黒木くんと白崎くん

ハル*

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~黒木side~


誰かの歌声が流れる中、一本のメールが届く。

スマホが震えて、思わず空のグラスを手に部屋を出てしまった。

「やっと来たんだ、連絡」

背後から俺の右肩にアゴを乗っける感じで、紫藤が手元のスマホを覗きこむ。くっついてきたのかよ。

「勝手に見るな」

「えー…だってさ、車の手配やったの誰? 気になるじゃん。それに全くの他人ってわけじゃないんだし。ね?」

「なんだ、それ」

「友達の後輩は俺の後輩! みたいな?」

「…何言ってんだ、お前」

なんてやりとりをしつつも、メールの全文を読み、短く返信を送った。

それからグラスにウーロン茶を注いで、その場でコクリと一口飲む。

「なにさ。結局のところ、最初に言ってた状況になったってだけ? 三日以内?」

紫藤が全文読んだことを証明するような言葉を呟く。俺の耳元で。

なんとなくあの部屋でしたい話じゃなくて、そのまま邪魔にならなそうな場所へズレて廊下で話を続けていた。

「そして返事が、待ってる…だけ? もっと他に書きたそうなのに、やめたんだ」

その言葉に、口を尖らせたのは無意識。

「んな顔するくらいだったら、もっと言いたいこと書けばよかったのに…カッコつけちゃって」

「カッコつけたわけじゃねえよ。……書けなかったんだよ、さすがに」

そう返すしつつ、スマホをポケットに突っ込む。

どうせ待ち人からのメールなんか、今日はもう来ないってわかったようなもんだ。

「書きたかったし、アレコレ言いたかったさ。だって…俺は約束を守った。一位取った。だから約束守ってメールをって思った。やっとアイツから直接気持ちを知ることが出来るかもしれない。…そう思ってた。アイツの性格上、先延ばしにはしないと思っていたから。…たとえ、あんな状況になってもきっと…ってどこかで思ってたんだ。俺は」

「最後のあたりさ、何があっても自分だけは優先してくれるって思ってたって取っても…イイ?」

紫藤の視線が痛い。

――――図星だから、なおのこと。

「そ・れ・と。小鳥遊くんとどこまで進んだ関係かわからないからこそ、逆に信じたかった? どんな事情や状況があっても、自分を優先してくれたならば、天秤がどっちに傾いているのかを確かめられるって」

紫藤の言葉がいちいち痛い。

「…俺、あんなにがんばってたのによ、なんでこんなに傷だらけにされてんだよ。瀕死だぞ、とっくに」

グサグサ刺さるようなことしか言わない紫藤に、ため息まじりに呟いてしまう。

「頑張っていようがいまいが、現実はちゃんと受け止めないと」

「…お前なぁ」

いくつの傷を受ければいいんだ、俺は。

「でもー」

傷だらけでボロボロの俺に、紫藤はまだ続けて呟く。

「ちゃんと説明してたじゃん、さっきの文面。多分だけど、何のごまかしもなかったよ。あの内容。どっちかっていうと、報告書とかに近かったけど。どこかで見たことがあるような感じの」

と。

報告書と言われて、ボンヤリとした記憶からあるものを引っ張り出した。

「……あぁ、そうだな。たしかに」

なんて言いつつ思い出したのは、昔のこと。俺と白崎がこじれてしまうずっと昔の話だ。

最後の方の文面は報告書らしさはまったく無いけれど、最初の方は昔…保健委員内で教えたことがあるあのテンプレートみたいだ。

最初の状態から始まって、どういう体調の変化があったとか、その時にどんな処置をしたとか。

保健室内では病院とは違ってやれることが限られているとはいえ、もしもの知識として保健医から学んだことがあるものだった。

スマホをポケットから取り出して、さっき読んでいたメールをもう一度開き直す。

最初に測った体温だの、着替えただの、何を投薬しただの、食事は何をどの程度摂れたかなどなど。

さすがに血圧まで書かれていなかったけれど、いつからどうだったかが分かれば、たとえこの後あのタカナシの家族に話をするんでも問題なさそうだ。

高校に入学してからは、アイツは図書委員になっている。だから、普段使う知識としては不要といえば不要なもの。

「ちゃんと覚えてたんだな、アイツ」

指先でメールをそっとなぞって、口角を上げた。

「なに? どういうこと?」

俺の様子に、不思議そうに質問をしてきた紫藤へと説明をする。

「…へえ。そういう下地っていうか土台があったってわけね。まあ、真面目そうで、細かいことにも気づきそうだからねー。あの子」

「俺がいた時にそういう勉強会みたいなのをやった後に、後日週末の体調を同じように書いて持ってくるっていうのがあってなー。…他の奴らはいかにもめんどくさいけどやりました感があったのに、アイツだけはキッチリ書いてきてた。…アレは…くくくっ…保険医も面食らってて…ははっ…やってきてくれるって思ってなかったらしいから」

