座して見よ、我が慈悲の極星を

末野みのり

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本編

第十三話 愛よ地獄で踊れ(2)

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 目視でその黒き厄災を見つけた瞬間、王が騎馬から飛び降りるので、クロードはひやりとした。
 とても尋常のやり方ではない。だが、王の足元に青白い魔力の残光があって、『騎士の退魔法』による筋力増強術での着地と知れる。

「陛下」
「馬はここで帰せ、ハルファドの雷撃に巻き込む」
「はい!」

 慣れた様子の説明に、クロードは頷いて自らも愛馬の手綱を離す。主の意図を理解して、クロードの白馬は、ゼファーの騎馬である芦毛の馬と共に背を向け、ユーノヴェルト辺境伯家の屋敷の方へと向かった。

「お前は先に行け。ここから撃つ」
「ーー…ご武運を」
「ああ。武運を」

 パチ、と音を立てて王の顔を青白い稲光が照らしている。
 軍都を囲う魔物の群れを一掃したその時と変わらぬ静かな表情を目に焼き付けて、クロードは振り向かずに駆け出した。
 後ろで、バチバチと大きな雷撃の音がしている。クロードを決して傷つけぬその稲妻を背に、クロードもまた帯剣を抜いた。
 その銀の刃から白い炎が吹き出す。軍都より魔竜の遺跡まで二時間の距離である。決して遠くはないが、戦場に置いては命が失われるのに十分すぎるほどの時間である。
 だからクロードは、目視と同時に癒しの力を届けられるように、と逸る心のまま、その力を惜しまなかった。
 その後ろで雷鳴の轟音が響く。地から天に、本来とは逆の方向で駆けたハルファドの青雷は、月を隠す雲を蹴散らして、再び地に落ちた。
 その先はまるで巨大な蜘蛛のような姿の、黒き厄災。
 先遣隊の騎兵隊より報告を受けてはいたが、その異形にクロードは戦慄を押し殺して唇を結んだ。
 眼前に、ゆっくりと歩を進める姿があって、クロードは一瞬身構えた。

「ロベルト殿!」
「クロード殿、遅かったな。こんなだが、治療済みだから癒炎は温存しといてくれ」
「シアン殿もですか」
「ああ、ユリウスの弟がな。魔力負荷限界ちょっと踏み外してっから、後がちょっと怖えけど」

 はは、と気軽に笑うロベルトの声はいつものごとく軽い。ううん、とロベルトの背のシアンが呻いた。

「もう少し離れたら、こいつ起こして戦線に復帰する。さっきのハルファドの雷で、騎兵隊も隊列を変えたはずだ」
「わかりました。陛下が最前線に来られるまで、戦線を下げさせません」
「頼んだ」

 端的に情報交換をして、クロードはシアンを背負ったロベルトを見送る。いつもと変わらぬ様子のロベルトではあったが、全身を染める鮮血が、戦場の過酷さを物語っている。
 そうして今。
 ロベルトとシアンが請け負った最前線がここにある。クロードは害意を肌で感じて、アレストの白の炎を、赤の、破壊のものへと変えた。





 遠くから見るその紅に、ゼファーは目を細めた。美しい、とあの日思ったそれよりも鮮やかに燃え上がるそれは、夜空を照らして、厄災の黒をも塗りつぶすように燃えている。
 それを見つめるゼファーのもとに、空より舞い降りる少女の姿があった。その風貌は、特徴的な銀髪赤目である。
 魔道具だろうフリル付きの傘を背に回して、少女は王に笑いかけた。

「陛下~、よかった、いらっしゃったわ~」
「……ああ、ラドウィン家の」
「三女です~。長兄様からの念話繋げますね~」

 にこにこ、と戦場に似合わぬのんびりとした温厚な表情で言って、ラドウィン家の三女は背伸びして、王の耳元に手を寄せた。

『陛下、遅いですよ』

 途端恨みがましいユリウスの声が脳内に響く。

「軍都の包囲を抜けるのに少々手間取った」
『ウチの妹に聞きました。騎士団長と重装騎士団に任せてきたとか』
「それ以上残せる戦力もなかったのでな。ユリウス、解析は済んだか。どこを潰せばあれを殺せる」
『心臓の位置を共有します。……ちょっと厄介ですよ、これは』

