王子様カフェにようこそ!〜秘密の姫君は腹黒王子に溺愛されています〜

有沢真尋

文字の大きさ
22 / 41
第二章

【8】その猫さん、凶悪につき

しおりを挟む
 エルトゥールの触れたところに炎が巻き起こり、男の拳から袖にかけて燃え上がる。

「う……わああああああ」

 悲鳴。怒号。
 何が起きたかわからない周囲から、なんだなんだと声が飛び交う。
 ざわめきの中、エルトゥールは「リズさん、下がっていてください」と肩越しに振り返ってすばやく声をかけた。

「……魔法」

 目を大きく見開いていたリーズロッテは掠れた声で呟いた。
 唇の動きでその言葉を聞き取り、エルトゥールは小さく微笑む。
 すぐに前に向き直り、悲鳴を上げている男とその仲間たちに不敵な視線を投げかけた。

「何を騒いでいるか知りませんが、前後不覚になるほど酔うのは、お酒の飲み方としてどうかと思います。お帰りはあちらですよ」
「あ……?」

 炎はすでに消えている。袖は元通り、火傷の気配もなく。幻。
 エルトゥールの使えるごく弱い魔法。対象者に幻を見せただけで、自分も効果を視認できるが、周りには何が起きたか見えていない。
 持続時間も短い。
 とはいえ、本人はその間実際の熱や痛みを感じる為、はったりとしての威力はそこそこにある。

(さすがリーズロッテさんは聖女さまだけあって、私の魔法が見えたのかな。後で話をしてみた方が良さそう)

「店員のくせに、客に対する態度がなってないな。新人か?」

 魔法を受けた男の背後から、剃り上げた側頭部に刺青の入った大男がぐいっと前に進み出てきて、エルトゥールの前に立った。
 幻が見えず、何が起きたかわからないだけに、エルトゥールのことを脅威として警戒している素振りはない。
 まるで獲物を見つけたとばかりの、嗜虐的な笑みを浮かべて舌なめずりをしている。

「新人と言えば新人ですが、仕事に対しての矜持はあります。迷惑行為を見過ごすつもりはありません」

(ここまで体格差もあると、さすがに手に余りそうです。私は喧嘩が強いわけでもありませんし。どうしましょう)

 明らかに酔っ払いだった先の男と違い、見るからに隙がない。
 護身術のようなものは多少身に着けているエルトゥールであるが、今は武器があるわけでもないのだ。魔法も、連続して何度も使えない。使えたとしても、幻が付け入る隙がない相手の場合、精神力で弾かれてしまえば効果は期待できない。
 困った、という一瞬の弱気は顔に出たらしく、相手の笑みが深まる。

「気が強いところは好みだが、困った顔も良いな。お嬢ちゃん、遊ぼうか」
「私は男です。お嬢ちゃんではありません」
「その見た目で? ま、それはそれで楽しめそうだ」

 負けていられないと睨みつけたエルトゥールを鼻で笑い、男は手を伸ばしてきた。

(速い!)

 今度こそ、避けきれないと身をすくませたその瞬間、目の前に黒いシャツを着た背の高い人影が体をねじ込んできて、男の繰り出してきた腕を掴む。
 踏み込んできた勢いのまま横に受け流し、鮮やかに床に投げ飛ばした。

「だから! ここは食事をするところで喧嘩する場所じゃねえって言ってんだろうが! お前ら全員客じゃねえよ」

 背中が広くて、大きくて。
 塞がれてしまうと、前が見えない。

(アーノルド様! 普段並んでいるときは、そこまで意識しないですむのに。いくら私が男の人のふりをしても、全然違うと、このひとには気付かされてしまう……)

「この店の店員は、客をなんだと思っているんだ!」
「客じゃねえって言ったばかりだ。失せろ。それとも全員怪我をしたいのか。いいぜ」

 負けない。
 その気持ちが声に溢れている。力強くて、揺るがない。

(だけど、アル。人数が多い。ひとりでこれは無理。他の店員は……! 誰か!)

