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第二章
十二話 クロードSide──彼女の笑顔と、彼女に言えないこと
王の執務室を出た瞬間、張り詰めていた空気が、肺の奥から抜けていく。
夕方の光が、やけに眩しかった。
隣を歩くイリスは、何も知らない顔で、ほっとしたように小さく息を吐いた。
「……緊張しましたね」
そう言って、こちらを見る。
少しだけ困ったような、でも柔らかい笑顔。
思わず見惚れそうになるのを、必死で抑える。
「そうだな。無事に終わって何よりだ」
平静を装った声。
イリスは頷きながら、胸元で手をぎゅっと握る。
「でも……協力してほしいって言われて、少し嬉しかったです」
「嬉しい?」
「はい。役に立てるなら、頑張りたいなって」
この人は、どうしてこうもまっすぐなのだろう。
利用されるかもしれない状況でも。
それでもなお、「誰かの役に立ちたい」と言う。
胸が、少しだけ痛んだ。
「……無理はするな」
「大丈夫です。フィリオ殿下も、クロード様もいますし」
何気ない言葉なのに、胸がグッと締め付けられる。
信頼されている。
……それが、こんなにも苦しい。
◇◇◇
レーヴェン公爵家に戻ると、屋敷は慌ただしかった。
イリスのためだと一目で分かる。
運び込まれる布地。
宝石箱。
仕立て途中のドレス。
使用人たちは皆、忙しそうに動いている。
「すごいですね……」
イリスが目を丸くする。
「ああ……イリスを歓迎しているんだろう」
「なっ、なんだか、くすぐったいです」
そう言って照れる彼女を見て、胸の奥がグッと締め付けられた。
(……可愛い)
だが、胸の奥に小さな違和感が残る。
──早すぎる。
歓迎にしては、あまりにも。
◇◇◇
夕食は、家族全員が揃う形になった。
長兄ガルディオ。
次兄ゲイル。
妹キャメロット。
そして、俺とイリス。
兄たちは終始穏やかで、丁寧で、親切だった。
「遠慮しなくていい。イリス嬢」
「困ったことがあれば、何でも言いなさい」
イリスはその度に、何度も頭を下げる。
「ありがとうございます……」
嬉しそうだ。
それが、何よりもつらい。
俺だけが、この食卓の裏にある意図を感じ取っている。
◇◇◇
食事の後、イリスを客室まで送ることになった。
並んで歩く廊下。
イリスは楽しそうに、今日あった出来事を話す。
「玉座の間でのフィリオ殿下、ご立派でしたね」
「ああ」
「クロード様は、ずっと私の横に立っていて……守られてる感じがしました」
足が、止まりそうになる。
「……窮屈にさせていないか?」
「え? いいえ!」
慌てて首を振る。
「むしろ、安心しました。クロード様が隣にいてくれたので」
その一言で、心臓が強く跳ねた。
安心。
その言葉が、胸に突き刺さる。
「……そうか」
本当は、抱き寄せてしまいたかった。
大丈夫だと。
俺が守ると。
だが、それをしてしまえば。
俺はもっと、罪深くなる。
歩幅が合わず、イリスの指先が俺の手の甲に触れた。
たったそれだけなのに、息が止まる。
彼女は気づいていない。
俺だけが、触れた場所を意識していた。
まるで、そこだけ熱を持ったみたいに。
客室の前に着く。
「今日はありがとうございました」
「ゆっくり休め」
「はい。おやすみなさい、クロード様」
扉が閉まる。
その向こうに、彼女がいる。
それだけで、どうしようもなく大切だと実感してしまう。
──だからこそ。
失う未来が、はっきりと見える。
それでも、彼女から目を逸らせない。
◇◇◇
その夜。
俺はガルディオ兄さんの執務室を訪れた。
中には、執務机にガルディオ兄さん。ソファにゲイル兄さんがいた。
