18 / 29
それ
しおりを挟む
それをあなたはすでにご存じですが、あらためてこれまでの流れを振り返ってみましょうか。
それがとあるSNSにアップされたのは、断層がずれて列島が大きく揺れたあの日。何気なくだったのか、問題意識を持っての投稿だったのかは今となっては分かりませんが、少しずつシェアされていったそれは、もしかするとやがて忘れられてしまっていたかもしれませんでした。しかし、ある有名人が気まぐれに取り上げたことでバズり、若者を中心に話題となりました。そうなると、それを利用して目立とうとたくらむタレントだの文化人だのスポーツ選手だの動画配信者だの何だのかんだの有象無象が群がって、ああでもないこうでもない、ヤバい、キモいどうのこうのとコメントをして、そのたびに一般ユーザーがいいの悪いの賛成反対とレスし、ネットでの拡散が繰り返されました。それは海外でも「SORE」と呼ばれて注目を集め、英語や中国語、スペイン語、ヒンディー語、ロシア語に韓国語、ペルシア語、フランス語などなど様々な言語でのコメントが交じるようになりましたよね。やがてネットを飛び出したそれは賛否両論を巻き起こしながら文学界でいわゆる「それ文学」ブームを起こし、アイドルグループの歌詞や子ども向けアニメにも登場したのはご存じの通りです。
そして、例の騒動……与党の大物議員である内閣官房長官が、定例記者会見でそれについて口にしたあの事件。当人はそれをだしにして人気取りをするつもりだったようですが、とにもかくにもなんといっても発音がいけなかった。その模様を見た視聴者が動画をネットにアップするやたちまち大炎上――そして、それは「そ」にアクセントをつけるのか、もしくは「れ」につけるのか、あちこちでぼくはわたしはと意見が戦わされ、そこかしこでアンケートがとられて国民は「そ」派と「れ」派に分断。国会では野党がここぞとばかりに官房長官を批判して首相の任命責任を問うと、むくれた首相が支離滅裂な強弁でやり返し、そのたびにやじと怒号が議場に飛び交っていました。そうしている間に人々は「そ」と「れ」の間はコンマ何秒空けるとか、発音時の唇の形は丸だ四角だ三角だ、舌は歯の間から出す出さないうんぬんかんぬんという細かい差異を気にするようになってどんどん分裂が進んでいきました。そんな有様にあっちの国のリーダーがあれはそれのせいだと発言すれば我が国の外務大臣がそのデータには根拠がないと反論、こっちの国のリーダーが貴国はそれに真摯に向き合っていないと遺憾の意を表するとレイシストが聞くに堪えないヘイトスピーチでもって反発、そっちの国のリーダーがそれはそれであってそれではない、それはもう一つのそれ、また別のそれなのだと言ったときには、その発言に対して世界各地から、いやそれはそれだ、それ以外にそれはありえないという非難が殺到したのは覚えていらっしゃるかと思います。
さて、そんな折、某国が天災に見舞われて甚大な被害を受けたことについてはまだ記憶に新しいかと思いますが、これはきっとそれのせいに違いないとかそんなはずはないとかといった論争が勃発しまして、各宗教及び宗派はそれの振る舞いがまさに神だ、いや悪魔そのものだと崇めあるいは忌み嫌い、お堅い報道番組や新聞から低俗なワイドショー、三流グラビアアイドルが表紙で胸の谷間を強調する週刊誌、果ては広告収入を稼ごうとする個人ブログまでもが連日それで持ちきりになったので、世界中の老若男女、リベラルも保守も鷹も鳩も猫も杓子もおはようのあいさつがそれ、おやすみのキスがそれ、夢の中に出てくる亡霊もそれになってしまいました。狂騒に疲れた人たちの一部が「それ断ち」を試みましたが、そうした生き方は「それなしのライフスタイル」と呼ばれてしまい、影のようについて回るそれから逃れることはかなわず。それを忘れようと努力して頭から消したつもりになっても、心理学者や脳科学者に言わせればそれを一度見たが最後、無意識の底の下にしっかりと根を張って影響を与えているそうです。仮に生まれたときからまったくそれにかかわることなく――実際不可能ですが――生きている人間がいたとしても、結局は「それを知らない人間」として、それを基準にカテゴライズされるでしょう。それは人類にとって切っても切り離せないものであり、大自然の営みや天体の運行にも関係していて、宇宙はそれに始まってそれに終わるのだという説もあるくらいなのですから。
事ここに至って、頭を抱えた世界各国のリーダーたちはそれの統一を試みました。それとはこれであるという共通理解によって混乱に歯止めをかけようとしたのです。しかし、そんな考えはしょせん理想論。何しろそれは、一人ひとり認識や評価が違います。一見同じに思えても、よーく確かめるとそこは同じだがここは違うといった似て非なるものなのですから。八十億の人間がいれば八十億通りのそれがあり、しかもその日その時の気分や体調、環境に左右される……案の定、世界のあちこちでそれ統一に反対する大規模なデモが行われ、テロが頻発して、挙句の果てに武力衝突まで引き起こされました。比較的平穏な地域においてさえ親と子、兄弟と姉妹がいがみ合い、学級どころか学校自体崩壊、会社も社会もめちゃくちゃになってしまって……混迷の度を深める世界を憂えた人々の間で真実のそれの追求やお互いのそれの違いを認めつつより良いそれを模索する動きが見られるのはかすかな光明ではありますが、それが他人のそれと完全に一致することがない以上、この先も多かれ少なかれ摩擦を避けることはできないでしょうね。
ところで、あなたはそれについてどうお考えですか?