 ぐらり、と平行感覚が揺らいで、視界が二重になる。思念どころか、ユリウスが見えているそのものを共有させられている。
 巨大な蜘蛛のような、黒い厄災の体の中を、赤黒く光る塊が動いている。それも、複数である。その中に二つ、動かずに小さく脈動するものもあった。

『心臓が三十三個、常に動いています。うち二つはシアンが撃ち抜いて動きを止めましたが……再生しています。完全に再生すれば、また動き出すでしょうね』
「同時に討て、と」
『はい。さすがに視界共有では厳しいんで、心臓にターゲットマーカーつけます。任せていいですよね?』
「簡単に言う」

 王は言いながらアレストの炎を見つめている。紅蓮の炎が、うねる黒き厄災の端を燃やしている。

『ロベルトとシアンにも共有しときます。周りの黒い粘性の外装を剥げれば、協力出来そうなんですが』
「そこからでは見えないか?……アレストが、燃やしている」

 ゼファーの視界には、はっきりとその姿が見えていた。クロードは動いていない。ただただ、立ち上る炎が、這い寄る死毒の川を燃やしている。

『は?ちょっと視界共有反転してこっちに視界もらいますよ』
「好きにしろ。少し急ぐから揺れるぞ」
「では私は少し下がって念話術式継続しますね~。あ、少し乱暴でよければ、送りますよ?」
「構わん、頼んだ」
『ワーッ!!!陛下、三女ちゃんに送ってもらうなら一回視界共有切っ……』

 ユリウスの訴えに、王は取り合わなかった。ラドウィン家の三女が、思念も物体も遠くに飛ばすのが得意なのは知っている。だから、最も早く最前線に到着するには、彼女に任せるのが最善であった。
 魔力の風が、ゼファーの長身を遥か空中に飛ばす。空中で姿勢を整えて、眼下の黒と赤の対比を眺める。

『~~オエッ、勘弁してくださいよ、こっちもう魔力負荷限界まで治癒魔法ぶん回して魔力酔い来てんですから……』
「見えたか?」
『聞いてないし~。見えましたよ、建国王がアレストさえあればと思うはずだ。これなら軍都の精鋭ならば行けます。クロード殿と接触してください、陛下の魔力越しに念話繋げます』

 弱音を言うユリウスの声が、それでも明るくなったのにゼファーは気づいた。それは、アレストの炎がそれほどの影響をこの戦場にもたらすのだという、証左であった。

「魔術をそれほど広げて大丈夫か」
『ああ、うちの兄妹、末っ子くん以外は全員作戦に噛んでくれたんで、負担は分配してます。さすがに下の方は念話越しに演算させてるだけですけど』
「……ならばもうお前の心配は不要だな、ラドウィン家当主」
『いや労ってくれていいですけど!?死にかけたんで!』

 わあわあ喚くユリウスを無視して、王はハルファドに魔力を込めた。





 遠くハルファドの雷鳴を聞きながら、ユリウスは止まらぬ鼻血を手の平で拭って、目の前の弟の治癒魔法を凝視した。
 体内に残る余剰魔力を排出するためのそれは、もはや熟練の治癒術師と言って差し支えない練度である。
 少年の時分から自分の専門を治癒と定めた弟の確かな腕に、ユリウスは戦場がいまだ緊迫したものと分かりながらも、にこ、と相好を崩した。

「いや~ほんとに次男くんいて助かるよ……オレがこの戦いで死んだら、ラドウィン家のことホントに頼むね…」

 すぐ下の妹たちの奔放に比べて、この次男は堅実で真面目だ。だからその意味も含めて、半ば本気でユリウスは弟に告げた。
 ラドウィン家の次男は、すう、と目を細めてユリウスの目に視線を定めた。

