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番外編 幼き日のテオドール

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▫︎◇▫︎

「ねぇ!母さま!見て見て!!」

 僕は生まれる前からの記憶を持っていた。
 真っ赤な母親のお腹の中にいた記憶、そして生まれてすぐの眩しい世界の記憶。そのどれも、普通ではなかった。
 でも、両親共にそんな僕を気にかけてくれた。普通ではない僕を、“大事に”してくれた。
 だからこそ僕は5歳のあの日、最悪にも、僕の能力を最も必要としていた、僕の能力以外に僕のことを愛していなかった母に、1番初めに、僕の1番人間離れしてしまっている部分をさらけてしまった。

「まぁ!!」

 母さまが嬉しそうに笑って、僕が作り出したオーロラの魔法の世界の中で微笑む。その瞳の奥には深い深い欲望がどろりととろけ出していて、正直に言って怖かった。けれど、それ以上に、嬉しそうに微笑む母の姿が、なによりも嬉しくて、幸せだった。

 魔法を見せた次の日、僕の前にはたくさんの教師が並んでいた。

 地理、歴史、数学、国語、外国語、薬学、錬金術、剣術、魔術、魔法、帝王学、君主学、心理学………、ありとあらゆる勉学が僕の人生を支配し始めた。
 3時間しかない睡眠時間によって壊れていく身体を自作の魔法薬によって維持していく生活は地獄のようでいて、本当は幸せであったのかもしれない。スポンジにように習った内容をすくすくと吸収して大きくなっていく僕は、やがて勉学だけをしていた日々の方が幸せであったと嘆く日を迎えた。

 ーーーひゅんっ、

 僕の放った氷の槍魔法が、異母兄の首元で宙に浮いたまま静止する。

「ーーーこのバケモノが………!!」
「っ、」

 幼き日は、忙殺される勉強によって隔離される前である1年前は、誰よりも可愛がってくれた異母兄は久々に再開した僕に対してそう叫んだ。

 第7王子である僕と王太子である異母兄は10歳年が離れていた。
 つまり、彼は16歳だった。でも、徹底的な勉学を仕込まれた6歳の僕は、10歳も年が離れている彼を、あっという間に超えてしまっていた。魔力量、魔力制御、魔法センス、何もかもが、異母兄よりもいつのまにか上になってしまっていた。

 僕は、この日のことを一生忘れないだろう。

 兄の強張った顔を、恐れ慄いた顔を、恐怖に引き攣った頬を、絶望と羨望、そして憎しみに歪んだ歪なくちびるを………。

「よくやったわ、テオドール。さすがはあのお方とわたくしの子供ね」

 母さまは僕に背と嫌悪を向けて走り去った王太子の背中を僕と一緒に見つめながら、とても美しい微笑みを浮かべて、僕の頭を撫でた。
 昔は大好きだった宝石が飾られた長い付け爪の付いた冷たい手が、とても気持ち悪かった。

 あまりの吐き気に手を叩いて、僕は走った。母さまの驚きの声を無視して走って、走って走って走って走って走って、僕はあの場所にたどり着いた。

 ありえないくらいに高く聳え立った美しい白亜の塔。その塔には、1人の青年がひっそりと暮らしていた。

「やぁ、初めましてこんにちは、2人目の犠牲者くん」

 腰まで届く長い白髪に氷色の冷たい瞳。
 僕と同じように、遺伝子計算によって作られた人間。
 誰よりも美しい彼は、ふんわりと微笑んで、それが異世界に繋がる扉のような印象を僕に与えた。

 ーーー王弟エドワール。

 ふっと頭に浮かんだのは、父さまの異母弟の名前だった。
 あまりにも容姿に優れ、人望に優れ、勉学に優れ、魔術に優れ、剣術に優れたために幽閉された可哀想な王子。
 それが叔父であるエドワールだった。

「………僕も君と同じようになるの?」

 ヤケクソになって床にどかっと不遜な態度で腰を下ろすと、彼は眉を下げて困ったように笑いながら、ふわっと口を開いた。

「なるかもしれないし、ならないかもしれない。兄上は冷徹な人だったから、特に考えることもなく私をここに閉じ込められたけど、あの子は優しいからねぇ」
「………今の王太子殿下のこと?」

 曖昧な返答に顔を顰めながら問いかけると、彼は目を軽く見開いた。

「おや?もう王太子のことは兄さまとは呼んであげないのかい?」
「………王太子殿下は、僕みたいなバケモノの弟なんて持ちたくないでしょ」
「そうかなぁ?まぁ、私には分からないけれどね」

 ふわふわした意志のない軽薄な人間。それが僕が初めに彼に持った印象だった。
 それから、僕は父さまと母さま、異母兄たちとの交流を絶った。『バケモノ』と罵られて苦しむくらいなら、全てをはじめから失っていた方が楽だと思ったから。
 それでも、痛いものは痛いし、辛いものは辛かった。自分が麒麟児ではなければよかったと何度も思った。でも、そんなことは空想でしかなくて、幻想でしかない。
 僕はだんだんと感情を失って、冷徹になっていった。

「2人目の犠牲者くんはほんとうに、25代目にそっくりになってきたねぇ」

 時間が開けば居候しにいくようになったエドワールの塔で、彼は僕をしみじみと見つめながら言う。父さまに似ているなんて、褒められているのか貶されているのか分からない。でも、長年の経験で、彼の本心は聞いても分からないことを、僕はちゃんと知っている。
 彼は否定も肯定も絶対にしない。それが、正しい道であるかのように、僕が選んだ道全てに道標のようなものを示す。

