隻脚娼婦館〜魔都に取り込まれた外道と小僧

蝶番祭(てふつがひ・まつり)

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  後編『隻脚娼婦館』

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 少し進むと、綺麗な小径があった。中央に植え込みがあって、鮮やかピンク色の花が咲いている。車止めの細工なのか、単なる花壇なのか分からない。路面は凸凹のアスファルトではなく、白いタイル張りだ。両脇にあるのは民家で、どの家も窓にも花が飾られている。

 何もかもが煤けた表通りとは全く異質な風景だった。写真で見たヨーロッパの田舎町のようである。軒先で干した物を集める婦人も洒落た格好で、暗黒街の裏の住人とは思えない。

 さらに進むと大きな建物に突き当たった。美しいタイル張りの舗道は終わって、見慣れたドブ鼠色の道。三輪タクシーの特徴的な騒音も耳に届く。住みなれた場所に戻っきたような気持ちになって、ホッとするのだから不思議だ。建物に沿って歩くと、いきなり雨が降ってきた。南国の風物詩ともえるスコールだ。ついさっきまで見えていたあかね色の空はどこへ行ってしまったのか…

 迷わず付近の店に入った。雨宿りに文句を言う商人はいない。この街の流儀だ。日本の夏の夕立や通り雨とは違って、まさにバケツをひっくり返したような凄まじい雨脚である。十秒と経たずにズブ濡れになってしまう。

 ただ、店の椅子に座り込んで雨宿りする根性はなかった。何か飲み物でも頼んで、やり過ごそうと思ったが、飛び込んだ店は高級な部類のフカヒレ専門だった。客は家族連れや旦那衆で、独り飯の者などいない。

 スコールがやむ気配はなかった。駆け足で別の店に移ろうと身構えた時、店の奥に階段があって、小さな看板が掲げられているのに気付いた。噂に聞く“ティー・ルーム”だ。最下層の女が居る置屋である。

 としま園に妖怪本舗…肝の座った牢名主たちさえ、そんな渾名で呼ぶ場所だ。魔窟の中の魔窟である。だが、少々妙だった。下の階では奥さんと子供が平然とスープを啜っている。店内は明るく、俗っぽく言えばファミレスのような雰囲気。その上の階に凶暴な風俗店があるとは思えなかった。

 スコールのせいにしてはいけない。大雨が降っていなくとも俺は階段を昇ったかも知れない。年季が入った木製の階段だった。

「また牢名主ろうなぬしどもにまんまと騙されてたのか…」

 悪名高い“ティー・ルーム”は、物の怪姫の棲家でもお化け屋敷でもなかった。確かに店内は薄暗く、赤い電灯も煌めいていて淫靡いんびなムードが漂っていたが、取り仕切る初老の主人は陽気な奴で、初顔の外国人を歓迎してくれた。
 
「イラシャイマセ」 

 怪しい日本語を操る。置屋の主人によると、以前は大勢の日本人客が来て賑わったのだという。ジューン・ホテルや一品香旅社イーピンシャンりょしゃの名前も知っていた。来なくなった理由を尋ねみたが、うまく話が通じない。筆談に切り替えようと周囲を見回したが、独房のような狭い部屋にはペンも紙切れもなかった。

 木製の階段を昇る俺の足は、正直、少し震えていた。その恐怖心が嘘のように消えたのは、キャストがたむろする奥の部屋に案内された時だった。手前にテレビが置かれた広間があり、そこで老人たちが麻雀をしていたのだ。おもちゃのような巨大な牌で、雀卓には老女の姿もあった。

 ご隠居たちの娯楽場に思えた。ここは魔窟でも恐怖の館でもなく、華僑のお年寄りの憩いの場と言っても差し支えない。一番奥の部屋で指名を待つキャストたちも暗い雰囲気とは違った。それなりに年は食っているが、ばか殿メイクではなく、街の食堂にいるウェイトレスに近い。

 この魔都に沈んで約一ヵ月半、俺はすっかり馴染んで、気も緩んでいた。足をすくわれるのは、たいていそんな時だ。

 対面した複数のキャストの中に、気になる女がいた。どことなくヌイと似た顔立ちだったのだ。目を合わせると、微笑んでくれたようにも見えた。きっと俺はマヌケな顔をしていたに違い。次いで彼女のスタイルを確かめた時、凍り付いた。

 長いスカートの下、そこにあるはずの足が片脚だけなかった。一足のサンダル。折り曲げて隠れていたのではない。彼女は座っていて、片脚が行方不明になる空間はない。 

 隣国では内戦が続き、地雷で足を失くす子供が絶えないと聞く。前に見た報道写真の風景を思い出したりもしたが、それは気を紛らす為のものに過ぎない。俺が直面したのは別の恐怖感だ。強迫観念に近いかも知れない。

 彼女を拒否することが、ひどく差別的で、非人道的であるように思えてならなかったのだ。拒絶することは悪だとも思った。拒む勇気がなかったと言ったら、下手な言い訳とけなされるだろうか。

 ノックという名前だった。小鳥を意味する言葉で、近所の屋台の娘と同じだ。珍しくはないらしい。出身地は北部。なんとなくヌイと似ているのは、その為かも知れない。山岳部の少数民族だ。内戦続きの隣国は東にあって、地雷と彼女はまったく関連性がない。もちろん、失くした理由を尋ねる気もなかった。

 スコールは終わっていなかった。いつもなら長くて三十分で降り止むのに、雨脚が若干弱まっただけだった。

「泊まっていけ」

 ノックがそう薦めると、ほかの女も促した。置屋の主人も宿泊料は要らないと言って加勢する。俺が高級ホテルの宿泊客であれば、断ったのだろうが、ここのベッドは旅社のそれよりも清潔で、浴室には温水シャワーもあった。雨が降り頻る中、宿に帰って冷たい水を浴びるのは酷だった。

「置屋に行くなら、女たちが住む地獄を見る覚悟がなきゃダメだ」

 牢名主の一人が以前、そんな台詞を吐いていたのを思い出す。知ったような口で説教じみたことを言うもんだ、と小馬鹿にした記憶が蘇る。

 本当につまらないことを言う…その夜、心地の良い初めてのベッドで、俺はそう思った。
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