失恋伯爵の婚活事情

有沢真尋

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伯爵の本気

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 ――私のこと好きにならないで頂けますか。

 初対面のとき、シルヴィアはオリビエに対してそう言った。

(よくわかると思った。他ならぬ俺自身がそうで、周囲にも同じことを言ってきた。だけど、いざひとから言われると、抵抗もあった。「ひとから好かれるのが嫌だ(困る)」と他人から明言されると、足元がぐらつく感覚がある)

 それはおそらく「ひととひとはわかりあえない」と敢えて口にするようなもの。
 「話し合えばわかる」とか「ひととひとは必ずわかりあえる」などと、信じてはいない。
 生きていく中で、諦める瞬間がくるのだ。「わかりあえない人間もいる」そのように。
 だけどこの世界には、人間の「善」を信じたいという強いエネルギーが働いていて、「わかりあうことを諦める」というのを良しとしない向きもある。
 もしそれが正しいのだとしても、敢えてそうと口にして誰かに聞かせてしまえば、傷つく者もいる。

(「知りたくない、目を背けていたい現実だから」というよりも……。「そこで思考停止したくない」という思いがあるから。完全にわかりあえなくても、話し合いを止めたくないとか。「わかりあえないとすでに諦めた人間がいる事実が怖い」とか。世界には希望や光があると信じたい人間に、不安を与える言葉なんだ。もっと強く言えば「嫌悪感」を。「ひとから好かれるのが嫌だ」という言葉も、同じく)

 彼女から「自分を好きにならないで欲しい」と、突き放されたときに。
 わかると思いながらも、胸に痛みを感じた。

(結局、俺自身にも、この世界が良いものだと信じたい気持ちはあるから……。他人とわかり合いたいし、愛し合いたいと。自分が誰かを好きになることを否定されたくないし、自分自身に認めたい、許したいと。その気持は、どうしたって消せない)

「『呪い』?」

 オリビエは、シルヴィアに対して確認した。
 覚悟を決めたように、シルヴィアは決然とした表情で頷いた。

「私の母の祖国では、いわゆる古代の魔導士と同種の能力だとは思いますが、呪術師と呼ばれるひとびとがいます。その呪術はかなり有効性があって……。私は、母の身にかかっていた呪いを引き継いでしまったようなんです。それは、近づいた男性を惑わす類のものです。今の不自然なモテは、私自身がひとから好かれているのではなく、呪いの影響で、男性が一時的に私に惹かれていると錯覚してしまうだけなんです。私はそのせいで、男性に対して強い苦手意識が出来てしまいました。貴族の娘として生まれたのだから、結婚も選り好みはできないと頭ではわかっていたんですが、父は自分のこともあったので私に結婚を無理強いすることはなく。私も高望みしてしまいました。私自身を見てくださる方と出会いたい、と」

 唇に儚い笑みを浮かべて、告げる。

(綺麗な瞳。綺麗な表情。彼女の思いが溢れている)

「あなたが言っていることは、わかるように思います。ひととひとが結ばれるとき、そこには互いへの愛があってほしいと願うことを、俺は高望みとは思いません。『好き』は本当に難しいです。『相手を自分の好きなようにしたい』という気持ちがどうしても含まれる。その罪悪感。一方で、『相手に幸せになってほしい』という思いも、綺麗事ではなく真実としてそこにあると、俺は信じています」

 視線がぶつかる。
 焦がれるまなざしに感じるのは、自分の思い込みがそう見せるだけなのだろうか?
 シルヴィアは笑みを深めて、瞳をまぶしそうに細めた。

「オリビエ様に愛を囁かれる方は、本当に幸せだと思います。今、どんな困難があったとしても、お相手の方と、いつか結ばれると良いですね。私、応援しています」

 最終的に、きゅっと拳を握りしめて、力強く応援されてしまった。
 言われたオリビエといえば、気の利いた返事をする場面だとは了解しつつも、心当たりがなさすぎて、うまく反応ができない。
 結果的に、疑問のままに聞き返してしまった。

「俺の愛する相手? えーと? 誰の話をしています??」
「どなたかは存じ上げませんが、いらっしゃいますよね?」
「どこに?」
「どことは」

 きょとんと聞き返されて(あれ、俺がおかしいのか?)と思いかけたが、知らないものは知らない。

「二十一歳にもなって、堂々と言うのもなんですが、いないです。いたことがないです。愛を囁く相手。ですが、シルヴィアさんは確信を持って言っているので、あてでもあるのかと……。あ、そうか、ミジンコですか? 確かにミジンコ愛はずいぶん語りましたね。そのせいかな」
 
 目を大きく見開いたまま動きを止めていたシルヴィアは、かくかくと不自然な動作でアレクシスに顔を向けた。

「殿下? 私、『呪い』が効かない条件は『すでに心に空きのない方』だと信じていたんですけど……! オリビエ様の心はミジンコのものですか!? 隙間なくミジンコに埋められているということですか?」

 尋ねられたアレクシスは「あー、なるほどなるほど」とのんびりと呟いていた。

「アレク、あなたシルヴィアに何を言ったの?」
「『誤解を招くこと』です。そうか、あの流れだとそうなるか。迂闊でした」

 まったく悪びれた様子もなく非を認めるアレクシスを、イライザは胡乱な様子で見つめる。 
 オリビエは「どちらかというと、今はミジンコよりも線形動物で胸がいっぱいです」と口走っていたが、誰の注目をひくこともなく終わった。

「これまで、たとえば私の父ですとか、呪いの影響を受けない男性はたしかにいました。それで、てっきり……。すでに愛している相手がいる方は、効かないのだと、確信してしまいまして」
「シルヴィアのモテが『呪い』とは私も知らなかったけれど。どちらにせよアレクに効かないのは、アレクが鈍いだけよ」

 イライザがやや呆れた様子で言い、その横でアレクシスが「鈍いのは誰ですかね」とうそぶいていたが、これもまたその場の注目をひくことなく終わった。
 シルヴィアは事態を飲み込めないように、オリビエを見つめてくる。

「それでは、オリビエ様に私の『呪い』が効かないのはどうしてですか? オリビエ様は私のことは全然好きじゃないですよね?」

(すごく答えにくい質問をされている)

 オリビエは膝の上で指を組み合わせて、呼吸を整えた。
 聞かれたことを誤魔化したくはないが、シルヴィアを脅かしたいとも思わない。
 
(これまでは、彼女が「なぜ人から好かれたくないか」がわからなかった。今は……。少なくとも、彼女自身は「愛」を信じていることがわかった。「呪い」に負けない相手と愛を育みたいと考えていることも。もしそんな相手がこの世にいるのなら。それは俺自身も考えたことがある。ずっと考えてきた)

「その質問、実は今日二回目だと思うのですが」

 オリビエが慎重に言葉を選びながら言うと、シルヴィアは息を飲んで胸に手をあて「そうでした!!」と言った。気付いていなかったらしい。ほとんど、習い性のようになっているのかもしれない。
 目を逸らさぬまま、オリビエは続けた。

「俺があなたを好ましい人間だと感じていることと、敵意や害意はないことはお伝えしました。もしその先のことを話し合いたいとの意味での問いかけなら、少し時間を頂きたいと思います。今のところ、あなたの呪いは俺には効かないようにみえます。ですが……、俺の呪いがあなたに効かないという確信はいまだ得られていません。そこを確認しなければ、俺からはこれ以上のことは言えません」


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