悪魔憑きファウスト

焼津ヶ袚八雲

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-1:堕胎告知

遅い

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「本当に、ホ―テンセン氏が?」
 彼に情が湧いた訳ではない。しかし推定善人を疑うというのはそう簡単に出来るものではない。特にティファのような善性の人間であれば尚更。
 しかし一匹狼サラは、たとえ家族であっても容赦なく牙を立てる。
「でも動機は、なんなんですか?」
 なんとか嫌疑を否定しようと、ティファは鉄仮面を被って虚空を見つめるサラに縋りつくように問う。
「妻が魔術師に殺されてる」
 端的、しかしあまりに説得力がある動機は、ティファに一定の納得感を与えるのに充分だった。
 彼の惚気を見ていた分、余計にそれが強い反動として現れるだろうと理解出来てしまう。
――もしかしたら、あの態度も……
 ある種の偶像崇拝に近い、死という現実から目を背けたいが故の行動だったのだろうか。
 車内の空気が重い。目の前にある『するべき事』へ手が伸びない。まるで見えない壁に押し返されるように、近づく程に重圧がティファを殺そうとする。
 きっと自分は、この仕事に向いていない。それに気づくには少々遅すぎた。


 隊室には一足先に帰還したマリネが、サラの指令でマルクの身辺を調べ上げていた。
「彼の妻、アリサ・ホ―テンセンが死亡したのが4年前。魔術至上主義者の男が中心街で敢行した自爆テロに巻き込まれています」
 4年前、魔術師の在り方が変わった転換期であり、『魔女の逆襲』とも呼ばれた最悪の年。
 この年を境にメフィストフェレスは力を増し、それに比例して交錯十字を筆頭とする魔女狩り勢力も復讐の炎を燻ぶらせた年でもある。
「で、どこかしらの魔女狩り団体との接点は?」
「今の所は何も」
 マリネに手渡された資料には、彼の略歴と4年前の事件についての情報が並べられていた。
 確かに交錯十字含む魔女狩り団体と接触した履歴は無いが、警察の人間なら記録に残らない密会も記録の消去も可能だろう。
「偽装の可能性は?」
「否定できませんが、少なくとも不審な点は見られませんでした」
 疑った所で答えを出せないのだから割り切って話を進める。
「ただ3年前から、リセン自治区の魔術師摘発数が妙に増減しているんです」
「増減?」
 そう言われて資料に記載されたグラフを見ると、前年度よりも線が大きく揺れているのが分かる。
 特段おかしな数が摘発された訳でもないが、かと言ってこの件数をほぼ定期的に処理するのも違和感を拭えない。
 しかもほとんどの事案にマルクの名が入っていれば、拭えないそれは疑念として結露する。
「推測ですが、交錯十字から情報を得て他の団体を潰しているのでは?」
「組織としても競合が減って幅を利かせられるし、マルク側も成果を上げられてウィンウィン、か」
 摘発者に名前の無い事案も、それとなく同僚に情報をリークすれば資料に名前を乗せずに済む。しかもそれを恩に身の潔白を証言してくれる者を増やせるだろう。
 決して黒ではない。しかしあまりにグレーゾーンな情報が多すぎる。
「マルクは今後も要警戒、ただし距離を置いての監視に限定して」
「了解」
「……」
 マリネは躊躇なく拝命したが、ティファは唇を噛んで資料を睨むだけだった。
「本当に、ホ―テンセン氏が犯人だと?」
「状況証拠からしてかなり黒いから。それとも、何か彼が無関係だって証拠でもあるの?」
 サラの問答は、純情な彼女を震えさせる。
 状況証拠と客観的視点から公平な判断をするサラ、主観的意見を織り交ぜて感情的に擁護しようとするティファ。第三者が支持するのは言うまでもなくサラの方だろう。
「……了解」
 苦虫を食むティファを一瞥して、マリネは何やら思案していた。
「私は別の方向から調べる。2人は距離を取って監視を継続して」
 再三の指令が幕引きとなり、3人は2人と1人に分かれて隊室を出た。


「何かあった?」
 指令を受け取った後、1人隊室に残ったティファにマリネは問うた。
 2人はどちらが言うでもなく屋上に向かうと、大きく腕を広げて空気を吸い込んだ。
「……マリネは、ホ―テンセンさんの事どう思う?」
 まるで神へ信託を乞う聖女のように、ティファは儚さを纏って問いを返した。
「どうって、監視対象としか」
「……そっか」
 それ以外の答えを期待していたのか、ティファはまた曇った顔を見せる。
 一方マリネはと言うと、何かあるのは察しているが聞く気にはなれないといった風に空を見上げている。
 諦観主義とでも言おうか、透き通る鏡のように裏表のないティファと違い、マリネは常に一歩引いて物事を考える。サラの様に公私を割り切ると言うより、そもそも公私の境界線が希薄な性格を持って育った。
「マリネみたいに冷静でいられたら、もっとマシになれるかな」
「どうかしらね。貴女みたいに感情豊かな方が、きっと人として正しいと思うけれど」
「……感情、か」
 ふとティファは、記憶の中の人々と『感情』を結びつける。
 サラは仮面の下で何を思っているのだろう。マルクは亡き妻の話をする時、何を想って微笑んだのだろう。
「なんで、感情なんてあるんだろうね」
 思わず、そんな事を口にしてしまう。
「急に哲学的な事を言うわね」
 しかしマリネも、ティファの疑問を無下にせず噛み締めてくれた。
「……生き物だから、かしらね。感情があるのは」
「生き物だから?」
 マリネはティファに当てられたように煙を含んだ様子で言う。
「生きているから愛す。生きているから怒る。生きているから憎む。生きているから悲しむ。感情って、ある意味世界一古い法律みたいなものなんじゃないかしら」
 けれど、マリネは続けた。
「きっとそれに答えを求めちゃいけないと思う。感情こそが生きる理由だとしたら、それを疑うのは死んだも同然」
「……」
 人間は何の理由も無く生きていける程強い生き物ではない。だからこそ宗教が生まれ、コミュニティが生まれ、そして格差と差別が生まれる。
 ティファ達にとって交錯十字や魔女狩りが忌むべきものだとしても、それが是であると信じる者にとっては変え難い心の支えなのだ。
 マルクの考えている事は分からない。喪った者にしか分からない何かを信じているのだ。
 思想の相違を罰するには、人間は賢くなり過ぎた。
「ねぇ、マリネ」
 ならば、ティファはそこに理由を求めない。形の無い偶像を崇める事はしない。
「被害者を助けたら、この事件が終わったら、私は祓魔機関をやめる」
 そう言って、ティファは笑った。
 聖女を追い求めた少女は死んだ。死んでいたのに、今気が付いた。
「……そう」
 マリネは止はしなかった。きっと気づいているのだろう。いや、気づいてしまったと言うべきか。


 気付いた頃には、何もかも遅すぎた。
 後戻りは許されない。
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