20 / 82
第一章
十九話 狂気の目覚め
「ねえ、もう鉱山の見学はした?」
エレノアの弾む声。
「私、もっと暗くて怖いと思ってたけど、明るいし、広かったからちょっと楽しかったのよね」
「あっ。それわかる!」
友人の笑い声。
「出てくる宝石も良質だし、よく知らないけど珍しい鉱石もザクザク出て、これが全部、私のものになると思うと──」
くすくすと笑う声が響く。
その声が小さなトゲになって心に刺さる。
「そのおこぼれは、エレノアが伯爵夫人になったら俺たちにも回してくれるんだろ?」
「大丈夫よ、ちゃんと覚えてるから」
「本当、頼むぜ~。あれだけ動いたんだから」
あれだけ?
何の話だ?
「ディートリッヒの結婚式を壊したんだぞ」
空気が、一瞬で凍りついた気がした。
指先が、わずかに震える。
「それ、あんたたちが私に持ちかけたんでしょ」
エレノアは軽く笑った。
「人聞き悪いなぁ。お前が泣きついてきたんだろ」
「フフッ。結果オーライじゃない?」
「あのままイリスに締め出されたままじゃ、俺たちが困るし」
喉が乾く。
──最初の結婚式。
誰かが言った。
『エレノアが婚約破棄された!』
友人なら慰めるのが当然だと皆から言われた。
それで……俺は結婚式を延期したんだ。
「二度目は傑作だったよな」
誰かが笑った。
「泣きながら『結婚されるのが怖い~』って」
「あなたたちが『それが効く』って教えてくれたんじゃない」
「お前、本当に死ぬ勢いだったぞ」
「死ぬ気なんてないわよ。そんなことしたら、全部台無しじゃない。でもさ、イリスが必死に懇願してる姿は笑えたわね」
笑い声が上がる。
視界が、じわりと歪む。
心の奥に、黒い水がゆっくりと溜まっていく。
「三度目も最高だったわ」
エレノアが楽しそうに続ける。
「元婚約者が来たって話、よく効いたもの」
「あれは盛ったな」
「暴力振るわれてた話まで乗せたし」
「物語って、細部が大事でしょう?」
足元が、わずかに揺れた。
「おかげで『恋人同士』になれたわ」
『怖いの……』と、泣いたのは。
『塗り替えたい』と、すがってきたのは。
「嘘……」
呟きが虚しく空気に溶け込んだ。
エレノアと過ごした夜が、とても汚く思えた。
胸が……苦しい。
心の黒い水がどんどん溜まっていく。
気持ち悪い。
助けて……イリス……。
「そういえばさ」
軽い調子で、友人の一人が言った。
「噴水の件は驚いたよな。ついにイリスがエレノアに手を上げたって」
「ああ、あれ」
エレノアは楽しそうに笑った。
「嘘だよ」
思考が、止まった。
「イリスにそんな度胸があるわけないでしょ。自分で噴水に入って叫んだだけ。ちょっと水が冷たかったけど」
イリスが言っていたことが……本当だった。
「これで二人は修復不可能。あとは婚約を解消させて、新しく結び直せば──」
軽い声だった。
「鉱山も、伯爵家も、全部手に入る」
「完璧だな」
「ほんと、扱いやすかったよな」
笑い声が重なり、部屋に満ちる。
その瞬間──
俺の中で溜まっていった黒い水が限界まで満ち、せき止めていたはずのものが、静かに溢れ出す。
怒りではない。
悲しみでもない。
理解だった。
ああ、そうか……。
こいつらが、俺とイリスの未来を壊したんだ。
いや──
俺が、壊したんだ。
指先に、わずかな重みを思い出す。
指輪を渡した日のことが、脳裏に浮かぶ。
適当に決めた指輪に対して、壊れ物を扱うようにそれを受け取り、泣きそうな顔で笑った。
……あの笑顔を。
俺は。
自分の手で、手放した。
だが、その事実は。
胸の奥で、ゆっくりと形を変えていく。
手放させられたんだ……。
そう。イリスは、奪われた。
彼女の価値もわからない奴らに。
あの笑顔は、ずっと、俺のものだった。
それを、こいつらが──。
黒い感情が、静かに広がる。
気がつけば、頬がわずかに引きつっていた。
笑っているのか?
自分でも、わからない。
取り戻せばいい。
イリスを傷つけた者。
イリスを貶めた者。
イリスから、俺を遠ざけた者。
──すべて、消す。
そうすれば。
イリスは、きっと。
もう一度、俺に微笑んでくれる。
彼女が傷つかない場所を作ればいい。
誰にも触れさせない場所を。
静かで、優しくて、何も失わない鳥籠を。
そこで今度こそ。
間違えないように。
守ればいい。
──逃げられないように鍵をかけて。
エレノアの弾む声。
「私、もっと暗くて怖いと思ってたけど、明るいし、広かったからちょっと楽しかったのよね」
「あっ。それわかる!」
友人の笑い声。
「出てくる宝石も良質だし、よく知らないけど珍しい鉱石もザクザク出て、これが全部、私のものになると思うと──」
くすくすと笑う声が響く。
その声が小さなトゲになって心に刺さる。
「そのおこぼれは、エレノアが伯爵夫人になったら俺たちにも回してくれるんだろ?」
「大丈夫よ、ちゃんと覚えてるから」
「本当、頼むぜ~。あれだけ動いたんだから」
あれだけ?
