっと堪えた。
『助けて!』
ぐらり、と視界が揺れる。絶叫のように響いたのは、紛れもなく植物の声だった。ここにはまともに言葉を伝えられるほどの余裕を持った植物などないはずなのに。
私は家系図を乱暴に書棚に戻すと、窓に近づいた。視界の端で不思議そうにこちらを見るヴァルは無視する。いちいち気にしている場合じゃない。
(どこから……? 西棟? あった、三階! 端の部屋!)
私が戻したものが家系図であると知ったせいか、ヴァルはそれを手に、何かを堪えるような表情を浮かべていた。やはり、何か因縁があるんだろうけど、今は後!
私は裾を手で軽く押さえて走り出した。今は、あの声の主を見つけることが先だ。
「おい!」
廊下へ通じる扉を開けるときに、後ろから制止の声が聞こえたけれど、振り返る間も惜しんで、私は階段を下り、西棟へと急ぐ。来賓用の棟と聞いたそこは、意外と掃除が行き届いていた。
(使われていないはずなのに、どうして?)
疑問を心の隅に書き留めて、階段を探す。おそらくは東棟と対になっているだろうし、見当はつけられる。ついでに言うと、後ろからヴァルの足音が迫ってくるのが少し怖い。何も言わずに駆けだした私が悪いとは分かっているけれど、あの声には切羽詰まったものを感じた。急がなきゃ、と足を動かす。
「待て! どこへ行く気だ!」
階段を見つけると、私は服の裾を少し持ち上げて駆け上がる。
(三階の、一番奥の――――)
扉に手をかけた私だったが、ガタッと音がするだけで、そこを開くことはできなかった。誰も使っていないから鍵がかかっているのか、それとも、何かが隠されているから鍵がかかっているのか。
「お前は……っ!」
腕を乱暴に引っ張られた私の視界に、険しい顔のヴァルが映る。彼の右手が振り上げられて、反射的に目を瞑って身を硬くした。
――――ぶたれると思ったのに、1秒経っても、5秒経っても、何も起こらなかった。
恐る恐る目を開けると、怒りの形相の彼と目が合った。
「どうして、ここへ逃げ込んだ!」
「ち、違う、違うわ! 私は誰かの……、そう、人影、みたいなのが動いてるのを見つけて、だって、西棟は来賓用だから、人がいるはずもないでしょう?」
我ながら、よく適当に嘘をつけたものだと思う。でも、本当のことは言えない。他国の、しかも王族に私の力のことをペラペラしゃべるわけにはいかないから。
「人影?」
ヴァルは私の腕を放すと、自分の腰元から小さな鍵を取り出した。どうして、この部屋の鍵を持っているのかは疑問だけれど、開かれた扉の向こう側を見たとき、そんな考えは一気に吹き飛んでしまった。
「なんなのよ、ここは……」
小さな子供が泣きじゃくっている。
子供は何度も目を擦りながら、「守ってあげられない」「もう限界が来てしまう」「力が足りない」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」と嗚咽の合間に嘆いていた。
その相手は上品な貴婦人だ。褐色の肌を持っているけれど、顔色が悪いのがよく分かる。病気にでもなっているんだろうか?
「気にしないでいいのよ」
貴婦人は子供を慰めていた。
「わたしのことは構わないの。あなたは、あなたをちゃんと大事にしないといけないわ」
か細い声ながら、優しく微笑む貴婦人の表情からは、子供に対する恨みなど一欠けらも読み取れない。
「あの子の成長していく姿を見られただけでも、もう十分なのよ」
そう言っているのに、子供はどうにもできない無力な自分をひたすら呪って、もっと力があればと嘆いていた。
――――そこで目が覚めた。
視界に飛び込んで来たのは、薄い紗幕を通して柔らかくなった陽の光。あまりに見慣れぬ光景に、一瞬、自分がどこにいるのか分からなくて混乱した。
身体を起こして周囲を見渡すまでもなく、隣で私を見つめている男と目を合わせたところで、ようやく昨日の記憶が蘇った。
(そうね。ここは敵地だったわ)
ぎゅっと縮まってしまった心臓を宥めるように深呼吸すると「おはようございます」と無難な挨拶から始めてみる。
「あぁ。……さて、お前も起きたことだし、オレも起きるか」
ついでにモーリィを呼んでくる、と言い置いて部屋を出ていったヴァルを見送ると、私も寝台から降りた。
窓辺に近づくと、昨日は確認できなかったここの状況が見えた。
全てが黄褐色の世界。砂の山が築かれているわけではないが、地面はカラカラに乾いてひび割れ、草の影を見つけることすら難しい。
(これをどうにかしろっていうのね)
私の一番の強みである植物たちの協力が得られないのが厳しいところだ。彼らの声を聞こうにも、会話ができないほどに苦しみ喘いでいる有様だ。
「お待たせしました、ネリス様」
振り向けば、こんな乾いた地にあってなお、豊かな胸とお腹を揺らしたモーリィが立っていた。その手に抱えられているのは……見間違いでなければ、夜会服、のような?
