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【本編】
悪魔との契約
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暖炉の火が赤々と燃え盛る、あたたかな部屋。
壁には所狭しと様々な風景画が飾られ、ゆったりと配置されたソファや椅子にはもれなく動物のぬいぐるみが座っていた。どれもこれもしっかりとした作りで、今にも動き出したり話したりしそうな臨場感がある。
(あの一人掛けソファに座っている黒猫のぬいぐるみなんて、生きているみたいだ。今にもこっちを見てきそうだな)
アレンはさらにぐるりと部屋を見回し、天蓋付きのベッドに目を留めた。人が寝ているかどうか、遠目にはわからない。
それから、視線を上向ける。
天井全面に、伸びやかな水色で青空が描かれていた。窓の外は陰鬱な雲の垂れ込めた冬空だというのに、ただその青空だけがやけに春めいていた。
パキッと、暖炉で薪の爆ぜる音が妙に大きく響いた。
「いらっしゃい。私、歩けないの。こちらまで来てもらっていいかしら」
か細くも張りのある声が、戸口に立つアレンを呼んだ。
アレンが声の主を探して視線をすべらせたそのとき、横に立っていたレスターが「窓際」と低く囁いてくる。
窓に向かって、揺り椅子が置かれていた。ドアの位置からは椅子の背しか見えず、座っている人物が確認できない。
「レスター、ご苦労さま。あなたなら私の願いを叶えてくれると思っていたのよ。下がっていいわ。メアリーも。あとは彼と二人にしてくれる?」
二人になっていいの? とアレンが目で伺うと、レスターが頷く。揺り椅子に向かって「失礼します」と声をかけてから、メアリーと連れ立って退室していった。
パタン、とアレンの背後でドアが閉じる。
一瞬の沈黙。
口火を切ったのはアレンだった。
「お側に行っても良いですか」
「お願い。ひとりでは歩けないのよ」
打てば響く清らかな声。
大股に部屋を横切り、アレンは距離を取りながら、揺り椅子の前面へと回り込んだ。
* * *
丁寧に梳かされた黒髪、柔らかそうな寝巻き風のドレスに肩掛け。厚手の膝掛けで下半身を覆っており、膝の上には蝋細工のような華奢な作りの指が揃えられていた。
アレンをまっすぐに見ているのは、輝きの強い翠眼《すいがん》。
(末期の病人? この目が?)
「窓から見ていたわ。マクレイ卿に何か難癖をつけられていたんじゃない?」
「挨拶されたので挨拶をしたくらいですね」
涼しい声でアレンが答えると、瞳の輝きが強まった。
「名前は?」
「アレン」
「早速ですけど、経験人数は。お仕事の」
「星の数。売れっ子なので」
もちろん嘘。
「いますぐ死ぬと言われたらどうする? あなた、この世に未練は?」
「……あると言えばあるし、諦めがつくといえば諦めがつくくらいかな」
「ここへは、楽な仕事だと言われて来たの?」
矢継ぎ早の質問。顔色を変えぬまま答えようと息を吸ったものの、アレンは結局のところ、苦笑を浮かべてしまった。
クララの瞳をまっすぐに見て、告げる。
「楽な仕事とは考えていない。今も……どんな風に進めようか悩んでる。お嬢さんは、そんなに話していて平気なの?」
体に障《さわ》るのではないかと尋ねると、クララはゆっくりと肩を落として項垂《うなだ》れた。ふう、と重い溜息。アレンは目を細めて、その様子をつぶさに観察する。
「辛そうだね。ベッドに横になる? 手伝っても良い? それとも誰か呼ぶ?」
「大丈夫よ。気分は全然悪くない。むしろ一番難しいと思っていた『色欲』を確保できたことに、心の底からほっとしている」
意識を集中して耳を傾けていたアレンだが、その返答に交じる一筋の違和感に、軽く眉を潜めた。
(「色欲」の確保? どういう意味だ……?)
