ゆきちゃんと時間旅行

一ノ瀬麻紀

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「あおいちゃん、このこかわいいね。だっこしてもいい?」

 今日から一緒に住むことになった姪の藤代陽菜ふじしろひなは、私のベッドの横にちょこんと座っている少し古びたうさぎのぬいぐるみを指さして言った。
 陽菜は先日五歳になったばかりの幼稚園の年中さん。小さな頃は単語を話すだけでも可愛かったけど、今はちゃんと会話として成り立つようになった。

「いいよ。うさちゃんびっくりしちゃうから、そっと抱っこしてあげてね」

 私の言葉に嬉しそうにうなずき、小さな手でやさしく持ち上げてふわりと抱っこした。

「うわぁ、ふわふわだぁ。かわいい。……いいなぁ、あおいちゃん」

 うさぎのぬいぐるみの頭を優しくなでながら言う陽菜に、私は曖昧に微笑み返すことしかできなかった。このうさぎのぬいぐるみ「ゆきちゃん」は、私にとって大切な家族だから、安易に返事などできない。

「陽菜、このうさちゃんね、あおいちゃんの大切な家族なのよ」

 陽菜の気持ちをすぐに察した姉が、陽菜にやさしく諭すように言った。

「あおいちゃんのかぞく?」
「そう。葵ちゃんが赤ちゃんの時からずっと一緒なの」
「そっかぁ。ひな、おうちでいっしょにあそびたかったの。でもうさちゃんないちゃうからがまんする」

 陽菜は少し残念そうに言うと、ぬいぐるみの頭を黙って何度もなでた。

 陽菜は私の姉、藤代梨花ふじしろりかの一人娘だ。三ヶ月ほど前に離婚は成立し、お姉ちゃんと陽菜は二人で暮らしていた。まだ幼い陽菜にとって、父親がいない生活というのはちゃんと理解できていないのかもしれない。けど、陽菜なりに環境の変化を感じ取っているのだろう。五歳になったのに時々夜泣きをすることがあるのだという。
 さみしい思いをさせてしまっていると言うお姉ちゃんに、実家に戻ってくるように伝えた。私のお父さんも心配していてそれを望んでいた。お父さんは片親でずっと私たちを育ててくれたから、片親の大変さをよくわかっているのかもしれない。
 だからゆきちゃんを陽菜にあげたら、寂しさも紛れるかもしれないって思う。けど、私にとってのゆきちゃんはとても大切な存在で、そんなに簡単に手放せるわけじゃない。
 私はまだゆきちゃんの頭をなでている陽菜を見て『ごめんね』と心の中で小さくつぶやいた。



 その日の夜のこと。私はベッドに横になり天井をぼーっと眺めながら、昼間の陽菜の言葉と寂しそうな表情を思い出していた。
 まだ五歳の幼い子が、物わかりよく我慢すると言っていた言葉が胸に残る。本当なら、私だって譲ってあげたい。陽菜ならきっとゆきちゃんを大切にしてくれると思うから。でも、ゆきちゃんのいない生活なんて考えられない。
 私は体を起こし枕元に座らせているゆきちゃんに手を伸ばすと、複雑な気持ちを抱えたままぎゅっと抱きしめた。

「ねぇ、私どうしたらいい……?」

 私はいつも何かあるとゆきちゃんに話しかけていた。ゆきちゃんに聞いたって答えてくれるわけじゃないけど、黙ってうんうんってうなずきながら、聞いていてくれるような気がした。

「葵ちゃん悩んでいるのね」

 ……?

 幻聴だろうか。今私が抱きしめているゆきちゃんから声が聞こえた気がした。
 びっくりして抱きしめているゆきちゃんを胸から離し、両手で高く持ち上げてみる。そして隅々まで観察したけどいつものゆきちゃんだ。

「うーん、やっぱり気のせいよね」

 ゆきちゃんと会話したいという願望が強すぎて、とうとう幻聴まで聞こえたみたいだ。私はなんだかおかしくなって、クスクスと笑いだした。その時、ゆきちゃんの体がほのかに光り出した。目を疑って見つめていると、ゆきちゃんは私の手からするりと抜け出し、ふわりと宙に浮いた。

「こんばんは、葵ちゃん。いつも私をかわいがってくれてありがとう」
「ゆきちゃん!?」

 さっきは幻聴だと思ったけど、今度はハッキリとゆきちゃんに話しかけられているのがわかった。けど、どうやら直接声が聞こえるわけではなくて、頭の奥にやさしく響いてくるみたいだった。

「ふふふ、驚かせちゃってごめんね。葵ちゃんに見せたいものがあるの。これから一緒に時間旅行をしましょう。少しのあいだ目をつむっていてね」

 目の前にいるゆきちゃんはいつものぬいぐるみのままなのに、まるで表情がコロコロ変わっているかのように思えた。ゆきちゃんはにっこりと微笑んで、私に手を差し伸べた。誘われるままにその手を取ると、暖かい光に包まれ、ふわりと体が宙を浮いた気がした。



