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3月
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しおりを挟む「ほんっとごめんね…あ、近いのね、」
奈々を乗せて車を走らせること1分、国道と県道を繋ぐ幹線道路の端に整形外科は位置していた。
「30分開院なんで…あ、やっぱりお年寄りが並んでる…リハビリ科もあるから、」
「いいわ、待つわよ…仕事の時間になったら遠慮なく置いて行っていいからね」
「はいはい…」
遅番の始業まではまだ3時間以上あるし、松井は奈々を会社まで送り届けるつもりではいる。タクシーのドライバーに任せるには些か不安というか、高齢ドライバーならまず手に余るだろう。今彼女は運転席の後ろに座っているが、そこに乗せるだけでも思わぬ労力を使ったのだ。
「立てます?はい…」
「ごめェん…」
右足を庇ってヨロヨロと立ち上がる奈々は松井の肩に体重を預けて寄り掛かり、彼は密接したたわわを視界から外すべく遠くを見遣る。
空いた左手を腰に添えてやればもう少し歩き易くはなろうがそこまでは出来ない。頼まれれば吝かではないが松井から言い出すべき事ではないように思われた。
「受付して来ますよ、保険証とか、」
「これ、はい………はい、ありがと…」
恐縮しきりの奈々は黄色い保険証を松井に預けて、問診票を受け取り記入を始める。
待合室は高齢者が5人ほど、座席に余裕はあるので松井も座って待たせてもらった。
「小笠原さん、今日はどうされました?」
初来院ということでナースが症状の確認にやって来る。
「あの、階段から落ちて、右足をグネッとやってしまって…少し冷やしたんですけど…」
奈々はスラックスを捲って患部を見せ、直後よりだいぶん膨らんだ足首は赤みを帯びていた。
どこがどう痛いか、どこまで動くか、細かく聞いてナースは奥へ戻って行く。
「捻挫かしら…今日は運転は無理そうね…」
「当たり前でしょう、歩けないんですから。松葉杖の貸し出しとかあれば助かるんですけど…あ、僕、ちゃんと送って行きますから心配しないで下さいよ」
「ごめん…助かるわ…」
情けなく眉尻を下げる奈々はらしくなく小さく見えて、松井は壁際のテレビへと顔ごと目線を移した。
「………元旦那がね、娘の父親の。…久々に連絡してきてさ…」
「は、い、」
唐突に始まった身の上話に松井はドキリとしたが、頷いて続きを聴く姿勢を見せる。
「もうすぐ娘の卒業式なんだけどね、出席したいんだって…私が転勤で遠くに居ることも知ってるからさ、まぁ…育ててないとはいえ父親だし?娘の意見次第なんだけど……奥さん連れてさ、出席したいんだって…」
「はぁ…それは…」
「娘は何て答えるんだろうなーとか考えてたら…踏み外しちゃったァ…やァね…」
長いまつ毛を伏して唇を噛み、奈々はぷらぷらと右足を振った。
「それは……うーん」
「ごめん、言う相手がいないから愚痴っちゃった…当然の権利だけどさ、奥さんは違うじゃんね…嫉妬じゃなくてよ?育ててこなかった人に母親ヅラして参加されたくないっていうか…うん」
「ごもっともな意見だと思いますよ、……フロア長、呼ばれそうです」
診察室から先ほどのナースが出て来て「小笠原さん」と呼ぶ、受付の順番から予測していたが見事に当たって松井はニィと笑む
「小笠原さん、歩けますか?旦那さんも肩を貸してあげて…一緒に診察室へどうぞ」
「へ、あ、はい」
奈々の夫扱いされた松井は目を剥いて驚くが、すぐに立ち上がり彼女の杖代わりとなって診察室まで歩行を助けた。
・
「あー、ほんとにご迷惑をお掛けして…申し訳ない!」
「いいですよ、仕事にも間に合いそうですし…ただの捻挫で良かったじゃないですか」
隣接する薬局で薬を貰い、二人は松井の車へと戻る。
幸いにも松葉杖を借りることができたので、辿々しくも再び後部座席へ乗り込む奈々へ松井はやはり手を貸した。
「よいしょっと…ふー、ありがとね」
見下ろした奈々は胸元の主張が強く、降車時にも感じたその圧は扇情的で凶悪でいけない。
この役割をタクシーのドライバーにさせるわけにはいかない、松井は自身の行動は正解だったと確信していた。
「いいですよ、せっかく下に住んでるんですから…」
「帰りは気にしなくていいからね、タクシー呼ぶからさ」
「そうですか?まぁ何かあれば足に使ってくださいよ」
松井はミラー越しに奈々へそう告げ、会社へと向かう。
「今日は実務は無理ねェ…情けない」
「過去に、ムカデに噛まれて仕事ができなくなった奴もいましたよ、趣味の草野球で骨折して腕吊ってた奴もいたし…今回は事故ですから、堂々としていいと思いますけどね」
「いやァね、メンツの問題よ…カッコ悪いでしょ」
パキッと決めたパンツスーツ、その足元は包帯でぐるぐる巻きのブーツになっている。
「治るまでの辛抱ですね…お手洗いは、1階の商品管理室の横が人出が少なくて使いやすいですよ。困ったことがあればそこの宗近っていうのに助けてもらって下さい」
「あー、あそこね…ん?宗近ちゃんと仲良いの?」
「新人から世話してるんで。僕の言うことなら聞きますよ…あと、うちのアパートに住んでます。見たことないですか?」
そのアパートを松井に紹介したのは宗近の方なのだが、彼は得意のすり替えによって自分の方が居住歴が長いように語った。
宗近が松井に世話になったというのは本当だが、マウントを取りたい彼をうまく煽ててへりくだって上位に立たせている、というのが実情である。何を話しても「僕すごい」な結論へ持っていく松井との会話に宗近は慣れており、実害が無い限りは「はいはい」と話を合わせてくれているのだ。
「まァ…松井くん、女の子にそんな上から…ダメじゃない…ちゃんとお礼とか言ってる?いつか愛想尽かされるわよ」
「んー…気を付けます」
そういえばここ最近伝票のことを尋ねたりしても礼を言ってなかった気がする、松井は思い当たることが有り有りで頬を掻く。
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