漆黒の闇に

わだすう

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「ぉぐうっっ?!!」

 手合わせ開始数秒後。シオンの突いた一撃で、候補者はふっ飛ばされて床に叩きつけられる。一瞬のこと過ぎて受け身すらとれず、掌底をくらった腹の激痛にジタバタともだえる。

「…ひ…?!」

 恐る恐る顔を上げれば、シオンが平然と元の位置で構えており、彼はゾッとする。

「ま、参りましたぁ…っ!」
「ありがとうございました」

 土下座するかのように降参し、シオンはすっと構えを解いて頭を下げた。

「シオン!少しは手加減してやれよ?」
「すみません」

 レイニーは心底嬉しそうにシオンの肩を叩き、シオンは感情なく謝る。

「仕方ないだろう。相手が弱過ぎた」
「そうだなっ」

 シャウアも笑いたいのを抑えて言い、レイニーはにこにことシオンの頭をなでる。

「どうする?納得いかないのであれば、もう一戦も可能だが?」

 簡単に負けてしまったのだから、護衛採用はなしになる。シャウアは冷ややかに聞くが

「ひぃい…!失礼しますぅ!」

 彼は腹を押さえ、逃げるように闘技場を出て行った。

「…で、お前は?」

 青ざめた顔で呆然としているもうひとりの候補者に、レイニーがわざとらしく聞く。

「じょ、冗談じゃない!こんな化け物を相手するなんて聞いてないぞ!!帰らせてもらう!!」

 仮にも戦闘訓練を積んだのなら、バカでもシオンの強さは次元が違うとわかる。彼は捨てゼリフを吐きながら、そそくさと闘技場を出て行く。

「ははっ!推薦した大臣に謝れよー?!」

 レイニーは声を出して笑い、彼の背に言ってやった。

「さて、残ったのはお前だけだな」と、レイニーはずっとシオンをにらみつけているクラウドに向き直る。

「シオン、始めようか」
「はい」

 シャウアも今からが本番とばかりにシオンを前へ促した。





 闘技場の中央、シオンとクラウドは間合いをとって向かい合う。

「手加減、するなよ」

 クラウドが鋭い目を向けたまま、構え

「はい、もちろん」

 シオンはクッと口角を上げ、構える。

「よし、始め!!」

 レイニーの合図でふたりは一気に覇気を高め、床を蹴った。

「ぅらあっっ!!」

 先に攻撃したのはクラウド。突き出された拳をシオンはするりとかわす。

「…っが?!」

 クラウドは体勢を直す間もなくシオンの掌底を胸元にくらい、何とか倒れずに後ろへ跳び、間合いをとる。

「チッ…」

 重い一撃。一発当たっただけなのに、胸元だけでなく全身がしびれるように痛む。本当に手加減する気はないらしい。

 シオンとクラウドがこうして手合わせといえど、戦闘の対戦をするのは初めてのこと。学校の体育でも、試験の結果でもクラウドは5年前からシオンに勝ったことはない。戦闘能力も天と地ほど差があるのだろう。
 けれど、決めたのだ。1年前、クラスメートではない王室護衛のシオンを見てから。姉に頭を下げて、文字通り血のにじむ訓練を積んだ。推薦書を書いてもらうため、護衛になることに反対している父親にも頭を下げた。
 今はライバルとさえ思われていなくても構わない。シオンに近づき、並び、いつか追い越すのだ。

「絶対、一発は当ててやる…!」

 クラウドは茶色い目をさらに鋭くしてシオンをにらみ、再び構えた。





「ぐ、く…っ!」

 クラウドの攻撃はシオンにかすりもせず、シオンの攻撃は面白いほど当たる。クラウドは受け身をとってかろうじて倒れはしないが、身体中が痛み、容赦なく体力をけずられる。

「もう、終わりにしますか」
「ふざけんなっ!一発当てるって言った、だろ…っ!」

 シオンの言葉にカチンときたクラウドは力任せに拳を突きだすが、スッと避けられ、足元がぐらついて床にもんどり打つ。

「はぁっ!はぁ…っ!」

 すぐに起き上がれず、大きく息を乱して四つん這いで震える。それを見兼ねたシオンはレイニーとシャウアに手合わせの終了を求めようとするが

「…まだ、まだだ…っ!」

 クラウドはガクガクする足を叱咤し、立ち上がる。

「まだ、やれる…!」
「…わかりました」

 彼の覇気はまだ揺らぎもしていない。シオンはうなずき、構えた。



 クラウドの単純で真っ向勝負な攻撃が変化した。執拗にシオンの右側に回り込み、攻撃を仕掛けるのだ。シオンが右側の視界が悪いのをクラウドは知っている。しかし、シオンはそれをカバーするために気配を察知することに長けている。そのことも彼は知っているはずなのにと思いながら、シオンはクラウドの攻撃を避ける。

「!」

 だが、単純に死角から攻撃するだけではなかった。回り込む時には気配を消し、攻撃する瞬間に覇気を込めてくる。さすがに直前まで気配を消され、死角から攻撃されては避けるのが困難になる。シオンは初めて腕でクラウドの拳を防御する。

