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第三話
第五十節 寂しさに耐える
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士官学校が休学になってから二日目の今日。ヤクは気だるげにベッドから起き上がり、ぼんやりと窓の外を見た。昨日は宿舎で睡眠をとることにしたのだ。昨日から校舎全体のメンテナンスが始まっていたが、宿舎に設置されてあるシャワールームは通常通り使えたことが幸いした。スグリに顔を合わせづらいこともあり、孤児院に足を向けることができなかった。
「っ……」
片膝を抱えて、自分を守るように蹲る。
先日の中間成績発表のあと、ヤクは数名の士官学生と共に第三講義室に赴いた。しかしその場に教官は誰一人としていなかった。呼び出しを受けたというのに何故と、無人の講義室の中でヤク達は混乱する。数分後にはある人物が入室してきたが、その人物は教官ではなく、ミズガルーズ国家防衛軍の軍人だったのだ。彼は困惑していたヤク達に対して、こう告げた。
「諸君らの常日頃の活動は、軍としても大変喜ばしい。そこで我々が独自で選んだ諸君らには、ある特殊な訓練を与えようと思う。突然で申し訳ないが、私と共に在る場所に来てほしいのだ」
その言葉に期待が大きく膨らんだ一同だったが、連れていかれた先はそんな期待を悉く粉砕する空間だった。案内された場所は薄暗く、全員が部屋の中に入った瞬間に理解してしまった。自分たちは騙された、と。
加えてその空間にはすでに出来上がっている他の軍人も多く存在していた。すぐさま脱出することも考えたが、所詮士官学生──軍人の半人前である自分たちが、本職の人間たちに敵うはずもなく。捉えられた自分たちは、獣の本性を丸出しにした軍人たちに食われた。
ヤクにとってそれは、二度目の絶望の始まり。生暖かく、どろどろとした白い欲望と暴力にまみれた、地獄のような時間。ねっとりとへばりつく肉の温度に、封じ込めていた記憶が無理矢理呼び起こされる。今回はあの時と違い自分一人だけではないにしろ、されていることは全く同じ。
それまで抱いていた軍への憧れが、一瞬にして砕け散る瞬間だった。何故、こんなことがまかり通るのか。何故、こんなことが許されるのか。
本当はすぐにスグリに相談したかった。助けを求めたかった。しかしそんなことも見越していたのだろう、軍人は脅しをかけてきた。密告をすれば、ルームメイトも同じ被害に遭ってもらうと。その脅しが、ヤク達から助けを求める声を奪った。
ヤクには、スグリを彼らに差し出すなんてことはできない。できるはずがないのだ。これ以上自分のせいで、彼が苦しむ姿を見たくないのだから。
だからヤクは、自分を取り繕うための演技をすることにした。一人称を変え、話し方も変え、犯されている自分とは違う自分を演じて、少しでも気を紛らわそうと。はたから見たら、なんて滑稽なことだと思われるだろう。それでも今のヤクには、こうする以外の手段が思いつかなかった。
「……行きたくないな……」
今のこの姿をルーヴァが見たら、どう思うだろう。心配させてしまうだろうか、それとも悲しませてしまうだろうか、もしかしたら怒るだろうか。
スグリに強制的に約束させられた、ルーヴァとの再会の日。本当なら喜べるはずなのに、こんなにも心も体も重い。約束を破りたいとも考えたが、それはそれで後々面倒なことになってしまうだろう。気が進まないが、鉛のように重たい体を引きずりながら、出かける準備を始めたヤクであった。
******
朝方は晴れていたのに、今はどんよりとした暗く厚い雲が街の上を覆っている。もしかしたらこの後、雨が降るかもしれない。そういえば、結局どこで待ち合わせるなどの予定を全く聞いていなかった。久々に歩くミズガルーズの街を横目に、そんなことを考える。どこへ向かえばいいのか見当もつかないが、士官学校以外でルーヴァと出会える場所なんて、やはり孤児院以外に思いつかない。
本当はこんな姿を見せたくないのだが、ここまで来てしまったのだ。そこに向かうしかなかった。孤児院までの道を歩く。一歩一歩が重い。
「ヤク?」
「あ……」
孤児院の手前ということろまで来た時、名前を呼ばれて視線を上にあげる。そこにいたのは、会いたかったが今は一番会いたくなかった、ルーヴァの姿。彼は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに笑顔に戻り優しく声をかけてきた。
