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第三章
二話 峠越え その二
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「どうした?」
驚いた様子で張弦は急にボロボロと泣き出した淑の目の前にかがんだ。
「だって、それは毒味……ですよね、わたしは張殿の下男です」
淑は何度もしゃくりあげた。恥ずかしくてたまらない。もう十六なのに。それなのに、なぜこのものの前では泣いてしまうのだろう。つい張弦を睨む。何がおかしいのか張弦が笑い出す。
「なぜ、笑うのですか!?」
張弦は淑の言葉を無視して水を水筒に汲むと、それを持って岩陰に座り、あぐらをかいた。淑は気になってそばに寄る。するととたんに体が宙に浮いた。あの逞しい腕が自分を軽々と持ち上げたのだ。
「えっ」
淑は気づけばすっぽりと膝の上に乗せられた。その上、後ろから抱きすくめられ、淑は思わず赤くなる。しかし、張弦はかまわずそのまま、まるで子供をあやすように淑の体を揺らしながらつぶやく。
「もう、お前は俺にとっては皇子じゃない、下男でもない、家族を看病してくれた弟のようなものだ。みんなお前が好きだ。何より、俺はいつも懸命なお前が好きだ」
淑は驚いて後ろを振り返った。
「わたくしが仇の子でもですか?」
「義姉上が日栄に言ったそうだ、自分が仇でも鈴花を憎いとは思わないでしょうと」
知っていたのか……それで許してくれていたのか……
また涙がぼろぼろとこぼれる。張弦がまるでからかうように言った。
「まったく俺を叱りつけて日栄を看病させた医者には思えないな」
「あれはひととして当たり前のことです」
「そのひととして当たり前のことができない愚かな奴もいるんだよ」
淑はあわてて言った。
「張殿は愚かなどではありません、あれは……」
あっ……
淑は慌てて口をつぐんだ。しかし、張弦は気にする様子もなく答える。
「そうだ、俺は義姉上が好きだった」
「でも、それは情というものだ、日栄と義姉上の間にあるものとは違う」
本当にそうなのだろうか……
しかし人を想ったことのない自分にはわからない。張弦が聞く。
「お前に好いたやつとかはいないのか」
淑は赤くなった。
「知りませぬ、私は道士ですので妻帯しませぬ」
「まだ弟子だし何よりまだ十六だろうが」
淑は考えた。しかし、誰も思いつかない。山人の事はときどき思い出すがやはり師である。むしろいま自分の後ろにいて自分を慰めてくれる男のほうがずっと好きだ。
本当の兄のように父のように接してくれる男。
ただそれは言えなかった。張弦が、家族が許してくれようと、自分は龍武にいって本来の罪のつぐないをしなくてはならない。
「……今はただこの旅が終わらなければいいと思っております」
淑に言えるのはそれがせいいっぱいだ。すると、張弦が思いもかけないことを言った。
「俺もそう思う、そうすればお前はずっと俺の弟だ」
また涙がこぼれる。
「……恥ずかしいです」
「なんでだ?」
「張殿の前では泣いてしまいます」
「そうだな、あの時以来か」
はじめて会った日のことを思い出す。山猫に襲われかけ死を感じてはじめて人前で泣いた。だからきっとこの男が好きなのだろう。まるで兄のように本当の父のように。淑はもう一度確かめた。
「私が生きていてもいいのですね?」
「ああ」
そんなことかとばかりに張弦が笑う。
「あの時とはお前は随分変わった。まずあの、そなただの、変な言葉づかいをしなくなった」
淑はぷっとふくれた。張弦がまた笑う。
「なんでかはわからぬ、義姉上の言うとおりだと思ったのかもしれぬ」
張弦はまた淑をあやすように体を揺らす。
「ただ旅するうちに気がつけばお前は俺の弟みたいになっていた」
