マホウのころも 〈短編集〉

Nagato Yuki

文字の大きさ
19 / 29

嵐の子

しおりを挟む
 ――天気なんて狂ったままでいいんだ!――

 どす黒い海原は、ぐつぐつと煮えたぎるように熱かった。中天では太陽がごうごうと燃え、薄汚い雲の層が灼熱の大気を圧していた。その狭間でさざなみからもうもうと蒸気が立ちのぼる。大海そのものが蒸発せんばかりの流れは周囲に高熱を放ちながら雲になり、空に食い込むごとく螺旋を描いてぐんぐん上昇、ついには辺りを流れる雲を手あたり次第食らって膨れ上がっていった。太陽は真っ赤に燃え盛り、波立つ海は沸き続け……並外れて異様な積乱雲へと成長したそれは時間を逆流させんばかりの勢いで回りながら渦をどんどん大きくし、おどろおどろしい姿をそそり立たせて天を衝いた。その大渦の中心、巨大な丸い目が時計回りに息を噴き出しながら天上をくわっとにらみ、獰猛に渦巻く雲の巨体内部から核爆発さながらの光が繰り返しひらめき、雷鳴の咆哮が大気を震わせて地平の彼方までとどろき渡る。取り巻くたくさんの積乱雲から賛美され、見渡す限りに暴風雨の祝祭を巻き起こす、神話で語られる存在のごとき雲の怪物は、煮え立つ海原を荒れ狂わせながらゆっくりと移動を始めた。凶暴な強風の赴くまま一歩一歩進むたび一回り二回り肉厚になり、目のくらむ雷光と空間を砕き散らす雷鳴の鼓動を打ちつつ取り巻きを従えて西へ、西へ……太陽が赤黒い地平に沈み、東から昇るサイクルを何度か経るうちに進路を北寄りに変えた怪物は今や星の海に達せんばかりの巨獣に変貌を遂げていた。その行く手に、上体をそらせた爬虫類形の列島がある。豪雨のよだれを降らし、歩みを速めて獲物に迫る巨獣。そのときにはすでに列島はおろか近くの半島や大陸までもが先駆ける大嵐に猛襲されており、空港も港湾も鉄道も都市も何もかもが大地を削る超暴風と横殴りの滝に見舞われて、ただただ恐れおののきながら耐え忍ぶばかりだった。

 ――僕たちは、きっと大丈夫だ――
 
 巨獣は手始めに列島の尻尾、末端に深々と牙を突き立てた。奇声を響かせる暴風が家々を住民ごと吹き飛ばし、海が降るかのようにすさまじい豪雨が山々を崩してふもとの町を土砂の下敷きにした。数多の落雷が市街地を破壊していくそばで方々の河川は猛り狂って氾濫し、見境なく濁流で押し流した。浜や港から襲いかかる山のような大津波はすべてを情け容赦なく飲み込んだ。子は親を、親は子を目の前で奪われた。数百、数千、数万それ以上の命が瞬く間に散り散りになって泥に埋もれた。ありとあらゆるものが天を蝕んで渦巻く巨獣の餌食になって姿を消した。地獄の王のごとく燦然と輝く太陽を臨む目はいよいよらんらんとし、巨獣は列島の尻尾から腰、続いて膨らんだ腹部に食らいついた。神社の鳥居はバキバキと根元からへし折れ、社務所、拝殿、本殿もろともばらばらになって巻き上げられた。おびえる入院患者と身を寄せ合う病院スタッフは崩れる病院に潰されて肉塊になった。駅ビルはジュエリーショップはじめレストランも雑貨屋もドラッグストアもコスメショップも滅茶苦茶になり、近隣の高層ビルやらハンバーガーチェーン店やらのがれきと混じってごちゃごちゃに飛び散った。学校は校舎に幾重にも亀裂を走らせ、無残に崩壊した挙句超巨大竜巻に投げ込まれた。離島は怒涛に砕かれて暗い海中に没した。少年は少女と、少女は少年とばらばらに引き裂かれて二度と会うことはなかった。まがい物の人工美で装った世の中は醜い実態をあらわにしたのち跡形もなくなった。さらに北上する巨獣によってまた原子力発電所が破壊され、新たに解き放たれた放射性物質が天上をえぐり続ける渦巻きに取り込まれる。胸部、そして頭の先まで肉はもちろん一片の骨も残さず食らい尽くされた後には列島の痕跡すら残っていなかった。もっとも、45億年前は存在していなかったことを考えれば元に戻っただけかもしれなかった。そして、衰えるどころかいっそう荒ぶる巨獣は、自分を生んだ世界の形を決定的に変えながら進行を続けた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...