尽くしてきた婚約者に裏切られたので、婚約を解消しました〜彼が愛に気づいたのは、すべてを失ったあとでした〜

ともどーも

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第一章

十九話 狂気の目覚め

「ねえ、もう鉱山の見学はした?」 
 エレノアの弾む声。
「私、もっと暗くて怖いと思ってたけど、明るいし、広かったからちょっと楽しかったのよね」
「あっ。それわかる!」
 友人の笑い声。
「出てくる宝石も良質だし、よく知らないけど珍しい鉱石もザクザク出て、これが全部、私のものになると思うと──」 
 くすくすと笑う声が響く。 
 その声が小さなトゲになって心に刺さる。
「そのおこぼれは、エレノアが伯爵夫人になったら俺たちにも回してくれるんだろ?」
「大丈夫よ、ちゃんと覚えてるから」
「本当、頼むぜ~。あれだけ動いたんだから」

 あれだけ?
 何の話だ?

「ディートリッヒの結婚式を壊したんだぞ」
 空気が、一瞬で凍りついた気がした。
 指先が、わずかに震える。
「それ、あんたたちが私に持ちかけたんでしょ」
 エレノアは軽く笑った。
「人聞き悪いなぁ。お前が泣きついてきたんだろ」
「フフッ。結果オーライじゃない?」
「あのままイリスに締め出されたままじゃ、俺たちが困るし」
 喉が乾く。
 
 ──最初の結婚式。
 誰かが言った。
 
『エレノアが婚約破棄された!』
 友人なら慰めるのが当然だと皆から言われた。
 それで……俺は結婚式を延期したんだ。

「二度目は傑作だったよな」 
 誰かが笑った。
「泣きながら『結婚されるのが怖い~』って」
「あなたたちが『それが効く』って教えてくれたんじゃない」 
「お前、本当に死ぬ勢いだったぞ」
「死ぬ気なんてないわよ。そんなことしたら、全部台無しじゃない。でもさ、イリスが必死に懇願してる姿は笑えたわね」
 笑い声が上がる。
 視界が、じわりと歪む。
 
 心の奥に、黒い水がゆっくりと溜まっていく。

「三度目も最高だったわ」 
 エレノアが楽しそうに続ける。 
「元婚約者が来たって話、よく効いたもの」
「あれは盛ったな」 
「暴力振るわれてた話まで乗せたし」
「物語って、細部が大事でしょう?」
 足元が、わずかに揺れた。 
「おかげで『恋人同士』になれたわ」
 
 『怖いの……』と、泣いたのは。
 『塗り替えたい』と、すがってきたのは。

「嘘……」

 呟きが虚しく空気に溶け込んだ。
 エレノアと過ごした夜が、とても汚く思えた。
 
 胸が……苦しい。
 心の黒い水がどんどん溜まっていく。
 気持ち悪い。
 助けて……イリス……。
 
「そういえばさ」 
 軽い調子で、友人の一人が言った。
「噴水の件は驚いたよな。ついにイリスがエレノアに手を上げたって」
「ああ、あれ」 
 エレノアは楽しそうに笑った。
 
「嘘だよ」
 
 思考が、止まった。
「イリスにそんな度胸があるわけないでしょ。自分で噴水に入って叫んだだけ。ちょっと水が冷たかったけど」
 
 イリスが言っていたことが……本当だった。
 
「これで二人は修復不可能。あとは婚約を解消させて、新しく結び直せば──」
 軽い声だった。
「鉱山も、伯爵家も、全部手に入る」
「完璧だな」
「ほんと、扱いやすかったよな」
 笑い声が重なり、部屋に満ちる。
 
 その瞬間──
 俺の中で溜まっていった黒い水が限界まで満ち、せき止めていたはずのものが、静かに溢れ出す。
 
 怒りではない。
 悲しみでもない。
 理解だった。
 
 ああ、そうか……。
 こいつらが、俺とイリスの未来を壊したんだ。
 いや──
 俺が、壊したんだ。
 
 指先に、わずかな重みを思い出す。
 指輪を渡した日のことが、脳裏に浮かぶ。
 適当に決めた指輪に対して、壊れ物を扱うようにそれを受け取り、泣きそうな顔で笑った。
 
 ……あの笑顔を。
 
 俺は。
 自分の手で、手放した。
 
 だが、その事実は。
 胸の奥で、ゆっくりと形を変えていく。

 手放させられたんだ……。 
 そう。イリスは、奪われた。
 彼女の価値もわからない奴らに。 
 あの笑顔は、ずっと、俺のものだった。
 それを、こいつらが──。
 
 黒い感情が、静かに広がる。
 気がつけば、頬がわずかに引きつっていた。
 笑っているのか?
 自分でも、わからない。
 
 取り戻せばいい。
 イリスを傷つけた者。
 イリスを貶めた者。
 イリスから、俺を遠ざけた者。
──すべて、消す。
 
 そうすれば。
 イリスは、きっと。
 
 もう一度、俺に微笑んでくれる。
 
 彼女が傷つかない場所を作ればいい。
 誰にも触れさせない場所を。
 静かで、優しくて、何も失わない鳥籠を。
 
 そこで今度こそ。
 間違えないように。
 守ればいい。
 ──逃げられないように鍵をかけて。
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