「へぇ…」
「…」

 レイニーとシャウアもそのクラウドの攻撃方法に感心していた。

 よし、当たる…っ。

 クラウドは確信し、渾身の拳をシオンの顔めがけて突きだす。

「おらぁっっ!!」
「っ!!」

 確かな手応え。シオンのサングラスが弾かれ、床に転がる。同時にクラウドも拳を突きだした体勢のまま、床に倒れこんだ。

「ふぁっ!はぁっ!はぁ…っ見たか…!一発、当ててやったぞ…っ」

 クラウドは仰向けに寝転がり、息を大きく乱しながら言う。もう起き上がれそうにないほど、力を出し切った。

「…はい、お見事です」

 まともにくらった訳ではなく、かすったという方が正しいが、シオンはクラウドの戦闘能力に純粋に感心していた。わずか1年の訓練でここまで身につけたのだから。

「はぁ…なあ、シオン」

 クラウドは寝転がったまま、話し始める。

「はい」
「お前、5年前のあの日から、笑わなくなったよな」

 兄を亡くしたあの日から。ゾッとするような綺麗な笑顔は感情が伴っていない。

「顔隠してるのはそれをごまかすためだろ」
「…」
「それとも、その目はまだ、あの人を…兄貴だけを見ているからか?」

 クラウドの指摘に、シオンよりレイニーとシャウアが反応する。

「…おいっ」
「レイニー」

 割って入ろうとするレイニーをシャウアが止める。

「お前の兄貴は国王陛下を守って死んだんだろ?なのに、何で王室護衛になったんだ?死んだ人間をいまだに追い求めてる奴が、王室護衛になっていいのか?国王陛下を守る気あるのか?」

 クラウドは今まで言うに言えなかったことを、ここぞとばかりにぶつける。

「俺はお前とは違う。国王陛下のために、国のために、この命を捧げる本当の王室護衛に…なって…や、る…」

 そして、拳を上に掲げ、自分の胸に当てるとふっと意識を失った。

「「シオン」」

 それを見届け、レイニーとシャウアは何も言い返さないシオンに歩み寄る。

「気にするな、シオン」と、レイニーはシオンの肩に手を伸ばすが

「!」

 シオンからピリピリとした覇気が発せられていることに気づき、触れられずに手が止まる。

「…すみません。少し、休憩をいただいていいですか」

 シオンは表情なく言うと、闘技場の扉の方へ向かう。

「「…シオン」」

 ふたりは闘技場を出る弟分の背中を見送るしかなかった。



 この後、正式に王室護衛に任命されたのはクラウドひとりだけだった。










 シオンは自室にいた。黒コートの正装のままベッドに座り、窓の外をぼんやり眺める。

『シオン』

 今でもはっきりと思い出せる兄、サンカの声。目を閉じれば、その姿も鮮やかによみがえる。
 サングラスを着けているのは失った右目を隠し、目線や表情を読まれにくくするためだ。けれど、クラウドの言うとおりだと思う。兄が綺麗だとほめてくれた眼を、顔を隠し、兄しかこの目にうつさないようにしているのかもしれない。シオンは深紫色の左目を手で覆う。
 それから、王室護衛になったのも、ウェア王を純粋に守りたいと思っての志願ではない。ただ兄の遺志を継ぐための手段だ。王もそれをわかった上で、護衛として認めてくれた。本来なら、王室護衛の資格はない。
 形だけの王室護衛となって4年。兄の遺志…自分の眼を奪った者の情報は全くなく、流されるまま任務をこなす日々。レイニーやシャウアの望むように、いっそのこと兄を忘れてしまえばいいのかもしれない。けれど、あの時、失血で顔色を失い、動かない少女に変わり果てた兄の姿が重なった。少女を救った実の術を見て、なんとしてもその術を会得しなければと思った。今さらそれが施せるようになっても、兄は救えないのに。
 やはり、兄を忘れることは出来ない。自分が忘れてしまったら、彼が存在したという事実さえなくなってしまうような気がして。
 18年の短い人生をかけ抜けた王室護衛サンカを、誰よりも優しく格好いい兄を、今でも愛しているのだ。

「…サンカ、大好き」

 顔を伏せ、返事のないまぶたの裏の兄につぶやいた。









「「シオン」」

 自室を出ると、待っていたらしい双子の護衛長が声をかけてくる。

「…ありがとうございます」

 レイニーがサングラスを差し出し、シオンは受け取ってそれを着ける。

「休憩をいただいてすみませんでした。任務に戻ります」
「いい。今日はもう上がれ」

 余計な休憩を1時間もとってしまった。頭を下げるが、シャウアは首を振る。

「…何故ですか」
「もう俺たちも上がるからな」
「え?」

 レイニーとシャウアも夕方まで勤務が入っていたはず。

「「護衛長の特権だ」」と、ふたりは同じ顔で笑う。

「シオン、誰が何と言おうと、お前は王室護衛だぞ」

 レイニーがぽんと肩に手を置き

「お前には陛下をお守りしようとする気持ちが十分ある。だから、陛下も認めておられるんだ」

 シャウアも反対の肩に優しく手を置く。

「…はい、ありがとうございます」

 シオンはふたりを交互に見つめ、うなずいた。

「遅くなったが、昼食にしよう」
「シオン、お前はもっと肉を食え、肉っ!」
「野菜も食わないと身体に悪いだろう」

 両脇から背を押すふたりのあたたかさと優しさを感じても、表せられるのは上辺の感謝だけ。シオンはうつむき、左目を伏せた。
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