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本編
1. ありがたや、ありがたやぁ
しおりを挟む歴史を重ねたポシャント神聖王国の王都にある、荘厳な白亜の大聖堂に住まう聖女は、異世界転生者である。
華やぐ王国の安寧、高まる王家の威光に彼女の貢献度は計り知れないだろう。
「…………」
ミフィル教が崇める三柱の女神、その神像を安置する巨大な空間で、彼女は腰まで届きそうな黒髪を揺らすことなく佇んでいる。
静かな青い瞳が向いている先では、様々な要因で怪我を抱えた者や、苦しめる病気を治したい者達が隙間なく礼拝堂へ収まっていく。
「それでは聖女アイシスよ、救いを望む敬虔なる信徒達のために治療を始めなさい」
白色の生地を細い青色が縁取る修道服を着た四十代の男性が、治療を願った者達が並び終わるところを待って指示を与えた。
彼は王都大聖堂へこの初夏に就任したばかりの最高位指導者になる。
十年務めた前任者がミフィル教の総本山にて教皇へ推薦された経緯から考えれば、次代を期待される一人なのだろう。
「……はい」
小さく答えた聖女が中央へ五歩進み、三女神の視線が結ばれる円形の舞台に上る。そして、信徒へ向き合い両手を広げる。
彼女が身に付ける衣服は、白い長袖のワンピースが三着。
まず、下着姿を覆い隠すだけの質素な一枚。
次に、魔法の効果を高める紋様を施された稀少な一枚。
最後は、透き通るように軽い高価な一枚がふわりと広がるように重ねられている。
「……」
両腕を動かしたときに鳴った黒い装身具は、頭から抜けない程度に広がる首飾り。
いや、包み込む黒髪より深い闇色の首輪が彼女の白い肌、白い衣装へ浮かぶ様子は異彩を放つ。
「祈りなさい」
指導者の男性が放った言葉が礼拝場へ広まり、空間からざわめきが消えた。
輝くほど磨かれた石材へ膝立ちとなり、敷き詰められた二百人を超える者達が一斉に胸の前で両手を組む。
彼等の瞑った目線は、治療を施す若い聖女ではなく、天井近くから微笑む女神像へ熱心に向けられており、胸を反らすような姿勢を取らせる。
壁際の椅子へ腰掛けた者や寝台のまま運ばれた者まで、必死に縋り付こうと女神像へ意識を飛ばしている。
「……――神々の息吹よ、傷付き嘆く者を、病魔に抗う者達を癒し賜え」
彼女が唱えたそれは、治療のための魔法であって魔法ではない。
分類上は、神聖魔法に属する治癒魔法のはずだ。その仕組みを拡大適用していると考えられている。
だが、聖女の資質を持つ者のみが行使できる奇跡であることは間違いない。
各地の大都市に築かれた大聖堂で、招かれた代々の聖女によって受け継がれてきた祈りを捧げる行為をもって発動しているのだから。
「ここに神々の祝福を希う」
属性魔法のような固有の魔法名を叫ぶわけではなく、大聖堂によって文言が微妙に異なることから、定型文のような台詞を響かせているわけでもない。
同時に多数を治療してしまえる大規模な儀式魔法に近いからか、女神像を安置した聖域でなければならないという制約が知られている。数年ほど運用が途切れてしまうと、その効果が著しく低下するとも言われている。
それでも儀式魔法とは違うのだろう、一人の聖女が保有する魔力のみで完結できてしまう。否、完結させなければならない。
「…………」
その証拠に、希望を述べた聖女の身体から優しい光が溢れ続け、神々の祝福を待ち侘びる空間を満たしていく。
過去、二人以上の聖女が手を取り合ったときも、魔力が使用されるのは一人だけであり、同じように輝いたのも一人だけだった。
精巧な三女神の神像は重要な要素だが、聖域を区切る礼拝堂の各所を飾る魔術的な細工と同じように、あくまで補助的な要素だと言える。
多くの弱者に恩恵をもたらす特殊な祝福を発動できる聖女、その存在がまず必須の条件であり、尊敬される対象となることは自然な流れのはずだろう。確立された経緯は忘れ去られて久しいが、まさしく奇跡を体現する存在が代々聖女と呼称されてきたはずなのだから。
「お、お、おぉー? ……はぁ、ありがたや、ありがたやぁ」
思わず言葉を漏らしたのは、ぎっくり腰を悪化させたような姿勢で家族に支えられていた白髪交じりの男性だった。
光に包まれた直後から背筋を伸ばし、顔の前で両手を組んで女神像を拝めるようになっている。
同じように、踊る光に癒されて切り傷が消えた者、咳き込む不快感から解放された者達が、喜びを感謝に変えていく。
「…………」
しかし、両手を広げたまま身動ぎしない、跪くような信徒達を眺める聖女の瞳に、喜びの感情は浮かんでこない。それ以上に、何かしらの感情に動かされてすらいないと言うべきか。
雪森ありさは、日本のある地方都市に産まれて、二十代半ばに病気を悪くして亡くなった。
彼女が、アイシスという名前で魔法が飛び交い、魔物の脅威に怯える異世界へ転生したのは十七年ほど昔のことになる。
生後半年くらいに、王都にある孤児院にて保護されたが、両親の存在はもちろん、玄関前で泣き声を上げるまでの記録は一切判明していない。
五歳になったとき、大聖堂で行われる祝祭の儀式で聖女としての素質を認められ、聖女見習いとして直ぐさま教会の建物へ引き取られた。
七歳になったとき、過去最年少で一人前の聖女として認定されて、そのまま王宮へ移動して第一王子の婚約者という役割まで与えられた。
十歳になったとき、いつも通りに寝て起きたら、創世の三女神と交わした会話と、日本にて雪森ありさとして二十五歳まで生きた記憶が浮かんできた。
それから、十七歳になった現在まで、僅かながらの変化も起きぬまま大聖堂という鳥籠に閉じ込められて、同じ日課を繰り返す生活が続いている。
「…………ふぅ」
必要なことをやり終えたと腕の力を抜き、小さく息を吐き出したアイシスから最後の祝福が離れていく。
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