行き遅れなのでお飾りも務まりません。プロポーズは真に受けないでくださいね。

有沢真尋

文字の大きさ
2 / 4

【2】

しおりを挟む
 アンナ・ギボンズは二十八歳。二十歳前後が結婚適齢期とされるこの国の基準では、完全なる行き遅れだ。子爵家の生まれで当初は「結婚どうする?」と余裕だった親も、やがて「結婚だけはしておきなさい」と慌てだし、やがて「どうしても結婚はしないの?」と様子をうかがわれる年齢をも通り過ぎた。
 いまや侍女として勤務しているモリス公爵家ではもっぱら「えっ、既婚者でしたよね?」という誤解が浸透している。

 誤解の発端は、さかのぼること八年前。
 モリス夫人の子たちがアンナによく懐いたことだった。「ニコルお嬢様は火がついたように泣いていても、アンナが抱き上げるとすぐに泣き止む」と、夫人の侍女であったアンナがにわかに乳児のお世話係として注目を集める一件があったのだ。

 ニコルお嬢様はモリス夫人の最初の子で、公爵家の長女。本来であれば経験豊富な乳母やメイドの出番であったが、時勢が悪く流行り病で体調不良者が続出していた年であった。普段なら使用人を多数抱えていてどんな不便もない公爵家も、このときばかりはどうにもならず、余力のある者同士でできる仕事をできるだけこなすという危機的状況にあった。その中にあって「子育て」は、後回しも省略もできるものではなく、誰かが絶対にしなければならないことだった。

 乳母も倒れ、貴族の奥様としては例外的にモリス夫人自らニコルお嬢様に授乳した。アンナは授乳以外の大体すべてのことをした。乳児育児のエキスパートとなった。
 乳母だ、という誤解が生まれ育まれ確固たるものとなった。

 モリス夫人はさらに三人の子を生み、アンナは公爵家きっての子育て要員として奮闘した。乳母の中の乳母と呼ばれ、誰もがその仕事ぶりから乳母であることを信じて疑わなくなった。
 本来なら年齢的にも子爵家出身の家柄からしても、公爵夫人の社交に付き添う若くておしゃれな侍女として活躍する時期に、アンナは「お子様に大人気」「アンナさんがいれば大丈夫」「公爵邸の子ども部屋はアンナさんで成り立っている」という絶大な信頼のもと、公爵邸からわずかの外出も難しい生活を送ることとなったのである。

 アンナが「花の盛り」を仕事に明け暮れて過ごしたことに、モリス公爵夫妻は絶大な申し訳なさと恩義を感じているようだった。

 公爵は「アンナがあれにすると誰か指をさしてくれれば、すぐに夫として手配する」などと言い出した。まるで競走馬の競りのような話であった。金銭と権力ですべてを解決する。
 夫人はといえば毎回トランプができるくらいの絵姿と身上書を揃えてきては裏返して並べて「どれにする? 全部当たりよ?」とアンナに選ばせようとしてきた。他人の人生をギャンブルにしすぎである。

「子育てが楽しすぎて。どうしても結婚は必要なのでしょうか?」

 アンナは常日頃、洗いやすさと頑丈さと動きやすさを優先した地味なドレスを身に着けており、髪型も子どもに引っ張られたりスープの皿に毛が落ちるなどないような目の固い編み込みで、物事をしっかりはっきり見るために度の合ったメガネをしていた。

 いつも子どもを一人ないし二人小脇に抱え、歌を歌い、物語を語って聞かせながら「坊ちゃま! 急に走り出さない!」「お嬢様はカーテンにのぼらない!」と声の限りに叫んでいる。他の侍女やメイドが誰一人として追随できない八面六臂の活躍であり、自分の適性と能力の高さに自信を持って仕事人として生きてきたつもりだった。
 公爵夫妻になんと言われても、自分はこの仕事を続けたいという強い願いを抱いていた。
 そのアンナに、夫人は冷静に言い放ったのである。

「子どもたちはいずれ大人になり、あなたの手を必要としなくなるわよ?」

「奥様があと何人か産んでくだされば解決では?」

「名案みたいに言わないで。あなたが私の元で勤め始めた頃、本当なら毎晩夜会に連れて行ってあげるつもりだったのに、あの流行病で何もできないままの数年を過ごすことになったわ。その間あなたは、自分の幸せもかえりみず子どもの世話ばかりで」

