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本編
10. それでは皆様、ごきげんよう~
しおりを挟むそれは癒やしの使い手が最初に覚えると言われる、初級の回復魔法。
未だに不格好な姿で転がるだけのサイバードへ、弱々しい光の玉がゆらゆらと届けられる。
ちなみに、難しい魔法でないという前提だったとしても、数メートル離れた状態での治療行使はそれなり以上にすごい行為である。
だが、彼女の実力を示すかのように、それを一切感じさせない気楽さだったと資料には残されている。
「あーんなクズ男でも、人殺しになると寝覚めが悪いはずだからねぇ、きっと、……たぶん~」
さすがに出血死してしまうほど、激しい流血には見えない。
本気の全力全開でアイシスが右ストレートを繰り出していれば、サイバードの顔など弾け飛んでいた。それくらいの実力差が存在することは理解できていた。
弱い相手の防御力に合わせ、すんごい手加減して顔が歪むほどの攻撃力に留めた。歯が折れて抜けない程度に、拳を痛めないことを心掛けた。
そして、回復魔法を使用してわざわざ怪我の治療まで施してあげたのだ。
十年という歳月、乙女の貴重な時間を奪い取り、奴隷のように扱き使われた仕返しと考えれば、感涙してしまえるほどの優しさだろう。
きちんと見合った治療魔法を掛けないと歪んだまま固定されてしまいそうなことを理解した上で、簡単な止血くらいの効果しかない初級魔法を選択したのだとしても、きっと、たぶん。
「おほほ、それでは皆様、ごきげんよう~」
魔法陣に飲まれていく瞬間、輝く笑顔を残してアイシスは軽やかな挨拶だけを送り届けた。見下ろされた相手を煽ることが分かっていて。
「クソッ! おい! あいつを逃がすんじゃない!!」
「「――で、ですが!」」
魔法の効果で傷口が閉じて痛みが和らいだから、声が通るようになったサイバードがさっそくと怒鳴り声を上げた。
適性のある者なら使えるような初級魔法とは言え、経験値の違う聖女アイシスの《小さな回復》は、目に見える効果を狙い通りに残している。大口を開けても、赤い水滴が飛び散らないように、その点を意識して修復できている。
だが、魔法球で弾かれた衝撃の抜けていない騎士達は、転移陣の発動を見ているだけしか出来なかった。金属鎧の一部は歪み、背中も軋んでは上手く立ち上がれない。
可能ならば、自分達も魔法の恩恵に与りたいくらいだった。
「言い訳するんじゃない、役立たず共が! あんな奴が高度な魔法を使って遠くまで跳べるはずがないんだ! さっさと捜して、俺様の前に引き摺ってこい、分かったなーーー!!」
「「ハ、ハイーッ!」」
悔しそうに拳を石材へ叩き付けるサイバードに、その怒りが向けられては敵わないと騎士達が廊下へ這い出ていく。
何事だと、扉を動かして一人の少女が消えていくところを目撃していた外側の騎士まで、身体を支えるように踵を返した。その瞬間、第一王子の表情が歪んでしまったのは、揺れた下半身から鈍痛が駆け上がったからか。
「サイバード様、治療魔法をお掛けしますから、動かないで下さいませ~」
「ああ、早くしろ!」
ようやく駆け寄って来たスリンカに、股間を押さえて身体を横たえたサイバードが急がせる。
手に伝わる感触から潰れたわけではないと思う。それでも、王族として子孫を残すための象徴が、駄目になってしまうのではないかと恐怖に怯えてしまう。
それから数分ほど、治療魔法が効いている光に身体を覆われていた第一王子が息を吹き返す。
「く、っそ、あのクソガキがーーー! 俺様が優しくしていれば付け上がりやがってー!」
下着に収まるポジションを整えるように小刻みに跳び上がりながら、サイバードがぶり返した怒りを撒き散らした。そして、醜態を晒す原因となったガラス瓶を蹴飛ばして、台無しとなったお砂糖を踏むように開け放ったままの扉へ大股で歩き始める。
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