緑担う姫と砂漠の真相

長野 雪

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騎士と秘密と姫君と

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「大丈夫か?」

 陣を出たときとは段違いの優しい声が落とされた。と言っても、もう随分と走り続けていたし、陽も西に傾いている。私たちの乗るコビアのスピードを落とし、顔を覗きこんでくるのが分かった。

「……」

 私と言えば、それどころじゃない。自分でも顔から血の気が引いてさぞかし土気色つちけいろになっているだろうことが容易に想像できる。

(この砂漠を進めば進むほど、気持ち悪くて気持ち悪くて堪らない……)

 慣れないコビアの騎乗に酔ったわけじゃない。視界に広がる乾いた大地にまばらに根付く植物のうめき声が絶えず頭に響いてくるのが問題だった。
 私は植物と言葉ならぬ言葉を交わすことができる。その力が今はあだとなっていた。砂漠を進めば進むほど、彼らの声はひどくなっていく。私にできることは、心を閉ざし、彼らの声を受け入れないことだけだった。それでさえ、少し気を緩めただけで声が聞こえてしまう。敵陣に踏み入っている状況で、これは致命的だった。

「開門――――っ!」

 耳元で叫ばれ、私は身体を大きく震わせた。
 五感全てを閉ざすように耐えていたら、陽が傾いているどころか空に星が瞬くような時間になっていたらしい。目の前には頑強な石造りの城壁がそびえ立っていた。
 私たちを乗せたコビアは乗り換えもしなかったのに、疲れた様子も見えない。

「ヴァル様! お待ち申し上げておりました!」

 長い白鬚しろひげを蓄えた初老の人物が門から姿を現すと、松明を掲げた門番がさっと道を開けた。
 ヴァル王子は私をコビアの上に残し、自分だけ降りると、その老人と話し始めた。話題は主に今回の戦のことだ。敗戦の結果、ここにいる身としては、少しばかりその話題は気に食わない。二人の会話を聞き流しながら、私は城壁の中に立つ建物を見上げた。うちの国の建築様式とはずいぶんと異なる外観は興味深い。でも、どこか違和感を覚えた。なんだろう?

「そちらが……その?」
「そうだ。ネリス王女だ」

 不意に名前を呼ばれてそちらを見ると、私の方を向いている老人と目が合った。

「そうですか。では、ネリス様もお疲れでしょう。すぐに中の者に言いつけますので」

 そう言って建物の中へ消えて行った老人を見送ると、ヴァル王子が「手を出せ」とぶっきらぼうに言って来た。まぁ、出せと言うなら出しますが――――

「きゃっ」

 突然の浮遊感に思わず悲鳴が出てしまった。可愛らしい悲鳴で良かった。そんなふうに胸を撫で下ろしていたせいで、ヴァル王子に抱きかかえられてしまっていることに気付くのに遅れてしまった。

「あ、あの……」

 乗ってきたコビアを門番に預けたヴァル王子は、私の呼び掛けを聞きやしない。聞こえていないはずはないのに、完全に無視だ。
 私をいわゆる『お姫様抱っこ』したヴァル王子は、ずかずかと建物――城の中へ入って行った。中は明かりも少なく、物寂しい感じだ。もしかしたら、城ではなく別荘とか砦とか、そういう建物なのかもしれない。何しろ人の気配が少なすぎる。

「まぁまぁまぁまぁ!」

 パタパタと足音が近付いて来たかと思ったら、甲高い声が聞こえた。見れば、えらく恰幅の良いおばさまがやって来るところだった。

「この子かい? ほらヴァル坊、おろしてやんなさい。今日初めて会った人に、そういう扱いされちゃ誰だって困るだろ?」
「仕方ねぇなぁ……。モーリィ、軽く洗ったらオレのとこまで届けてくれよ?」

