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第一章
十三話 私を信じられないなら、サインをして
夜が明けたのかどうかも分からない。
足首は脈打つように痛み、熱で身体が火照る。
喉からは掠れた息しか出ず、汗で髪が額に貼りついていた。
「……だれか……」
呼んでも、返事はない。
苦しい……。
私……このまま……。
「……ディートリッヒ」
こんなときに思い浮かぶのは、憎らしい顔だ。
まだ心の奥で……彼に助けを求めている。
それが情けなくて、悲しくて、涙が出てくる。
私は間違えた。本当に間違えたわ。
もしも生き残れたなら……今度は間違えない。
もう一度チャンスがほしい。
幸せになる、チャンスを……。
扉が軋む音がした。
薄暗い室内に、明かりが差し込む。
目を凝らすと、見覚えのある背の高い影が立っていた。
「……ディートリッヒ……?」
その後ろに、医者がいる。
一瞬、気が緩んだ。
来てくれたのだと、愚かにも思ってしまった。
「エレノアに謝れ」
低く、冷たい声。
「そうすれば、治療する」
また、息が詰まる。
「……私は、何もしていない」
「まだ言い訳をするのか」
「エレノア様が、自分で噴水に入ったのよ……!」
「嘘つきが!」
吐き捨てるような声。
「どうせ、その足も仮病だろう」
次の瞬間、足首を強く掴まれた。
「────っ!!!!!」
喉が裂けるような悲鳴が、部屋に響いた。
ディートリッヒの手が止まる。
驚いたように、私の足を見る。
そこは、異様なほど腫れ上がっていた。
「……なっ、治療を!!」
「はっ、はい!これは酷い……」
彼は医者を振り返り、叫ぶように命じた。
医者が慌てて処置を始める。
「どうしてこんな怪我を……」
私は荒い息のまま、答えた。
「あなたが……私を押し退けたからよ」
「そんなことは──」
否定しかけて、言葉が出てこないようだ。
どうやら自分の行動を思い出したのかしら。
彼は自分の手を見つめたが、目を背けた。
「……それでも」
彼の顔が歪む。
「全部、君が悪い」
もう、何も言えない。
事実が目の前にあっても、彼は私を責める。
先程、一瞬でも彼に期待をしてしまった自分が、心底情けない。
「テーブルの書類にサインして」
婚約解消承諾書。
「……また、これか」
「終わりにしましょう」
ディートリッヒの顔が、怒りで歪む。
「ふざけるな!」
書類を握り潰す。
「……お前は、そうやって俺を操ろうとする。そういうところが嫌いなんだ」
「奇遇ね。私もあなたが嫌いになったわ」
「なんだと!」
冷めた目で見ると、ディートリッヒが一瞬言葉に詰まった。
「落ち着けよ。俺も言いすぎた。こんな試すようなことは止めろ。何度もこの婚約解消承諾書を持ち出すと、本当に婚約を解消することになるぞ」
「願ってもないことだわ」
「っ!」
彼の顔に、どんどんと怒りが沸いてくる。
「いいか、俺は婚約を解消しても、お前に財産は渡さない。あの鉱山だって俺のものだ」
「ええ。鉱山はあなたのものよ。それに、私はもともと何も求めていなかったでしょう?」
「っ!ヴァルデンベルク伯爵夫人の座も無くなるんだぞ!」
「ええ、そうね」
私の冷めた答えに、ディートリッヒはますますイライラが募っていく。
「ねえ、ディートリッヒ。あなたは私がエレノア様を噴水に突き落としたと思っているのよね?」
「そうだ!エレノアはお前を責めるなと、泣いて俺に懇願してきた。だから一言謝れば、この件は俺がどうにかするし、お前と予定通り結婚もしてやる」
この期に及んで、まだ結婚する気でいるのね。
「エレノア様が自分で噴水に入ったと言っても、あなたは信じないのね」
「当然だ。エレノアが嘘をつくはずはないからな!」
そんなにエレノアを信じているのね。
「ねえ、どうして私と結婚するの?」
「はあ?」
「私のことを信じられないのに、結婚する意味ってある?」
「っ!」
「私のことが信じられないのなら、その婚約解消承諾書にサインして。私はもう、あなたに信じてもらおうとも思わない」
沈黙。
「馬鹿馬鹿しい。頭を冷やせ!」
扉が乱暴に閉まった。
残された私は、静かに目を閉じた。
明日で三日。
お父様が迎えに来てくれる日だ。
それまでに書類が欲しかったが、どうやら難しいようだ。
婚約解消承諾書にサインがもらえなければ、裁判を起こすしかない。お互いに悪評にまみれ、どちらの家にも被害が出てしまう。
穏便に済ませたかったのにな……。
だけど。
もし彼が、最後までサインを拒むのなら、私は──すべてを公にする。