「長兄殿が?死ぬ?この程度で?」
「…すげぇ冷たい声出すじゃん……」

 針のように真っ直ぐな次男の髪が、王の青雷を反射して先端を青く輝かせていた。そうすると言葉も声も相まって、余計に酷薄な印象になる。

「はは、お戯れを。許しませんよ」
「許す許さないの話?」

 治癒魔法の手を緩めず、乾いた笑いで言った次男に、ユリウスは呆れて言った。九人兄弟で最も冷静で理知的な男は、時折兄にだけ無茶苦茶を言う。
 その次男の言葉に同意するように、念話越しに少年少女の笑い声が重なる。

『兄貴が最強すぎて死ぬとか解釈違いなんだよな~』
『お兄、死んでからも魂だけで蘇生術使ってきそうだもんね』
『ね~…ぼくもそーおもう……』

 三女より年下の、ラドウィン家の年少組であった。
 それぞれが専門分野で神童と礼賛されているにも関わらず、いくつになっても長兄を特別扱いしているのをまざまざと思い知らされて、ユリウスは大きく溜息をついた。

「なんでお前たちみんなオレにそんな激重なわけ…?」
『あら~長兄様ったら。この国の魔術師で、あなたのことを気に留めずに済む者などいないわよ~。例え実の兄弟であれ、ね』

 うふふ、と念話越しに笑ったのんびり屋の三女に、ユリウスは顔を引き攣らせた。オレの知ってる兄弟関係じゃない。
 王のものは特殊としても、三人兄弟の長男であるロベルトや、妹のいるシアン、姉と弟に挟まれたクロードと、身近な例だけを参照したとしても、異質すぎる。おかしいな。とユリウスは今の自分のような人格であれば、形成出来るはずの兄弟関係に思いを馳せる。
 そのユリウスの隣に、双子の姉妹が寄り添った。その顔に疲労の色が浮かんでいる。

「ふふ、お兄様、大好きで恨めしくってこの世で一番憎らしい方」
「あのさぁ……オレはアットホーム九人兄弟やりたいだけなんですけど……」
「あらあらあら、お兄様ってば。私たちを虜にして離してくれないくせに、酷いわ」
「してないけど!?」

 相変わらず高揚した芝居じみた口調で重い思慕を伝える妹たちに、ユリウスは不本意のあまり叫んだ。口に鼻血が流れ込んで咳き込む。

「ははは、長兄殿。天才の傲慢、お見事」

 冷えた笑いで次男が言うのに、ユリウスは目眩がした。止まらぬ鼻血のせいばかりではないのは、歴然としていた。

「ねぇ~だからやめて~たすけて~」
『って言いながら、めちゃくちゃサイコーなやり方で術式最適化進めてっし。兄貴やめなよ無駄な抵抗』
「マジでオレが死ぬかもしれない心配をまずしてくれない?」

 言いながら、ユリウスは黒の厄災の心臓を追尾する魔術式を完成させ、そのまま念話越しに主導権を三男に渡す。へへっ、と少年らしい活発さで嬉しそうに笑う声が返って来る。 

『無理。お兄が死ぬのは私たち全員死んだ後って決まってるから』
『ね~おにーちゃんしんだら、世界の損失だし~…』
「やめ…やめなさいよ…そういう事言うの………」

 続いて四女と四男に、双子の姉妹が請け負っていた拘束の魔術を分割して割り振りつつ、ユリウスは弟妹を諌める。

『だって長兄様がそうして欲しいんでしょう~?』
「オレなんか悪いことした!?」

 念話を継続させている三女が、ふふ、とのんびりとした笑いで言う。

『私たちとこんな風に話がしたくて、道化に成り下がってくれたんでしょう~?だから私たちも、ちゃぁんと本音で話さないとって、ねぇ~?』
「いや、えーと……、……、……つまり、愛の話?これ?」
『そうねぇ、昔の無口な長兄様だって、私たちは嫌いじゃなかったけど。今は、ふふ、ねえ、次兄様?』