 王子を気安く「ヴァル坊」と呼ぶこの人は誰なのか。尋ねるより前に彼は私を下ろすと、すたすたと先へ行ってしまった。

「まったく、あれじゃウチの悪ガキと変わんないねぇ? それじゃ、えぇと、姫さん? こっちへいらっしゃいな」

 おばさん――モーリィは豪気に笑うと私の手を引いて歩き出した。ふっくらした手はカサついていたけれど、逆に私はその柔らかさと温かさに安心した。

「あの、モーリィさん」
「モーリィでいいよ。お姫様に『さん』付けされるなんて、とんでもない」

 王子は『坊』扱いでいいんだろうか、という質問は野暮だろう。私は別の話題を振ることにした。

「どうもありがとう。私、あのように抱き上げられて運ばれるなんて……」
「あぁ、いいよいいよ。ヴァル坊は見ての通り乱暴なところがあるからね。女心の機微なんて推し測りもしない。―――あぁ、ここだよ」

 案内された先は、一見すると湯殿のようだった。でも、湯殿と言うには一番大事なもの……水の気配が全くない。

「あの、ここは……?」
「昔はちゃんとした浴場だったんだけど、ほら、急激な砂漠化で水を張るような余裕もなくなっちゃってねぇ。だから、洗うって言っても、砂を払い落とすぐらいしかできないんだ」

 私はモーリィに促されるままにドレスを脱ぐ。日頃、侍女に世話をしてもらっているせいで、同性ならば肌を晒すことに特に抵抗はなかった。いや、敵地だから、あまり身軽になり過ぎるのはよくないとは思うんだけど。
 そんなことより、今の言葉だ。『急激な砂漠化』というからには、この状況が異常だとモーリィも思っているんだろうか。

「白いきれいな肌だね。うらやましい。うちらバリステの民は生まれたときから浅黒だしねぇ」

 ドレスの代わりに大きく柔らかい布を巻きつけられた私は、のそのそとイスに腰掛ける。ずっと騎乗していたせいか、膝が随分とかくかくしていた。カーマに乗ることも多いけれど、さすがにあそこまで乗りっぱなしなことはない。
 私はモーリィがドレスに付いた砂を柔らかいブラシで丁寧に払っていくのを見ながら、口を開く。とにかく『急激な砂漠化』について聞かないと。

「あの、聞きたいことが――――」
「あぁ、大丈夫。初めてなんだろ? 怖い気持ちもよく分かるよ」
(……はい?)

 質問を遮られた上に、全然違う回答を投げ返されて、私は首を傾げた。

「どういう意味ですか? 初めて、って」
「あぁ、リスティアは違うんだったっけね。バリステの結婚慣習っていうのは、ちょっと変わってるように見えるかもしれないね」

 そうしてモーリィの話した内容は、私の頭の中から『急激な砂漠化』の言葉をすっ飛ばすほどに衝撃的だった。

「あたしん時も旦那がすごくてねぇ……」

 聞いてもいない自分の体験談を語り始めるモーリィの声をどこか遠くで聞きながら、私の体温は冷えていった。

(冗談でしょう!?)


*+:。.。:+**+:。.。:+**+:。.。:+**+:。.。:+*


 ヴァル王子の部屋だというここに通された私は、生成りのシンプルな夜着に着替えていた。体中を柔らかいブラシではたかれ、髪を丁寧にくしけずられたけれど、水は一切使われなかった。やはり砂漠化で水が貴重なものになっているせいだと思う。
 浴場の入口で待ち伏せていた白鬚の老人――ロングウェイという人に案内された私は、戦後処理をこなしているヴァル王子を彼の部屋で待つ羽目になっていた。

(困った……)

 先ほどのモーリィの話には本当に困った。
 少ししなびた果物をつまみながら待つのにも飽き、私は窓辺まで足を運んだ。夜の砂漠を渡る涼しい風が頬を撫でると、昼間の死にそうな暑さなど忘れてしまいそうだ。

――――バリステの結婚慣習はね、子供のない結婚はないの。平たく言うと、子供が出来て初めて結婚が認められるのさ。だから、どのカップルも結婚するまでの期間がまちまちで、婚約制度もないし……

 モーリィがどこか楽しそうに話してくれた慣習は、とても信じがたいものだった。結婚まで純潔が求められるうちの国の高位貴族や王族にとってしてみれば、野蛮としか言いようがない。
 とにかくヴァル王子が戻ってくる前に、何か対応策を考えておかないといけないのに――――

(どうして、こんなにつらい、の……?)

