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3…舐める視線
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しおりを挟む「いやー、寒いね…大丈夫?」
「…ゔ、(ハイ)」
「沢山食べるね」
「…モゴ…(見ないで…)」
私のトレイにはポテトとチキンの空袋と手付かずの惣菜パンの皿がひとつ、そして現在実食中のものがひとつ。
栄さんはシンプルなクリームパンをひとつだけ買っていた。
恥ずかしい。
ミルクでフォカッチャを溶かしながら喉へと落とす。
もごもごしている間にコーヒーが運ばれて栄さんはそれにすぐ口を付けて「あち」と笑う。
「(…夢か?)」
「大丈夫?」
「んッ…あ、はい、あの、こんばんは!」
「はい、こんばんは。おつかれ」
終業した栄さんはネクタイもシャツの第1ボタンも外してラフな印象だ。
けれどピーコートの大きな襟がカチッと感を醸してだらしなさは匂わなかった。
「……」
自分から会いに来たくせに話題なんて用意してなかった。
クリームパンを割って片方にかぶり付く彼を横目で眺めてはそのビジュアルにきゅんとときめく。
色白でキツネみたいな切れ長アイ、黒髪はぴっちり固めてでもギトギトしてなくて清潔感もある。
そしてクリームパンを選ぶということは甘いものが嫌いではないのだろう。
でもコーヒーはブラックという点が男らしくて実に良い。
「(あくまで当社比です、カフェオレ好きでも可愛くて良い)」
「…あげようか?」
私がソーセージドッグに手を付けないでいると、栄さんがもう半分のクリームパンを指差してイタズラそうに笑う。
「え、あ、いえ、これがあるので」
「そう…美羽ちゃんは…食べるの好き?」
「はい、好き…です」
「良いことよ、体も丈夫になるだろうし」
口の端に付いたクリームをぺろりと舐めるその仕草。
一旦意識すると一挙手一投足が魅力的に見えていけない。
そして当たり前に呼ばれているが我ながらプリティーな渾名である。
彼の口が「ミ」「ワ」と動くのが有り難くて「ちゃん」という単語もキュートで堪らない。
「(ありがたや…ほわぁ…)」
「…美味……前さ、ムラタとうちでフットサルしたの憶えてる?」
「あ、は、はい、夏に、え、あれにいらしたんですか?」
それはこの8月だったかに行われたレクリエーション大会、ライバル会社とはいえ同じ小売店組合に属しているために店対抗のスポーツ交流などがたまに行われているのだ。
出たところで何がある訳でもないのだが同業者で繋がりを作っておいて損も無し、経費でスポーツが出来るとあって運動不足解消に参加する社員も多い。
私も何でか参加させられて、「女子はゴールしたら2点ね」とハンデまで付けてもらいそれなりに頑張った…のだが、そこに栄さんがいたということか。
「うん、試合はしてないけど。打ち上げは出たよ。美羽ちゃんの隣のテーブルで、こっちからは顔が見えてたから憶えてたんだよね」
「え、」
なるほど初対面じゃなかったのか。
とすれば私の「どこかで見たことあるかも」という記憶も間違いではなかったということだ。
あの夜の打ち上げはフットサル会場からほど近いファミリーレストランだった。
私は2ゴールを決めて勝利に貢献したということで先輩社員が奢ってくれるとの話になり…遠慮なくもりもり食べていた。
デラックスミックスグリルにパンとスープとサラダの食べ放題を付けて更にデザートも頼んだはずだ。
日中の仕事疲れもあって周りの目など気にせず余さず食い尽くした憶えがある。
「小さいのに両手にパン持ってよ、ガツガツ食ってんのが見てて気持ち良かったわ」
「…恥ずかし」
「印象的だったんだよ。……可愛くて」
「……かわい」
その形容詞は軽はずみに放つものじゃない。
特に出逢って日も浅いのに急激に距離を縮めた私なんかに…いや、正確には数ヶ月前に顔は合わせていたのか。
しかしみっともないところを見られていたものだ。
褒められはしたが「元気なワンちゃんですね」くらいの意味なのかもしれない。
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