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赤銅の髪の魔術士【06】

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 暖かさが頬に触れた。その感触にファロウは夢から解放される。
「気分は、いかがです?」
 覗き込んできたのは少女が知っている顔。
 女性のような綺麗な顔を縁取る白金の向こうに青い空が広がっていた。彼の瞳より少しだけ薄い空の色。
「ちょっと悪い」
 意味もなく空へと伸ばした手を、隠すように両目に当てて、はたとファロウは気づいた。恐る恐るまた手を空へと伸ばし食い入るように見つめる。
 それは指を動かすごとにちかりちかりと太陽の光を反射した。
「……な、みだ?」
 どうやら眠りながら泣いていたようだった。
 不思議そうに呟くファロウの涙のついた手をゼルデは自分の掌で包むと己の胸に引き寄せた。
 ゼルデの手も着ている服もじっとりと汗で濡れていた。
 じっと自分を見下ろす瞳の哀しさにファロウはゆっくりと瞬きを繰り返す。
「……ゼル?」
 名を呼ぶとゼルデはその青い瞳を伏せた。それから小さく。本当に小さく呟きを零す。
「許してくれますか?」
 首を横に振った。
「いえ、許さないでください」
 血を吐くような声音だ。
 白金の髪が邪魔して表情は見えない。
 夏風が若草や木々の梢を鳴らし、旋律を奏でる。
 ファロウの手を包む掌に力が加わった。
 ゼルデが一週間も早く出発を早めた理由と、休憩を諦めた理由をファロウは思い出した。
 家屋を飲み込むほど大きな炎に対して心の傷を持つ自分に「振り向くな」と言った理由も。
「そ、っか。そうだよね。でなきゃ、あんなに簡単に街が……一瞬でああはならないもの」
 言ってファロウは戯けたように笑った。
 伏せていた顔が上がったことで見えたゼルデは今にも泣きそうに顔を歪ませている。涙の代わりに汗が珠を結んで頬を滑り落ちていった。
 ファロウは心の底からゼルデを綺麗だと思った。
 どんなに歪んで醜くなってもこれが彼が見せる本当の表情だ。
 それは街の人たちに警告できなかった罪悪感でも、なす術もなく死んでいった人達を悲しむからでもなく、純粋に悔しいと惜しむ心を顕していた。
 だから人を見殺しにした彼に彼女は笑うのだろう。
「顔も手も服も汗で濡れてるわ。あたしでもわかるくらいの消耗具合よ。ねぇ、ゼル。空を飛んだの?」
 ゼルデが人命よりも優先しているものをファロウだけが知っている。
 少女は自分の首に巻かれた一筋の白金を指にひっかけて青年に見せつけて「出かけたでしょ?」と繰り返した。
 弟子のファロウをこの場に残してゼルデは燃え盛る街に文字通り飛んで戻って、そして探したのだろう。
「ねぇ、会えた?」
 ゼルデに旅の目的地はなかった。けれど、旅の目的はあった。
 青年は再会する為に人を探している。
 問い掛けにゼルデは息を呑んだ。首を横に振る。
「会えませんでした」
 ファロウは思案に首を傾げた。
「もうちょっと長くお風呂に入っていればよかったね」
 二人が行動を別にしたのは、ファロウが浴室に向かったのと寝るとき、そして気絶していた先刻とそれ以外にない。
 いつも彼女に付き添って近くで結界を張っていた彼は特殊な方法を使って昨日彼女から離れていた。
「でも、一時間が限度ですから」
 言うゼルデにファロウは、落胆に肩を竦める。
「相性悪いよね。師弟なのに」
 魔術は相性の度合いによっても効力に差が生じる。ファロウとゼルデの相性がもう少し良ければ魔導師の魔術も一時間くらいは保っていただろうに。
 ぼやいたファロウの掌をゼルデは彼女の体の横に置いた。
「そんなことはありません。ファロウと私の相性は良い方です。私は他の人とは相性が合わないことが多いので、珍しいくらいです」
 ファロウは、一瞬きょとんとし、慌てて重い上半身を手をついて起こす。
「それ、初めて聞いた。ゼルって自分のことって話さないよね」
 精神的な発作を起こした体はまだ調子を取り戻していない。ふらつく彼女の肩をゼルデは壊れ物を扱うように掴んだ。
「そうですか?」
 肩を抱き寄せられる形になった為に至近距離にある互いの顔。間近くなった美女の顔に不謹慎にもファロウの胸は高鳴った。心なしか声が上擦ってしまう。
「う、うん。そうだよゼル。ねぇ、ねぇ、その追い掛けている人ってどんな人なの?」
