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2月
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しおりを挟む昼過ぎ、保存容器を抱えて自宅に戻った松井は約束を破って、すぐにスマートフォンで「さしすせそ」を検索して答え合わせをした。
「せ、センスいい!……か……ん?」
直近で耳に覚えがある単語、その言葉は先ほど奈々の口から出ていた気がする。
「さすが、知らなかった、すごい、センスある、そうなんだ………うわ、すげぇ」
それらの言葉は松井の脳内でしっかりと奈々の声で再生可能であった。
「全部言ってた気がする…フロア長…デキるな…」
計算か無意識か、聞き上手で話し上手な奈々はサ行で松井を上手く転がしていたのだ。
なるほど、相手に気持ち良く話してもらうにはこういった気遣いが必要なのだな、松井は今更だが接客とコミニュケーションを見直そうかと思案する。
上質な店で接待を受けたような気分。そんな店には行ったことは無いけれど、世の中のキャバクラが流行るのはそういった訳なのだろうと松井はフムフムとひとり頷いた。
・
同じ頃、2階。
「…『引っ越し終わり、また遊びに来てね』……っと」
実家の娘へメッセージを送り、ほろ酔いの奈々は日当たりの良いリビングのソファーで横になっていた。
「ふー…松井くんがいて…良かった…いい子だな…」
運動量があったにしても呑み食いし過ぎた、奈々は後ろ手でブラジャーのホックを外して深く息を吸う。
綺麗な新居とやり甲斐ある仕事と頼りになる部下、順風満帆な新生活の始まりに嬉しくなり非常に良い気分でうつらうつらと午睡に入った。
可愛い部下の松井、男女の垣根無く遊んできた彼は奈々としても接し易くて助かる。初めての土地で心細いとはいえ、彼を家に招き入れたのは下心があったからなどではないのだ。
松井は月初の歓迎会で好みのタイプを聞かれた際に、
「…話が弾んで…遊びの趣味が合う子…ですかね……ドライブとか、レジャーとか。料理が好きなんでホームパーティーして振る舞うんですけど、美味しく食べてくれる子がいいですね」
と答えている。
「子」というのはつまり年下の、言い方は悪いが松井にとって立場が下に位置する女性ということだろう。
女子スタッフとの触れ合いも見たし今日の昼の話でやはりなと思った…彼はプライドが高く恋人より上位に立ちたがるナチュラルなマウント男である。
それが悪いということではない。それが男らしくて好きだと思う人もいるだろうし好みの問題だが、年上で上司の奈々からすると虚勢を張った犬がワンワンいきがっているように見えて少々滑稽であった。自分が若い頃に経験した、年上というだけで女にやたら偉そうに世の中の道理や聞き覚えのある格言などの高説を垂れる上司共、それに似たことを若造がするものだから可笑しかった。
奈々はそんな男共をこれまで「はいはい」と話を聞いて手の上で転がしては上手くやって来たし、これからもそうするつもりでいる。
「あれが接客に出始めるとダメよね…」
松井もやがては老害と呼ばれるようなオヤジになっていくのか、初めこそ奈々はそう思った。
しかしながらよくよく話してみれば松井は女性を馬鹿にしている訳でも屈服させたい異常な感性を持っている訳でもない。むしろ「女の子」に崇高なイメージを抱いている清らかさがある。
「人慣れしてるのに『女』には慣れてないっぽい…お付き合いしたこと無いのかもな…」
それは想像だが童貞ゆえの無知から来るのか、女性慣れしてないからなのか。もしくは彼の姉を反面教師とした理想を作り上げて崇めているからなのか。
彼はきっと、想い合ってカップルになれば恋人を大切に守るだろう、奈々は親心を覗かせてそうであって欲しいと願う。
「ご飯、美味しかったなぁ…あんなお嫁さん欲しい♡」
家事能力はあるし稼ぐし上司からの信頼も厚い、同年代で話も盛り上がるし仕事でも呼吸が合うし、目上の者には弱いようなので傲慢な感じも出して来ない。
では奈々が松井の事を異性としてどう思っているかというと、この時点では全くの恋愛対象外であった。なんせ奈々は1歳・2学年とはいえ年上で、松井が無意識に提唱する理想の恋人像…つまり「女の子」に当たらないのである。
彼は自分の事を恋愛対象として見ていないから付き合いが楽だろう。
良き上司として良き隣人としてやっていければそれで充分…奈々は「ふふ」と笑って寝返りをうった。
つづく
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