「授乳以外のことはなんでもしてきましたから、いまでは立派な産婆としても独り立ちできそうです。三番目のトーマス様と四番目のステファニー様を取り上げたのはこの私ですからね!」

 胸を張って言うアンナに対し、夫人は遠い目をした。

「あのときは、助かったなんてものじゃなかったわ。初産はともかく二人目以降は陣痛が来たらすぐって本当なのよね。ステファニーなんて、陣痛に気づいてベッドに向かって歩いている途中にすぽんって出てきて、床に落とすところだったもの」

「間一髪でしたよねえ。トーマス様を取り上げたときの経験が生きました。ここまできたら五人目も私が」

 アンナ、と名を呼んで夫人は真顔になった。

「そんなに子どもが好きなら自分でも産んでみたらどうかしら」
「未婚の女に言ってはいけない言葉ランキング上位すぎますよ」

 二人で少しの間見つめ合う。やがて、夫人がため息をついた。折れたわけではない。
 説教の前触れだ。アンナと年齢はさほど変わらないのだが、そこは公爵夫人の貫禄である。

「あなたは隣国に留学していて二十歳で帰国、その段階ですでに社交界デビューには出遅れていたけれど、私の侍女として働く傍ら文句のつけようがないデビューをする予定だった。あの流行病で社交場が閉鎖され国内外の景気が一気に停滞し、何もかもままならなくなった数年がなければ」

「あの当時は確かに大変でしたが、私だけではなく皆が大変でした。デビューが数年遅れ、婚活も遅れたご令嬢も多かったことでしょう。結婚平均年齢という統計があるなら、今は少し上がっているのではないでしょうか?」

 留学先ではのびのびと勉強に励んでいたアンナは、ときどき俯瞰で物事をとらえたような話し方をする。
 ここで夫人はぴんときたように顔を上げ、真剣なまなざしでアンナを見た。

「お付き合いのある奥様たちから、そういった話を聞いたことはあるわ。あの時期デビューがままならなず、世が世なら社交界の華となれたはずのご令嬢たちが『行き遅れ』として扱われた。親に用意されたつまらない結婚に身を投じた方も多いのですって」

「強気に選ぶ側に回れたはずの美姫たちが、余り物のように片付けられたと? もしかしたら、家側の事情もあったかもしれませんね。流行り病で、どこの家も大きく傾くほどの打撃を受けたはず。さらに、領地で扱う特産品でずいぶん明暗を分けたかと思います。たくさんの薬師を擁し、薬草を扱うミッドフォード侯爵領などがその代表例で、流行り病への画期的な薬を開発したとして伯爵からの陞爵がありましたよね。逆に、風光明媚な保養地として名高かったオースチン子爵領は集客がまったくできずにいくつもの事業が撤退し」

 すらすらと何も見ることなく貴族たちの事業や趨勢について当たり前のように話し始めたアンナを見て、夫人はため息をついた。

「あなたは乳母として大変優秀であるけれど、きっと違う仕事をしても輝けると思うの。もう十分に、うちの子たちのおしめを洗ってもらったわ。留学までした才を生かしてみない?」

「……興味はありますけど……それならぜひここモリス公爵邸で配置換えを」

 アンナの申し出に対して夫人は「十年後ならともかく、今は子どもたちがあなたを見つけるとついて回るから仕事にならないわよ」と首を振った。

「転職がてら、同時に結婚して妊娠出産もしておくと、仕事しながらあなたの大好きな子育ても継続できて一挙両得だと思うの」

「一挙両得ってその使い方で合ってます? 私にとってはお得でも、さすがに夫となる男性に失礼ではないですか?」

「どこが?」

「目的が仕事と子どもだなんて。そんな打算的な妻を迎えたら大変ですよ。私絶対に、初夜に宣言してしまいますもの。『私を愛する必要はありません。私の目的はこの家の仕事と子どもだけです』って。これでは完全に、家を乗っ取りにきただけの鬼嫁デーモンブライドではありませんか」

 あらぁ、と言って夫人はやわらかく微笑んだ。

「働き者で子沢山な嫁なんて、どこの家でも最高のお嫁様ではなくて? 私を見ればわかるでしょう?」

 モリス公爵夫人は、世情が不安定な混乱期に自ら授乳して子育てをした。しかも、続けて総勢四人も産んだのだ。一人目で慣れていると言って、二人目以降も自分で授乳し、結果的に子ども部屋にいる時間が長かったことから、自ら子どもたちに教育を施していた。働き者で子沢山の自称に偽りなしである。
 ここで初めてアンナは狼狽し、視線を泳がせた。