二人とも、真剣な顔だ。
「来たか。……座りなさい」
ガルディオ兄さんにソファを勧められたが、俺は扉前から動けなかった。
兄二人は顔を見合わせてから、息を吐き出した。
「クロード」
ガルディオ兄さんが口を開く。
「お前は、イリス嬢をどう思っている?」
答えられなかった。
沈黙が、すべてを物語る。
「上は、イリス嬢の囲い込みに入っている」
ゲイル兄さんが静かに言う。
「能力が稀有すぎる。他国に渡すわけにはいかない」
ガルディオ兄さんが続ける。
「立場。年齢。実績。そして彼女からの信頼」
喉が鳴る。
「総合的に見て──お前しかいない、という結論だ」
頭が、真っ白になる。
「だが、クロードに別の想い人がいるなら、第二王子派の誰かに口説かせる案もある」
ガルディオ兄さんの視線が、まっすぐこちらを射抜く。
「好ましく思っているなら、お前が娶れ」
胸の奥が、重く沈む。
俺は、拳を握りしめた。
「……彼女は、物じゃない」
二人は黙って聞いている。
「命令で手に入れるような形なら、俺は従えない。彼女の意思を、尊重したい」
しばらくの沈黙。
やがて、ゲイル兄さんが息を吐く。
「鉱山の工事が終わるまで、猶予はある」
ガルディオ兄さんが言う。
「だが、その間に王太子派の横やりは必ず来る。彼女の意思を尊重したいなら──」
二人は、逃げ場を塞ぐように言った。
「守れ」
その言葉が、重く胸に落ちた。
◇◇◇
部屋に戻り、ベッドに力なく倒れ込む。
イリスの笑顔が、何度も浮かぶ。
無邪気で。
優しくて。
俺を……信じてくれている。
「……俺は」
小さく呟く。
彼女を守りたい。
彼女に触れたい。
彼女に選ばれたい。
そして……何一つ、偽りたくない。
──だからこそ。
俺はまだ、何も言えない。
いつの日か、彼女が俺の気持ちを疑い、離れていく日が来るのが、何より怖いから……
夕方の光が、やけに眩しかった。
隣を歩くイリスは、何も知らない顔で、ほっとしたように小さく息を吐いた。
「……緊張しましたね」
そう言って、こちらを見る。
少しだけ困ったような、でも柔らかい笑顔。
思わず見惚れそうになるのを、必死で抑える。
「そうだな。無事に終わって何よりだ」
平静を装った声。
イリスは頷きながら、胸元で手をぎゅっと握る。
「でも……協力してほしいって言われて、少し嬉しかったです」
「嬉しい?」
「はい。役に立てるなら、頑張りたいなって」
この人は、どうしてこうもまっすぐなのだろう。
利用されるかもしれない状況でも。
それでもなお、「誰かの役に立ちたい」と言う。
胸が、少しだけ痛んだ。
「……無理はするな」
「大丈夫です。フィリオ殿下も、クロード様もいますし」
何気ない言葉なのに、胸がグッと締め付けられる。
信頼されている。
……それが、こんなにも苦しい。
◇◇◇
レーヴェン公爵家に戻ると、屋敷は慌ただしかった。
イリスのためだと一目で分かる。
運び込まれる布地。
宝石箱。
仕立て途中のドレス。
使用人たちは皆、忙しそうに動いている。
「すごいですね……」
イリスが目を丸くする。
「ああ……イリスを歓迎しているんだろう」
「なっ、なんだか、くすぐったいです」
そう言って照れる彼女を見て、胸の奥がグッと締め付けられた。
(……可愛い)
だが、胸の奥に小さな違和感が残る。
──早すぎる。
歓迎にしては、あまりにも。
◇◇◇
夕食は、家族全員が揃う形になった。
長兄ガルディオ。
次兄ゲイル。
妹キャメロット。
そして、俺とイリス。
兄たちは終始穏やかで、丁寧で、親切だった。
「遠慮しなくていい。イリス嬢」
「困ったことがあれば、何でも言いなさい」
イリスはその度に、何度も頭を下げる。
