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【6】

どこまでが予定の内?

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 宿泊先は、ベイエリアのホテルだった。
 市電を使って五稜郭エリアに向かい、ひとしきり市内を巡ってきてから戻ってチェックインを済ませてみれば、押さえてあったのは隣合わせのシングル二部屋。
 夜の街に繰り出す前に、荷物を置いてからロビーに集合ということで、廊下で一度解散。
 ドアを閉めたところで、龍子は背中を戸板に押し付けて、ずぶずぶと床に沈み込むように腰を落とした。

(ああ~、ありがちな「ツインのはずがダブル事件」とか、社長だけにスイートルームで、広いからみんないっしょに宿泊とかじゃなくて助かった……)

 それでなくとも、湯の川温泉あたりの旅館であれば、一人ひと部屋など考えにくい。しかし函館に来たら、湯の川は外せないとも言える。覚悟していた。
 その緊張がいっぺんに消えて、脱力した。
 そもそも龍子は朝、飛行場に向かうときまで犬島も来るものだと信じ込んでいたのだ。であればそちらは男同士で二人部屋ないし個々に部屋を取り、龍子は一人部屋。いざとなったら実家に帰らせてもらっても良いかも、と軽く考えていた。
 蓋を明けてみれば犬島の同行はなく、実家は不在。逃げ場はない状況の中、すべて経費で連れてきてもらっている手前、ぐずぐずも言えないしと悩んでいたのは杞憂に終わった。

「若干強行軍になったけど、明るいうちに五稜郭まで行けて良かった。この後日が沈んだらやっぱり函館山の夜景よね。ちょっと寒そうだけどそこは気合で」

 立ち上がり、声に出したところで。
 龍子は、とんでもないことに気付いてしまった。
 まさか。
 いやでも、もしかして。

(うちのおじいちゃんの屋敷の様子を見てきたからといって、猫化問題が根本的に解決したわけでは、ない……!? え、社長!?)

 思い立ってすぐ、部屋を飛び出す。隣の部屋のドアを「社長、社長」と言いながらノック。
 待つほどの間もなく、中からドアが開いた。
 ジャケットを脱いだ猫宮が、目を瞬いて見下ろしてくる。

「何かあったか」
「猫になったらどうするおつもりです?」

 そこで、龍子は「失礼」と断って部屋に入れてもらい、後ろ手でドアを閉める。ひとけがないとはいえ、誰が通るとも知れない廊下でして良い話ではなかった。
 猫化していなかった猫宮にひとまずほっと胸をなでおろしてから、改めて問いかける。

「社長、いまは人間なのでドアを開けられましたけど、猫になったら開けられないですよね? スマホも使えないですし。どうやって助けを呼ぶつもりですか」
「……ああ」
「まさか考えていなかったんですか? いつものお屋敷とは違うんですよ。ドアを軽く開けておくこともできないでしょうし、鍵がしっかりかかってしまうので、いざというときに私は外から開けることができません。スマホも使えないからいざという時もわかりませんし……、スタッフの方にお願いして開けてもらおうものなら、本人がいなくて猫がいることの説明が必要になってしまいます。だから」

 話す前からうっすらわかっていたが、答えは出てしまっていた。
 龍子は物悲しい顔をしている猫宮を見上げ、最後通牒をつきつけるが如くその結論部分を口にする。

「私たち、別々の部屋というわけには、いかないですよね」
「それはそうなんだが」
「部屋を変えてもらいましょう。どうせ社長は夜になれば猫チャンですしツインであれば支障なく過ごせると思いますので」

 ひといきに、言い切った。

(部屋を変えると、請求内容で犬島さんにはいろいろわかってしまいそうだけど。勘ぐるような野暮なことはしないと信じたい……。猫なんです、すべては猫なので)

 猫宮は額に手を当て、ばつが悪そうに頷いた。

「たしかに、絶対大丈夫と言える根拠は何もない。最近、夜に猫になってもコタツで寝ると人間に戻っていたので油断していたが、ホテルの部屋にはコタツがないからな……。申し訳ないが、世話になる」

 コタツではない。

(断じてそこは、コタツではないのです。猫から人間に戻しているのは私、私ですよ~! なんだっけ、こういう、助けているのに言えない童話何かなかったっけ……)

 言葉を失って気持ちが伝えられない『人魚姫』?
 機織りをして反物を作っているけど、見られてはいけない『鶴の恩返し』?
 ガラスの靴を落としてきてしまったが、なかなか名乗り出て行けない『シンデレラ』。?