思い出すと笑いがこみあげてしまう。

「本人にもその反応だったの? 保険医の」

紫藤のその問いに、俺は笑いながらうなずく。

「保健医が思わずポロッと言っちまったもんだから、互いに、あ…っ! みたいな顔になっててさ。それで俺がその用紙を取りあげて、もう一回流し読みしてから褒めたんだよ。初めてにしては上出来って、思いきりガキにやるみたいに頭撫でてやってさ。……あ」

その時の光景を思い出していたら、あることが脳内によみがえった。なんで忘れてたんだろうって思えるような、やけに印象深いはずの一瞬。

「…そうだった。……その時に、初めて見たんだったな。アレ」

白崎に特別話していなかったけど、いつも長めの前髪で隠されていたアイツの目を見た最初がその日だ。

「えー…なになに? 何を?」

さっきからアレやコレやと質問に答えてきたけれど、これだけは返したくない。

(俺の中だけの秘密といえば、秘密だから)

その場の空気を何とかしなきゃと慌てたせいか、結構強めで乱暴に頭を撫でたからか前髪が乱れだんだ。たしか。

前髪のわずかな隙間から覗く目が、やけに目についたのも憶えている。

イケメンってこういうもんだよなと思った気もするし、本人が隠したがるのもなんとなくわかるなとも思った気もするし。でも、もったいないなと思っていたのが一番強かった気がする。

だから卒業するまで、その時に浮かんだあの言葉が頭にあったはずだ。

目を見て話してみたかった、と。

俺が卒業した時に、アイツに告げたたった一言。

そこからすぐじゃなくてもアイツ自身がアレコレ悩みながらも心を決めて、前髪を切るってなって。苦手にしていたことに向き合った。

俺が思ってたことを口にしたのがキッカケなんだとしても、その最初の取っ掛かりはアイツが真面目に書いてきた体調報告みたいなもんだ。

思い出にふけっていた俺に、紫藤が俺の肩から頭を上げて正面へと回りこんでまで聞いてきた。

「待ってる…だけでよかったの? 本当に」

って。

メールの文面をまた読み返してから、画面を消してスマホをポケットに戻す。

全部が本音じゃないと自覚しつつ、俺は返す。

「病人をほっとくような後輩に育てた記憶はないからな。…今日はこれが正解だ。責めることも出来ないし、しない。元々、三日以内って話してもいたんだ。…遅かれ早かれ、アイツからメールが来るのは確定している。…と思って、信じて待つ。……俺はもっと長いこと、アイツを待たせてた過去があるんだから」

と。

――そうなんだ。

アイツがタカナシってのとどんな関係かは別にしても、具合が悪い誰かを放置なんかしない奴なんだって知ってるから。

「…ま、いーけど? さくちゃんが納得できてんなら」

とか言われて「出来てねえけどな?」と返して、ニカッと笑った。

「正直すぎんでしょ」

「この場だけの話な?」

人差し指を立てて、内緒だと示す俺。紫藤はそんな俺を見て、「しょうがないんだから」と同じように笑う。

紫藤とのことの話はここまでにして、スマホのことを気にしないで打ち上げに気持ちを戻す。

取ってつけたみたいになるけど、アイツから連絡がこないってなった以上…他のことで頭を埋めてしまいたい。

なにか状況が変わって、メールが送れるようになりましたってなれば、その時にまた考えればいい。

(一人でこの時間をどうにかするよりは、いくらか気が楽だ)

アイツがいなくても、今までだって過ごしてこられた。これは合ってる。

白崎から受け取った連絡先を失くした後、罪悪感を抱えながらも二年間過ごせた。これは事実。

(それでも…やっぱ、自分の気持ちに気づいてしまえばアイツがいた方がもっと楽しいと思えてしまう)