 助けを求めようと振り返ったところで、背後から近づいてきていた男が、リーズロッテを軽々と抱き上げているのを目撃してしまった。細い手足がばたついているが、びくともしない。

「やだ! たすけて!」
「何をしているんですか!? その子を離してください!!」

 咄嗟に腕を伸ばしたエルトゥールは、強く払われて床に転がりこんだ。

「エル!」

 気付いたアーノルドが声をかけてくるが、そのアーノルドにも他の男が殴り掛かっていて、そちらにやり返すことになっている。エルトゥールのそばまで、すぐに駆けつけることは出来ない。

「やだ、はなして、たすけてっ」

 リーズロッテの高い悲鳴が耳につき、エルトゥールは軋んで痛む体の叫びを無視して立ち上がる。
 ひとさらいの男は、他の仲間はどうでもいいのか、それとも別口だったのか、背を向けて入口に向けて走り出していた。
 いけない、とエルトゥールは駆けだすも、足にずきりとした痛みを感じて動きが鈍った。

「リズ、さん……!」

(ジャスティーン様、マクシミリアンさん、はやく……!!)

 強く願ったそのとき、入口からふらりと背の高い、一人客が入ってきた。
 暗い色のローブをまとい、フードを目深にかぶっている。
 エルトゥールの視線の先で、ローブの人物はちょうどすれ違う位置にいた男に手を伸ばして、掌で触れた。
 瞬間的に、莫大な光が弾けた。

 強すぎる光。けれど、太陽のように目を射ることのないそれは、魔法によるもの。

「ぎゃあああああああああ」

 悲鳴が、男の喉から迸り出る。
 ローブの人物は、何も聞こえていないかのように泰然と落ち着いた仕草で、男の腕からリーズロッテを取り上げた。
 そのまま、床に置こうとして、思い直したように抱きかかえる。

(ん……!? 新たな誘拐犯!? しかも、魔法使い!?)

 だったらもう、対処どころではないのですが、と顔を強張らせたエルトゥールだったが、ローブの人物はすたすたと店内を横切り、騒動の渦中、カウンター席の方まで歩いてきた。
 リーズロッテを抱いたまま、フードの影からすっと視線をすべらせた気配。 
 丁寧な仕草でリーズロッテを床に下ろすと、フードをはだけた。
 鋭く研ぎ澄まされた、凄絶な美貌があらわになる。

「三秒以内に出て行かないと全員殺す。ちなみに俺は殺したいので、出て行かないことをすすめる。一」

(三秒、短っ)

「二」

 薄暗い店内でも、青年の姿はよく見えた。
 黒っぽい艶やかな髪。切れ長の瞳に、すらりとした鼻梁。形の良い唇。凶暴な言葉が似合いに感じられるほど、邪悪なまでに美しい。

「三。よし、全員死ね」

 宣言の瞬間、「待って、店員さんは殺さないで」とリーズロッテが体を張って男の足にしがみつき、訴える。

(う……うん? 「全員」に店員も他のお客様も含まれていたの!? ありがとう、リズさん! すごく危ないところだったみたいですね!? なんだろう、この怖いひと……)

 ああ? と極めて柄の悪さを感じさせる態度でリーズロッテに聞き返してから、青年はすうっと視線を流してきた。
 アーノルドを見てから、エルトゥールを見て、そのまましばらく止まる。目が合っている間、ぞくぞくとした寒気を感じた。それほどの、圧倒的な美形。ジャスティーンも造形としては完璧だと思っていたが、それとはまた別種の何か。

(隠し味に暗黒を添えて! 禍々しさとともに!)

 明らかにひとならざる何か。
 青年は「ああ」と低い声をもらした。

「お前らは飯係だな。殺さない」
「飯係……?」

 思わず呟いたエルトゥールに、青年はふっと笑みを漏らして言った。

「俺だよ、俺。もしかしてわかってねえのか? 猫だよ。お前らの言うところの。それで、誰を殺せばいいんだ? 手元が狂うと殺し過ぎるから指示は正確にな」

 猫。
 もしかしてもしかすると、と冷や汗を流しながらアーノルドに目を向けると、エルトゥールとほとんど同じような反応をしているアーノルドと目が合った。
 やや緊張した様子で、アーノルドが呟く。