 大きくなっていく鼓動を落ち着けたくて話題を変えたかったわけではない。
 好奇心があった。
 ゼルデが、街を大火事にする犯人を追い掛けて旅をしているということは一緒に旅をしてすぐにわかった。青年の態度がそれだけ一貫していたからだ。
 聞くまでもないと納得していたファロウは過去にない好機の訪れに、自分の誘惑を振り切れなかった。二度目はないものと意を決して一線を踏み切ったのだ。師弟の縁も切られてしまう答えの強要と理解していて、ファロウはゼルデに返答を迫った。
 彼女の質問に彼は苦笑に似た笑いを滲ませ困ったような表情を浮かべる。
 ファロウは唇を尖らせた。
「だめよ、そんな顔で誤魔化さないで」
 強い口調にゼルデは苦笑いをしてから、ぼそりとこぼす。
「……イズリアスなら、おまえには関係ないって、はっきり言うのでしょうね」
「それが放火犯の名前?」
 不思議そうに首を傾げるファロウにゼルデは首を横に振った。。
「違いますよ。私の古馴染みです。彼は私のことを嫌ってますけどね。そのせいもあって、もう何年も連絡は取ってませんが。
 貴女にとって彼はただの放火犯になってしまうのですか。そんな生易しい存在ではないというのに」
「そうなの?」
「そうなんですよ? ……そうですね。少しくらい話してもきっと悪くないでしょう」
 言って、彼はファロウの頬と額にかかる髪をそっと指で払う。
 何から話したらいいでしょうかと、少しだけ目を伏せた。ややしばらく躊躇いを見せた眼差しは、決意が決まったらしく、まっすぐとファロウへと向けられた。
「放火犯。突然現われて強風を起こし火事を招く彼の名前はレギオンといいます。精霊との契約を破り、力を得る代わりに自らを手放した人間です」
 ゼルデの告白はあっさりしたものだったので、いきなりの核心にファロウはぎょっとして目を見開いた。喉の奥に言葉が詰まる。けれども確認したくて声を振り絞った。
「精霊の、力?」
 対して静かに頷くゼルデ。
「精霊の力を扱う魔術があることは伝承程度しか知られていません。なのでファロウが知らないのは当然です。私も教えていませんし、精霊術は人が扱える術でもないですから。けれど、レギオンはその魔術を扱えたんです。理由はただひとつ。精霊が彼を気に入っていて、かつ契約が交わせたからです」
 精霊が内包する力は人の許容の範囲を大きく上回る。けれど精霊自身が力を制御するのなら人間でも精霊の力が扱える。
 ただ、精霊と人の間に厳格な契約が行なわれないと精霊の力は暴走してしまう。
 なぜなら人は精霊の力の前ではあまりに脆く命を落としやすいく、精霊は人間の邪気に染まりやすく精霊として存在できなくなるからだ。
「どんな理由で精霊に好まれて契約を結んだのか忘れはしないはずなのに――正直私は彼が精霊との契約を反故にしたのが理解できないですけど、彼は炎の力を、意のままに操れる赤いを力を手に入れて、そして、自我を失いました」
 ゼルデのその顔が歪んだ。
「街を一瞬にして燃やせるのは自身の体に吸収された精霊の力です。水では消えない聖火が何よりもその証となりましょう」
 ファロウは小さく唸る。服を引っ張られてゼルデは彼女に顔を向けた。
「自らを手放したって言ってたわよね? 人間をやめたってこと? それに、精霊の力を吸収……できるの?」
 魔導師は見習い弟子の名前を呼ぶ。魔術を扱う者として教える為に。
「契約を破ってレギオンは精霊の力を暴走させました。だから、精霊の力は彼の体に収めなければならなかった。それには勿論な話になりますが、契約とは違った方法を取らざるを得なかった」
 創世神に見放されたこの世界に神の奇跡という不思議は起こらないのだ、と。
「簡単に言えば第三者の力を借りるんです。人間ではない――精霊の力を脅威としない存在に力を人に押し込めれるように小さく圧縮してもらうんです。巨大であってもその方法なら精霊の力だけならなんとかレギオンの中に収められますから。
 ……それに、火を放ってしまう要因は別にあります」
「人でない。精霊の力なんて恐くないってことは精霊よりも強い存在?」
「恐らく現代では竜族くらいでしょうね」
 大陸最強と謳われし種族。
 中でも世界再構築に関わったとされる古代種とも呼ばれる種であれば可能であった。
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