「お着替えを持ってまいりましたので、さっそく――――」
「ま、待って、モーリィ?」
コルセットを手に取ったモーリィを慌てて止める。パーティでもないのに、その苦行は遠慮したい。
「なんでしょう?」
「今日は、その、城の中を案内してもらうことになっているのだけど、もう少し動きやすい服はないのかしら?」
リスティアの服なのですが……と残念そうにするモーリィだけど、たぶん取り寄せるにあたって種類を間違えていると思う。それとも、以前この城に住んでいた誰かの勝負服なのかしら?
「私の国のものでなくて構わないの。そうね、モーリィが着ているような服がいいわ。動きやすそうだもの」
「そうですか? リスティアの方はこういうものがお好きなのかと思っていましたよ。それでは、少々待ってくれますか?」
「ありがとう、モーリィ」
あと、昨日の砕けた口調の方が親しみやすくて良かったのだけれど……あぁ、そう、怒られてしまったの。あの白い髭の人にかしら。
ドレス一式を持って部屋を出て行ったモーリィは、ほどなくして戻ってきた。
「こちらでしたら、大丈夫でしょう」
モーリィが広げて見せてくれたのは、白い長袖のワンピースのようなものと、複雑に模様が織り込まれた帯紐、そして丈が膝程もある長いベストだった。夜会服に比べたら絶対にこっちの方が動きやすいので、一も二もなく承諾する。
夜着を脱ぐと、腰の絞っていないワンピースをまず着せられた。その上から綺麗に刺繍の施されたベストを身につける。最後に胸のすぐ下あたりで帯紐を結ぶ。余った紐を垂らすように仕上げて出来上がり。
「まぁ、すてきね」
(特に足がよく広がるところとか、走るのには便利だわ)
「バリステの一般的な服装です。体型が変わっても着続けられるんですよ。家格によって刺繍や帯紐に使える意匠が変わるのですが、それはおいおい覚えていただければよろしいかと」
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「モーリィ? さっきからバタバタと行ったり来たりしていたようだが」
ノックもなく入って来たのはヴァルだった。もしこれが着替え途中だったらと思うと、ちょっと危なかったと思う。
「ヴァル坊、どうだい? 似合うだろ? 褒め言葉の一つもかけておやり」
胸を張ったモーリィは、邪魔者は退散とばかりにそそくさと開いたままの扉から出て行った。
モーリィ、私に対しては丁寧な口調でも、自国の王子に対してはそのままなのね。
「えぇと、動きやすい服はないかって頼んだの。そしたら、これを出してきてくれて」
「……」
なんだろう。ヴァルの目が私の服から離れない。
「似合わない?」
「……いや、その格好なら、髪と肌の色さえ違わなければ、国民と変わらないだろうな」
褒め言葉なのか貶し台詞なのかよく分からない。どう返したものかと迷っていたら、彼は私の手を取って「行くぞ」と引っ張ってきた。
「どこへ行くの?」
「まずは資料からだろう。どうせ、全てを歩き回らせるわけにはいかないからな」
ヴァルは私をエスコートしながら、この城の大雑把な構造を説明した。南に開けたコの字型になった建物は、東棟・中央棟・西棟と呼んでいるのだとか。私が泊まったのは東棟の3階で、元々王族に割り当てられているそうだ。各棟の連絡通路は1階にしかない。まぁ、警備上の理由だろう。そして、これから向かうのは大広間や謁見の間のある中央棟。そこに資料室もあるのだという。
「西棟には何があるの?」
「以前は来賓に割り当てていたが、今はほとんど使ってねぇな」
階段を下り、装飾の施された大扉を通じて中央棟に足を踏み入れる。大扉の脇に見張りのための小部屋もあったけれど、今はだれもいないようだった。
「人が少ないのね」
「あぁ、城の周囲にはもう何もなくて視界も開けてるからな。見張りもそんなにいらない。……それに、ここは打ち捨てられた場所だからな」
打ち捨てられた場所、というのは、元・王城であったことを指しているんだろうか?
(それなら、ヴァルはどうしてここにいるの?)
