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森の民編

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 朝明けの光が窓から射し込んだ。
 アレッシオは、隣で気持ち良さそうに眠る愛しい男の横顔を、じっと眺めた。

 額に張り付いた髪を指でそっと払い、その顔を目に焼き付ける。


「……すまない。トニー、愛してる。愛してるんだっ」


 震えた声で、彼は許しをた。声は届くはずもなく、空気に溶けてゆく。




ーーそして。
 未だ夢の中のトニーを1人残し、アレッシオは薄暗い闇に消えた。









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1年後。旧カヴァリエーレ邸。




「お兄様! 諸侯の大臣達がカヴァリエーレにつきましたっ! これで全て、ひっくり返せますわ」


 簡素なドレスを纏い、兄の下へ喜びの報告を運んだのは、アレッシオの妹、ミーニャだった。


「そうかっ。これで復興も一気に進ませる事が出来る。大臣の協力を得て、国王陛下に謁見を申し込む。
そこで父上の潔白と、サザン伯爵に与した者達の断罪。国預かりとなった鉱山の返還を直訴する」
「はいっ!」
「「「ハッ」」」


 執務机に肘をつき、重ねた手に顎を乗せたまま、アレッシオは鋭い眼光で集った部下に宣言する。
 彼等は一様に歓喜した。地獄の淵に立たされてから、1年。ついに、待ち望んだ日が目の前まで迫っている。
 尊敬するマール公爵が囚われ、カヴァリエーレは貴族の地位を剥奪された。土地を追われ、後ろ指を指される中、逃げ延びた公子の帰還を知る。
 散り散りになった彼等は、誰に言われるでもなくアレッシオの下へ馳せ参じ、反撃の狼煙を上げた。
それが今、やっと身を結ぼうとしているのだ。喜ばない訳がない。

 ミーニャやアレック、父を慕う仲間達の様子を、アレッシオは満足気に見る。


「あともう少しだ。もう少しで……」
「お兄様?」


 言葉の続きは何だったのか、アレッシオ自身にも分からなかった。
 もう少しで汚名を晴らせる……いや、それともーー…




 半月も待たず、国王との謁見は叶った。
 水面下で集めた数々の証拠と、カヴァリエーレを支持する貴族達の訴えにより、望みはあっさり通された。

 国王は、嘘を信じ、忠臣を投獄してしまった事実に心を痛めた。
 そこで、償いの意も込めて、アレッシオに1つの提案をする。


「アレッシオよ。よく真実を暴いてくれた」
「ハッ」
「実は、エカテリーナも其方そなたの事を気に病んでいてな」
「王女殿下がですか。恐縮でございます」
「うむ。それでだが、どうだろう。エカテリーナをもらってはくれんか」


 国王の隣で、2番目の王女エカテリーナは、頬をピンクに染め、片膝をついたアレッシオを見ている。 

 冤罪が晴れたとは言え、一度は地位を剥奪されたカヴァリエーレにとって、またとない褒美である。
離れていった貴族は勿論、領民達も戻って来るだろう。 
 それを理解した上で、アレッシオは頷けなかった。


「どうした、アレッシオ公子」
「アレッシオ様…」
「陛下並びに、エカテリーナ王女殿下の御心遣い、恐悦至極に存じます」
「ではっ」
「ーーしかし、一度は平民に身を落とした私が、王女殿下を貰い受けるなど、過ぎた名誉にございます。
どうか、王女殿下には望む方と結ばれますよう」


 身に余る光栄と言いながらも、アレッシオは王女との婚姻を拒んだ。
 だが、その殊勝な態度を国王は好ましく感じた。
 一方で、断られた王女は、ショックを受けている様だ。


「なんと謙虚なことよ。安心したまえ。
これはカヴァリエーレを思っての事でもあるが、エカテリーナたっての希望でもある。そうだろう、エカテリーナよ」
「はい、陛下」


 王女は恥じらう様に視線を彷徨わせ、やがて国王を見上げるアレッシオの目を見つめた。
 断る大義名分を、王女によって潰されたアレッシオは、頭を巡らせる。
ーーが、ていの良い理由が見つからず、彼は考える事をやめた。