何の話だ?
「ディートリッヒの結婚式を壊したんだぞ」
空気が、一瞬で凍りついた気がした。
指先が、わずかに震える。
「それ、あんたたちが私に持ちかけたんでしょ」
エレノアは軽く笑った。
「人聞き悪いなぁ。お前が泣きついてきたんだろ」
「フフッ。結果オーライじゃない?」
「あのままイリスに締め出されたままじゃ、俺たちが困るし」
喉が乾く。
──最初の結婚式。
誰かが言った。
『エレノアが婚約破棄された!』
友人なら慰めるのが当然だと皆から言われた。
それで……俺は結婚式を延期したんだ。
「二度目は傑作だったよな」
誰かが笑った。
「泣きながら『結婚されるのが怖い~』って」
「あなたたちが『それが効く』って教えてくれたんじゃない」
「お前、本当に死ぬ勢いだったぞ」
「死ぬ気なんてないわよ。そんなことしたら、全部台無しじゃない。でもさ、イリスが必死に懇願してる姿は笑えたわね」
笑い声が上がる。
視界が、じわりと歪む。
心の奥に、黒い水がゆっくりと溜まっていく。
「三度目も最高だったわ」
エレノアが楽しそうに続ける。
「元婚約者が来たって話、よく効いたもの」
「あれは盛ったな」
「暴力振るわれてた話まで乗せたし」
「物語って、細部が大事でしょう?」
足元が、わずかに揺れた。
「おかげで『恋人同士』になれたわ」
『怖いの……』と、泣いたのは。
『塗り替えたい』と、すがってきたのは。
「嘘……」
呟きが虚しく空気に溶け込んだ。
エレノアと過ごした夜が、とても汚く思えた。
胸が……苦しい。
心の黒い水がどんどん溜まっていく。
気持ち悪い。
助けて……イリス……。
「そういえばさ」
軽い調子で、友人の一人が言った。
「噴水の件は驚いたよな。ついにイリスがエレノアに手を上げたって」
「ああ、あれ」
エレノアは楽しそうに笑った。
「嘘だよ」
思考が、止まった。
「イリスにそんな度胸があるわけないでしょ。自分で噴水に入って叫んだだけ。ちょっと水が冷たかったけど」
イリスが言っていたことが……本当だった。
「これで二人は修復不可能。あとは婚約を解消させて、新しく結び直せば──」
軽い声だった。
「鉱山も、伯爵家も、全部手に入る」
「完璧だな」
「ほんと、扱いやすかったよな」
笑い声が重なり、部屋に満ちる。
その瞬間──
俺の中で溜まっていった黒い水が限界まで満ち、せき止めていたはずのものが、静かに溢れ出す。
怒りではない。
悲しみでもない。
理解だった。
ああ、そうか……。
こいつらが、俺とイリスの未来を壊したんだ。
いや──
俺が、壊したんだ。
指先に、わずかな重みを思い出す。
指輪を渡した日のことが、脳裏に浮かぶ。
適当に決めた指輪に対して、壊れ物を扱うようにそれを受け取り、泣きそうな顔で笑った。
……あの笑顔を。
俺は。
自分の手で、手放した。
だが、その事実は。
胸の奥で、ゆっくりと形を変えていく。
手放させられたんだ……。
そう。イリスは、奪われた。
彼女の価値もわからない奴らに。
あの笑顔は、ずっと、俺のものだった。
それを、こいつらが──。
黒い感情が、静かに広がる。
気がつけば、頬がわずかに引きつっていた。
笑っているのか?
自分でも、わからない。
取り戻せばいい。
イリスを傷つけた者。
イリスを貶めた者。
イリスから、俺を遠ざけた者。
──すべて、消す。
そうすれば。
イリスは、きっと。
もう一度、俺に微笑んでくれる。
彼女が傷つかない場所を作ればいい。
誰にも触れさせない場所を。
静かで、優しくて、何も失わない鳥籠を。
そこで今度こそ。
間違えないように。
守ればいい。
──逃げられないように鍵をかけて。
あなたにおすすめの小説
【完結】私を裏切った不倫夫に「どなたですか?」と微笑むまで 〜没落令嬢の復讐劇〜
恋せよ恋
恋愛
「早くあんな女と別れて、可愛い子と一緒になりたいよ」
不倫中の夫が笑う声を聞き、絶望の中で事故に遭うジェシカ。
結婚五年目に授かったお腹の子を失った彼女は、
「記憶を失ったフリ」で夫と地獄の婚家を捨てることを決意。
元男爵令嬢の薄幸ヒロインは、修道院で静かに時を過ごす。
独り身領主の三歳の男の子に懐かれ、なぜか領主まで登場!
