探偵は胸を揉む:偽りの依頼人

リチャード裕輝

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第十話:究極の敗北と歪んだ庭の終焉

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第十話:究極の敗北と歪んだ庭の終焉

クッキーをかじったその時、喉の奥で、鉄錆を噛んだような強烈な苦味が弾けた。

「…なんだ、これ…」

甘いはずのクッキーの味が、焼けるような激しい苦味へと変わる。体内の全ての粘膜が拒絶反応を起こし、腹の底から、冷たい水の塊がせり上がってくるような、制御不能の吐き気に襲われた。

俺は咄嗟に喉を抑え、呼吸をしようともがく。しかし、気管は急速に収縮し、酸素の経路を鉄の扉のように閉ざしていく。全身を激しい痙攣が走った。まるで、高圧電流が骨の髄を焼き尽くすかのようだ。視界は、激痛と酸欠でノイズにまみれた白へと急速にぼやけていく。

テーブルの上、グラスに注がれた水が、俺の激しい痙攣に合わせて不気味に、そして不自然なほど激しく波打っているのが見えた。この山荘の静寂が、毒の鼓動で震えているようだった。

「毒だ…!――あのクッキーに…!」

俺の意識が途切れる直前、脳裏に、アオイの最後の言葉と、ユウキのメッセージが、血の様に鮮烈な走馬灯となってフラッシュバックした。

「久我さん。あなたの能力は、私の心ではなく、ただの体にしか興味がないのでしょうか?」

俺が、彼女の心に宿る「光」を信じ、その体の「呪い」を遠ざけた、あの瞬間――。

久我の体は、椅子から滑り落ちるように、重い鉛の塊となって床に崩れ落ちた。冷たい木の床の感触だけが、唯一の現実だ。

意識が、抗いようのない闇に飲まれる直前、すべてが繋がった。ユウキの真の目的――その冷酷な、氷の刃が、俺の脳髄を貫いた。

(久我の最後の悟り:信頼という名の盲点)

ユウキのゲームは、山荘に来た最初の日から始まっていたのだ。彼は俺の小説『歪んだ庭』を愛する、狂信的なファンであり、俺の「呪われた探偵能力」を、彼の「究極の物語」の最高の素材として迎えた。俺は、世間の軽蔑に苛まれ、唯一求めていたのは、この呪われた力を肯定してくれる「理解者」だった。ユウキの「あなたの能力は光だ」という熱烈な承認は、俺にとって救いではなく、彼の物語へ導く唯一の道標だったのだ。俺は、彼が仕掛けた偽りの「信頼」を、盲目的に、そして自ら進んで信じた。

ユウキもまた、アオイや俺と同じく、この能力に宿る「真実を暴く光」を、誰よりも強く信じていた。だからこそ、彼はこの光が真実を暴き、友人たちを彼の支配から解放する「救世主の力」となることを知っていた。

しかし、ユウキが本当に望んだのは、俺の命ではない。俺の能力がもたらす「真実の救済」をこの世から消し去り、友人たちへの「依存という名の呪い」を永続させることだった。ユウキは、「光」を最高の形で利用し、そして永遠に封じ込めるという、二律背反の狂気を実行した。

そして、この閉鎖空間のすべてが、俺を屈辱的な敗北へと誘うための役割だった。 ユウキの「自殺」は、あくまで演出であった。その真の目的は、俺の能力の限界(DカップがEカップであるという誤認)を引き出し、「真実を暴く光は欠陥品だ」と断罪させることにあった。

そのための舞台装置として、友人たちは使われた。

リナの役割は、彼女の「浮気への憎悪と裏切りの罪」を利用し、俺の目の前でユウキを刺させることだった。彼女の罪は、「救世主を刺した」という形で永遠に残る。彼女は罪の意識とユウキへの愛憎の板挟みとなり、救いを求め続ける。

タケルの役割は、彼の「裏切りと承認欲求の罪」を利用してガスボンベを運ばせ、共犯者とした。彼の罪は、「親友を見殺しにしようとした」という形で永遠に残る。彼は、ユウキに認められたいという呪いから永久に逃れられない。

そして、最も依存心の強かったアオイには、俺によって「自立」という偽りの希望を与えさせた。彼女の「自立」の証とは、「真実の光(久我)を消し、依存の対象(ユウキの記憶)を守る」という最終命令の実行だった。

久我が生きている限り、ユウキの愛する者たちは真実に救いを求めてしまう。久我を排除することで、ユウキの愛する者たちは、永久にユウキを追い続ける依存の鎖に縛られ続ける。それこそが、ユウキの望んだ究極の「呪いの継続」だった。

俺は、自分の能力が暴いた真実で、ユウキを救ったのではない。俺は、ユウキの仕組んだ舞台の上で、最も忌まわしい能力を使い、彼が望む結末へと導くという、屈辱的な役目を演じきったに過ぎなかった。

――俺の救済は、彼の物語を完成させるための単なるプロセスだった。

「…最後の最後まで、俺は...真実から目を逸らした...!」

最後にアオイの胸に触れず、能力の呪いを理性で抑え込み、他者の「心」という曖昧で偽りのものを信じようとしたことが、彼の致命的な誤算となった。

ユウキを信じ、光を見た――その瞬間、俺の人生は彼に奪われた。

「…結局、俺の...能力は...呪い...だった...」

久我奏太の体が、血の気を失い、冷たい床に横たわる。彼の指が、パソコンのエンターキーから、力なく離れていった。

彼が希望に満ちて書き始めたはずの、新たな小説のタイトルだけが、パソコンの画面に、嘲笑うかのように虚しく光り続けている。

久我のパソコン画面に映るタイトル

『光』

『歪んだ庭』の物語は、究極の裏切りと、救われぬ孤独の中で、ここに終焉を迎えた。
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