 玉座が置かれた壇上から、王女はアレッシオの様子を見下ろし、ひっそりと口元を綻ばせた。
 自分がアレッシオの妻になれると確信して。


「王女殿下は、心優しくていらっしゃいます。
ですが、ご自身を偽ってまで、私に情けをかけて頂く必要はございません。
何より、この様な場で申し上げる事ではないのですが、私には心に誓った者が居ります」
「む。そうなのか、エカテリーナ」
「ちが……っ、そ、そうですか。私が要らぬ気を回してしまった様ですわ。陛下」
「なんだ、そうだったのか。お前は聖女の様に清い心を持っておるな。
ふむ。残念だが、仕方ない。なかなか魅力のある若者だと思ったが……」
「恐れ入ります」


 3年前の晩餐会で会って以来、王女は秘かに想いを寄せていた。
マール公爵の件で一度は諦めたが、今回、願ってもないチャンスが舞い込んだと、期待するのも無理はない。
 王家の面子も保て、自身の評価も上がる。
1番は、何と言っても、あのアレッシオが手に入るのだ!
 それが実際はどうだ。
断られた挙げ句、彼には愛する人が居た。
 声を上げたい衝動を抑え、必死に取り繕うも、完璧と評される美貌の王女は、歪む顔を隠せずにいる。


「して、式はいつ挙げるのだ。どこの令嬢だ?」
「いえ、まだ予定はありません。ただ、相手は平民です」
「なんとっ?! 公子の心を射止めた者が平民とは。
んー、だが勿体ない。次期公爵夫人が平民では、何かと苦労に耐えんだろう。側室や愛人では駄目なのか?」


 王女は震撼した。まさか平民風情の娘に、国1番と名高い、高嶺の花である自分が負けたのか。
何の価値も、利益も生まない女にっ!!


「はい。私はその者だけを愛しております」
「……そうか。気を悪くさせたなら許せ。
しかし、茨の道である事は避けられまい。その娘を大事にせよ」
「ハッ。しかと胸に刻みます」


 国王の御前でも臆する事なく、淡々と顔色一つ変えなかった男が、雪解けの様に微笑んだ。
 どれだけ大切な存在なのかを言外に滲ませ、国王は黙るほかなかった。
 それだけでなく、王女にもその笑みは深い傷を残す。


 

 こうして、カヴァリエーレ公爵家は、名実共にデメテル国に復活を果たした。










「ありえない。ありえないわっ!」


ーーガシャンッ


「きゃっ。もっ、申し訳ございませんっ。エカテリーナ様!」
「うるさい! 黙りなさいっ」
「ひっ」



 先程、聖女の様だと褒められた王女の姿は、何処にもなかった。
怒りのままに、近くにある物を投げ、癇癪を起こしている。
 傍に居たエカテリーナ付きのメイドは、額から血を流しながら怯えて縮こまった。


「誰なのよ、その卑しい女は!
わたくしの前に引き摺り出して、死んだ方がマシだと思わせてやるっ。
アレッシオ様に相応しいのは、王女である私しかいないの! 絶対に許さないわっ」


 手当たり次第投げ尽くし、今度は親指の爪をガリガリと噛み始める。
 その瞳は、聖女とは正反対の怪しく鈍い光を宿していた。


「お前。サザン伯爵家の者を、秘密裏に呼んで来なさい。権力欲が強く、単純で、駒になってくれる人間を」
「でっですが、サザン伯爵家は取り潰しの上、斬首のはずでは……」
「それはこれからの話よ。今なら1人くらい連れて来られるでしょ。そうね、末の息子が良いわ。1番操り易そう。アレッシオ・カヴァリエーレに復讐をしたくないか、とでも言っておきなさい」
「ーー!? エカテリーナ様は、カヴァリエーレ公子を気に入っていらっしゃったではありませんか」
「もちろん、アレッシオ様に傷一つ、付けさせたりはしないわ」
「では……」
「お前がそれを知る必要があるの?」
「も、申し訳ありません。直ぐに手配致します」
「くれぐれも、内密にね。お父様にも、お兄様にも気取られてはダメよ」
「かしこまりましたっ」






 
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