「半年ぶりだね、ヤク。元気だった?」
「は……はい。お久し振りですルーヴァさん」
自分は今、しっかり笑顔を作れているだろうか。取り繕ってみるが、果たして。ルーヴァは何か言いたそうな表情を一瞬見せたが、ヤクに昼食を食べようと持ち掛けてきた。ここで断ったら、確実に自分が何か隠していると知られて、探られてしまう。
「いつものお店、行きたいです」
「ああ、いいね。行こう」
向かった場所は、昔よくスグリも含めて三人で食事をしていたレストラン。年数が経っても相変わらずの賑わいであり、店内の雰囲気はとても明るい。タイミングよく席が空いたようで、二人はテーブル席に通された。
メニューを見てヤクはカルボナーラを、ルーヴァはデミソースオムライスを注文する。料理が来るまで会話しようと、ルーヴァが話しかけてきた。
「士官学校はどう?」
「訓練は大変だけど……それなりに」
「そう。聞いたよ、中間成績発表で一位だったそうじゃないか。それを聞いて、僕も嬉しくなったよ」
「ありがとうございます」
「そのまま頑張って首席で卒業すれば、軍でもすぐに活躍できるかもしれないね」
「っ……そ、そうですか。頑張ります」
数十分後、出来立てのカルボナーラとデミソースオムライスが運ばれてきた。冷めないうちに早速、二人は食べ始める。カルボナーラの濃厚なクリームソースがパスタに絡み、口の中に運べば卵のこってりとした風味が口の中に広がる。パスタは程よく噛み応えのあるアルデンテ。噛めば小麦の味も、ソースの奥から控えめに顔を出す。焦がされたスライスニンニクと黒コショウもアクセントになり、ぴりりとした小さな辛みを舌に与えてきた。濃厚だが飽きない味わいは、昔ここで食べたときと全く変わらない、どこか安心感さえ思い出させた。
ルーヴァも美味しそうにデミソースオムライスを食べている。その幸せそうな表情は、自分より年上であるはずなのに何処か幼さを感じさせた。今この時は、何も考えないでいい幸せな時間だったのかもしれない。
食べ終わって食後の飲み物を楽しんでいたが、不意にルーヴァに名前を呼ばれる。
「ヤク」
「なんですか?」
「何か、悩んでいることがあるんじゃないかな?」
「ッ……!?」
ルーヴァの突然の質問──というよりは確認に近かったのかもしれない──に、思わず動揺してカップを落としそうになる。射貫くようなルーヴァの視線と目が合わせられず、目を逸らした。気付かれないと慢心していた己を恥じる。やはりこの人に隠し事は通用しないのだと、改めて思い知らされた。
「スグリから聞いたよ。何か隠しているけど、話してくれないって。一人で抱えちゃダメだよって、言ったよね?」
「大丈夫です!他の士官学生の人、と……その、相談してますから」
「それは、スグリには言えないことなのかい?」
「魔術専攻科での、ことだから……。科の違うスグリだと、わからないこととかもある、んです。大丈夫です、抱えてないです」
「……、そう……。今の言葉は、本当だね?」
「はい。もう、嘘は吐きません」
嘘だ、今も嘘を吐き続けている。何度でも、自分は己を心配してくれる人たちを裏切っている。それでも、知られたくない。彼らに話せるわけがない。
大丈夫、まだ自分の心はギリギリのところで保てている。何より話したことで、今もなお信念をもって軍で日々の任務をこなしているルーヴァを傷付けてしまいそうなのが、とても怖い。まさか自分が、その軍人たちに凌辱されているなんて。言えるわけがないのだ。
ルーヴァはしばらくヤクの顔を見た後、ため息を一つ吐いた。わかった、と彼なりに飲み込んでくれたのだろうか。
「なら、その言葉を信じるよ。でも、スグリにあまり心配かけさせないこと。言っていたよ、自分はそんなに信用されてないのかって」
「……ごめんなさい」
「それはスグリに言ってあげること。いいね?」
「……はい」
そう忠告をして笑顔を見せたルーヴァだが、何処か悲しさを漂わせていた。呆れられた、だろうか。そんな表情をさせてしまったことに、罪悪感を抱く。会計を済ませて外に出れば、予想していた通りの大雨。その光景を見たルーヴァが、しまったと顔を青ざめさせた。
「うわ、思い出した洗濯物を外に出したままだった!ヤク、ごめんね。久々の再会でもっと話したかったけど、帰らなきゃ。キミ、傘は持ってきてる?」
「あ……はい。折り畳み式のを、一応」