 心を閉ざしていてもなお圧力を感じるような『声』が、私の思考を邪魔する。砂漠がそれほど過酷なのか、水がないことがつらいのか。どちらにしてもこんな苦しい声を聞いたのは初めてだった。

「入るぞ」

 びくっと体が震えてしまったのは仕方がない。恐る恐る振り向けば、薄い生地の夜着を纏ったヴァル王子が扉近くに立っていた。彼が扉を閉める音が、まるで最後通告のように響く。

「こっちへ来い」

 私が何かを言う前に、ずかずかと近づいて来たヴァル王子に腕を引っ張られた。その強い力に抗いきれず、私は寝台の上に倒される。
 寝台の紗幕が下ろされ、まるで密室に閉じ込められたかのような錯覚に、私は怯えを何とか心の内に留めることしかできない。
 だけど、混乱する私を無視するように、ヴァル王子はぼふっと音を立てて布団に顔を埋めた。

「これで外に声は洩れねぇだろ」

 でかい声は出すなよ、と注意され、呆然としたまま、私は反射的に頷いてしまっていた。

「何もしねぇよ。オレも今日は疲れた」

 その言葉を信じていいものかどうか、悩ましい。迷っていることを察したのか、ヴァル王子はふい、と私に背中を向けてしまった。……これは、信用してもいい、のかな?
 私はおそるおそる寝台の端に寝転がる。

「聞きたいことがある」
「……なんでしょう」

 聞きたいことなんて、なんとなく想像はつくけれど、私は先を促した。

「お前に関する噂、どこまでが本当だ?」
「うわさ、ですか?」

 ストレートに尋ねられ、私は予想通りの質問にそらっとぼけた。

「知らないわけがないだろう。あれだけ各国に流れてるんだ」
「ですから、いったいどのような?」
「……知らないならそれはそれで構わない。それなら、これは単なる政治的な人質交換だ」

 政治的な人質交換。その言葉に私は食いついた。

「あの、その『政治的な』というのは、婚姻だったりしますか? もし、そうだとしたら、申し上げなければならないことが――――」
「結婚を承諾した覚えはない。そう言いたいんだろう?」

 あっさりと言葉の先を口にされ、私は口をつぐんだ。

「あの頭でっかちの王子、あぁ、お前の兄か。そいつも直接的な表現を避けてたし、まぁ、ものをはっきり言わねぇお国柄かとも思ったが――――やっぱりそうか」

 兄の考えはしっかり見透かされていたようだ。心中の楽観的予測がガラガラと崩れ、私は次の一手を見失う。

「あのお節介モーリィからも聞いただろ? この国の結婚ってのがどんなもんか」

 モーリィの言葉を思い出した私の頬が熱くなった。
 冗談じゃない。こんなところで、何も知らないと言っていい相手とそういうこと・・・・・・をするなんて考えられない。

「ま、安心しろよ。とりあえず今日は何もする気はないさ」

 今日は、と区切られてしまった私は、必死で考えを巡らせた。彼の言葉を信用するなら、今日は安心して寝られる。けれど、明日以降は何の確約もない。どうにかして逃れる方法を思いつかないことには――――

(実は噂は本当です、なんて打ち明けてみる?)

 だめだ。そうと分かったら最後、この国から出してもらえるはずもない。砂漠化が進むこの国にとって、私のこの力は喉から手が出るほどに欲しいものだろう。

(問答無用で砂漠を逃げる、とか?)

 無理だ。コビアに乗っていてさえ、あんなに気持ち悪くなったじゃない。呻き、嘆く、彼らの声が聞こえ続ける限りはとてもできる方法じゃない。

(それなら、大人しく諦める?)

 百歩いや、千歩ぐらい譲って諦めたとしても、やっぱりこの声が続く限り、私に安寧なんてない。

 考えれば考えるほど、声なき植物たちの声が問題なんだと思い至る。
 それなら、この声の原因さえ掴めれば、もしかしたら何か別の糸口が見つけられるのかもしれない。

「……あの、もう寝てしまいました?」
「なんだ?」

 間髪入れずに返事が戻って来て、逆に驚いた。すっかり寝る体勢になっていると思ったのに。

「もし、先ほどおっしゃった噂、というものが真実だとしたら、どうするつもりでしたの?」
「真実でないなら、どうにもできねぇ。仮定するだけ無駄だ」

 どうしてだろう。なんだかとても不機嫌なような?

