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本編
9. 時間の無駄だったみたい
しおりを挟む聖女の認定は受けられていないことを正しく理解している二人が、顔を見合わせて同時に溜め息を吐き出す。
「どうやら、時間の無駄だったみたいね」
「そうですね、ここまで虚構を信じ込んでいるとは……。回復魔法を上手く使用できるようになれば待遇も良くなりそうですが、改心せずこのままなら駄目なら駄目でという扱いをされそうですね」
鉄格子をガシャガシャと鳴らして抗議する彼女に、アイリーンには駄目そうな未来しか思い浮かばない。
異教徒との戦いが繰り返され、しばらく終わりが見通せないリグレット王国では、戦場で怪我人を治療できる魔法使いは何者にも代えがたい。聖女認定はおろか、正当な治療師認定すら受けられていない彼女は、毎日魔力を使い切るまで監視付きで休みなく働かせられることだろう。
期待されたように成長していれば、乙女ゲームのようにどこかの王族の目に留まることはあったかもしれない。それほどの資質が、戦時下の王国で惜しまれるはずだ。
ちなみに、彼女の最推しだった青髪の王子様は、魔法学院に入学どころか、祝福の儀を執り行う前に亡くなっている。
王族という最高峰の治療を受けられる立場の人物すら亡くなっている、その事実を知っていれば違う道を歩めていたのだろうか。
「どのように扱うのか、これ以上はリグレット王国の上層部の判断に任せましょう。断罪を求めないと伝えた以上、他国のことに首を突っ込みすぎてもね」
処罰の方法を指定しないことは優しさなのか、迷惑を掛けられた意趣返しなのか。
聞く耳を持たない男爵令嬢相手の説得を諦めた侯爵令嬢二人は、あっさりと室内の明かりを落として出て行った。
残されたメアリーの叫び声だけが、誰かの耳に届くことなく暗闇へ消えていく。
「ちょっと、出しなさいって言ってるでしょー! あたしの言うことを聞きなさいよー! こんな目に遭わせたこと、後悔することになるわよっ! 絶対にー、あんた達に神罰が下るんだからーーーっ!!」
自らの選択によって、自らの明日の可能性を閉ざしていく彼女には、乙女ゲームで語られていたような明るく楽しい日常は残されていそうにない。
★ ★ ★
恒例行事を伝説とした黄昏時の喜劇から三年。
リルフレア公国の宮殿、その執務室にてエリザベートとアイリーンが向かい合う席に着く。
「父の手紙によると、彼女の考えは相変わらずみたいですね」
「……あら、また逃げ出そうとしたの?」
用意された紅茶を一口、信念を貫き通すほどのしつこさに、少しだけ感心したような声色をエリザベートが混ぜた。
「いえ、聖女の扱いじゃないって、駄々を捏ねているような感じらしいですけど……、……いつか王子様が迎えに来てくれると、この世界の主役だから、なんてことも言い続けているみたいです」
「そうなったときに後悔するわよって、そう続けていそうねぇ……」
魔道具により逃げられなくされているメアリーは、未だ事あるごとに侯爵令嬢二人へ向けた罵詈雑言を口にする。
だから、定期的にアーガイン侯爵から戦況の報告と共に、無礼を詫びる手紙が送られてくる。監視は怠らないという決意まで添えて。
「そういえば、幽閉された王子の顛末や、同じように前線へ送られた令息達の最後は聞いているのかしらね?」
エリザベートの質問に、アイリーンは首を振りながら答える。
「はっきりと説明されたわけではなさそうですけど、兵士達の噂話などは聞いているみたいですね。没落した家族から、お前の所為でと詰られていたこともあったらしいですから」
「そうなの……。……それにしても、もう彼女しか生き存えていないのね」
騒ぎを起こして罰せられた面々は、この三年のうちに命を落としている。
爵位継承者として認められなかった令息達は、異教徒を相手にする終わらぬ戦いへ派遣されて、数ヶ月から一年半の間に。
剣と盾だけで戦う平兵士より活躍した場面もあったが、修練を怠らなかった普通の魔法使いに並べるわけもなく、名誉を挽回することなく散っていったことになる。
リグレット王国の王子アルフォンス・ロンドベルトは、子種を蒔けぬように諸々の処理をされたあと、王宮の隔離区画へ生涯幽閉されることになった。
そこは白く、ただ白く、汚れを許さぬと刷り込まれるような異様さが漂う、清らかで寂しい宮殿だ。
食事を運んできたメイドを押し倒すもできることはなく、絶望から徐々に狂うような時間が増えていった。そして、二年経った頃、重い病気を患い回復が叶わなかったと世間には公表された。
衰弱した彼が残した最後の言葉は『俺様は、皇帝、になる男だ、ぞ……』だったと看取った医師は伝えている。
「しかし、ああいう人間は本当にしぶといですね」
「……どちらにせよ、忘れることのできない強烈な巡り合わせだったわね」
確かに忘れられない。
だが、もう関わることはないという結論から、エリザベートは過去としての言葉を無意識に選んだ。
教会の後ろ盾はもう無い。慎ましやかな生活を捨てていた実家だってすでに無い。
どれだけ恨み言を吐き重ねたところで、彼女が辿り着ける場所に彼女達はいないのだから。
「ですね」
苦笑しながら相槌を打ったアイリーンも、日常に精一杯、思い出すことは少なくなってきている。
それでも、彼女の予言通りになったのか、激務に追われながらメアリー・プリアは四十歳の誕生日直前まで生きた。
王国騎士団の回復役として異教徒と戦う最前線へ連れて行かれた彼女は、実に多くの兵士を救った。変わり者の認識はそのまま、それでも見下す者がいなくなるほどに。
しかし、彼女の最後は風邪を悪化させた呆気ないものだった。手厚い看病が活きなかったのは、生に対する執着が無くなっていたためかもしれない。
能力のため、それだけで生かされているという状況の彼女が最後に抱いた思いは『やっと、やっとこの悪夢から解放される』という安堵だったのだから。
――――――――
ここまで、ご清覧ありがとうございました。
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