それも、事実だ。

アイツもアイツで、楽しかったかどうかは別にして、俺がいなきゃいないでも学校生活を過ごせていた。

前髪を切り、人と関わろうとがんばった。

そうしてこの高校へと入学して、俺とまた一年限定の同じ学校での日々を。

物だってなんだって、なきゃないでいい物はあるんだろうな。あったらあったで使うけどとか、食うけど…みたいな。

それでもやっぱり何よりも近くに存在していてほしいと願うのは、無くなってほしくないって存在は。

「…はあ。紫藤…なあ」

「なに、急に」

胸の中にいっぱいになりすぎて窮屈なその感覚を、ポソッと吐き出す。

「俺…アイツのこと…好きだわ」

どこを見るでもなく、どっか遠くへと目を向けて。その先にアイツがいるわけでもないのにさ。

「…は? そういうのって、俺の前で口にしていいもんじゃなくない? なんで本人に言う前に、俺に言っちゃうかなぁ」

紫藤のデカい手のひらが、俺の後頭部をパチッと叩く。思いのほか強めに。

「ってぇ」

後頭部を手のひらでさすって、紫藤を横目で睨みつける。

「間違ってないからね? 俺、言ったこと。告白は外野に先じゃなく、本人に告げるまで胸に秘めときな!」

チャラチャラもしているし、口調も時々オネェみたいなやつだけど。

「お前が言うことってよ、なんだかんだで正解だから…ムカつく」

佐々木と同じくらい信頼できるやつだけに、こんな風に互いに憎まれ口を言えてしまう。

「…でしょ?」

そう言いながら、紫藤が俺たちの部屋のドアを開いた。彼に続いて俺も部屋へと戻っていく。今は赤井がどこかで聞いたようなアニソンを唄っていた。元気そうに。

紫藤はムカつくとか言った相手おれに対して余裕な顔つきでこう言い返してくるあたりも、俺との関係がいい証拠だと思えてならない。

「一生勝てる気がしねぇや」

「ふ。なに、今更いう?」

…ほら、な?

「ああ、今更だけどな」

「ははっ」

「ふはっ」

吹きだして笑い出す俺と紫藤に向けられる、他の面々の険しい視線。

「…気持ち悪っ」

正直モンの緑のその言葉にうなずく奴らが、そこにいて。

「次、俺も唄うかな」

なんて言いながら端末に手を伸ばそうとすると、佐々木が操作してて。

何か入れてんだなと勝手に思って終わるのを待っていたら、聴きなれた曲のイントロが流れ出す。

「ほら、唄いな」

とか言ったかと思えば、ひょいと俺にマイクを渡してきたのは佐々木。

「なんで唄おうかなって思ってた曲」

目を丸くして佐々木を見ると、口角だけ上げて笑んだままでマイクをグイグイと押しつけてきた。

「あ! お前、やっと唄うのかよ。ここに入ってから、どんだけ経ったと思ってて」

文句をバカでかい声でぶつけてきた緑に向かって、紫藤がその隣に腰かけて。

「さくちゃんが、ミスるでしょ? 黙んな、緑」

と、緑の顔を手のひらで首が折れそうな強さで押していた。

たしかに今日は白崎から何のアクションも起こされないんだとしても、それでも俺は俺でその間…ちゃんと気持ちを落ち着けよう。

また余計なことを言わないように。また自分の気持ちばっかりを押しつけないように。先走らないように。

(それから、白崎の言葉の方を優先して聞くようにしなきゃな。今回は特に、白崎の気持ちを聞くってのが大前提なんだから)

自分へと釘を刺すように、繰り返して呟く。

最初の一曲によく唄うその曲を、一緒にリレー一位を祝ってくれているみんなとわちゃくちゃになりながら唄いながら。

「…咲良、前より点数下がってねえ?」

唄い終わってウーロン茶を飲んでいると、真横から佐々木が呟いた。

「え? マジで?」

「だってあの曲、かなり歌いこんでただろ? しかも90後半だったのに、ずっと。90は越えてたけど、加点ありきだっただろ? 今回。珍しいなって」

「あー…そうだったっけ。なんでだろな」

そう言い返してから、思わず欠伸が出た。ふわぁ…と。

「さすがに疲れただろ、今回は」

佐々木が自分の分の飲み物がなくなってるのに、なんでか俺のウーロン茶を手にして一気に飲み干した。

「一緒に行こうぜ、ドリンク入れに」

「…あのなぁ」

「いいだろ? さっきは紫藤と行ってたんだし」

「アレはコイツが勝手についてきてて」

とか言いながら、今度はマイクを手にしている紫藤を指さす。

「知ってるって。でも別にいいだろ? ドリンク入れに行くの、一緒に行ったって」

佐々木がこういう謎の強行をする時は、言うことを聞いた方がいいことが多い。

「はいはい、わかったよ。一緒に行くぞ、佐々木」

「イェア!」

「イェア! じゃねえわ」

しょうがねぇなーと思いつつ、二人でグラスを手にドリンクを取りに行く。

タイミング悪く、廊下には数人がドリンクを取りに来ていた。視線をかわしてうなずき、大人しく最後尾で待つ。

(ま、当たり前だけど)