 怪訝な顔をしたユリウスが、次男の顔を見上げる。返答はない。ただただ鼻で笑われただけだった。まるで答えの分かりきった低俗な質問を受けたような態度で。
 その代わりのように、言葉にしたのは、双子の姉妹だった。

「そうよ、お兄様」
「あなたが私たちを愛してくれるから、私たちも愛で返してるだけよ」

 愛しているから、死なせないと言うのか。愛して尊敬しているというなら、言う事を聞くものじゃないのか。ぐるぐるとユリウスの頭に思考が駆け巡る。

「愛、わかんなさすぎ!!」

 自分がこのようなふざけた振る舞いをするようになったのは、弟妹の存在が大きかったのは自覚があった。ロベルトやシアンが、自身の弟妹とじゃれついたり喧嘩したりするのを見て、自分もあれがいい、と思ったから。
 あれが、欲しい、と思ったから。

『うお、兄貴、一段と魔力のキレすげぇ~』
『あはは、お兄、覚醒セリフがそれでいいの?』
『いいんじゃない~…?愛、ほんとにわかってなさそうだし~…』
「わかるかこんなもん!!」

 理解したことなどなかった。ただただ、それは本能だった。愛したいという欲求、愛されたいという欲求。
 だからユリウスにとって、理解など不要だった。ただそこにある、とわかっただけで。
 そうか、これか。ユリウスは、あの業火の如き少年を思い出していた。あの身を焦がす献身が、王への愛だと言うのなら。
 ユリウスにとってそれは、弟妹へのものだった。
 弟妹たちが、命を賭けても、自分を死なせないと言うのなら。

「とにかく!!オレより先に死ぬな!お兄ちゃんの言うこと聞きなさいよ、お前たち!!」
「はは。死ねなくなりましたね、長兄殿」
「も~!!めちゃくちゃだようちの兄妹は!!」

 自分も死なないし、弟妹たちも死なせない。
 それが兄としての矜持で、愛だった。



 

 パチン、と視界にいくつもの光が灯る。
 それが先程ユリウスが告げた厄災の心臓を示す印なのだと理解して、ゼファーは空中で狙いをその一つに定める。
 途端放たれる轟雷は、確かにそれを貫いた。
 着地体勢を取り、足元に肉体強化の『騎士の退魔術』を乗せる。
 地上に降り立ったゼファーの目前に、紅蓮の炎が立ち上っている。
 そんなわけはないとわかっているのに、ゼファーは裁きを待つ罪人のような心地になった。かつて全身をその焔に焼き尽くされた少年が、焔を従えている。

「陛下」
「ユリウスの念話と繫げる」
「はい」
『クロード殿、無事だね』

  クロードの左手に触れれば、途端脳内にユリウスの声が脳内に響く。
 さきほど聞いた話とほぼ同じ内容で語るユリウスの声を聞きながら、ゼファーは目前の炎の壁を眺め、自身の神剣に魔力を込める。
 炎を突き破って、黒の槍が炎の主を貫かんと迫ってくる。ハルファドの雷撃がそれを討ち、黒い槍は、霧となって霧散した。
 それを視認するや否や、第二第三の黒の槍が撃ち込まれる。明らかに、ゼファーを狙っている。

「ユリウス!」
『騎兵隊に扇動術使わせてますが、効いてませんねそれは!』
「は、このような泥水に知能があるとはな」

 バチリ。大きく青い雷撃が走る。それは目前に迫る黒き災厄の尖爪を次々と撃ち落とすも、数の増え続けるそれに、押され始める。

「構ってられんな。突破して根を絶つ」
『心臓、三十三ですよ。それまで陛下の五体が保ちますか?』
「保つ。クロードの気力さえ保てばな。……炎だけでいい、ついてこれるか」