「ですが、何か私でも力になれることがあるかもしれません」
「黙れ」

 明らかに怒気を孕んだ声に、思わず身を竦ませた。ヴァル王子は、ゆっくりと身体を起こし、私の方に向き直った。

「ただの人間にどうにかできることだったら、オレが何とかしてる! それを、あんな豊かな国でのうのうと暮らしていたヤツにできるわけがないだろう!」

 怒りに顔を歪ませ、まだ横になったままの私の両肩を強く掴んで来たヴァル王子に、私は動揺を隠せなかった。これ、完全に押し倒されているような体勢だ。

『あ……ア゛ァ゛……』
『くる、し……』
『渇く……もう、だめだ』

 彼の怒りに気が逸れてしまったせいだろう。私の脳を揺さぶるように乾いた大地でも懸命に生きているはずの植物たちの怨念めいた声が届いた。あまりに苦しげなその声は、私の心に冷水を浴びせかけた。――――だから、ほんの僅かな時間で優先順位が決まった。目の前で憤りを見せるヴァル王子よりも、彼らを救うのが先決だと。

「……もし、それができたら、解放してくださいます?」
「はっ、できたらな。喜んで返してやるさ」
「できる限りの協力もお願いできますよね?」
「お前が本気で解決に向けて動くのなら。――――いや、それと、そのスカした丁寧な口調をやめれば」

 相手の真意を測るように、互いに慎重に言葉を選んでいたはずなのに、ヴァル王子の思いもよらない提案に、私は目をみはった。

「あの、それは……」
「隠さなくてもいい。お前が貴族だけじゃなく平民にも気さくに話しかけていることは知ってる」

 どこの国だって、内側にスパイの一人や二人抱えているものだけど、私の場合、あまりにも色んな場所で王族らしからぬ振る舞いをやり過ぎて、残念ながらスパイを特定することはできない。
 でも、逆に考えれば、広く流布している噂の真実を知る人間は少なくともスパイじゃないということだ。そこは安心した。

「どうした? 他国の王子の前ではそういった口調でしゃべれないか?」

 安堵のため息を別の意味にとったのか、ヴァル王子の声音はどこか揶揄からかうようなものだった。

「分かった。分かったわよ。こういうふうに話せば文句ないんでしょ、ヴァル王子殿下?」
「ヴァルでいい。王子と言っても、どうせ名ばかりだ」

 そういえば、他の王子に比べて大した重職には就いていないんだったっけ。ん? 側室腹だったっけ?
 やっぱり直前に、この国についての情報を詰め込み過ぎたのがよくなかったのか、根本的な情報が頭からこぼれ落ちてしまっていた。戻ったら、もっとちゃんと周辺国の情報は定期的に頭に入れないと。……戻れたら、だけど。

「教えて。私に何をさせるつもりだったのか。噂のことは知ってるから」

 手のひらを返した私の言葉に、「この嘘つきめ」と毒づいたヴァルは順を追って説明し始めた。
 きっかけもなく、突然この『元』王城を中心として広がり始めた砂漠。水源――オアシスの消滅。この場所を見限った王が別の場所に遷都したこと。それでもなお、同心円状に広がり続ける砂漠。

(普通の砂漠なら、こんなに苦しむ『声』が聞こえるはずがない。同心円状……ってことは、やっぱり何か原因があるんだわ)

 私がするべきことは決まった。今まで誰も原因を突き止められなかったと言うのなら、私は私にしかできない方法で、原因を探る。

「分かったわ。明日、この城を案内してくれる? あと、砂漠化が始まった頃の資料があれば見たいんだけど。本当に兆候はなかったのかどうか……」
「……」

 なぜかヴァルは返事もせずに私の顔をじっと見つめてきた。

「何よ?」
「いや? 平和な国にありがちの、お馬鹿な姫君じゃねぇんだな」
「そう思うのなら、早くどいて! いつまでも人を見下ろしていないでよ!」

 私の言葉に、ようやく自分の体勢に思い至ってくれたのか、小さく肩を上下させるとヴァルは素直に身体を起こし、また元のように寝転がった。
 私はヴァルに背を向けるように姿勢を変えると、今なお響く苦しみの声を受け取らないように気を引き締めつつ、眠る術を考え始めた。
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