「私は、決してたくさん産みたいわけでは……」

 産むにあたり、公爵夫妻が仲睦まじく過ごしていたのは知っているのである。「あのような相思相愛を自分が」と考え始めると急に落ち着かなくなってきたのだ。たくさん産みたいわけではなくとも、さしあたり産みたいと考えているならまずは初夜を乗り越えなければならない。

(初夜を? 乗り越える? 私が? 「愛していただく必要はございません」と初夜で口走るであろう女なのに?)

 すでに千の夜も乗り越えた夫人が「ほほほほほほほ」と笑い出した。

「往生際の悪い真似はよしなさい。あまり出歩く機会もなく興味もなくて気にしていなかったかもしれないけれど、あなたの言う通りこの国の結婚平均年齢というものはここ数年で上がっているはずよ。かつてなら行き遅れと言われたご令嬢方が遅れてデビューしている例もたくさんあるの。あなたも今からだって全然平気よ」

「私はこの八年仕事しかしていませんでして……子育て仕事に特化した服装と髪型をしているために『クソダサイ』と若いメイドたちに言われているのも気づいています」

「今すぐクビにするわ。名前は教えてくれなくて結構よ。私の権限で調べ上げるから」
 
「一回目は指導くらいでお願いします。ひとを育てるとは信じることで、誰だって変われる、大人になっても成長できるものだと真心を持って接する必要があると思います」

「さすが当家の子どもたちを育てているだけあるわ。本当はね、私だってあなたを手放したくないの」

 でしたら、とアンナは前のめりになりかけたが、夫人はここで話は終えるとばかりにさっと席を立ってしまった。
 アンナを見下ろして、笑いながら言う。

「優秀であると知っているからこそ、私の元にずっと留め置いて年を取っていくだけのあなたを見ていたくないのよ。子どもを産みたい気持ちがあるなら、産んでよ。私の子どもたちの同世代にあなたの子がいる未来はとても素敵。そうやって私たちは未来を作っていくのよ。今ならまだ間に合うわ」

 年齢が行き過ぎると、結婚するのも子どもを産むのも難しいと夫人は言いたいのだろう。「私は行き遅れですから」と言っているくらいなら、まず行動しろと。
 それはアンナにもよくわかった。

(奥様の描く未来は私にとってもきっと素敵……)

 子どもたち同士で交流を……と未来を思い描いたところで、アンナは気を引き締めた。「たとえ公爵夫妻は気にしなくても」公爵家と交流を持つのであれば結婚相手は誰でもいいとは言えないのだ。
 人品卑しからぬ人物にして、公爵家と付き合っていける身分や財力がなければならない。
 考えるまでもなく、そんな人物が売れ残っているわけがない。もしいたとしても、アンナを妻に迎えたいとは絶対に考えないはずだ。クソダサイ行き遅れなのだから。

 もちろん「夜会に行きます」と公爵夫妻に申し出れば、金に糸目をつけずに用立ててくれるのは目に見えている。しかし、アンナはその「魔法」を望まない。
 いまのややくたびれたアンナの姿が、八年の現実なのだ。この姿を隠して見初めてもらっても、優良誤認を企てたとして後に揉め事の原因となることだろう。

 クソダサイ疲れた行き遅れで、社交界における自慢やお飾りすら務まらない女。
 それでも良いと言う相手と、交際期間はごく短めで結婚を決めてしまいたい。なぜ短期決戦を希望しているかといえば、さらなる加齢を気にしてのことではない。単純に、アンナは公爵夫妻の夫婦生活を間近に見ていたので、結婚に関してのイメージはあるがそれ以外のことは何もわからないからだ。デートなどしたこともない。できればその過程はスキップしてしまいたいのである。まずは結婚。仕事。出産。

「……絶対、相手は見つからないわね……」

 そんな都合の良い男などいるものか。
 早々とその結論に達したアンナは、次に大変後ろ向きながら「できるだけ後腐れ無く振ってくれそうな相手」を探すことに専念した。

 婚活はした――それも破れかぶれで「誰でも良い」ではなく「誰もが憧れて好きになってしまう」相手に自分も恋をした。しかし、実らなかった……。さすがの公爵夫人でも「嘘でしょ」とも言い切れずに「それは大変だったわね」と認めざるを得ない相手に「一発プロポーズをかましてこよう」と思い立ったのである。

 そうして目星をつけたのが、ウォーレン・ミッドフォード侯爵であった。

 * * *

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

美し過ぎる妹がただ憎かったー姉の報い

青空一夏
恋愛
美しい妹に皇太子妃の座を奪われそうになった姉の陰惨ないじめとその姉の末路。 少し童話的なラブファンタジーです。

悪役令嬢になんてなりたくない!