 王の視線を受け取ったクロードは、強く、頷いた。
 だからゼファーは迷わず駆けた。次の心臓めがけ、黒い槍をくぐり抜けて。

『作戦がめちゃくちゃなんだよな。目玉の光線は弓騎士隊で引き受けます』
「!ロベルト殿、ご無事で」

 やや疲労の影のあるロベルトの声が念話越しに響く。思わず反応したのはクロードだった。ゼファーの耳には念話と少年の肉声が重なって聞こえる。

『どうも。あの黒いネバネバ越しに心臓ぶっ飛ばせる火力出せるの、うち全体でもあと一回か二回なんで、そっちは期待しないでくれ。クロード殿が心臓を炙り出してくれりゃいくらかはいけるんで、まあ、余裕のある時によろしく』
『はい』

 いよいよ肉声は遠ざかり、クロードの緊張した空気が念話越しに伝わる。
 ゼファーは一人、戦場を駆ける。だが隣に白炎が、そして数歩後に、紅蓮の炎がついてきていることに気づいていた。一番に狙われていると分かっていたから、クロードのその身を危険に晒してまでついてこいとは言わなかった。
 けれど、その分身たる炎が確かに側にあって、もはやゼファーにとって、孤独の戦場ではなかった。

『クロード殿、心臓の周辺に紅蓮当てたら、燃やし尽くせなくても、そのまま灯しておいてくれる?アレストの攻撃性の炎に引き寄せられて、ハルファドの不規則にうねる軌道の中継点になるはずだから』

 以前、ユリウスが互いの神剣の性質に関して、使えそうだと言った内容がこれなのだろう。ゼファーは論拠のないながらも、ユリウスの言であれば信用に足るだろうと納得して、自分の後ろを追う黒の槍を打ち消す紅蓮を見やる。

『その理論であれば、癒炎を灯したならばハルファドの攻撃性の軌道から外れる可能性もあるのでは』
『あるね。でも検証不足だから確実とは言えないな』
『騎兵隊は場所によっては陛下にかなり近くなるはずです。場所さえ共有して頂ければ、保険として使えるかと』
『そうだね、回避として使えなくても、治癒として備えておくに越したことはないし。クロード殿が倒れない程度によろしく。最前線の戦場にまで出せる治癒術師はちょっといないから』
『肝に銘じます』
『陛下聞いてます?』
「聞いている」

 前方から迫りくる黒い槍の瞬撃を剣戟で切り落としながら、ゼファーは短く答えた。はは、とユリウスのものともロベルトのものともつかない小さな笑い声が返って来るが、王は取り合わなかった。
 どちらにせよ、ただただ慣れたやりとりがあっただけのことだ。
 だからゼファーは大きく剣をふり、その斬撃だけで幾重にも迫りくる黒の槍を切り落とし、雷撃を放つ。
 それは一度ゼファーの後ろに回り込み、紅蓮の炎を介して再び前方、ゼファーの狙い通りに、黒き災厄の心臓の一つへ。
 雷撃に撃ち抜かれた心臓は蠢いて、そして破裂をした。
 その黒が。
 礫のように弾け飛び、その水滴のような形を刃に変え、無数の刃が放たれた。
 それにはさしものゼファーも反応が遅れた。先ほどまでの心臓を撃った時の反応と違うそれに、神剣を守りの構えに直すも、一歩遅く。
 ざくりと。その両目を切り裂かれ、その傷口が焼けるように瘴気を放つ。

『陛下!』

 クロードの切迫した声。
 それと共に、ぶわり、と周囲の温度が上がる。アレストの紅蓮であることは、ゼファーにとってはその気配だけで明白であった。
 何も見えない中、ユリウスが魔術で見せている黒き厄災の心臓の位置が、禍々しく光っている。おそらく最初にシアンが撃ったのだろう心臓が、活気を取り戻そうとしている。
 それ以外は、なにも見えない。
 これがあの時のお前が見た地獄の片鱗か。
 両目を切り裂かれたゼファーは、かつてクロードが見た真の暗闇を見た。
 ジクジクとした痛みが、ゆっくりと引いていく、癒炎だ。あの真面目で優しい少年は、奇跡の癒しの炎を操りながら、苦しげな顔をしているのだろう。想像するまでもなく確信して、ゼファーは喉で笑った。
 そのような心遣いを受ける資格もないというのに。