「ジェラさん……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~

上下左右
恋愛
「貴様のような疫病神との婚約は破棄させてもらう!」  触れた魔道具を壊す体質のせいで、三度の婚約破棄を経験した公爵令嬢エリス。家族からも見限られ、罰として鬼将軍クラウス辺境伯への嫁入りを命じられてしまう。  しかしエリスは周囲の評価など意にも介さない。 「顔なんて目と鼻と口がついていれば十分」だと縁談を受け入れる。  だが実際に嫁いでみると、鬼将軍の顔は認識阻害の魔術によって醜くなっていただけで、魔術無力化の特性を持つエリスは、彼が本当は美しい青年だと見抜いていた。  一方、エリスの特異な体質に、元婚約者の伯爵が気づく。それは伝説の聖女と同じ力で、領地の繁栄を約束するものだった。  伯爵は自分から婚約を破棄したにも関わらず、その決定を覆すために復縁するための画策を始めるのだが・・・後悔してももう遅いと、ざまぁな展開に発展していくのだった  本作は不遇だった令嬢が、最恐将軍に溺愛されて、幸せになるまでのハッピーエンドの物語である ※※小説家になろうでも連載中※※

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります

cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。 聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。 そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。 村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。 かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。 そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。 やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき—— リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。 理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、 「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、 自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

「聖女は2人もいらない」と追放された聖女、王国最強のイケメン騎士と偽装結婚して溺愛される

沙寺絃
恋愛
女子高生のエリカは異世界に召喚された。聖女と呼ばれるエリカだが、王子の本命は一緒に召喚されたもう一人の女の子だった。「 聖女は二人もいらない」と城を追放され、魔族に命を狙われたエリカを助けたのは、銀髪のイケメン騎士フレイ。 圧倒的な強さで魔王の手下を倒したフレイは言う。 「あなたこそが聖女です」 「あなたは俺の領地で保護します」 「身柄を預かるにあたり、俺の婚約者ということにしましょう」 こうしてエリカの偽装結婚異世界ライフが始まった。 やがてエリカはイケメン騎士に溺愛されながら、秘められていた聖女の力を開花させていく。 ※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。

酒飲み聖女は気だるげな騎士団長に秘密を握られています〜完璧じゃなくても愛してるって正気ですか!?〜

鳥花風星
恋愛
太陽の光に当たって透けるような銀髪、紫水晶のような美しい瞳、均整の取れた体つき、女性なら誰もが羨むような見た目でうっとりするほどの完璧な聖女。この国の聖女は、清楚で見た目も中身も美しく、誰もが羨む存在でなければいけない。聖女リリアは、ずっとみんなの理想の「聖女様」でいることに専念してきた。 そんな完璧な聖女であるリリアには誰にも知られてはいけない秘密があった。その秘密は完璧に隠し通され、絶対に誰にも知られないはずだった。だが、そんなある日、騎士団長のセルにその秘密を知られてしまう。 秘密がばれてしまったら、完璧な聖女としての立場が危うく、国民もがっかりさせてしまう。秘密をばらさないようにとセルに懇願するリリアだが、セルは秘密をばらされたくなければ婚約してほしいと言ってきた。 一途な騎士団長といつの間にか逃げられなくなっていた聖女のラブストーリー。 ◇氷雨そら様主催「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。

聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ
恋愛
侯爵令嬢リリアーナは、王太子に「地味で役立たず」と婚約破棄され、食糧難と魔物に脅かされる最果ての辺境へ追放される。しかし彼女には秘密があった。それは前世日本の記憶と、食べた者を癒し強化する【奇跡の料理】を作る力! 絶望的な状況でもお人好しなリリアーナは、得意の料理で人々を助け始める。温かいスープは病人を癒し、栄養満点のシチューは騎士を強くする。その噂は「氷の辺境伯」兼騎士団長アレクシスの耳にも届き…。 最初は警戒していた彼も、彼女の料理とひたむきな人柄に胃袋も心も掴まれ、不器用ながらも溺愛するように!? さらに、美味しい匂いに誘われたもふもふ聖獣たちも仲間入り! 追放令嬢が料理で辺境を豊かにし、冷徹騎士団長にもふもふ達にも愛され幸せを掴む、異世界クッキング&溺愛スローライフ! 王都への爽快ざまぁも?

処理中です...