尽くしてきた婚約者に裏切られたので、婚約を解消しました〜彼が愛に気づいたのは、すべてを失ったあとでした〜

ともどーも

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第二章

番外編 エレノアSide──世界が私を拒絶した

 ざわめきが止まらなかった。
 音楽は途切れ、広間には重たい沈黙だけが落ちている。
 
「マルシャル帝国第一皇女」 
 その言葉が、何度も頭の中で反響した。
 
 違う。
 そんなはずがない。
 なんでここに?
 
 ──そう思った瞬間。
 涙が、自然に溢れた。
 頬を伝い、震える指先で押さえる。
 
「……違うの……」
 か細く呟く。
 周囲へ聞こえるように。
「私は……知らなかったのです……」
 
 声を震わせる。
 息を詰まらせる。
 完璧な角度で顔を伏せる。
 今まで何度も成功してきた方法だった。
 
「仮面舞踏会ですもの……身分など分かるはずがありませんわ……」
 肩を震わせる。
 
「どうして、私ばかり責められるの……?」
 ちらり、と周囲を見る。
 
 いつもなら。
 ここで誰かが言う。
『可哀想に』 
『彼女も被害者だ』
 だが。
 誰も動かない。
 誰も助けない。
 
 ──こんなはずじゃない。
 
 私は涙を拭い、健気な自分を押し出す。
「私、本当に帝国の皇女殿下とは存じませんでしたの」
 軽く肩をすくめる。
「誤解が生じたのも、仮面舞踏会という形式上、仕方のないことですわよね?」
 
 誰かが息を呑んだ。
 私は涙目でヘレナ皇女を見つめる。
 あくまで、健気に。
 
「ですから、この件はお互い不幸な事故ということで水に流しましょう?」
 
 その瞬間。
 周囲の空気が凍った。
「……事故?」
 皇女の声は静かだった。
 私は頷く。
「ええ。双方に誤解があったのですもの。私も『多少』感情的になりましたし。ね?」
 その言葉に貴族たちの表情が引きつる。
「……殿下ほどのお方が、まさか『弱い者いじめ』のような真似はなさらないでしょう?私、怖くて……手が震えてしまって……」
 ヘレナ皇女は、しばらく私を見つめていた。
 
 怒りも。 
 侮蔑も。 
 浮かべずに。
 ただ──観察するように。
 
「……なるほど」
 静かな声だった。
「あなたは、本気でそう思っているのですね」
 ざわり、と空気が揺れる。
「ええ、もちろんですわ」 
 私は微笑みを崩さない。 
「誤解は誰にでも起こり得るものですから」
 
 皇女は小さく息を吐いた。
「では、確認いたします」
 まるで授業のような声音だった。
 
「あなたは、自らの客人に酒を浴びせ、暴力を振るい、その責任を『事故』と表現された」
 言葉が一つずつ落ちる。
「さらに、その被害者へ『水に流せ』と要求した」
 周囲の貴族たちが顔を伏せる。
「この『事故』は『お互い様』だと認識しておられる」
 
 沈黙。
 私は笑みを保ったまま頷いた。
「ええ。そうでしょう?」
 
 一瞬。
 本当に、一瞬だけ。
 皇女の瞳に理解不能を見る目が宿った。
 
「……その認識は誤りです」
 断言だった。
 
 声は強くもない。 
 怒鳴りもしない。
 それなのに──逃げ場がなかった。
 
「これは事故ではありません」
 静かに、はっきりと言い切る。
「あなたは責任から逃げているだけです」
 空気が凍りつく。

「あなたが守ろうとしているのは」
 一歩、近づく。 
「ご自身の立場です」 
 胸が強く跳ねた。

(……違う。私が間違っているはずがない)
 
「……随分、偉そうですのね」
 笑った。 
 笑顔が引きつる。
「ここは私の舞踏会ですわ。秩序を決めるのは──」
 
 言いかけて、気づく。
 誰も頷いていない。
 誰も味方していない。
 沈黙。
 完全な沈黙。
 それが何よりの答えだった。
 
「……皆様も、そう思われますの?」
 助けを求めるように周囲を見る。
 貴族たちは目を逸らした。
 一人、また一人。
 まるで最初から私など存在しないかのように。
 喉が乾く。
 
「ち、違いますわよね?」 
 笑う。 
 必死に笑う。
「私は、この国の公爵令嬢で──」
「だからこそです」
 ヘレナ皇女が静かに言った。
 
「身分が高い者ほど、責任は重い」
 
 逃げ道が閉じる。
「あなたは今、『知らなかった』ことを理由に責任を免れようとした」
 淡々と。
「しかし貴族とは、『知らなかった』では済まされない立場です」
 言葉が刃のように落ちる。
「それを理解できないのであれば──」
 わずかな沈黙。
 
「あなたは『主催者』ではなく、『混乱の原因』です」
 
 世界が止まった。
「……っ」
 息が詰まる。

「……ふっ」
 乾いた笑いが、誰かの喉から漏れた。
 それは私をバカにするような色があった。

 (誰よ……誰よ!)

 周りを睨みつける。
 瞬間、視線が一斉に私から外れる。 
  
 そのとき。
「エレノア」
 
 低い声が響いた。
 振り返る。
 そこには──お父様が立っていた。
 顔色は青白く、目だけが冷えている。
 
「……お父様?」
 安堵が胸に広がる。
 
 助かった。
 これで終わる。
 いつも通りだ。
 
「誤解なのです! 私は何も知らなくて──」
「もう話すな」
 
 低く、短い一言。
 空気が凍った。
 
「……え?」
「これ以上、家名を汚すな」
 頭が真っ白になる。
「な、何を……私は──」
 
「謝罪しろ」
 
 命令だった。
 初めて聞く声音。
「今すぐ、跪け」
 理解できなかった。
 
 お父様が。 
 私に。 
 頭を下げろと?
 
「……なんでそんなことを言うの」
 思わず後退る。
「私、知らなかっただけ──」
 
「……公爵家として、お前を庇うことはできん。帝国を敵に回せば、公爵家は滅ぶ。お前一人の我儘で、家臣も領民も巻き込めん。お前は『娘』ではない。『損失』だ」
 お父様の目には、いつもの情がなかった。
 完全に、見捨てられた……
 
「……ディートリッヒ」
 最後の希望へ視線を向ける。
 
 彼なら。
 彼だけは。
 助けてくれるはず。
 
 だが、彼は動かなかった。
 
 ただ静かに、こちらを見ている。
 その視線には、何もなかった。
 道端の雑草や石を見るような目。
 瞬間──理解してしまった。
 
 ──助けてくれない。
 
 涙が溢れた。
「……どうして……?」
 
 誰も答えない。
 広間の全員が、私から距離を取っていた。

「……違うわ」
 気づけば、叫んでいた。
「私が悪いって言うの!?」
 広間に響いた。
「だったら最初から止めなさいよ。あなたたちも同罪よ!!」
 視線が一斉に集まる。

「全員見ていたでしょ!?無礼だったのはあの女で──」

 言葉が続かない。
 誰も頷かない。
 誰も同意しない。
 世界が……私を拒絶する。

 違う。
 拒絶されたのではない。

 ──皆が、間違っているのだ。

 そうでなければ、
 こんな結末になるはずがないのだから。
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