 すーっと体が落ち着く感覚がして、そっと目を開けるとそこは見慣れない場所だった。道の両脇にはたくさんの屋台が並び、大勢の人で賑わっていた。

「ねえ、おかあさん、あのうさぎかわいいね。妹が生まれたらプレゼントしたいな」
「そうね。きっと喜ぶわ」

 十歳くらいの女の子が、女性の手を引いて屋台を指さしている。アルバムで見ていたから、それがお姉ちゃんとお母さんだということはすぐわかった。
 お姉ちゃんが指さした先には、ゆきちゃんがいた。けど、目立つ位置より少し外れた、テーブルの横の見えづらい位置にぽつんと置かれていた。しかもずっと長いことそのままにされていたのか、少し汚れていたし、耳も少しほつれてしまっていた。

「お客さん、こいつはねぇ、落としちまって汚れちまったんですよ。だから売りもんじゃないんですよ、すみませんねぇ。同じぬいぐるみならこっちに新しいのがありますぜ」

 屋台の店主はお母さんにそう言うと、真新しくてきれいなうさぎのぬいぐるみを差し出した。けど、お姉ちゃんは静かに首を横に振った。

「梨花、この子がいいの。おじさん、この子を連れて帰りたいの、いいでしょう?」
「うーん……じゃあ、この子はお姉ちゃんにあげる。大切にしてくれよ」
「おじさん、ありがとう!」

 お姉ちゃんの優しさに感動していると、ゆきちゃんが私の頭の中にそっと語りかけてきた。

『あの時、私は売り物にさえならなくてひとりぼっちだったの。梨花ちゃんに連れ帰ってもらえて、葵ちゃんにも愛されて、本当に幸せよ。ありがとう』
「そうだったんだね……」

 私は、ゆきちゃんが家族になった経緯を知らなかった。お姉ちゃんの優しさと、屋台のおじさんの心意気に、心がぽかぽかと暖かくなった。

 優しい光に包まれて切り替わった先は、見慣れた私の部屋だった。でも、どこか様子が違う。物の配置や置かれているものが、今とは違っていた。
 おかしいな? と思ってあたりを見回すと、部屋の隅に置かれたベビーベッドが目に入った。ベッドには生後半年くらいだろうか、赤ん坊が横たわり、その枕元にはまだ真新しいうさぎのぬいぐるみが置かれていた。
 そして赤ちゃんの頭をなでながら『葵は梨花が守るからね』と話しかけるのは、お姉ちゃんだった。ということは、この赤ん坊は私なんだろう。

 これは夢なの? どうしてこの場面を見せているの? 聞きたいことはあったけど、私は黙ってその光景を眺めていた。姉の私を見る目がとても優しくて、胸が暖かくなるのを感じた。
 ゆきちゃんが私を見て満足そうに微笑むと、優しい光に包まれ、今度はまた別の場面に切り替わった。

 小さな私が大泣きをしながら手当たり次第物を投げつけている。大切にしているゆきちゃんも投げてしまったけど、姉は少し困った顔で取りに行き、ゆきちゃんを優しくなでてから私に返してくれた。けどその様子を見て小さな私は「ゆきちゃん!」と言って火が付いたようにさらに泣き出した。

「姉が前に話してくれたことがあったなぁ。私のイヤイヤ期に、訳もわからず泣く私を、泣き止むまであやしてくれたって」

 幼すぎて覚えていないけど、姉の暖かさは覚えているような気がした。泣きつかれた私は、姉の腕の中でいつの間にか眠りについていた。

 次に切り替わったのは、小学生の頃だ。この時の記憶はある。自分の部屋のベッドの上で、ゆきちゃんに話しかけていた。

「ねぇゆきちゃん。私、花ちゃんと喧嘩しちゃったの。ごめんなさいって伝えたいんだけど、どうしよう、言えるかな……」

 小学校にあがって初めて親友と呼べる友だちができた。登下校も休み時間も放課後も、都合が合えばいつも一緒にいる。お休みの日だって、どちらかの家を行き来したりお出かけしたりしていた。
 そんな親友花ちゃんと喧嘩をしたのは、本当に些細なことだった。……いや、私にとっては些細なことではない。ゆきちゃんを一日でいいから貸してほしいと言われたんだ。花ちゃんの弟の大地くんは、女の子の遊びが好きでぬいぐるみも大好きらしい。けどお父さんもお母さんも、女の子の遊びなんてと言って買ってもらえないと言っていた。
 だから一日でいいから……と。その気持ちはわかる。けどゆきちゃんは大切な家族だから、一日だって離れたくない。──それが原因で喧嘩をしてしまった。
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