「ありがとうございます……」
嬉しそうだ。
それが、何よりもつらい。
俺だけが、この食卓の裏にある意図を感じ取っている。
◇◇◇
食事の後、イリスを客室まで送ることになった。
並んで歩く廊下。
イリスは楽しそうに、今日あった出来事を話す。
「玉座の間でのフィリオ殿下、ご立派でしたね」
「ああ」
「クロード様は、ずっと私の横に立っていて……守られてる感じがしました」
足が、止まりそうになる。
「……窮屈にさせていないか?」
「え? いいえ!」
慌てて首を振る。
「むしろ、安心しました。クロード様が隣にいてくれたので」
その一言で、心臓が強く跳ねた。
安心。
その言葉が、胸に突き刺さる。
「……そうか」
本当は、抱き寄せてしまいたかった。
大丈夫だと。
俺が守ると。
だが、それをしてしまえば。
俺はもっと、罪深くなる。
歩幅が合わず、イリスの指先が俺の手の甲に触れた。
たったそれだけなのに、息が止まる。
彼女は気づいていない。
俺だけが、触れた場所を意識していた。
まるで、そこだけ熱を持ったみたいに。
客室の前に着く。
「今日はありがとうございました」
「ゆっくり休め」
「はい。おやすみなさい、クロード様」
扉が閉まる。
その向こうに、彼女がいる。
それだけで、どうしようもなく大切だと実感してしまう。
──だからこそ。
失う未来が、はっきりと見える。
それでも、彼女から目を逸らせない。
◇◇◇
その夜。
俺はガルディオ兄さんの執務室を訪れた。
中には、執務机にガルディオ兄さん。ソファにゲイル兄さんがいた。
二人とも、真剣な顔だ。
「来たか。……座りなさい」
ガルディオ兄さんにソファを勧められたが、俺は扉前から動けなかった。
兄二人は顔を見合わせてから、息を吐き出した。
「クロード」
ガルディオ兄さんが口を開く。
「お前は、イリス嬢をどう思っている?」
答えられなかった。
沈黙が、すべてを物語る。
「上は、イリス嬢の囲い込みに入っている」
ゲイル兄さんが静かに言う。
「能力が稀有すぎる。他国に渡すわけにはいかない」
ガルディオ兄さんが続ける。
「立場。年齢。実績。そして彼女からの信頼」
喉が鳴る。
「総合的に見て──お前しかいない、という結論だ」
頭が、真っ白になる。
「だが、クロードに別の想い人がいるなら、第二王子派の誰かに口説かせる案もある」
ガルディオ兄さんの視線が、まっすぐこちらを射抜く。
「好ましく思っているなら、お前が娶れ」
胸の奥が、重く沈む。
俺は、拳を握りしめた。
「……彼女は、物じゃない」
二人は黙って聞いている。
「命令で手に入れるような形なら、俺は従えない。彼女の意思を、尊重したい」
しばらくの沈黙。
やがて、ゲイル兄さんが息を吐く。
「鉱山の工事が終わるまで、猶予はある」
ガルディオ兄さんが言う。
「だが、その間に王太子派の横やりは必ず来る。彼女の意思を尊重したいなら──」
二人は、逃げ場を塞ぐように言った。
「守れ」
その言葉が、重く胸に落ちた。
◇◇◇
部屋に戻り、ベッドに力なく倒れ込む。
イリスの笑顔が、何度も浮かぶ。
無邪気で。
優しくて。
俺を……信じてくれている。
「……俺は」
小さく呟く。
彼女を守りたい。
彼女に触れたい。
彼女に選ばれたい。
そして……何一つ、偽りたくない。
──だからこそ。
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いつの日か、彼女が俺の気持ちを疑い、離れていく日が来るのが、何より怖いから……
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