「そう、よかった。じゃあ僕は帰るね。今日は久しぶりに会えて良かった。今度会えた時は、もっと沢山話をしよう。スグリも一緒に、ね。それじゃあ、また!」
言うだけ言って、ルーヴァはその場から走り去る。さすが現役の軍人、といったところだろうか。瞬きの瞬間、彼の姿はもう遠くなっていた。疾風が駆け抜けたかのようでしばし呆然としたが、ヤクも傘をさして街を歩く。
雨は思ったよりも強く、昼間なのに辺りは暗い。街の商店街通りを歩けば、店側も急いで雨避けのテントを張っている。どうしようか、このまま士官学校の宿舎に帰ろうかと考えた──その時だった。
「ん……?」
不意に、商店街の路地裏に目を向ける。目的の店があるとか、そういうことではない。ごく自然に目を向けただけだが、その先に気になるものを見つけ足を止めた。
その路地裏に、一人の幼子がいたのだ。雨宿りをする気がないのか傘もささず、蹲って一人雨に打たれているその姿を見て、過去の自分を思い出してしまう。
気付けば、自然と足が幼子の方へ向かっていた。とりあえず雨にあたらないようにと幼子の上に傘を差しだすと、ゆっくりと幼子は顔を上げた。茶色の髪に、月明かりのような金の瞳のその子供は、ヤクをその大きな瞳に捉えて呟く。
「だれ……?」
「私は、ヤク・ノーチェという。お前、名前は?」
「レイ。レイ・アルマっていうの」
「レイ、か。お前は迷子なのか?両親はどうした?」
「親?……わからない。おれ、ずっとここにいた」
「わからないって……記憶が、ないのか?」
「よく、わからない。おぼえてない」
レイと名乗ったその幼子は、心細そうに己の服を掴む。会話が成立している以上、ある程度の受け答えは可能だと理解できたが。両親のことは一切覚えていない、そして己がいつからここにいたのかもわからない、となると。
考えられる可能性はある程度あるが、恐らく彼は自分と同じ孤児なのだろう。着ている服装は幸いにもあの施設のものではない。しかしこんな大雨の中で、ずっと彼はこの場所にいたのか。……あの時の、スグリと出会う前の自分と同じように。自分はあの時、スグリが手を取ってくれたから、今ここにいる。ならば今、自分がこの子にできることは──。
「レイ。お前さえよければ、私と共に来ないか?」
「にーちゃんと、一緒に……?」
「ああ。こんなところにずっといたら、風邪をひく。両親がいないというのなら、その代わりになる場所に、私が案内する」
「ほんと?」
「嘘は吐かない。約束する」
そう言って手を差し出す。その手とヤクの顔を交互に見たレイだったが、やがて安心したように顔を綻ばせて、己の手を重ねるのであった。
「っ……」
片膝を抱えて、自分を守るように蹲る。
先日の中間成績発表のあと、ヤクは数名の士官学生と共に第三講義室に赴いた。しかしその場に教官は誰一人としていなかった。呼び出しを受けたというのに何故と、無人の講義室の中でヤク達は混乱する。数分後にはある人物が入室してきたが、その人物は教官ではなく、ミズガルーズ国家防衛軍の軍人だったのだ。彼は困惑していたヤク達に対して、こう告げた。
「諸君らの常日頃の活動は、軍としても大変喜ばしい。そこで我々が独自で選んだ諸君らには、ある特殊な訓練を与えようと思う。突然で申し訳ないが、私と共に在る場所に来てほしいのだ」
その言葉に期待が大きく膨らんだ一同だったが、連れていかれた先はそんな期待を悉く粉砕する空間だった。案内された場所は薄暗く、全員が部屋の中に入った瞬間に理解してしまった。自分たちは騙された、と。
加えてその空間にはすでに出来上がっている他の軍人も多く存在していた。すぐさま脱出することも考えたが、所詮士官学生──軍人の半人前である自分たちが、本職の人間たちに敵うはずもなく。捉えられた自分たちは、獣の本性を丸出しにした軍人たちに食われた。
ヤクにとってそれは、二度目の絶望の始まり。生暖かく、どろどろとした白い欲望と暴力にまみれた、地獄のような時間。ねっとりとへばりつく肉の温度に、封じ込めていた記憶が無理矢理呼び起こされる。今回はあの時と違い自分一人だけではないにしろ、されていることは全く同じ。
それまで抱いていた軍への憧れが、一瞬にして砕け散る瞬間だった。何故、こんなことがまかり通るのか。何故、こんなことが許されるのか。
本当はすぐにスグリに相談したかった。助けを求めたかった。しかしそんなことも見越していたのだろう、軍人は脅しをかけてきた。密告をすれば、ルームメイトも同じ被害に遭ってもらうと。その脅しが、ヤク達から助けを求める声を奪った。
ヤクには、スグリを彼らに差し出すなんてことはできない。できるはずがないのだ。これ以上自分のせいで、彼が苦しむ姿を見たくないのだから。
だからヤクは、自分を取り繕うための演技をすることにした。一人称を変え、話し方も変え、犯されている自分とは違う自分を演じて、少しでも気を紛らわそうと。はたから見たら、なんて滑稽なことだと思われるだろう。それでも今のヤクには、こうする以外の手段が思いつかなかった。
「……行きたくないな……」
今のこの姿をルーヴァが見たら、どう思うだろう。心配させてしまうだろうか、それとも悲しませてしまうだろうか、もしかしたら怒るだろうか。
スグリに強制的に約束させられた、ルーヴァとの再会の日。本当なら喜べるはずなのに、こんなにも心も体も重い。約束を破りたいとも考えたが、それはそれで後々面倒なことになってしまうだろう。気が進まないが、鉛のように重たい体を引きずりながら、出かける準備を始めたヤクであった。
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本当はこんな姿を見せたくないのだが、ここまで来てしまったのだ。そこに向かうしかなかった。孤児院までの道を歩く。一歩一歩が重い。
「ヤク?」
「あ……」
孤児院の手前ということろまで来た時、名前を呼ばれて視線を上にあげる。そこにいたのは、会いたかったが今は一番会いたくなかった、ルーヴァの姿。彼は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに笑顔に戻り優しく声をかけてきた。
「半年ぶりだね、ヤク。元気だった?」
「は……はい。お久し振りですルーヴァさん」
自分は今、しっかり笑顔を作れているだろうか。取り繕ってみるが、果たして。ルーヴァは何か言いたそうな表情を一瞬見せたが、ヤクに昼食を食べようと持ち掛けてきた。ここで断ったら、確実に自分が何か隠していると知られて、探られてしまう。
「いつものお店、行きたいです」
「ああ、いいね。行こう」
向かった場所は、昔よくスグリも含めて三人で食事をしていたレストラン。年数が経っても相変わらずの賑わいであり、店内の雰囲気はとても明るい。タイミングよく席が空いたようで、二人はテーブル席に通された。
メニューを見てヤクはカルボナーラを、ルーヴァはデミソースオムライスを注文する。料理が来るまで会話しようと、ルーヴァが話しかけてきた。
「士官学校はどう?」
「訓練は大変だけど……それなりに」
「そう。聞いたよ、中間成績発表で一位だったそうじゃないか。それを聞いて、僕も嬉しくなったよ」
「ありがとうございます」
「そのまま頑張って首席で卒業すれば、軍でもすぐに活躍できるかもしれないね」
「っ……そ、そうですか。頑張ります」
数十分後、出来立てのカルボナーラとデミソースオムライスが運ばれてきた。冷めないうちに早速、二人は食べ始める。カルボナーラの濃厚なクリームソースがパスタに絡み、口の中に運べば卵のこってりとした風味が口の中に広がる。パスタは程よく噛み応えのあるアルデンテ。噛めば小麦の味も、ソースの奥から控えめに顔を出す。焦がされたスライスニンニクと黒コショウもアクセントになり、ぴりりとした小さな辛みを舌に与えてきた。濃厚だが飽きない味わいは、昔ここで食べたときと全く変わらない、どこか安心感さえ思い出させた。
ルーヴァも美味しそうにデミソースオムライスを食べている。その幸せそうな表情は、自分より年上であるはずなのに何処か幼さを感じさせた。今この時は、何も考えないでいい幸せな時間だったのかもしれない。
食べ終わって食後の飲み物を楽しんでいたが、不意にルーヴァに名前を呼ばれる。
「ヤク」
「なんですか?」
「何か、悩んでいることがあるんじゃないかな?」
「ッ……!?」
ルーヴァの突然の質問──というよりは確認に近かったのかもしれない──に、思わず動揺してカップを落としそうになる。射貫くようなルーヴァの視線と目が合わせられず、目を逸らした。気付かれないと慢心していた己を恥じる。やはりこの人に隠し事は通用しないのだと、改めて思い知らされた。
「スグリから聞いたよ。何か隠しているけど、話してくれないって。一人で抱えちゃダメだよって、言ったよね?」
「大丈夫です!他の士官学生の人、と……その、相談してますから」
「それは、スグリには言えないことなのかい?」
「魔術専攻科での、ことだから……。科の違うスグリだと、わからないこととかもある、んです。大丈夫です、抱えてないです」
「……、そう……。今の言葉は、本当だね?」
「はい。もう、嘘は吐きません」
嘘だ、今も嘘を吐き続けている。何度でも、自分は己を心配してくれる人たちを裏切っている。それでも、知られたくない。彼らに話せるわけがない。
大丈夫、まだ自分の心はギリギリのところで保てている。何より話したことで、今もなお信念をもって軍で日々の任務をこなしているルーヴァを傷付けてしまいそうなのが、とても怖い。まさか自分が、その軍人たちに凌辱されているなんて。言えるわけがないのだ。
ルーヴァはしばらくヤクの顔を見た後、ため息を一つ吐いた。わかった、と彼なりに飲み込んでくれたのだろうか。
「なら、その言葉を信じるよ。でも、スグリにあまり心配かけさせないこと。言っていたよ、自分はそんなに信用されてないのかって」
「……ごめんなさい」
「それはスグリに言ってあげること。いいね?」
「……はい」
そう忠告をして笑顔を見せたルーヴァだが、何処か悲しさを漂わせていた。呆れられた、だろうか。そんな表情をさせてしまったことに、罪悪感を抱く。会計を済ませて外に出れば、予想していた通りの大雨。その光景を見たルーヴァが、しまったと顔を青ざめさせた。
「うわ、思い出した洗濯物を外に出したままだった!ヤク、ごめんね。久々の再会でもっと話したかったけど、帰らなきゃ。キミ、傘は持ってきてる?」
「あ……はい。折り畳み式のを、一応」
「そう、よかった。じゃあ僕は帰るね。今日は久しぶりに会えて良かった。今度会えた時は、もっと沢山話をしよう。スグリも一緒に、ね。それじゃあ、また!」
言うだけ言って、ルーヴァはその場から走り去る。さすが現役の軍人、といったところだろうか。瞬きの瞬間、彼の姿はもう遠くなっていた。疾風が駆け抜けたかのようでしばし呆然としたが、ヤクも傘をさして街を歩く。
雨は思ったよりも強く、昼間なのに辺りは暗い。街の商店街通りを歩けば、店側も急いで雨避けのテントを張っている。どうしようか、このまま士官学校の宿舎に帰ろうかと考えた──その時だった。
「ん……?」
不意に、商店街の路地裏に目を向ける。目的の店があるとか、そういうことではない。ごく自然に目を向けただけだが、その先に気になるものを見つけ足を止めた。
その路地裏に、一人の幼子がいたのだ。雨宿りをする気がないのか傘もささず、蹲って一人雨に打たれているその姿を見て、過去の自分を思い出してしまう。
気付けば、自然と足が幼子の方へ向かっていた。とりあえず雨にあたらないようにと幼子の上に傘を差しだすと、ゆっくりと幼子は顔を上げた。茶色の髪に、月明かりのような金の瞳のその子供は、ヤクをその大きな瞳に捉えて呟く。
「だれ……?」
「私は、ヤク・ノーチェという。お前、名前は?」
「レイ。レイ・アルマっていうの」
「レイ、か。お前は迷子なのか?両親はどうした?」
「親?……わからない。おれ、ずっとここにいた」
「わからないって……記憶が、ないのか?」
「よく、わからない。おぼえてない」
レイと名乗ったその幼子は、心細そうに己の服を掴む。会話が成立している以上、ある程度の受け答えは可能だと理解できたが。両親のことは一切覚えていない、そして己がいつからここにいたのかもわからない、となると。
考えられる可能性はある程度あるが、恐らく彼は自分と同じ孤児なのだろう。着ている服装は幸いにもあの施設のものではない。しかしこんな大雨の中で、ずっと彼はこの場所にいたのか。……あの時の、スグリと出会う前の自分と同じように。自分はあの時、スグリが手を取ってくれたから、今ここにいる。ならば今、自分がこの子にできることは──。
「レイ。お前さえよければ、私と共に来ないか?」
「にーちゃんと、一緒に……?」
「ああ。こんなところにずっといたら、風邪をひく。両親がいないというのなら、その代わりになる場所に、私が案内する」
「ほんと?」
「嘘は吐かない。約束する」
そう言って手を差し出す。その手とヤクの顔を交互に見たレイだったが、やがて安心したように顔を綻ばせて、己の手を重ねるのであった。
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