桜夢 柚枝*さくらむ ゆえ
恋愛
「王太子の婚約者になりました」 ってお父様? そんな女性たちに妬まれそうな婚約者嫌です!小説の中のような当て馬令嬢にはなりたくないです!!!! ちょっと勘違いが多い公爵令嬢・レティシアの婚約破棄されないようにするためのお話(?)

(完)婚約破棄ですか? なぜ関係のない貴女がそれを言うのですか? それからそこの貴方は私の婚約者ではありません。

青空一夏
恋愛
グレイスは大商人リッチモンド家の娘である。アシュリー・バラノ侯爵はグレイスよりずっと年上で熊のように大きな体に顎髭が風格を添える騎士団長様。ベースはこの二人の恋物語です。 アシュリー・バラノ侯爵領は3年前から作物の不作続きで農民はすっかり疲弊していた。領民思いのアシュリー・バラノ侯爵の為にお金を融通したのがグレイスの父親である。ところがお金の返済日にアシュリー・バラノ侯爵は満額返せなかった。そこで娘の好みのタイプを知っていた父親はアシュリー・バラノ侯爵にある提案をするのだった。それはグレイスを妻に迎えることだった。 年上のアシュリー・バラノ侯爵のようなタイプが大好きなグレイスはこの婚約話をとても喜んだ。ところがその三日後のこと、一人の若い女性が怒鳴り込んできたのだ。 「あなたね? 私の愛おしい殿方を横からさらっていったのは・・・・・・婚約破棄です!」 そうしてさらには見知らぬ若者までやって来てグレイスに婚約破棄を告げるのだった。 ざまぁするつもりもないのにざまぁになってしまうコメディー。中世ヨーロッパ風異世界。ゆるふわ設定ご都合主義。途中からざまぁというより更生物語になってしまいました。 異なった登場人物視点から物語が展開していくスタイルです。

身分違いの恋

紬あおい
恋愛
男爵令嬢アイリーンと侯爵令息レイノルドの身分違いの恋のお話。 ほのぼの系です。

私の完璧な婚約者

夏八木アオ
恋愛
完璧な婚約者の隣が息苦しくて、婚約取り消しできないかなぁと思ったことが相手に伝わってしまうすれ違いラブコメです。 ※ちょっとだけ虫が出てくるので気をつけてください(Gではないです)

階段下の物置き令嬢と呪われた公爵

LinK.
恋愛
ガルシア男爵家の庶子として育てられたクロエは、家族として認めてもらえずに使用人として働いていた。そんなクロエに与えられた部屋は階段下の物置き。 父であるカイロスに不気味で呪われているという噂の公爵家に嫁ぐように言われて何も持たされずに公爵家に送られたのだが、すぐに出ていくように言われてしまう。 何処にも帰る場所の無いクロエを憐れんでか、一晩だけなら泊まっても良いと言われ、借りている部屋を綺麗にして返そうと掃除を始めるクロエ。 綺麗になる毎に、徐々に屋敷の雰囲気が変わっていく…。

勘違い令嬢の心の声

にのまえ
恋愛
僕の婚約者 シンシアの心の声が聞こえた。 シア、それは君の勘違いだ。

忘れるにも程がある

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたしが目覚めると何も覚えていなかった。 本格的な記憶喪失で、言葉が喋れる以外はすべてわからない。 ちょっとだけ菓子パンやスマホのことがよぎるくらい。 そんなわたしの以前の姿は、完璧な公爵令嬢で第二王子の婚約者だという。 えっ? 噓でしょ? とても信じられない……。 でもどうやら第二王子はとっても嫌なやつなのです。 小説家になろう様、カクヨム様にも重複投稿しています。 筆者は体調不良のため、返事をするのが難しくコメント欄などを閉じさせていただいております。 どうぞよろしくお願いいたします。

処理中です...