それがとあるSNSにアップされたのは、断層がずれて列島が大きく揺れたあの日。何気なくだったのか、問題意識を持っての投稿だったのかは今となっては分かりませんが、少しずつシェアされていったそれは、もしかするとやがて忘れられてしまっていたかもしれませんでした。しかし、ある有名人が気まぐれに取り上げたことでバズり、若者を中心に話題となりました。そうなると、それを利用して目立とうとたくらむタレントだの文化人だのスポーツ選手だの動画配信者だの何だのかんだの有象無象が群がって、ああでもないこうでもない、ヤバい、キモいどうのこうのとコメントをして、そのたびに一般ユーザーがいいの悪いの賛成反対とレスし、ネットでの拡散が繰り返されました。それは海外でも「SORE」と呼ばれて注目を集め、英語や中国語、スペイン語、ヒンディー語、ロシア語に韓国語、ペルシア語、フランス語などなど様々な言語でのコメントが交じるようになりましたよね。やがてネットを飛び出したそれは賛否両論を巻き起こしながら文学界でいわゆる「それ文学」ブームを起こし、アイドルグループの歌詞や子ども向けアニメにも登場したのはご存じの通りです。
そして、例の騒動……与党の大物議員である内閣官房長官が、定例記者会見でそれについて口にしたあの事件。当人はそれをだしにして人気取りをするつもりだったようですが、とにもかくにもなんといっても発音がいけなかった。その模様を見た視聴者が動画をネットにアップするやたちまち大炎上――そして、それは「そ」にアクセントをつけるのか、もしくは「れ」につけるのか、あちこちでぼくはわたしはと意見が戦わされ、そこかしこでアンケートがとられて国民は「そ」派と「れ」派に分断。国会では野党がここぞとばかりに官房長官を批判して首相の任命責任を問うと、むくれた首相が支離滅裂な強弁でやり返し、そのたびにやじと怒号が議場に飛び交っていました。そうしている間に人々は「そ」と「れ」の間はコンマ何秒空けるとか、発音時の唇の形は丸だ四角だ三角だ、舌は歯の間から出す出さないうんぬんかんぬんという細かい差異を気にするようになってどんどん分裂が進んでいきました。そんな有様にあっちの国のリーダーがあれはそれのせいだと発言すれば我が国の外務大臣がそのデータには根拠がないと反論、こっちの国のリーダーが貴国はそれに真摯に向き合っていないと遺憾の意を表するとレイシストが聞くに堪えないヘイトスピーチでもって反発、そっちの国のリーダーがそれはそれであってそれではない、それはもう一つのそれ、また別のそれなのだと言ったときには、その発言に対して世界各地から、いやそれはそれだ、それ以外にそれはありえないという非難が殺到したのは覚えていらっしゃるかと思います。
さて、そんな折、某国が天災に見舞われて甚大な被害を受けたことについてはまだ記憶に新しいかと思いますが、これはきっとそれのせいに違いないとかそんなはずはないとかといった論争が勃発しまして、各宗教及び宗派はそれの振る舞いがまさに神だ、いや悪魔そのものだと崇めあるいは忌み嫌い、お堅い報道番組や新聞から低俗なワイドショー、三流グラビアアイドルが表紙で胸の谷間を強調する週刊誌、果ては広告収入を稼ごうとする個人ブログまでもが連日それで持ちきりになったので、世界中の老若男女、リベラルも保守も鷹も鳩も猫も杓子もおはようのあいさつがそれ、おやすみのキスがそれ、夢の中に出てくる亡霊もそれになってしまいました。狂騒に疲れた人たちの一部が「それ断ち」を試みましたが、そうした生き方は「それなしのライフスタイル」と呼ばれてしまい、影のようについて回るそれから逃れることはかなわず。それを忘れようと努力して頭から消したつもりになっても、心理学者や脳科学者に言わせればそれを一度見たが最後、無意識の底の下にしっかりと根を張って影響を与えているそうです。仮に生まれたときからまったくそれにかかわることなく――実際不可能ですが――生きている人間がいたとしても、結局は「それを知らない人間」として、それを基準にカテゴライズされるでしょう。それは人類にとって切っても切り離せないものであり、大自然の営みや天体の運行にも関係していて、宇宙はそれに始まってそれに終わるのだという説もあるくらいなのですから。
事ここに至って、頭を抱えた世界各国のリーダーたちはそれの統一を試みました。それとはこれであるという共通理解によって混乱に歯止めをかけようとしたのです。しかし、そんな考えはしょせん理想論。何しろそれは、一人ひとり認識や評価が違います。一見同じに思えても、よーく確かめるとそこは同じだがここは違うといった似て非なるものなのですから。八十億の人間がいれば八十億通りのそれがあり、しかもその日その時の気分や体調、環境に左右される……案の定、世界のあちこちでそれ統一に反対する大規模なデモが行われ、テロが頻発して、挙句の果てに武力衝突まで引き起こされました。比較的平穏な地域においてさえ親と子、兄弟と姉妹がいがみ合い、学級どころか学校自体崩壊、会社も社会もめちゃくちゃになってしまって……混迷の度を深める世界を憂えた人々の間で真実のそれの追求やお互いのそれの違いを認めつつより良いそれを模索する動きが見られるのはかすかな光明ではありますが、それが他人のそれと完全に一致することがない以上、この先も多かれ少なかれ摩擦を避けることはできないでしょうね。
ところで、あなたはそれについてどうお考えですか?
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる