聖獣さまの番認定が重い。~不遇の令嬢と最強の魔法使い、だいたいもふもふ~

有沢真尋

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【第三章】

そばにいさせて

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 窓にカーテンをひくのを忘れて出ていたせいで、白々とした月明かりが部屋の中へ注いでいた。
 滴る光の中で、彼の髪は濡れたように艶やかな光を帯びて見えた。

「どうしたの、リズ。こっちにおいでよ。いつもみたいに一緒に寝よう?」

 鼓膜を甘く震わせ、頭の芯をぼうっとさせる濃艶な囁き声。
 縫い留められたようにドアの前から動かないリーズロッテに対し、彼は小首を傾げて近づいてきた。

「リズ、お願い。一緒に寝てよ。まだ力が安定しないから、猫に戻っちゃう。出来るだけそばにいさせて。触らせてなんて言わないから。いまは」

 距離を詰められて、リーズロッテは後退するスペースもないのに後退し、背中をドアに貼り付ける。

「リズ。苦しいんだ……」

 両腕が伸ばされる。手がリーズロッテを挟んで、ドアにつく。
 わずかな空間に、リーズロッテは閉じ込められてしまった。

「近くて」

 リーズロッテは、とっさに顔を思い切り横に向けるも、悩ましげな吐息に前髪を揺らされる。

「全然足りないよ、リズ。本当はもっと触れ合いたい。すごく深いところで、愛しあいながらお互いの魔力を溶け合わせれば、今よりもずっと強い力が手に入るよ。リズ、ようやく見つけた俺の『聖女』……」

 そのひとは、リーズロッテを両腕で作った檻に閉じ込めながら、視線を合わせるように少しずつ体を折って顔を近づけてきている。

「ジェラさん」
「俺を受け入れて。リズ、君はもう自分の力に気づいているはず。時が流れ満ちていくのがわかるだろ。体は正直だね。俺を受け入れたがっている」
「やめて!! 無理よ。わたくしは今までずっと子どものままで。あっ……!?」

 リーズロッテの長い黒髪に口付け、唇に咥えて、彼は笑っていた。
 それは、眉目秀麗という言葉では到底言い表せぬほど、この世の者ならざる精巧な美貌。
 だが、苦しげに寄せられた眉や細められた瞳には焦燥が漂い、呼吸はわずかながら乱れていて、彼がたしかに現実の生き物であるというのを示していた。
 醸し出される、危うい空気。

「俺が触れるのを許して。俺はもう、リズのものだからどこにもいかない。ずっとそばにいる。リズも……」

 囁きを耳に注ぎ込まれて、リーズロッテもまた我知らず熱い吐息を漏らしてしまう。
 そんな自分に遅れて気づいて、愕然とした。
 声を聞いているだけで、腰が砕けて足がふらつきそうだった。
 もし倒れようものなら、あの力強い腕に易々と抱き留められて、二度と解放してもらえないに違いない。
 予感がした。

(捕まって、しまう……)

 流されている場合ではない、と自分に言い聞かせて気を強く持とうとした。

「わたくしが一緒に寝るのを許しているのは、猫のジェラさんです。あなたじゃありません」
「いじわる言わないで、リズ。そんなに焦らされると、俺おかしくなっちゃうよ」

 婀娜っぽい視線を流されたが、リーズロッテは気付かぬふりをして、つん、とそっぽを向く。

「そういうのは『脅迫』というのよ。恥を知りなさい。おかしくなるなら、勝手に一人でおかしくなっていたらどうかしら。自分の抑えがきかないのを、わたくしのせいにしないで欲しいものだわ」

 咥えていた髪を放して、その人はがっくりとうなだれてしまった。
 低い呟き声がリーズロッテの耳に届く。

「この気高さが堪らない……。燃える」

(反省していない……!? 燃えるって、何が燃えるの? 魔法?)

 一見落ち込んで見える。が、果たしてそうなのだろうか、と一抹の不安が過ぎる呟きであった。

「その、わたくしに触れてはだめですよ」

 念のため自分の意思を伝えると、その人はゆっくりと顔を上げた。
 微笑を浮かべた美貌には、うっすらと勝利の余裕すら漂っている。

「もうリズは俺を部屋に入れてしまったし、ベッドは一つしかないんだよ?」
「床で」

 ノータイムで、リーズロッテは言い返した。
 目の前で、ぱちっと目を瞬かれる。

「猫のときより扱いが雑」
「猫ならともかく、人間の男性とベッドを分け合うなんてありえません。ここは譲れないわ」
「ひどいにゃん」
「ううん、どう見ても人間。にゃんと言っても無理なものは無理。だめなものはだめにゃん。あっ」

 間違えた。

 間近で見つめ合うと息も止まりそうな美貌に、すがるような目を向けられている。
 リーズロッテは、ここでほだされてなるものかと、全力で拒否した。
 まったく取り付く島がないと悟ったのか、その人はふらっと部屋の中央までよろめきながら後退し、その場に膝を抱えて座り込んだ。
 哀れっぽい声で「にゃん」と呟いている。完全に人間の話し言葉風に、にゃん、と。白々しい。
 距離を取りながらベッドに向かいつつ、リーズロッテは念押しをした。

「そこから動いちゃだめよ」
「これはひどい。ま、放置プレイ歴百年単位の俺にはこのくらい、ぬるいものだけどね。もっとひどくしてくれてもいいのに」
「何を求められているかわからないけれど、わたくしの要求は、みだりに部屋の中を動き回らず、ベッドやわたくしに近づかず、そのままそこで膝を抱えていて欲しいという一点です」

 ひどいことを言っているのはじゅうぶん自覚していたが、譲歩すればした分だけ自分の立ち位置が削られ、追い込まれるのが目に見えている。
 いまでさえ、仲良くなった猫が人間の姿で現れたというだけで、胸がいっぱいなのだ。
 変な空気を醸し出さずに、率直に「仲良くなりたいだけにゃん」と言われたら、顔面凶器並の凄絶な美貌に尻込みしつつも、手をとってしまいかねない。

(ほだされるわけには、いかないの。たとえあなたがジェラさんでも、いまは人間の男でしょう?)

 それでも、言い過ぎかしら、とドキドキしながら顔を見つめると、目が合った。
 にこり、と爽やかな笑みが向けられる。

「リズの好きにしてくれていいよ。俺はリズを、困らせたいわけじゃない」

(……そんなに譲歩されてしまうと。わたくしだってべつに、あなたをいじめたいわけじゃなくて)

 今日も、守ってくれたのは知っている。
 できれば、もっといろいろ話してみたい。
 あなたは一体何者なのですか? と。

(一緒にいると魔力が回復すると言うけれど、わたくしの魔力の流れも変わっていくのを感じるんです。体内でせきとめられていたものが、迸り出るように。腕や足の付け根、指や骨が軋む感覚もあります。いまにも体が大きく変化しそう)

 自分が、彼の待ち望んだ相手なのかはわからない。
 だが、彼は自分に変化をもたらす相手であるのは間違いなさそうで、その意味ではリーズロッテ自身、彼のそばにいたいと感じている。
 もっと近くにいれば、自分ももっと変われるかもしれない。

「床で、というのは言いすぎたと思います」

 腰掛けていたベッドから立ち上がり、リーズロッテはその人の元まで歩み寄った。
 柔らかそうな黒い前髪の間から、光を放つ深緑色の双眸に見上げられる。
 リーズロッテは、目の前に膝をつき手を差し伸べて、告げた。

「猫になってください」

 ぽん、と彼の姿がかききえて、瞬く間にそこには見覚えのある猫が出現していた。

“リ、リズ……。猫になっちゃったよぅ……”

 哀れっぽい調子で鳴かれたが、リーズロッテは自分の言葉が起こした出来事に驚愕して目を見開いており、それどころではない。

「魔法……使えた!? え、本当に猫に!? いまの、わたくし!?」

 これまで呼びかけには全然こたえなかった力が、このときはいとも簡単に発動して願いを叶えてくれた。
 自分の小さな手に目を落とす。

(目の前の相手の姿を変えてしまったこの力。もしかして……、わたくし自身に向けて使えば、この成長の止まった姿にも……)
 
 愕然としているリーズロッテをよそに、猫はしょぼくれた様子でのそのそと歩き、ベッドに飛び乗った。
 いつも彼が寝ている、リーズロッテの足元。
 そのまま、ふてくされたように猫らしく丸くなり、すん、と鼻を鳴らしている。
 リーズロッテが目を向けると、悲しげな目を向けてきて、ひそやかな声で囁いてきた。
 おやすみにゃん、と。

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