無実の罪をなすりつけ、私を使い潰した報いを受けなさい。
記憶喪失を装った没落令嬢による、「ざまぁ」が幕を開ける!
※本作品には、馬車事故による流産の描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。主人公が絶対に幸せになる
物語ですので、安心してお読みいただければ幸いです。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる──
侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。
だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。
アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。
そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。
「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」
これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。過激ざまぁタグあります。
4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。
夫は私を愛していないそうなので、遠慮なく離婚します。今さら引き止められても遅いです
藤原遊
恋愛
王妃付き護衛騎士である夫に、「お前を愛したことはない」と告げられた。
理由は単純。
愛などなくても、仕事に支障はないからだという。
──そうですか。
それなら、こちらも遠慮する必要はありませんね。
王妃の機嫌、侍女たちとの関係、贈り物の選定。
夫が「当然のように」こなしていたそれらは、すべて私が整えていたもの。
離婚後、少しずつ歯車は狂い始める。
気づいたときにはもう遅い。
積み上げてきた信用は、静かに崩れていく。
一方で私は、王妃のもとへ。
今さら引き止められても、遅いのです。
婚約者の態度が悪いので婚約破棄を申し出たら、えらいことになりました
神村 月子
恋愛
貴族令嬢アリスの婚約者は、毒舌家のラウル。
彼と会うたびに、冷たい言葉を投げつけられるし、自分よりも妹のソフィといるほうが楽しそうな様子を見て、アリスはとうとう心が折れてしまう。
「それならば、自分と妹が婚約者を変わればいいのよ」と思い付いたところから、えらいことになってしまうお話です。
登場人物たちの不可解な言動の裏に何があるのか、謎解き感覚でお付き合いください。
※当作品は、「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています
「病弱な従妹に思いやりがない」? 婚約者様、それが私に何の関係が?
さんけい
恋愛
婚約者リチャードは、約束のたびに「病弱な従妹エミリーが」と言ってイブリンを後回しにした。最初は思いやりだと信じていた。だが、それが一度や二度ではなく、婚約者としての敬意も誠実さも踏みにじられ続けた末、イブリンはついに婚約の継続を拒む。
ところが、事はただの婚約破棄では終わらなかった。
弱々しく見える従妹エミリーは、どうにも“ただ可哀想なだけの娘”ではない。人によって態度を変え、相手の良心につけ込み、じわじわと人間関係を侵していくその姿に、イブリンの家族は次第に違和感を強めていく。やがてその違和感は、婚約者個人の未熟さだけでなく、相手の家そのものが抱える歪みへとつながっていき――。
家族に守られながら婚約解消へ進むヒロインと、見えているのに見誤り続けた婚約者。
そして“病弱な従妹”の奥に潜んでいたものとは。
婚約破棄から始まる、じわりと不穏で、最後にはきっちり決着する人間ドラマ。
全90回。予約投稿済みです。
あなたの言うことが、すべて正しかったです
Mag_Mel
恋愛
「私に愛されるなどと勘違いしないでもらいたい。なにせ君は……そうだな。在庫処分間近の見切り品、というやつなのだから」
名ばかりの政略結婚の初夜、リディアは夫ナーシェン・トラヴィスにそう言い放たれた。しかも彼が愛しているのは、まだ十一歳の少女。彼女が成人する五年後には離縁するつもりだと、当然のように言い放たれる。
絶望と屈辱の中、病に倒れたことをきっかけにリディアは目を覚ます。放漫経営で傾いたトラヴィス商会の惨状を知り、持ち前の商才で立て直しに挑んだのだ。執事長ベネディクトの力を借りた彼女はやがて商会を支える柱となる。
そして、運命の五年後。
リディアに離縁を突きつけられたナーシェンは――かつて自らが吐いた「見切り品」という言葉に相応しい、哀れな姿となっていた。
*小説家になろうでも投稿中です
〖完結〗では、婚約解消いたしましょう。
藍川みいな
恋愛
三年婚約しているオリバー殿下は、最近別の女性とばかり一緒にいる。
学園で行われる年に一度のダンスパーティーにも、私ではなくセシリー様を誘っていた。まるで二人が婚約者同士のように思える。
そのダンスパーティーで、オリバー殿下は私を責め、婚約を考え直すと言い出した。
それなら、婚約を解消いたしましょう。
そしてすぐに、婚約者に立候補したいという人が現れて……!?
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話しです。
お望み通り、別れて差し上げます!
珊瑚
恋愛
「幼なじみと子供が出来たから別れてくれ。」
本当の理解者は幼なじみだったのだと婚約者のリオルから突然婚約破棄を突きつけられたフェリア。彼は自分の家からの支援が無くなれば困るに違いないと思っているようだが……?