(ええと、ええと、なんだろう微妙に違う……。これは)

 思い出せそうで思い出せない何かを追いかけて。

「どうした?」

 不思議そうに聞いてきた猫宮の顔を見て、龍子は思わず頭の中をよぎった文言を口にした。

「『ごん、お前だったのか』」
「なんでまた、ごんぎつね?」
「そういう気分だったんです」

 ごまかす気力もなく答えると、猫宮は神妙な顔で「わかった」と言った。毒づくこともできずに、龍子は胸の内だけで呟く。

(嘘つき。私の気持ちなんか、絶対にわかっていないくせに)


 * * *


 昼間とは別の道を通って、街並みを楽しみながらロープウェイ乗り場へと向かう。
 道すがら龍子の函館レクチャーには熱が入り、猫宮は茶々を入れることもなくよく聞いていた。

「なんか社長って、妙に話しやすいですよね。ひとの話をよく聞いてくれると言いますか。それも営業で身についたスキルですか? ついつい話しすぎるんですけど」
「つまらない話なら適当にぶった切るけど。古河さんの話、面白かったから」

 山頂へと向かうゴンドラに乗り、龍子がしみじみと言えば、猫宮からはさらっと切り替えされてしまった。かなり優秀な模範解答で。

(社長~、この性格だけでも正直かなりモテる気がするんですが! 加えてモデル並の容姿に、富豪でプリンスですよ。猫化がなければ今頃は)

 気の毒な目で見てしまっていたのか、猫宮が何かを察知したように「いま、悪いこと考えてなかったか?」と聞いてきた。
 周囲には他に何人か乗っていて、皆ガラス張りの壁に貼り付いて外の景色を見ていた。だが、ちらちらと猫宮に視線を送っている女性グループもいる。話す機会をうかがっているというより、単純に際立った容姿が目を引くからであろうと思われた。

(猫、猫ってあまり大きな声では言えないな)

 さすがに自重した龍子が「ええと」と言葉を濁すと、言いにくいことと考えたのか、猫宮が身をかがめて顔を近づけてくる。さらっと茶色っぽい髪が揺れて、形の良い耳が間近に見えた。

「何?」
「……その、社長はこいびと……いえ、婚約の件はどうなってるんですか」
「ああ、犬島から何か聞いたか? ゴリ押しされてる。なかなか手ごわい相手なんだ」
「受けるんですか?」

 すっと猫宮が居住まいを正した。
 ぎゃはは、と笑いながら移動してきた男性グループからさりげなく盾になり、龍子をかばいながら軽い調子で言う。

「気にしてる?」
「気に……してると言えばしてると言えなくもなくないですけどえーと」
「どっちだよ」

 猫宮がふきだしたところで、ゴンドラが止まった。
 人の流れに乗って移動しているうちに、話は有耶無耶となる。
 そこからはついつい、「これが! 百万ドルの夜景です!」とまたもや観光案内に熱が入り、冷たく空気が澄んだ中、まさに絶景の夜景を満喫してからふもとに戻ると、今度は「これを食べないで函館は語れません!」とラッキーピエロへ。
 選びきれなかったばかりに、二人でハンバーガーを二個ずつ食す。
 近場のバーに寄り、酒に弱くも強くもないという猫宮と軽く二杯飲んでからホテルに戻る。良い気分になっていたところで(あっ、一緒の部屋だった)と思い出し、取り直した部屋へと向かった。

 若干緊張しなくもなかったが、龍子はそれほど心配はしていなかった。
 何しろ、猫宮はここのところ毎日猫になっていたので、今日に限ってならないだなんて。
 そんなこと、あるはずが。

 部屋に戻って、互いに譲り合いながら「シャワーする前に猫になったらまずいでしょうから」と龍子からすすめて、猫宮に先にバスルームを譲る。
 出てくるのを待つ間、龍子は(まずい)と焦り始めていた。
 普段ならもう、猫になっていてもおかしくない時間帯なのに。
 猫宮が、猫にならない。

(猫に……ならないんですけど!?)

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