「クロード、焔を絶やすな。そのまま道を拓け」
『あの飛沫の対策とらずにこのまま進むつもりですか!?地獄を見ますよ!?』

 地獄か。
 ユリウスの言葉にゼファーは可笑しくなった。地獄というなら、すでにあの二年でクロードが見てきたものだ。
 自分が、あの少年の地獄への道を拓いてしまった。最後に選んだのはクロード自身だ。けれど、一歩間違えば、あの聡明の眼差しを、あの痛ましくも気高い魂を、永遠に失っていたかもしれない。
 ゼファーにとって、もはやそれは国を、世を滅ぼす以上の悪行であった。
 だからこれは、身勝手な償いだ。
 クロードが、勝手な願いとして、ゼファーの生を願ったように。
 願いそのまま叶えてやろうと、それでも生ある限り償ってやろうと。
 身勝手で独り善がりの。
 傲慢な、愛だった。

「ふ、ふふ。そうだ。……ユーノヴェルト辺境伯クロード」

 名を呼び、ゆっくりと目を開く。
 もはや顔に流れる血のみが、ほんの数秒前の傷の証明であった。
 クロード。
 胸中で名をなぞる。少年の純朴な恋を食らってしまうだけなら簡単だった。それだけで、満足出来たなら、もっと簡単だった。
 けれどもう、はっきりとわかってしまった。
 あの高潔な業火の男に、許されたいのだ、と。
 愛することを、愛していると告げることを、許されたいと、渇望しているのだと。

「お前が……お前こそが。私を、この世の地獄へ送れ」

 告げながら、ゼファーは次の心臓目掛けて駆けた。
 黒き厄災は、槍の形に加えて、刃の礫をも差し向けた。だがゼファーは構わなかった。肉が削げて、血が流れても、白い癒炎がそれを覆って、再生していく。

「お前が私との約束で見た地獄に、私が報いることが出来るとするならば、この道しかあるまい」

 ジュウ、と肉が焼ける音がする。それも癒炎は治していく。まるでなかったかのように。痛みに、ゼファーは脚を止めなかった。
 バチバチ、と青い電撃がハルファドを覆う。その強すぎる力が、ゼファーを孤独に追いやった。けれど今は、その性質すら王の身勝手を支える力だった。

「お前が癒す限り、何度でも私は応える」

 血と肉を撒き散らしながら、ゼファーは進む。その血の軌跡を追って、白い炎が駆け抜けた。癒えて、傷ついて、また癒えて。
 雷撃を、放つ。それは新たな心臓を穿ち、破裂した。刃の礫が弾け飛び、黒の槍が飛び出す。剣で迎え撃つ姿勢を取りながら、ゼファーは対応しきれぬその無数に、痛みの覚悟をする。

『あ~ッもう!本当に無茶苦茶だよ、この人たちはさぁッ!!』

 ユリウスが喚く。その念話の声をかき消して、周囲を紅蓮の炎が覆った。
 黒の槍は王の剣に切り落とされ、刃の礫はその炎に消し飛ばされる。
 美しい炎だ。王は、幾度も思ったそれを、この場においても感じずにいられなかった。

「陛下」

 クロードの、肉声が背後から届く。
 苛烈な火傷のせいと思われる掠れた声は、結局数ヶ月経っても変わらず、王の耳に馴染んだ。

「隣で、ご一緒しても?」

 息を切らしたクロードが、興奮で目を見開いて、ゼファーを見ていた。
 その瞳が、青く光る一番星のように、美しく光っている。
 あまりに眩しくて、ゼファーは、目を眇めた。


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