もう、あなたに尽くしてきた私じゃない。
徹底的に潰しに行くわ。
足首は脈打つように痛み、熱で身体が火照る。
喉からは掠れた息しか出ず、汗で髪が額に貼りついていた。
「……だれか……」
呼んでも、返事はない。
苦しい……。
私……このまま……。
「……ディートリッヒ」
こんなときに思い浮かぶのは、憎らしい顔だ。
まだ心の奥で……彼に助けを求めている。
それが情けなくて、悲しくて、涙が出てくる。
私は間違えた。本当に間違えたわ。
もしも生き残れたなら……今度は間違えない。
もう一度チャンスがほしい。
幸せになる、チャンスを……。
扉が軋む音がした。
薄暗い室内に、明かりが差し込む。
目を凝らすと、見覚えのある背の高い影が立っていた。
「……ディートリッヒ……?」
その後ろに、医者がいる。
一瞬、気が緩んだ。
来てくれたのだと、愚かにも思ってしまった。
「エレノアに謝れ」
低く、冷たい声。
「そうすれば、治療する」
また、息が詰まる。
「……私は、何もしていない」
「まだ言い訳をするのか」
「エレノア様が、自分で噴水に入ったのよ……!」
「嘘つきが!」
吐き捨てるような声。
「どうせ、その足も仮病だろう」
次の瞬間、足首を強く掴まれた。
「────っ!!!!!」
喉が裂けるような悲鳴が、部屋に響いた。
ディートリッヒの手が止まる。
驚いたように、私の足を見る。
そこは、異様なほど腫れ上がっていた。
「……なっ、治療を!!」
「はっ、はい!これは酷い……」
彼は医者を振り返り、叫ぶように命じた。
医者が慌てて処置を始める。
「どうしてこんな怪我を……」
私は荒い息のまま、答えた。
「あなたが……私を押し退けたからよ」
「そんなことは──」
否定しかけて、言葉が出てこないようだ。
どうやら自分の行動を思い出したのかしら。
彼は自分の手を見つめたが、目を背けた。
「……それでも」
彼の顔が歪む。
「全部、君が悪い」
もう、何も言えない。
事実が目の前にあっても、彼は私を責める。
先程、一瞬でも彼に期待をしてしまった自分が、心底情けない。
「テーブルの書類にサインして」
婚約解消承諾書。
「……また、これか」
「終わりにしましょう」
ディートリッヒの顔が、怒りで歪む。
「ふざけるな!」
書類を握り潰す。
「……お前は、そうやって俺を操ろうとする。そういうところが嫌いなんだ」
「奇遇ね。私もあなたが嫌いになったわ」
「なんだと!」
冷めた目で見ると、ディートリッヒが一瞬言葉に詰まった。
「落ち着けよ。俺も言いすぎた。こんな試すようなことは止めろ。何度もこの婚約解消承諾書を持ち出すと、本当に婚約を解消することになるぞ」
「願ってもないことだわ」
「っ!」
彼の顔に、どんどんと怒りが沸いてくる。
「いいか、俺は婚約を解消しても、お前に財産は渡さない。あの鉱山だって俺のものだ」
「ええ。鉱山はあなたのものよ。それに、私はもともと何も求めていなかったでしょう?」
「っ!ヴァルデンベルク伯爵夫人の座も無くなるんだぞ!」
「ええ、そうね」
私の冷めた答えに、ディートリッヒはますますイライラが募っていく。
「ねえ、ディートリッヒ。あなたは私がエレノア様を噴水に突き落としたと思っているのよね?」
「そうだ!エレノアはお前を責めるなと、泣いて俺に懇願してきた。だから一言謝れば、この件は俺がどうにかするし、お前と予定通り結婚もしてやる」
この期に及んで、まだ結婚する気でいるのね。
「エレノア様が自分で噴水に入ったと言っても、あなたは信じないのね」
「当然だ。エレノアが嘘をつくはずはないからな!」
そんなにエレノアを信じているのね。
「ねえ、どうして私と結婚するの?」
「はあ?」
「私のことを信じられないのに、結婚する意味ってある?」
「っ!」
「私のことが信じられないのなら、その婚約解消承諾書にサインして。私はもう、あなたに信じてもらおうとも思わない」
沈黙。
「馬鹿馬鹿しい。頭を冷やせ!」
扉が乱暴に閉まった。
残された私は、静かに目を閉じた。
明日で三日。
お父様が迎えに来てくれる日だ。
それまでに書類が欲しかったが、どうやら難しいようだ。
婚約解消承諾書にサインがもらえなければ、裁判を起こすしかない。お互いに悪評にまみれ、どちらの家にも被害が出てしまう。
穏便に済ませたかったのにな……。
だけど。
もし彼が、最後までサインを拒むのなら、私は──すべてを公にする。
もう、あなたに尽くしてきた私じゃない。
徹底的に潰しに行くわ。
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