俺の先輩方の代は、イベントでテンションが上がりすぎちゃって、優勝したんだから優先しろとか言うのがいたっけな。

(アレとは一緒になりたくないしな。そもそもで、そういう輩は好きじゃない)

なんて思いながら、頭の端っこで白崎の姿を思い出す。アイツも同じ答えを出しそうだなとかなんとか。

「…後輩くんのことでも考えてる?」

ドリンク待ちがあと二人ってあたりで、佐々木が耳元で囁く。

どんな顔してたのかわかんなくて、指摘された恥ずかしさに口元にこぶしを寄せた。

「わかりやすぅー」

パチパチとまばたきを激しく繰り返す俺に、「ほら、咲良の番」と肘で小突かれた。

「あ、ん」

動揺が抑えられず、うつむきがちにドリンクサーバーにグラスを置いてウーロン茶を注ぐ。

「俺、炭酸だからコッチな」

一台横のサーバーで、桃の味がするとかいうコーラを注ぐ佐々木。

「お前、ほんと…それ好きだよな」

「まーね。…前に言ったじゃん。俺って好きなもの変わんないの。一途なんだってば、何に対しても」

炭酸で満たされたグラスを手にして、先に終わってズレた場所にいた俺の方へと大股で近づく佐々木。

「風呂ん時に言ってたな、んなこと」

「ちょいちょい言ってるけど、咲良が俺に興味ないから忘れちゃうんだろ」

「…失礼なこと言うなよ」

「なにが?」

「佐々木に興味ないとか言ったことも思ったこともないだろ?」

意外なことを言われて、思ってたよりもムカついた。

「咲良の脳内は、後輩くんで満たされてるだろ? なんか間違ってる?」

クス…とすこしバカにしたような笑みをこぼした佐々木に、「……そればっかだったら、お前に電話したりしねぇわ」と言い返す。

やや間があってから「そういやそうだったな。ごめん、ごめん」と笑顔を浮かべたままで呟いてから、先にドアを開けた。

「おっせぇよ、二人とも。帰ったのかと思った」

赤井が学校での体調の悪さがどこかに消えたかのように、心底楽しげに笑って俺たちを出迎える。

「わざわざコッチに来なくたって」

「だってよー、二人がいなくなったら寂しいじゃん。あ、ポテトでも追加する? 俺、電話する」

赤井が部屋についている電話へと手を伸ばそうとすると、待ったがかかる。

「俺さー、パフェ食いたい。バナナのやつの、ミニ」

緑だ。

「なら、俺は砂肝」

今度は紫藤がメニュー片手に、手をあげた。

「さくちゃんは? 今日は三年間で一番がんばったんだから、もっと食べなきゃ」

そうして俺へとメニューを差し出す。

佐々木と一緒に席へと戻り、グラスをテーブルに置くとメニューを受け取った。

「佐々木もなんか食う?」

「俺は…シーザーサラダの小さい方。無性に野菜が食いたくなった」

「お、いいな、それ」

「じゃ、普通の頼んでシェアする?」

「そうするかー。それと一緒に……カマンベールチーズ入った芋もちあったろ? あれ食いたい」

メニューを見ながら注文を決めていき、顔を上げる。視線の先にいた赤井が、口元を歪めて立ってた。

「ん? どうした? 注文まとめよっか? 俺が」

注文がごちゃごちゃになったかもなと、そう声をかけると不満げに赤井が呟いた。

「俺は! みんなで食べられるやつだったらって思ってたのに! なんでバラッバラに頼もうとすんの!」

って。

「あー…はいはい。赤井はおバカだから、注文を忘れちゃったって言いたいんでしょ? 代わりにまとめてあげる。えーっと、砂肝に、シーザーサラダで取り皿は二つね? それとカマンベールチーズが入った芋もち」

「俺のバナナパフェが消えてるぞ、紫藤」

「アンタは、そこで乾ききってるポテトの残骸でもつまんでなさいよ」

「は? なにそれ」

緑が紫藤に向かって口を尖らせて見せている。その隙にと、赤井が受話器を手に注文をしていた。

「あとは…ミニのバナナパフェも」

もちろん、緑のも注文をして。

「緑なんか、そのポテトで十分だってば。赤井は気が利くいいこなんだから…もう」

注文したものが来るまで、緑と紫藤がギャアギャア言い合ってるのを赤井がおさめようとしてて。

「なんか日常って感じだな、この光景」

ふと佐々木が呟いたそれに「だな」とだけ言い返しながら、俺はいまさらなことを思い出していた。

こうしてイベントが終わっていくたびに、俺たちの卒業も近づくんだってことを。

そして、それぞれに向かう場所があるのなら、こんな風に過ごすのもあと少しなんだなということを。



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