 塔の高いところについている唯一の小さな窓を見上げながら、エドワールは眩しそうに目を細めた。
 その微笑みの裏に、何を考えているのか、何を感じているのか、それは徹底的な勉学を叩き込まれた僕にも分からない。けれど、彼は寂しいのではないかと、漠然的に感じた。

「………私はなんのために生まれてきたんだろうねぇ」

 ぽつりと溢れた言葉に首を傾げると、初めて出会った4年前から全く変化をしていない彼は、僕の目を真っ直ぐと見つめながらふわっと微笑んだ。

「2人目の犠牲者くん、君はどんな未来を選ぶのかなぁ。私はそれが楽しみだった」

 その日、僕はわずかな違和感を胸に、僕は自分の部屋へと戻った。

 帰り道、僕の住む離宮の前に1人の派手な金髪に空色の瞳を持った傲慢そうな女が、居心地悪そうに立っているのを見て、僕は僅かに息を吐いた。
 国王に相応しい麒麟児を産むためだけに嫁がされ、子供が麒麟児であり問題児であると発覚した瞬間に全てから見捨てられた愚かな女。

「ね、ねぇ、テオドール」
「………、お久しぶりです、妃殿下。僕への要件は、侍従を通していただきますよう、お願い申し上げます。それでは、」

 数ヶ月ぶりに会った母親に微笑んだままキッパリ言うと、僕は離宮の中に入る。門が閉ざされる後ろから、金切り声のような叫び声が聞こえるが、そんなものは知ったことではない。

「………自業自得だよ、母さま」

 あの妃は、散財好きが過ぎて国費を圧迫しすぎる故に、昨日、お金持ちの好色爺に下賜されることが決定したらしい。優秀な息子に助けを求めようとしたのだろうが、僕の全てを壊したあの女にかける義理なんて、残念ながら僕は持ち合わせていない。

 次の日、僕は彼女が無理矢理に連れていかれるのを離宮のバルコニーから魔法で見つめてみたけれど、特に何も感じられなかった。自分の色褪せた世界ぶりに苦笑してから、僕はエドワールのところに向かった。

「?」

 いつも誰もいないエドワールの塔の周りに、たくさんの野次馬が集まっていた。何が起こっているのかを確かめるためにたくさんの魔法を使用して、僕は塔の中に忍び込む。医者や騎士が忙しなく動き回っている塔の中は、いつもの静寂に満ちた塔とは正反対で、僕は何が起こっているのか分からなかった。
 困惑の中心、彼がいつも過ごしていた部屋に向かうと、そこには咲き誇る花々に包まれたロッキングチェアに眠るように腰掛けたエドワールがいた。本を抱いて幸せそうに眠る彼を、騎士たちはぞんざいに運び始める。

「服毒死だってさ。こんなにもお若いのにけったいなこったねぇ」
「いや?このお方はもう300歳をも超えたご老人だぞ?10代目国王陛下エドワールさまだ」
「は?このお方は、25代目である現国王陛下の弟君なんだろう?」
「いいや、それは表向きだ。このお方は、10代目国王陛下で間違いない。強すぎる魔力故に、不老不死になってしまったらしい。民に不安を与えないために、彼の兄であった王兄が幽閉したとかなんとか」
「へぇー、魔力が多いと言うのも悩みものなんだな~」

 呑気な声を聞きながら、僕はあまりの事態に立ちすくむ。

 エドワールが、10代目国王?
 300歳を超えたご老、人………?

 わけが分からない。
 そんなこと、普通に考えて怒るわけがない!!

 けれど、僕はいつからか、このことに勘づいていたのかもしれない。歴史書にも載っていない本当の歴史を知っている彼は、どこまでも不思議だった。でも、本当に彼がずっとずっと長い時を生きてきたのならば、全てに説明がつく。不思議でふわふわした彼は、どんな気持ちで僕を眺めていたんだろうか。

 僕の唯一の光エドワール。
 彼の冥福を祈って。

 僕は手を組んでから、騎士に乱雑に運ばれたことによって落とされてしまった本を拾い上げる。彼がいつも読み込み、書き込んでいた本には何が書かれているのだろうか。
 ぱらぱらと本を捲れば、そこには寿命を普通にする実験についての検証結果がまとめられていた。ぼろぼろになるまで使い込まれていた本は、僕を“普通”にするためのものらしい。

 お守り代わりに本を握りしめ、僕は自室へと戻った。

「1週間後には戦場、か………」

 自室のベッドに腰掛けた僕は、溜め息をつくようにして呟いた。
 数日前、僕のことがよっぽど邪魔らしい王太子に、僕は戦場で死んでくるように命じられた。そんなに簡単には死ねない可能性の方が高いけれど、それが彼の望みなら、僕はできうる限り叶えようと思う。
 持っていくものを詰めたカバンの中に本を入れながら、僕はまだ見ぬ死に場に何も感じられなかった。恐怖も痛みも忘れた僕は、戦場で何ができるのだろうか。

 ーーーこの時の僕はまだ知らない。

 6年後、運命の女性ワルキューレ・フローラ・ディステニーに出会うことも、彼女によって感情を取り戻すことも、エドワールが残した手記を使わずに過激な戦場での負傷によって不老不死の運命を脱することに成功したことも、何もかもこの時の僕はまだ、幸せな未来を知らなかったのだった。

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読んでいただきありがとうございます🐈🐈‍⬛🐈

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