推測しようにも、私の頭の中の資料からは答えを見つけられない。
ヴァルの後について二階へ上がると、端の部屋に案内された。そこが資料室なのだという。
「ここ?」
「あぁ。開けてみな」
にやにやと促すヴァルを不審に思いながら、私は取っ手を握り、ぐぐっと押した。
「あ……」
「なかなか残念なことになってんだろ」
ヴァルの言葉の通りだ。いくつも並んだ書棚、書見台とおぼしき机と椅子。それは資料室というにふさわしいものだった。……もし、書棚が全て埋められていたら。
「遷都のときに、大半が持ち出されたからな。ここにあるのは、不要とされたもの、古過ぎる資料ぐらいだ」
遷都されたのは十年前だったか、その時点で古い資料というのならば、それこそ十五年、二十年以上前のものだろう。書棚の1段にはよくて数冊ぐらいしか残っていない。
私はぐるりと中を見渡すと、書棚と書棚の間にひっそりとあった引き出しの方へ歩き出した。まるで導かれるように、その一段目に手をかける。
「参ったな」
ヴァルが苦い顔を浮かべていた。引き出しの中には、いくつもの紙束が入っていたのだが、どうやら当たりだったらしい。
「書棚に置いておいたら、強い日差しで本が読めなくなっちゃうじゃない? だから、どこか暗い所にあると思っただけよ」
引っ越しの際にカーテンすら取っ払ってしまったのだろう。資料室は差し込む陽光で明かりもいらないほどだった。
止められないのをいいことに、私は引っ張り出した資料を開いて目を通し始めた。この城の見取り図や、今や痕跡すらない城下町の地図に始まり、バリステの地勢図、この城で生活している人々の名簿。
「――――これだけ?」
使えそうなのは地勢図だけだ。二十年前から二年ごとに更新したらしい地図は、砂漠の進み具合を分かりやすく示している。
「オレだって、新王都で洗いざらい調べたさ。国王たちの調査を信用してないわけじゃない。それでも見落としがあるんじゃないかと徹底的に確認した。――――所詮、普通の人間が解決できるようなもんじゃねぇんだ」
悔し気に唇を噛むヴァルから目を逸らした私は、何とはなしに書棚に残されたままの本を眺めた。古い統計資料や法律の草案、苦情書の束などの中、背表紙も何もないそれに気が付いた。
「……家系図?」
開いてみればなんてことはない、バリステ王家の系譜だった。ヴァルの名前の横に並ぶ兄妹たちの名前、その上には彼の父王や数人の妃の名前がある。どうしてそんなものが残されているのか分からない。けれど、ヴァルの母にあたる人の名前が入るべき部分が、何故か削り取られていた。
(庶子、とかでは、なかったわよね?)
そもそも系譜に並べることもできない身分であれば、削り取る以前に記載もされないだろう。故人であれば、単にそれを示す記号なり書けば良いだけ。それなのに、わざわざ消す意味とは?
好奇心のままに問い掛けたい気にもなったが、個人的な問題だろうし、下手に不快にさせるだけだとぐっと堪えた。
『助けて!』
ぐらり、と視界が揺れる。絶叫のように響いたのは、紛れもなく植物の声だった。ここにはまともに言葉を伝えられるほどの余裕を持った植物などないはずなのに。
私は家系図を乱暴に書棚に戻すと、窓に近づいた。視界の端で不思議そうにこちらを見るヴァルは無視する。いちいち気にしている場合じゃない。
(どこから……? 西棟? あった、三階! 端の部屋!)
私が戻したものが家系図であると知ったせいか、ヴァルはそれを手に、何かを堪えるような表情を浮かべていた。やはり、何か因縁があるんだろうけど、今は後!
私は裾を手で軽く押さえて走り出した。今は、あの声の主を見つけることが先だ。
「おい!」
廊下へ通じる扉を開けるときに、後ろから制止の声が聞こえたけれど、振り返る間も惜しんで、私は階段を下り、西棟へと急ぐ。来賓用の棟と聞いたそこは、意外と掃除が行き届いていた。
(使われていないはずなのに、どうして?)
疑問を心の隅に書き留めて、階段を探す。おそらくは東棟と対になっているだろうし、見当はつけられる。ついでに言うと、後ろからヴァルの足音が迫ってくるのが少し怖い。何も言わずに駆けだした私が悪いとは分かっているけれど、あの声には切羽詰まったものを感じた。急がなきゃ、と足を動かす。
「待て! どこへ行く気だ!」
階段を見つけると、私は服の裾を少し持ち上げて駆け上がる。
(三階の、一番奥の――――)
扉に手をかけた私だったが、ガタッと音がするだけで、そこを開くことはできなかった。誰も使っていないから鍵がかかっているのか、それとも、何かが隠されているから鍵がかかっているのか。
「お前は……っ!」
腕を乱暴に引っ張られた私の視界に、険しい顔のヴァルが映る。彼の右手が振り上げられて、反射的に目を瞑って身を硬くした。
――――ぶたれると思ったのに、1秒経っても、5秒経っても、何も起こらなかった。
恐る恐る目を開けると、怒りの形相の彼と目が合った。
「どうして、ここへ逃げ込んだ!」
「ち、違う、違うわ! 私は誰かの……、そう、人影、みたいなのが動いてるのを見つけて、だって、西棟は来賓用だから、人がいるはずもないでしょう?」
我ながら、よく適当に嘘をつけたものだと思う。でも、本当のことは言えない。他国の、しかも王族に私の力のことをペラペラしゃべるわけにはいかないから。
「人影?」
ヴァルは私の腕を放すと、自分の腰元から小さな鍵を取り出した。どうして、この部屋の鍵を持っているのかは疑問だけれど、開かれた扉の向こう側を見たとき、そんな考えは一気に吹き飛んでしまった。
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