訝《いぶか》しみつつ見つめる視線の先で、クララは顔を上げた。
アレンに不敵に笑いかけ、早口に告げる。
「私ね、これまでずっとこの病弱な体と付き合ってきたわ。いつか良くなるかもしれないって。だけどここにきてついに余命宣告よ。頭に来て大泣きしていたら、悪魔が来て言ったの。『この先、七つの罪源に思う存分身を任せて悪魔《わたし》を楽しませることができたら、お前の命を永らえさせてやろう』って。ずるいのよ、具体的にどこまで寿命を伸ばしてくれるかなんて一切言わないんだもの。だけど、後が無い私はその話に乗ることにした。悪魔も真っ青なくらい、罪深い悪魔以上に悪魔らしい人間になろうと」
相槌を打つこともできず、息を止めてアレンはその話を聞いていた。
(七つの……「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」……)
「それで俺は『色欲』担当だと」
「後はなんとかなりそうだと思うんだけど、こればかりはね……」
同意を求めるように見つめられたが、アレンは迂闊に頷くことなどできはしない。
そのとき、不意に忙《せわ》しなくドアが叩かれた。
「クララ、私よ私。例のお客人が見えたと聞いたけれど、ぜひ私も会いたいわ。お邪魔するわよ!」
ドア越しに響き渡る女性の声。騒々しいな、と顔を向けたところでドアが開かれる。
クララが、素早く言った。「義母《はは》よ」と。
壁には所狭しと様々な風景画が飾られ、ゆったりと配置されたソファや椅子にはもれなく動物のぬいぐるみが座っていた。どれもこれもしっかりとした作りで、今にも動き出したり話したりしそうな臨場感がある。
(あの一人掛けソファに座っている黒猫のぬいぐるみなんて、生きているみたいだ。今にもこっちを見てきそうだな)
アレンはさらにぐるりと部屋を見回し、天蓋付きのベッドに目を留めた。人が寝ているかどうか、遠目にはわからない。
それから、視線を上向ける。
天井全面に、伸びやかな水色で青空が描かれていた。窓の外は陰鬱な雲の垂れ込めた冬空だというのに、ただその青空だけがやけに春めいていた。
パキッと、暖炉で薪の爆ぜる音が妙に大きく響いた。
「いらっしゃい。私、歩けないの。こちらまで来てもらっていいかしら」
か細くも張りのある声が、戸口に立つアレンを呼んだ。
アレンが声の主を探して視線をすべらせたそのとき、横に立っていたレスターが「窓際」と低く囁いてくる。
窓に向かって、揺り椅子が置かれていた。ドアの位置からは椅子の背しか見えず、座っている人物が確認できない。
「レスター、ご苦労さま。あなたなら私の願いを叶えてくれると思っていたのよ。下がっていいわ。メアリーも。あとは彼と二人にしてくれる?」
二人になっていいの? とアレンが目で伺うと、レスターが頷く。揺り椅子に向かって「失礼します」と声をかけてから、メアリーと連れ立って退室していった。
パタン、とアレンの背後でドアが閉じる。
一瞬の沈黙。
口火を切ったのはアレンだった。
「お側に行っても良いですか」
「お願い。ひとりでは歩けないのよ」
打てば響く清らかな声。
大股に部屋を横切り、アレンは距離を取りながら、揺り椅子の前面へと回り込んだ。
* * *
丁寧に梳かされた黒髪、柔らかそうな寝巻き風のドレスに肩掛け。厚手の膝掛けで下半身を覆っており、膝の上には蝋細工のような華奢な作りの指が揃えられていた。
アレンをまっすぐに見ているのは、輝きの強い翠眼《すいがん》。
(末期の病人? この目が?)
「窓から見ていたわ。マクレイ卿に何か難癖をつけられていたんじゃない?」
「挨拶されたので挨拶をしたくらいですね」
涼しい声でアレンが答えると、瞳の輝きが強まった。
「名前は?」
「アレン」
「早速ですけど、経験人数は。お仕事の」
「星の数。売れっ子なので」
もちろん嘘。
「いますぐ死ぬと言われたらどうする? あなた、この世に未練は?」
「……あると言えばあるし、諦めがつくといえば諦めがつくくらいかな」
「ここへは、楽な仕事だと言われて来たの?」
矢継ぎ早の質問。顔色を変えぬまま答えようと息を吸ったものの、アレンは結局のところ、苦笑を浮かべてしまった。
クララの瞳をまっすぐに見て、告げる。
「楽な仕事とは考えていない。今も……どんな風に進めようか悩んでる。お嬢さんは、そんなに話していて平気なの?」
体に障《さわ》るのではないかと尋ねると、クララはゆっくりと肩を落として項垂《うなだ》れた。ふう、と重い溜息。アレンは目を細めて、その様子をつぶさに観察する。
「辛そうだね。ベッドに横になる? 手伝っても良い? それとも誰か呼ぶ?」
「大丈夫よ。気分は全然悪くない。むしろ一番難しいと思っていた『色欲』を確保できたことに、心の底からほっとしている」
意識を集中して耳を傾けていたアレンだが、その返答に交じる一筋の違和感に、軽く眉を潜めた。
(「色欲」の確保? どういう意味だ……?)
訝《いぶか》しみつつ見つめる視線の先で、クララは顔を上げた。
アレンに不敵に笑いかけ、早口に告げる。
「私ね、これまでずっとこの病弱な体と付き合ってきたわ。いつか良くなるかもしれないって。だけどここにきてついに余命宣告よ。頭に来て大泣きしていたら、悪魔が来て言ったの。『この先、七つの罪源に思う存分身を任せて悪魔《わたし》を楽しませることができたら、お前の命を永らえさせてやろう』って。ずるいのよ、具体的にどこまで寿命を伸ばしてくれるかなんて一切言わないんだもの。だけど、後が無い私はその話に乗ることにした。悪魔も真っ青なくらい、罪深い悪魔以上に悪魔らしい人間になろうと」
相槌を打つこともできず、息を止めてアレンはその話を聞いていた。
(七つの……「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」……)
「それで俺は『色欲』担当だと」
「後はなんとかなりそうだと思うんだけど、こればかりはね……」
同意を求めるように見つめられたが、アレンは迂闊に頷くことなどできはしない。
そのとき、不意に忙《せわ》しなくドアが叩かれた。
「クララ、私よ私。例のお客人が見えたと聞いたけれど、ぜひ私も会いたいわ。お邪魔するわよ!」
ドア越しに響き渡る女性の声。騒々しいな、と顔を向けたところでドアが開かれる。
クララが、素早く言った。「義母《はは》よ」と。
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