「だから兄の俺が水を先に飲んだ、それでいいじゃないか」
淑はやっとうなずくことができた。
驚いた様子で張弦は急にボロボロと泣き出した淑の目の前にかがんだ。
「だって、それは毒味……ですよね、わたしは張殿の下男です」
淑は何度もしゃくりあげた。恥ずかしくてたまらない。もう十六なのに。それなのに、なぜこのものの前では泣いてしまうのだろう。つい張弦を睨む。何がおかしいのか張弦が笑い出す。
「なぜ、笑うのですか!?」
張弦は淑の言葉を無視して水を水筒に汲むと、それを持って岩陰に座り、あぐらをかいた。淑は気になってそばに寄る。するととたんに体が宙に浮いた。あの逞しい腕が自分を軽々と持ち上げたのだ。
「えっ」
淑は気づけばすっぽりと膝の上に乗せられた。その上、後ろから抱きすくめられ、淑は思わず赤くなる。しかし、張弦はかまわずそのまま、まるで子供をあやすように淑の体を揺らしながらつぶやく。
「もう、お前は俺にとっては皇子じゃない、下男でもない、家族を看病してくれた弟のようなものだ。みんなお前が好きだ。何より、俺はいつも懸命なお前が好きだ」
淑は驚いて後ろを振り返った。
「わたくしが仇の子でもですか?」
「義姉上が日栄に言ったそうだ、自分が仇でも鈴花を憎いとは思わないでしょうと」
知っていたのか……それで許してくれていたのか……
また涙がぼろぼろとこぼれる。張弦がまるでからかうように言った。
「まったく俺を叱りつけて日栄を看病させた医者には思えないな」
「あれはひととして当たり前のことです」
「そのひととして当たり前のことができない愚かな奴もいるんだよ」
淑はあわてて言った。
「張殿は愚かなどではありません、あれは……」
あっ……
淑は慌てて口をつぐんだ。しかし、張弦は気にする様子もなく答える。
「そうだ、俺は義姉上が好きだった」
「でも、それは情というものだ、日栄と義姉上の間にあるものとは違う」
本当にそうなのだろうか……
しかし人を想ったことのない自分にはわからない。張弦が聞く。
「お前に好いたやつとかはいないのか」
淑は赤くなった。
「知りませぬ、私は道士ですので妻帯しませぬ」
「まだ弟子だし何よりまだ十六だろうが」
淑は考えた。しかし、誰も思いつかない。山人の事はときどき思い出すがやはり師である。むしろいま自分の後ろにいて自分を慰めてくれる男のほうがずっと好きだ。
本当の兄のように父のように接してくれる男。
ただそれは言えなかった。張弦が、家族が許してくれようと、自分は龍武にいって本来の罪のつぐないをしなくてはならない。
「……今はただこの旅が終わらなければいいと思っております」
淑に言えるのはそれがせいいっぱいだ。すると、張弦が思いもかけないことを言った。
「俺もそう思う、そうすればお前はずっと俺の弟だ」
また涙がこぼれる。
「……恥ずかしいです」
「なんでだ?」
「張殿の前では泣いてしまいます」
「そうだな、あの時以来か」
はじめて会った日のことを思い出す。山猫に襲われかけ死を感じてはじめて人前で泣いた。だからきっとこの男が好きなのだろう。まるで兄のように本当の父のように。淑はもう一度確かめた。
「私が生きていてもいいのですね?」
「ああ」
そんなことかとばかりに張弦が笑う。
「あの時とはお前は随分変わった。まずあの、そなただの、変な言葉づかいをしなくなった」
淑はぷっとふくれた。張弦がまた笑う。
「なんでかはわからぬ、義姉上の言うとおりだと思ったのかもしれぬ」
張弦はまた淑をあやすように体を揺らす。
「ただ旅するうちに気がつけばお前は俺の弟みたいになっていた」
「だから兄の俺が水を先に飲んだ、それでいいじゃないか」
淑はやっとうなずくことができた。
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